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II 至高の魔導書(グリモワール)〈創造の書〉

 新たな魔法を生み出す力を失った現代人にとって、魔法(あまね)く古代の記憶を留めた遺跡は恵みの宝庫だ。遺跡に眠る魔法の遺物や、壁に刻まれた呪文の魔術文字(ルーン)を活用することで、人びとの生活は豊かになっていった。  そのため、各地に点在する遺跡には、王の認可を受けた呪文学者や魔法生物(クリーチャー)の狩人、古遺物収集ギルド──忌々しい盗掘者たちまでもが詰めかける。  ユーリスのような魔法考古学者も、それぞれの研究を押し進める『何か』を求めて遺跡に踏み入る。それは一枚の金貨であったり、古代の装身具であったり、魔法がかかった遺物や、過去の噴火の痕跡を秘めた土塊であったりする。  ユーリスが探し求めているのは、ある一冊の本だ。 〈創造の書〉と呼ばれる、至高の魔導書(グリモワール)。伝説では、魔法についての全てがそこに記録されていると伝えられている。いわば、魔法の世界記憶(アカシック・レコード)だ。  それさえ解読することができれば、人類は過去に生まれたあらゆる魔法を理解でき、新たな魔法を創造することさえ可能になるという。  だが、この魔導書(グリモワール)は大災厄の際にバラバラになり、現在までにいくつかのページが発見されただけに過ぎない。  ユーリスが〈創造の書〉を求めるのは、そこに大災厄の謎を解く鍵があるからだ。  千年前の世界で繁栄を享受していた古代種たちは、いったいどのように滅びたのか?  教会は、大災厄をもたらしたのは神だと説くが、それは真実だろうか?  ユーリスの父は、そうではないはずだと考えた。  七つの災厄からなる大災厄が神による罰でないなら、聖書に記された数々の『災厄』は、何物かが使用した魔法であるはずだ。とすれば、その詳細は〈創造の書〉にも記されているに違いない──だからこそ、父は〈創造の書〉を探し求めた。  父が提唱した『大災厄人為説』は教会から異端視され、糾弾された。神の意志や存在そのものに疑問を呈する内容なのだから、当然だ。  教会によって、父は大学を追放された。父は信念を失うことなく研究を続けたが、貧しく孤立無援の研究生活の末に死んでしまった。  父の学説を証明しようとしているユーリスもまた、同じ状況におかれている。まだ大学を追い出されてはいないものの、研究費は出し渋られ、上層部には目の敵にされていた。  普通、魔法考古学者が遺跡への調査に赴く際には人を雇い、さまざまな生業(クラス)から成るパーティーを組むものだ。残念なことに、ユーリスの辞書には『余裕』だとか『潤沢』だとかいう言葉は載っていない。どこへ行くにも自分ひとり分の旅費を捻出するので精一杯だ。  おまけに、過去のある出来事のせいで他人を信用できなくなっていたから、いつでも一人で実地調査に臨んでいた。  ユーリスは、それで構わない、と思っていた。  ──その僕が、遺跡で出くわした謎の人物と一緒に、深層を目指すとは……。  ユーリスは、あまりに順調な地下への道行きを、どこか信じられないような気持ちのまま進んでいた。遺跡は螺旋(ら せん)を描くように、曲がりくねる道を地下へと延ばしていた。時折分岐で立ち止まっても、優秀な道案内のおかげで迷うことはなかった。 『遺跡で出くわした謎の人物』ことヴィジャは、有能な案内役であるだけでなく、腕のいい護衛でもあった。  彼は見たこともないほど多様で強力な魔法を使って、立ちはだかるゴーレムたちを次々に無力化していったのだ。  とはいえ、ユーリスの知識があればこそ、ではあったけれど。  ゴーレムは魔法によって作られた生命体だ。彼らを動かす原動力は、額の金属板に刻まれた、有名な呪文だ。人と(つち)と灰の魔術文字(ルーン)の配列は『外敵の排除』を意味する命令文になっている。