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第32話 裏切り

 羽姫(うき)が高く剣を構えている。いまにも振り下ろさんばかりだ。  けれども、詩鸞(しらん)はいったい何が起きているのかわからなくて、ただただぽかんと固まっていた。 「し、らん……!」  そのとき、(しぼ)り出すような声とともに、令雅(れいが)が詩鸞の身体を押しのけた。必死の(てい)だ。そのまま、令雅は詩鸞を背に(かば)うように前に出た。 「れい、が……?」  いったい何を、と、詩鸞が言いかけたときだった。  羽姫が持ち上げた剣が、そのまま、令雅の身体めがけて振り下ろされた。 「っ……!」  剣先が令雅の身を容赦なく斬り裂く。令雅は、ぐぅ、と、(うめ)いた。そのうえ、返す(つるぎ)で腹をつらぬかれて、口から血を吐き出した。 「な……っ」  呆然としていた詩鸞は、そこでようやく、引き()った、悲鳴じみた声をあげた。 「……ど、うして……」  驚愕に目をいっぱいに(みは)り、信じられない思いで詩鸞はつぶやいた。 「あら、京城衛の役目は終わったから、かしらね」  羽姫は笑って、令雅の身を貫いた剣を引き抜いた。 「ふふ、ありがとう、令雅。あなたもぼろぼろだけど、もう、太風(たいふう)だってぼろぼろね。伝説の妖魔をひとりでここまで追い詰めるだなんて、さすが最年少で京城(きょうじょう)(えい)の将軍になっただけのことはあるわ。――この状態の太風なら、もう、禁軍が生け捕れる」  そう言って、羽姫は目を細めた。 「はっ……や、はり、か」  苦しげな、(しぼ)り出すような声が聞こえて、詩鸞ははっとした。見下ろすと、口から血を流しつつ、令雅が羽姫を(にら)()えていた。 「令雅……しゃべっては……!」  詩鸞は令雅の身を案じる。  (ひど)い怪我なのだ。一刻も早く手当てをしなければならないのは明らかだった。  詩鸞は助けを求めるように、周囲を見回した。  向こうに佑祥(ゆうしょう)をはじめ、京城衛の兵卒たちが見えている。けれども、羽姫の背後には(しゅ)家の私兵らしき男たちが立って、彼らに対して(にら)みを利かせていた。  そのうえ、いまは羽姫が令雅に刃を向けている状況だ。すなわち、令雅の命を(しち)に取られているようなものなのである。  いまは迂闊(うかつ)に近づけない、と、と、そう判断したのか、佑祥ほか京城衛の兵卒たちの皆が、じりじりと間合いをはかって、動けない状態でいた。  事態は膠着(こうちゃく)の様子をみせている。  だが、令雅の怪我だけが、逼迫(ひっぱく)の度合いを刻々と増していた。 「令雅……血、が……」  のっぴきならない状況に、詩鸞はふるえる声でつぶやいた。とにかくも己の着物の(そで)を裂いて、令雅の傷口に(あて)がった。  令雅が呻き、苦悶(くもん)に顔を歪ませる。でも、しないよりはましだ。  詩鸞は泣きそうに眉根を寄せた。布が赤く染まっていく。誰か、と、おもう。誰か早く助けて、と、荒い呼吸を繰り返す令雅の身をきつく抱いた。 「……お、まえ……」  そのとき、令雅がまた薄目を開いて、羽姫を見据えた。 「俺の部下、を……殺した、な」  令雅が羽姫を責める言葉に、詩鸞は息を呑んだ。  彼が口にする部下というのは、おそらくは最初に羽姫とともに太風を追って出た京城衛の兵卒のことだろう。  そういえば羽姫は、太風の巣の(かたわら)で妖魔に襲われ、その際に乗騎や同道した者がやられてしまったと言っていた。が、どうやら令雅は、羽姫の口から語られたその言葉を真実だとは思っていなかったようである。 「あら、意外。気づいてたのね? いつからかしら?」  羽姫が、場にそぐわぬ、明るく弾んだ声で言った。  令雅はますます相手を()めつけた。 「おまえ、に、再会した、とき……おまえ、は、妖魔に襲われたと、言った。が、戻った部下の、乗騎の傷、は、明らかに、刀剣によるもの、だった」  そういえば、そうだった。令雅の部下の遺骸を背に乗せ、自らも酷い怪我を負ってなお戻ってきた霊鳥にあったのは、刀剣による傷だと令雅は言っていたではないか。  その事実を(もっ)て、誰か、妖魔ではなく人間(ひと)の陰謀が絡んでいるかもしれない、と、令雅は最初からそうした可能性を考えの中に入れていた。  その、(たくら)みの主が、羽姫だというのか。  けれども、いったい、なぜなのだろう。  詩鸞がそんなことを思ったとき、令雅がまた、苦しげな息とともに言葉を継いだ。 「あの、発言……そのうえ、ひとり戻った、おまえ、を……うたがわざるを、えなかっ、た」  羽姫が消息不明だったのは表向きのことで、実際は、彼女こそが、何らかの目的のためにずっと暗躍を続けていた。令雅はそう判断しているようだ。羽姫を保護し、彼女の口から妖魔という明らかな虚言が出たときから、令雅は彼女を疑いはじめていたらしかった。  ふ、と、羽姫は目を細めた。 「あら、残念。露見しないように両方とも始末させたはずだったのに、鳥のほうは生きてたのね。詰めが甘かったわ」  事も無げに、そう言う。  令雅は、ぜい、と、呼吸しつつ、羽姫を見据えた。 「……なにが……目的、だ」 「目的? そんなの、決まってるじゃない。太風を得る時、鳳凰を得る。――わたしの父の、皇位のためよ」 「……馬、鹿な、ことを……」 「そうかしら? 至尊の地位だわ。父が皇帝ともなれば、あたしだって、いち皇族ではなく、公主(ひめ)の身分よ」 「それ、が……なんだ、と……?」  令雅が言うのに、羽姫は苛立たしげに、ちら、と、眉を寄せた。 「そもそも父は前帝の長子なの。本来なら皇帝になったはずだったのよ。それが、鳳凰の託宣だかなんだかのせいで、いまの皇帝に横から皇位を()(さら)われたの。自分のものになるはずだったものを取り戻そうとしたって、別に、おかしくないでしょ? お父様こそ、本来の正当な皇位の主。――そうですわよね、お父様?」  羽姫が言って、大空を振り仰ぐような仕草をした。まさに、その刹那だった。  ばさり、と、大きな羽音がした。  影が差す。詩鸞がそちらに視線を向けると、上空を旋回するのは大鷹であった。  巨鳥はゆっくりと高度を下げて、羽姫の後ろに降り立った。操っているのは壮年の男だ。茶褐色の赤毛が風に(なび)いた。  ぞっとした。  一瞬、息が出来なくなった。  男の髪が、故郷を呑みこんだ燃え盛る焔と二重写しのように重なって、詩鸞は呆然と目を(みは)った。 「あ、なたは……」  禁軍将軍。  それは、かつて詩鸞の(むら)を焼いた、あの男だった。  確かめるように口にした。

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