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2 マッシモ・コジモ(5)
「起きろ。頭 がお待ちだ」
初めて聞く声の男に、おずおずと視線をあげた。
濃紺のスーツで固めた姿勢の良い細身の男が、ドアノブに手をかけている。思わず二度見しそうなほどの美麗な顔立ちで、サラリと音がしそうにまっすぐな長髪を首の後ろで一つに束ねている。
この地獄を起こした張本人としての自覚から、アレクサンドラは重苦しい気分でのそりと起きあがった。いつの間にか銃撃戦は終わっていて、あたりはしんと静まり返っていた。
男の後について部屋を出ると、想像通り、ティーチャーの死体がごろごろと転がっている。そして廊下も階段も血の海だった。
全て自分が引き起こした結果だと思うと、納得したはずなのに己がとんでもない魔性の人間に思えてきて、ずんと胃のあたりが重くなった。
男に先導されて表に出た。
地上に漂う硝煙の匂いは三階の自室の窓から嗅ぐよりももっと濃く、霧のように立ち込めていて、血の匂いも混ざって吐き気を催すほど醜悪だった。
埠頭に停泊している二隻の白い船のうち、一隻は使い込まれたフェリーだ。迷彩服姿だった男たちの数人が甲板で武装を解いている。奥のもう一隻は洒落た小型クルーザーで、陽光の下で白鳥のように美しい輝きを放っていた。
桟橋からタラップを降りて小型クルーザーのほうに乗り込んだ。船室のドアが内側から開かれたかと思うと、いかつい男が姿を見せてアレクサンドラへときつい視線を向けながら出てゆく。アレクサンドラは長髪の男に続いて入った。
「お連れしました」
長髪の男が言う。
通されたのは瑠璃色の分厚い絨毯が敷かれた、驚くほど豪奢な内装が施された広い一室だった。木目の美しい大きなキャビネットや重厚な応接セット、洒落たバーカウンターやビリヤード台まである。とても船中とは思えない豪華さだった。
応接セットの最奥にある一人掛けソファにマッシモが座っていた。長い足を鷹揚に組み、太いシガーを指に挟んで紫煙をくゆらせている。テーブルの上のグラスに琥珀色の液体が入っていて、マッシモは目を細めながらそれをとって一口飲むと、同じ場所に戻した。
「ご苦労だった、ソアーヴェ。下がれ」
「は」
ソアーヴェと呼ばれた長髪の男は礼儀正しく一礼して出ていく。部屋にはマッシモとアレクサンドラの二人きりになった。
三つ揃えの美しいスーツに身を包んでいるマッシモは孤児院での客の姿よりももっと堂々としていて、大柄な体格も相俟ってやはりマフィアの頭領にしか見えない。皮肉の混ざった人を食うような微笑をほんのりと浮かべている相貌は、それでも目元は涼やかで、誰もがつい視線を奪われるほど端正な顔立ちであった。
「突っ立っていないで、座れ」
自身の正面のソファを顎で示す。
低い声音の静かな口調には抗しがたい威圧感があったが、知らない仲ではないアレクサンドラの耳にはなんとなく優しく聞こえる。
アレクサンドラは命じられるまま腰かけた。ふわりと尻が包まれそうな快い座り心地だった。孤児院のソファも高級品だと聞いたことがあるがそれよりも上質なもののようだった。
アレクサンドラを眺めながらマッシモが唇を緩ませる。
「顔が真っ青だな。怖かったか」
正直に認めるしかない。
「まるで軍隊だった。あんなのがやってくるとは思っていなかった」
真顔で答えるとマッシモがフッと嗤う。
「今回は興が乗ったからな。知り合いの国王から機動隊を一班借りてみたのだ。おかげであっという間に壊滅できたろう」
なんとなく自慢げだ。
アレクサンドラは驚きで目と口をぽかりと開いた。容赦ないあの攻撃は、他でもない本物の軍隊のものだったのだ。見る間にティーチャーたちが銃弾の餌食になったのも頷ける。せいぜい、マッシモの手下による銃撃戦を予測していたアレクサンドラは、心底仰天した。
