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7 そして逃亡へ(3)
意識が戻って、うっすらと目を開けた。
見慣れない部屋で、にわかにどこだか分からなかったが、すぐに、ゆうべ初めて足を踏み入れたマッシモのベッドルームだと気付いた。
「――マッシモ……」
巨大なキングサイズのベッドには自分しかおらず、アレクサンドラは愛しい男の名を甘やかに口にしてみる。一晩中、あまりに熾烈な快楽に溺れていたためだろうか、まだ全身は重く、意識はぼんやりとしていた。
下半身の生々しい痛みに顔をしかめながらのっそり起きあがる。そのまま朦朧と部屋を見渡した。
正午に近い明るさだ。
マッシモは仕事に出たのかもしれない、そんな考えが過った、その時だった。ウイングソファの背もたれの向こうに、マッシモがいることに気付いた。
思わず、ぎょっとした。その後頭部がなんとなく硬直しているように見えたからである。
(あんなところで寝ているのか?)
ベッドから出て近寄り、確かめた。
「マッシモ?」
そのまま、全身が固まったようになった。
青白い顔をしたマッシモは、口の端から赤いものを零している。目玉は飛び出さんばかりに見開かれているままだった。
手首を取る。冷たくて、確認すると脈がない。ゆすってみると全身がガタガタと揺れ、頭がカクリと横に倒れた。
「マッシモ――――なんで――――?」
テーブルの上には栓の開いたワインの瓶と、二つのグラス。
ゆうべクアランタから渡された物だ。わざわざトレーに乗せて、「極上品だ。カポと一緒に愉しめ」――――と。
不意に、廊下で気配がした。アレクサンドラは急いでカーテンに身を隠した。
レンツィとソアーヴェが入ってくる。走ってきたのか、二人とも息がすっかりあがっていた。
「遅かったか…!」
ソアーヴェが悔しそうに唸る。現れたアレクサンドラに二人が目を瞠った。
「俺じゃないぜ」
アレクサンドラは弁明した。
「クアランタだ。このワインは、ゆうべクアランタが俺によこしたものだ」
「分かっている!」
初めて聞くような大声でソアーヴェが怒鳴った。いつも冷静な彼には珍しく、「くそっ」と壁に拳を叩きつけた。
「してやられたんだ! 俺たちは!」
「落ち着け、ソアーヴェ。ここで騒いでも仕方がない」
まだ理性が利くのだろう、怒りをかみ殺した声でレンツィがソアーヴェを窘める。彼の忠誠心から考えても、その怒りの矛先はクアランタに違いなかった。
「どういうことだ? どうしてクアランタが、」
アレクサンドラの拙速な問いかけにソアーヴェが答える。
「裏切ったんだ! マッティオに寝返りやがった! 俺はここずっと、奴の足取りを追っていたんだ! そうしたら、昨日、クアランタが出張先のナポリからここに戻ったと知って、慌てて戻った!」
ソアーヴェが叫ぶ。
「俺は俺で、カポからソアーヴェが事故ったと聞いてな。ミラノに駆け付けたんだ。カポはクアランタからの報せを信じたんだろう。実際は、俺をここから離すための罠だったらしい」
レンツィが続ける。
「マッティオだって…?」
数回、耳にしたことがある名だ。
マッシモの異母弟で、十年ほど前にマッシモを裏切ったためにファミリーを追い出されて、逃げ回っている男である。最後の戦争の際に片耳をマッシモに切り落とされている。
彼が秘かに仲間を集め、マッシモへの復讐に執念を燃やしていることは、何度か耳にしたことがある。まるで砂漠に潜む蠍 のように危険な男だ、ということも。
「クアランタについては最近になって、マッティオへファミリーの金を横流ししているという密告があって、調べていたところだった」
「そんな…」
あれほど忠実そうな男だったのにと、信じがたい気分になる。
「真偽を確かめてからカポに報告するつもりだったんだ。でも、先に話していれば、こんなことにはならなかったのに……」
唇を噛むソアーヴェにレンツィが厳かに答える。
「自分を責めるな、リベリオ。証拠がなければカポだって信じようとしなかったさ。それくらいクアランタはカポの信用を得ていた。…それより、アレックス。今からはお前がコジモ・ファミリーの頭領 だ。俺たちが命に代えても守る。ここはもう安全ではない。すぐに服を着てくれ。しばらくの間、身を隠すぞ」
レンツィに促されるまま着衣した。
体にはまだマッシモに抱かれた形跡が痛いほど残っていて、いっそうつらくなる。
ソアーヴェがベッドの横の壁を押す。壁はドアのようになっていて音もなく開いた。隠し扉になっているのだ。その薄暗い先には、下へ向かう階段が見える。
「マッシモをあのままにしておくのか?」
どうしても気になって訊ねた。頬を蒼白にしたソアーヴェが悔しさを滲ませる。
「仕方がない。今は一刻を争う。マッティオはすでにここへ向かっているはずだ。この屋敷を乗っ取るつもりだろう。仲間には、退避するようすでに言いつけた。ここに来るまで数人殺 った。今回のことで、相当数がクアランタに寝返っている。戦争が始まるぞ、アレックス」
ぞっとするような話だった。
アレクサンドラはせめてと思ってマッシモの瞼を閉じた。いったいマッティオはマッシモの死体にどんな仕打ちをするだろう。想像するだけで胸が引き裂かれそうだった。
促されるまま隠し扉の中に入ると、ソアーヴェがジッポに火を灯す。階段は長く続いているようだった。背後の扉はレンツィによってしっかりと閉じられた。
(三章に続く)
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