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第20話 奇妙な男

 こちらが黙り込んだのを、試験結果を憂えての不安のあらわれとでも思ったのかもしれない。 「詩鸞。あんたならきっと大丈夫だ」  令雅は詩鸞を(はげ)ますようなことを口にした。  詩鸞は、は、と、顔を上げた。  金茶の眸が詩鸞を見ている。初めて見たときは猛禽類のようだと思った眼差しは、たしかに鋭いそれだけれども、いまはもうちっとも怖いくはない。ただ、彼の心根の気高さ、尊さ、意思の強さを思わせるだけだ――……いったい、いまはどうして、そんなふうに感じるようになったのだろうか。  一瞬、ぽかん、と、する。  それから、詩鸞は、かぁ、と、頬を染めた。 「っ、べつに!」  慌てて相手から顔を背けている。 「そんなのあたりまえです! 最初から、当然合格すると思っていますよ! あなたに心配してもらうまでもありません!」  自分の中に生じている感情を誤魔化すように、ついつい、不必要なほど強い口調で、そんなふう言い張っていた。  その後、蓉香(ようか)に見送られて、詩鸞はひとり屋敷を出た。もちろん試験結果を見に行くためだ。  けれども、貢院(こういん)へと向かう間中、詩鸞はずっと自分の鼓動が早鐘のようなのを感じていた。自分の中に生じた感情に戸惑いつつ、それに蓋をするように、見て見ぬふりをするように、無意識に速足になっていた。  試験会場ともなる貢院は、門を入ってすぐの前庭に大きな掲示版があって、さまざまな試験の及第者の名がそこに張り出されることになっている。詩鸞が貢院に着いたときには、すでに何人か、詩鸞と同じく受験者だろう人間が集まってきていた。  ほう、と、ひとつ息をつく。  朝、令雅には合格など当然だと言ったし、事実、そうやって自信を持てる程度には、ずっと勉学にも励んできた。当日の手応えだってあった。  それなのに、この浮かない気分は何なのだろう、と、詩鸞は再び嘆息をもらした――……ほんとうは、わかっている。  いっそ不合格だったらというとんでもない思考は、ここへ来るまでの道の途中にさえ、振り払っても振り払っても脳裡に戻ってきてしまった。  及第することができなければ、次の試験までの四年の間、令雅の傍にいる言い訳になる。不合格だったのだから仕方がない。次は四年後だし、勉強がてらそれまでは付き合ってあげますよ、仕方がないですから、と、言える。 「わ、たしは……」  なんということを考えているんだ、と、故郷で犠牲になった人たちへの後ろめたさもあって自嘲を浮かべかけたときだった。貢院の建物の中から、身形(みなり)の良い男がひとり姿を見せた。  その手には丁寧に折りたたまれた書状がある。これから張り出される、及第者の氏名が載った書なのだろう。  男が掲示板の前までやってくる。書状が広げられ、板に張りつけられる。  その場に集まっている誰もの視線が、書面へと注がれた。うらはらに、詩鸞はうつむいて、きつく目を瞑った――……あの書面に、いっそ、自分の名などなかったなら。  わっと声が上がる。  一方で、言葉少なに(きびす)を返し、その場から去っていく者もいる。  喧噪と静けさの入り混じった不思議な空間の中で、詩鸞は恐る恐る顔をあげた。  書面の文字面を視線で追う。  ――(しん)()利陶(りとう) 杜詩鸞  肩から力が抜ける。詩鸞は、ああ、と――ほっとしたとも、落胆したともつかぬ――息を吐き出していた。 *  帰り道、詩鸞は鳳凰を(まつ)廟堂(びょうどう)に足を運んでいた。  そういえば先日は、祈りに行こうとした矢先に京城衛についての報が耳に入ってきて、そのまま飛んで帰ってしまった。以来、きちんと拝礼に来られていなかったことを思い出したのだ。  ただ、単にそれだけが理由ではなく、自分の中の複雑な思いに気付いてしまったいま、すぐに帰って令雅に合格を告げるのが気まずく感じられるというのもあった。 「わたし……いったい、どうしてしまったんだろう」  何を血迷っているのか、と、溜め息をつく。それから、己の迷いを散らすように、詩鸞はふるふると(かぶり)を振った。  神の前なのだ、心を鎮めなければ、と、己に言い聞かせ、深呼吸をする。  詩鸞は鳳凰の神像の前に(ひざま)き、線香に火をつけて捧げ、額づくように三度深々と拝礼を行った。顔を上げて、鳳凰を見詰める。 「……神託、か……」  いったいどんな神秘の力が、自分と令雅とを巡りあわせたのだろうか。  そんなことを考えたときだった。 「――そなたが、タイオウの血か」  ふいに背後から声をかけられた。 「……たい、おう……?」  聞き慣れない響きを怪訝に思いつつ、詩鸞は振り返る。そこには、立派な体躯の、三十代だろうかと思われる男が立っていた。  結い上げられた髪は燃え立つような赤毛だ。その中に数房、白の髪が混じっているのが印象的だった。光彩だけが黒い鬱金(うこん)色の眸を、男はじっと詩鸞のほうへと向けていた。  なんだか既視感があるような気がする。  なんだろう、と、眉をひそめつつ、詩鸞は警戒して、やや身を引いた。 「すみません。すぐに、退()きますので」  詩鸞が鳳凰像の前をいつまでも陣取っているので、男の祈りを邪魔しているのかもしれない。そう思うことにして、そそくさとその場から立ちあがった。 「――鳳凰は鳥の中の鳥。翼あるものの王。生と死、破壊と再生を司る」  男は鳳凰像の前までつかつかと歩み寄ると、真っ直ぐに神像を仰いで、唄うように言った。 「太風(たいふう)有り。京城(みやこ)の東はタイホウ、その血は破壊を(つかさど)る。国の東はタイオウ、その血は再生を司る。太風の血を()る時、鳳凰を得る」  滔々(とうとう)と続ける。  詩鸞にはさっぱり意味の分からない言葉だ。それなのに、なんとなく、気を引かれるのはどうしてだろう。  足早に廟堂から出ようとしていたのに、ふと、立ち止ってしまう。 「ふたつの太風の血はすでに出逢った……タイオウの血よ」  男がゆっくりと振り向いて、鬱金(うこん)の眸を詩鸞に向けた。詩鸞を見て、口の端を持ち上げて、わらう。 「鳳凰は、再生する」  また、よくわからないことを口にする。 「あの……」  詩鸞が相手に、言葉の意味を問いかけようとした時だった。 「見つけたぞ!」  聞き覚えのある怒り声が聞こえてくる。そちらを見やれば、廟堂の門のところに佑祥(ゆうしょう)が立っていた。  足音も高くこちらへ歩いてくると、令雅の副官は、例によって有無を言わさず詩鸞の手を引いた。 「貢院へ迎えに行ってみれば姿がない。聞けば、廟堂のほうへ歩いていくのを見たというじゃないか。お前は無駄にふらふらするんじゃない! ――とにかく、来い」  いつものように、引き摺るように歩まされた。廟堂を出たところには、佑祥の鳥である大鷲が待ち構えている。 「令雅に何か?」 「さっき出撃された。万一に備えて、お前にも来てもらうからな!」  佑祥は大鷲に騎乗すると、詩鸞の身体を引き上げる。行くことに否やはなかったが、気になって、詩鸞は、ちら、と、廟堂の中に先程の男の姿を探した。  だが、そこにはもはや、誰の姿も見えなかった。

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