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第6話
侍女たちが下がるのを見送って、ユキは淹れ直してもらった紅茶を啜る。こんなふうにのんびりモーニングティーを楽しむ生活なんてはじめてだ。
「いやぁ、いかにも『貴族』って感じだなぁ」
そうして半分ほど飲んだ頃だろうか。
足音が近づいてきたかと思うと、忙しないノックに続いてウィリアムが入ってきた。
「何をのんびりしている。朝の務めをすっぽかすつもりか」
「へっ?」
「アーサー殿下のところにご挨拶に行って朝食をともにするのが婚約者の習わしだろう。おまえがあまりに待たせるせいで、殿下のこの後のご予定に影響が出ている」
「えっ!」
なんということだ。
ユキは慌ててカップを置き、弾かれたように立ち上がった。
「すっ、すみません。あの、決してすっぽかすつもりじゃなかったんです。本当です」
「は?」
「ちょっとした事情で思い至らなかったというか、全部忘れちゃったというか……」
ウィリアムが不可解そうに眉間に皺を寄せる。
「今度はいったいどんな悪戯を思いついたんだ。いつもの悪態はどこへやった。おまえのことだから『行きたくない』だの『あんなやつ、顔も見たくない』だの、文句を垂れ流すもんだと思っていたが……それにしては冗談を言っているようにも見えんな」
「冗談なんかじゃありません。ぼくは本気です」
「とはいえ妙だ。これまで俺を『ウィリアムさん』と呼んだことはなかったはずだぞ」
とっさに言葉に詰まり、ユキはウロウロと視線を泳がせた。
「ちょ…、ちょっと雷に打たれちゃって、それでまだ混乱してるっていうか、忘れっぽくなったっていうか……」
「雷に? 昨日のあれか。おい、それは大変だ。大丈夫なのか?」
ウィリアムが心配そうに顔を覗き込んでくる。苦し紛れの言い訳だったが信じてくれたようで、「そういうことならしかたがない」と頷いている。
「早くいつもの調子を取り戻せ。今のおまえでは張り合いがない」
「が、頑張ります」
こくこくと頷きながら彼を見上げるうち、ちょっとしたエピソードを思い出した。
―――そうだった。このふたりって……。
あれは、ルカとウィリアムが出会ったばかりの頃。
悪戯が見つかって父親に叱られ、薔薇の木に隠れてひとり泣いていたルカを、たまたま屋敷を訪れたウィリアムが見つけた。当時ルカは五歳、ウィリアムは十一歳だ。
やわらかな頬を真っ赤にし、大粒の涙をぽろぽろこぼすルカをウィリアムはかわいいと思ったが、プライドの高いルカは泣き顔を見られたことを死ぬほどの恥辱だ! と感じ、舌っ足らずな口調で「ひみつに、しろ!」と命じた。
ついでに、ウィリアムの丁寧な喋り方も気に食わないと文句をつけ、ふたりでいる時は普通に話すことも約束させた。
年の離れた幼馴染みであり、年齢と爵位が逆転しているふたりの小さな秘密だ。作中では軽く流されたエピソードだったけれど、ユキの心には深く残った。
懐かしい話を思い出している間にも、ウィリアムは慣れた手つきでユキの身形を整える。どうやらティータイムを楽しんでいる間にジャボが歪んでいたようだ。
「やれやれ。おまえにも側仕えがいるといいんだが……」
「側仕えってなんですか?」
「俺のような従者のことだ。私生活にも立ち入って主人を支える」
「へぇ!」
それはいいことを聞いた。わからないことを教えてもらえるし、とても心強い。
「どうやったら従者の方に来てもらえますか?」
「残念だが、おまえの場合はもう無理だ。この一年だけで五人もクビにしたくせに」
「えっ……」
絶句するユキを見てウィリアムもため息をつく。どうやらルカは相当好き放題していたらしい。せめて最後のひとりがいてくれたらいろいろ相談もできただろうに。
そんなユキの心中を察したかのように、ポンと背中を叩かれた。
「過ぎたことだ。俺がフォローしてやる。……それより殿下がお待ちだ。行くぞ」
「は、はいっ」
揃って部屋を後にする。
廊下を歩きながら、ついでにルカの毎日のルーティンも教えてもらった。
