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第33話 身勝手な野望
「お父様!」
羽姫 が喜色 を浮かべる。男――羽姫の父であり、禁軍将軍である男は、そんな娘のほうにゆっくりと歩み寄ってきた。
「ご苦労だったな、我が娘よ。よくやった」
そう羽姫に笑いかけると、男はやや離れたところにいる太風に視線を送って、満足げに目を細める。それから、口の端を持ち上げて、傷ついて倒れ込む令雅 に冷たい一瞥 をくれた。
「我が甥どのも、よくやってくれた。――ようやく、だ。ようやく太風が我が手に入る。それもこれも、令雅、おまえのおかげだ。おまえが太風を弱らせてくれたおかげで、私は十五年越しに、ようやくこやつを手中におさめられる。十五年前は失敗したが、今度こそ、鳳凰を得て……皇位を、我がものとする。悲願成就だ」
ふ、と、男は口の端を持ち上げた。
そのとき、呆然と男の言葉を聞いていた詩鸞 は、ふと、その何気ない発言を聞き咎 めた。
「……十五、年?」
鸚鵡 返しに口にする。
そう、いま目の前にいるこの男こそ、十五年前、詩鸞の故郷である芝蒼 を焼いた張本人なのだ。
でも、詩鸞はずっと、それは犠牲を最小限にとどめるためには仕方のない、判断を下した人間にとっても苦渋のことだったはずだと思ってきた。そう自らに言い聞かせて、故郷の辿らねばならなかった運命に、なんとか納得しようとしてきた。
太風が出た。その被害を他の廬に及ぼさないためには、ああするよりほか、は仕方がないことだったのだ、と――……けれども、ちがったのか。だって、彼はいま、太風を我がものに、と、そうのたまったではないか。十五年前は失敗した、と、そう口にしたではないか。
この男が十五年前に芝蒼になしたことは、いったい、どんな意味をもつ行為だったのだ――……あれは、周辺への被害を最小限に抑えるために取った、苦渋の決断では、なかったというのか。
「十五年前に……あなたは、芝蒼で……わたしの廬 で、いったい何を……?」
口の中が苦い。なんとも嫌な予感を覚えつつ、詩鸞はおそるおそる、たしかめるように口にした。じっと男を見据える。
だが、男は不愉快そうな眼差しをこちらに向けるだけで、何も言わなかった。代わりに答えたのは、男の娘、羽姫である。
「東の辺境に太風が出たとの報せを受けて、当時、皇帝は令雅の両親を辺境に遣いに出した。父はそれに、禁軍を引き連れて、同道したの。またとない好機だった。皇帝を出し抜いて、皇帝より先に、太風を捕らえるための、ね」
「そ、れで……?」
「火攻めにしたんですって。生け捕るまであと一歩のところまで行ったのに、太風は結局、天へ昇ってしまったって……たぶんそのまま死んでしまったのだろうって」
「まったく、あのときは、惜しいことをした……思い出すたびに、ほんとうに悔やまれるよ」
何でもないことのように語る羽姫の言葉に続けて、男が歯噛みするように口にした。
「あのとき、あとすこしで皇位は我がものになっていたはず……あれから十五年、実に、長かった」
詩鸞は色を失った。
このひとたちは、どうして、こんなにも事も無げに、あの日のことを語っているのだろう。あのとき、罪もない芝蒼の人々がどれだけ失われたのか、知らないのだろうか。考えないのだろうか。
「皇位って……そ、んな、ことの、ために……」
詩鸞の声は、怒りをふくんでふるえた。
「そんな、自分勝手な欲望の、ために……わたしの廬 を、焼いたの、ですか」
妖魔の害を広げないために、芝蒼の廬でその進撃を止めねばならなかった。そのために、廬に火をつけるのも仕方のない選択だった。そうに違いない、と、これまで自分を納得させてきたのが、馬鹿みたいではないか。
「ああ、おまえは芝蒼の人間なのか」
男は言う。が、その声はごく平坦で、詩鸞や芝蒼の民に向けられるどんな情も感じ取ることはできなかった。
「なによ、尊い大業だわ。たしかに芝蒼の民はあわれだけれど、父の大業の礎 になれたのだから、誇るべきじゃないかしら」
羽姫が言う。あわれ、と、そう口にしながも、それはやはり、彼女が芝蒼に対して何らの情を寄せているとは思われない口調だった。
「っ、ふざ、けるな!」
詩鸞は堪りかねて喚 いた。
「わたしの、廬は……家族、は……そんなことの、ために……うしなわれた、の、ですか……」
「だから、あわれだったわねって、言ってるじゃないの。だけど、大業に犠牲はつきものでしょ。仕方がなかったのよ。――ね、お父様?」
やはりあわれだと口にしながらも、今度もすこしも憐れんだふうもなくあっさりと言われて、詩鸞は息を呑んだ。