再生する彼らを止めるには、その命令文から特定の魔術文字(ルーン)を消してやればいい。  ユーリスが教えたとおり、ヴィジャは人と鎚を表す象形文字を魔法で削り取った。すると、ゴーレムはたちまち灰となり、遺跡に降り積もる(ちり)と混ざり合ってしまった。おかげで、失った野帳を取り返すこともできた。  ユーリスとしては、たとえ生還するためとはいえ、遺跡の一部であるゴーレムたちを破壊するのは忍びなかった。遺跡のあるがままの状態を乱すことを攪乱(かくらん)と呼ぶ。研究のためにはやむを得ない場合がほとんどであるとはいえ、攪乱は考古学者たちが最も嫌うものの一つなのだ。  せめてもの罪滅ぼしになればと、ユーリスは破壊される前のゴーレムの様子を記録に残すことにした。 「ユーリス、それ、何?」  スケッチを描くユーリスを見て、ヴィジャが尋ねる。 「これは野帳と言って、調査で見聞きした情報を書き記しておくものだ。後で参照できるように」  ヴィジャはページを覗き込み、わあ、と無邪気な声を上げた。 「すごい、そっくりだ」 「そうだろう。素描にはいささか自信が──」 「違う。そっくり、俺の……俺のと」 「君の、何とそっくりなんだ?」 「ええと……」  ヴィジャはもどかしそうに説明を試みるが、どうやら言葉が思い付かないらしい。しきりに胸に手を当てるものの、それが何を表す仕草なのか、ユーリスには見当もつかない。 「まあ、その話は後でゆっくり聞かせてもらうとして……」  ユーリスは野帳をパタリと閉じた。  あとはヴィジャの計画のとおり、二人を遺跡に閉じ込めてしまっている力の源を取り除き、外に出るだけだ。 「さっそく、仕事に取りかかろう」  遺跡探索の難しさは、深部に向かうほど増えてゆく白骨が物語っている。不運ゆえか、はたまた無謀さが(たた)ったのか、道半ばで倒れた来訪者の姿。だが、それさえも、階層が二十を過ぎたあたりから見かけなくなった。  ヴィジャは途中で出くわすゴーレムや魔法生物(クリーチャー)の数々を、何の苦もなく無力化していった。さらに進むと、魔法生物(クリーチャー)の気配さえ途絶えた。最深部付近はある種の聖域になると、本で読んだ通りだ。  今、二人が歩いているのは、深層に限りなく近い場所だ。空気が薄くなり、わずかに息苦しくなってきたのがその証拠だ。魔力を餌にする陽虫がところどころでわだかまり、光球を形作っていることからも、それがわかる。 「マテウスの『遺構探訪』にあるとおりだな……」 「まてうす? 誰?」 「昔の有名な魔法考古学者だ。この国の遺跡を百以上も巡って、本を書いた。まあ、情報の正確性には疑問が残るが……」  魔法考古学者だった父に憧れていた幼いユーリスは、他の子供たちが勇者や英雄の物語に夢中になっている頃に、『遺構探訪』を何十回も繰り返し読んでいた。だから、遺跡の深層で見られる光景について書かれた部分もすっかり覚え込んでしまっている。  けれど今、周囲を取り囲む壁画には、ユーリスが初めて目にするモチーフが並んでいた。  ソワソワとよそ見をしながら歩いていると、不意に段差に(つまづ)いてよろめいてしまった。 「おっと──」  そこにすかさず、ヴィジャの腕が伸びてきて抱き留めてくれた。 「ユーリス、あぶない」 「す、すまない……」  自分の頬が、彼の裸の胸に触れてしまいそうだ。近すぎる距離にどぎまぎしつつ立ち直ると、ヴィジャが面白そうに自分を見下ろしているのに気がついた。 「……僕の顔に、なにかついているか?」  すると、ヴィジャは首を横に振った。 「ユーリス、美味しい」 「ええ?」  ヴィジャが人の感情──とりわけ、高揚感や快感などの正の感情をエネルギー源としていることは、頭では理解できても、出し抜けに言われると動揺してしまう。 「下にいく。ユーリス、美味しいふえる」 「ああ……まあ、無理もないだろう」  ユーリスは肩をすくめた。 「見てみろ。こんなに素晴らしいものに囲まれているんだぞ!」  