「ありがとう、ミスター」
どんな方法であれ、約束通り救ってくれたのは確かなのだ。まずは礼を言うべきだった。マッシモが首をすくめる。
「この島の汚いやり方には私も辟易していたからな。どうせやるなら徹底的にと考えたのだ」
大マフィアの頭領を辟易させるなど、よほどの悪事だったのだろう。
「おかげで俺は臓器にならずにすんだ。いくら親の借金のために連れてこられたからって、そこまでされるいわれはねえもの」
「ふーん、お前たちはそう説明を受けているのか」
マッシモが白けた顔になる。アレクサンドラはきょとんとした。
「説明って? どういう意味?」
「気の毒だが体よく騙されているな。売り物になりそうな子供を見つけては、その親を事故と見せかけて殺して借金をでっちあげ、売春させる。挙句の果てに臓器売買。それが奴らの手口だった。さすがも我々も、そこまで一般人を食い物にはせん」
アレクサンドラは目を瞠った。
「な、に…?」
我が耳を疑い、問い返す声がかすれる。
「じゃあ俺の両親は――――」
あの優しかった養父母は、この島の奴らが自分を手に入れるために、事故にみせかけて殺されたというのか。
マッシモが嫌悪感を滲ませる。
「そういうことだ。闇社会じゃ、ここマクシミリアン島は汚い売春島として有名だ」
アレクサンドラはショックを隠せず、唖然とマッシモを見つめるしかない。
「なあ、他のチャイルド……逃がしてくれた?」
このままでは、誰一人浮かばれない。
せめて今生きているチャイルドは救われて欲しい。そんなアレクサンドラの悲願を慮ってか、マッシモが真面目な顔になって肯く。
「お前との約束だからな。皆、今度はちゃんとした施設で面倒を見てもらえるように計らうよう、言ってある」
そこまでして貰えるのならと、アレクサンドラは肩の荷を下ろした。この男には一生頭があがらない。
「ここの大人は全員殺してくれたんだろうな?」
「私がそう命じたのだから間違いない」
アレクサンドラはマッシモの言葉を信じた。
「ありがとう。院長も、殺してくれたんだよな」
マッシモが怪訝な顔をする。アレクサンドラはひときわ目に力を込めた。
「孤児院の院長だよ。俺が一番殺したかったのは、そいつなんだ。奴の死に顔を拝むまでは、ここを離れないぜ、俺」
「なぜそんなに院長にこだわる?」
マッシモが好奇心を見せる。
「ここの黒幕は院長だろう。それに、奴はまだ八歳のマリエッタにそりゃあ酷いセックスをしたんだ。自分の欲望を満たすために、まるで拷問みたいなことをしたんだぜ。それも長いこと、ずっとだ。彼女はそのせいで首をつって死んだんだ」
「…ほう?」
マッシモの相槌が暗いものになる。
「だがファウスト・タッソは今、この島にいないだろう」
人差し指の関節を顎の下に当てて考え込むようなそぶりを見せながらマッシモが告げる。アレクサンドラは首を傾げた。
「ファウスト・タッソ?」
「マクシミリアン島の所有者だ。孤児院と更生院の院長でもある。つまり、この島全体のオーナーだな。臓器売買も奴が始めたことだ。ついでに言えば、お前たちの親を殺すよう手下を仕向けるのも奴だ。だが普段はヨーロッパの別荘を転々としているらしいから、基本的にここにはいないはずだ」
一番殺したい人間が死んでいない現実に、アレクサンドラの視界が暗くなる。
「でも俺はあいつを殺したいんだ…! 無念に死んでいった仲間のためにも、俺の養父母のためにも、絶対に許さない――――!」
アレクアンドラは身を震わせた。
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