口惜しさに握り込んだてのひらに、爪が食い込む。憤ろしくて、たまらなくて、言葉が出てこなかった。こぶしがふるえる。目頭が熱い。
「――それ、は……」
そのとき、令雅が、ぜい、と、息をした。はっとした詩鸞は令雅を見下ろす。
「っ、令雅……だめ」
無理をしないでくれ、と、懇願するように詩鸞は令雅を抱く腕に力をこめた。けれども相手は、歯を喰いしばって男と羽姫とを見据える。詩鸞の怒りをも代弁するかのような、それはひどく強い眸だった。
「仕方がない、など……それ、は、犠牲に、する側、が、言って良い、言葉じゃ、な、い。伯父上、あなた、も……皇族、は、なにをおいて、も、民を守ら、ねば………」
途切れ途切れに、呻くように、令雅は言う。
それを聞いた男が、不快そうに、眉間に皺を寄せた。はん、と、鼻を鳴らす父の隣で、羽姫が薄笑みを浮かべた。
「あら、ずいぶんよくしゃべるのね、令雅。もしかして時間稼ぎのつもりかしら。あっちであなたの部下が機をうかがっているものね。助けが来ると思ってるの?」
令雅は、ぐ、と、言葉を呑む。羽姫の指摘の通りだったのかもしれない。
その様子を見た羽姫が、図星みたいね、と、笑った。
「でも、無駄よ。じきに父の禁軍が来るわ。そして、あそこの京城衛もふくめて、みなを取り囲む。みんな片付けてしまえば、ここで何があったか知る者はいなくなって、好都合ね。――あなたたちにも、父の大業の犠牲になるがいいんだわ」
「っ、ふざけないで!」
詩鸞は叫んだ。
「大業の犠牲? 仕方がない? そんなふうに考えている者に、至尊の位などふさわしいわけがない! 人の上に立つ資格など、ない……っ!」
民が国のためにあるのではない。国が民のためにあるのだ。最も大事にするべき民 を蔑 ろにして気に留めない者に、国を治めることができるはずもないではないか。
そんな当たり前のこともわからぬ者の、くだらない野望のために、自分の廬はあんな悲劇に見舞われなければならなかった。それが、口惜しくて、口惜しくて、ならない。
怒りをぶつけた詩鸞を、口許に嘲 るような笑みを浮かべて、男が見下ろしてい。
「とるに足りない庶民のあなたに、いったい何がわかるの」
またしても言葉を口にしたのは羽姫だった。
「さっきも言ったけれど、お父様は前 の皇帝の長子なの。本来なら皇位につくはずだった、尊い身分なのよ。皇位は父のもの、それこそが正当だわ。手にするはずだった地位を取り戻そうとして、なにが悪いっていうの?」
「やり方ですよ! やり方っ!」
詩鸞は令雅をぎゅっと抱いて、負けじと声を荒らげた。
そして、羽姫ではなく、禁軍将軍の男へと鋭い視線を向けた。
「皇位を継げる血筋を持つ者がそれを望むのは、べつに、かまいません。わたしのような取るに足りない庶民にとって、そんなもの、どうでもいいことですからね。でもね、国が守るべきは、民ではないのですか? 国とは、民の集まりではないのですか? その民を蔑ろにし、踏み潰してまで得る皇位に、いったいなんの意味があると? 皇位を望むというなら、民のために我が身を擲 って尽くすくらいのことを、あたりまえのようにしてみたらどうなんですかっ?! やることが逆なんですよ! 逆! そんなんだから皇位につけなかったのでしょうが! ふざけるなっ!」
一気に言い募る。目頭が熱かった。感情の昂りは涙となって、気付けば眦 からほろりと伝い落ちていた。
「令、雅……令雅」
いつか令雅が詩藍に詫びてくれた夜を思い出す。国に代わって、皇帝に代わって、廬を焼いた張本人の禁軍将軍に代わって、令雅は真っ直ぐに詩鸞に謝罪の言葉を述べてくれた。
そもそも彼が直接関わっていたわけでもないのに、それでも、国のためには仕方がなかった、と、そう開き直らず、すまなかったと言ってくれた。それだけで、詩鸞の心はどれほど楽になっただろう。
それに、と、詩鸞は思う。
令雅は詩鸞に犠牲を強いることを最後まで嫌がった。全体の利益を考えるなら、最初から、詩鸞を無理にでも抱いて呪詛 を解いてしまえばよかったのだ。それなのに、最後まで、なるだけ詩鸞の都合を優先しようと努めてくれた。
そのくせ、自分は真っ先に、我が身を賭した戦いの渦中に身を投じてしまうのだ。
「令雅……令、雅」
詩鸞はぼろぼろと泣きながら令雅を抱き締める。
令雅が、ぜい、と、苦しげに息を吐いた。
「…………泣く、な……詩、鸞」
掠れ声が耳許に囁く。
「あなたが、泣かしてるん、です……この、うそつき」
「……うん…………ごめん」
それが、最後の言葉だった。
令雅は薄っすらと笑むように口の端を持ち上げたまま、詩鸞の肩に頭を預けるようにして目を閉じた。
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