「朝はアーサー殿下のところにご挨拶に行って一緒に朝食を摂る。おまえが殿下にお目にかかるのは基本的に朝と晩餐だけだ。その後は各自の仕事があるからな」
アーサーは軍隊の指揮官として軍務に就いているらしい。
一方のルカは王子の伴侶としてふさわしくあるべく、歴史や言語、宗教などを学ぶ他、乗馬や剣術などの訓練もこなすそうだ。
食事会や舞踏会などの宮廷行事や、社交への参加も義務づけられている。王室の威厳を保ち、貴族との関係を築くことも重要な役割だからだ。
さらにアーサーは奉仕活動にも熱心で、たびたび領内の教会や孤児院を回っては市井の人々と交流を深めているとか。
ドラマではきれいに着飾った登場人物たちが舞踏会を楽しんだり、陰謀を巡らせたりと好きなことをしているように見えたが、実際にはやるべきことが目白押しのようだ。
「王族って大変なんだなぁ……」
ウィリアムに聞こえないように嘆息しながら後をついていく。
ほどなくして、幼馴染みは金色のドアノブのついた重厚な扉の前で立ち止まった。どうやらここがアーサーの私室のようだ。
「まずは遅れたお詫びを。くれぐれも失礼のないようにな」
ウィリアムは小さな子供に言うように言い含めると、扉の前に立っていた護衛にドアを開けさせ、ユキとともに部屋に入った。
いよいよ、憧れのアーサーと対面するのだ。
胸をドキドキさせながら進んでいくと、書きもの机に向かっているアーサーが見えた。朝食もこれからだというのに、もう仕事をしていたのだろうか。
彼はこちらに気づくとペンを置き、わざわざ椅子から立って迎えてくれた。
「……わぁ…………」
ドラマで見た時も格好いい人だと思ったけれど、実物の彼はさらに麗しい。艶やかな胡桃色の髪が水色のフロックコートや繊細なレースによく映える。まさに『エレガント』という言葉がぴったりだ。
年齢はウィリアムよりふたつ上の二十五歳。身長もアーサーの方が少し高いだろうか。すべてを見通すかのように涼やかで切れ長の青い瞳からは、彼の誠実さや聡明さ、そして王子として上に立つものの威厳が伝わってきた。
―――ほんとにアーサー殿下に会えるなんて……!
うれしくて気絶してしまいそうだ。この世界に入れて本当によかった。
ユキは胸をいっぱいにしながらアーサーに向かって頭を下げた。
「殿下、おはようございます! 今朝は遅くなってすみません」
「……おはよう」
淡々とした、感情の読めない声が返ってくる。
もしや遅刻のことを怒っているのだろうか。慌てて見上げたユキだったが、アーサーが目を合わせてくれることはなかった。それどころか彼は身体ごと向きを変えてしまう。
戸惑っていると、軽くふり返ったアーサーは「何を今さら」とばかりに眉を寄せた。
「『おまえなんて視界にも入れたくない』と、私に言い放ったのは君の方だが」
「えっ」
ルカときたらそんなことを言っていたのか。どうりで目も合わせてもらえないわけだ。
そんなルカ相手に毎朝の務めをこなし、挨拶を返すアーサーの自制心には恐れ入る。
「その、えっと……なんとお詫びすればいいか……」
返す言葉もなくウロウロと目を泳がせていたその時、アーサーの服の袖口がインク壺に触れそうになっていることに気がついた。蓋が開きっぱなしになっていたのだ。
「殿下、袖が……」
「何をする!」
伸ばした手をパッと払い除けられる。ユキは驚きに身を竦ませ、慌てて後退った。
「す、すみません」
「いや。私こそすまない」
つられてのことだったのだろうか。謝罪を口にしたアーサーが驚いたように口を覆う。
ユキは目を丸くした。ウィリアムもだ。従者の訝しむような視線に気づいたアーサーは小さく首をふると、己を律するように表情を戻した。
「気が変わった。ウィリアム、すぐに仕事に取りかかる」
「ご朝食はいかがいたしますか」
「執務室に運んでくれ。簡単なものでいい。……ルカ、君もひとりの方が気分良く食事ができるだろう。では」
「あ…」
ユキが何かを言うより早く、アーサーはウィリアムを伴って出ていってしまう。
自分だけアーサーの私室に残るわけにもいかず、ユキもトボトボと部屋を後にした。
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