ユーリスが指し示した先には、色あせた壁画があった。ヴィジャはいまいちピンときていない様子で、微かに首を傾げている。 「あそこに、月を取り囲む星々を引き連れた天使が見えるだろう?」  ヴィジャは促されて壁画に目を向けるものの、たいして感銘を受けていない。 「思うに、あれは惑星の運行を司る存在を表現しているんじゃないだろうか。星々から手綱のようなものが伸びているのが、その証しだろう。あるいは──」 「引っ張る」  ハッとして、ユーリスはヴィジャを見た。 「引っ張る?」  それは、まったく新しい発想だ。だとしたら……考え始めると、思ってもみなかった可能性が次々にひらけてくる。 「天使が月と星を引っ張る──つまり、その場に止めていると? 星の運行を意のままにする……すなわち、星が司る要素を操るということか。だとすれば……」  学術的に魔法を読み解く方法は一つではない。この世には、魔法物理学や魔法化学など、『魔法』の二文字を冠する学問が無数にある。その中でも、ユーリスが専門にしている魔法考古学と切っても切れないのが、魔法象徴学──あらゆる象徴に込められた意味を説き明かす学問だ。  ユーリスは、かつて読んだいくつかの論文を脳裏に展開した。  一口に『星』と言っても、おなじモチーフがさまざまな意味を象徴する。例えば、星は神の意志になぞらえられたり、天使や神々、死者の魂を表すこともある。星の運行は時間の流れをも意味した。遺跡の元の用途や、時代、この場所にどの種族の文化圏があったかどうかでも意味はガラリと変わってくるだろう。  ユーリスは興奮に胸を高鳴らせた。できることなら今すぐ研究室に帰って、大きな黒板や無数の研究書と好きなだけ向き合いたい。寝食を忘れて、一つ一つの可能性を突き詰めてみたい。 「ユーリス」  名前を呼ばれてハッとしてから、ユーリスはゴホンと咳払いをした。 「すまない……つい、いつもの癖で考え込んでしまった」  ヴィジャは気にしていないようだった。初めて聞く音に耳をそばだてる仔犬のような顔でユーリスを見つめている。 「ユーリス、考える──いい感情、たくさん。どうして?」  ひたむきな視線に、わずかに頬が赤くなる。ユーリスはまた、おちつかなげに咳払いをした。 「それは、あー……この壁画は何百年も、誰の目にも触れずに埋もれていたんだ。それを、生きている人間の中で初めて発見したのが、僕だ。だからとても……幸せだと感じる」  そして、自分は存在する意味がある人間だと思うことができる。 「シアワセ?」  ヴィジャは微笑みに目を細めて、ユーリスの頭をそっと撫でた。彼の指が耳を擦り、頬を包む。 「ユーリス、ヴィジャ見つけた。それもシアワセ?」  シアワセというより、僥倖(ぎょうこう)というべきだろうか。だが、その語彙はヴィジャにはまだ難しそうなので、ユーリスは曖昧に微笑んで頷いた。 「ああ、まあ、そうだな」  すると「だめだ」という隙もないまま、ヴィジャがユーリスの額に口づけをした。優しい感触がそっと押しつけられ、同じようにゆっくりと離れてゆく。 「幸せ、とても美味しい」  (たしな)めるべきだとわかっていたけれど、満足げに目を輝かせるヴィジャの顔を見たら、(しか)る気が失せてしまった。 「こういうことは、恋人以外にはしないものだ」  すると、ヴィジャは潤んだ無邪気な目を向けてくる。 「……だめ?」  気付くとユーリスは、笑みを浮かべてため息をついていた。 「まあ……君なら特別か」 「トクベツ」  繰り返して、ヴィジャは嬉しそうに微笑んだ。  それから程なくして、二人は遺跡の深層に辿り着いた。  目の前に現れたのは、封印された正方形の扉だ。青銅製で、これだけの時を経ても完全には()びきっていない。扉の引き手には鎖が巻かれ、それを封蝋(ふう ろう)が覆っている。  墓に施された封印は、その主が高位の人物である証しだ。それを証明するかのように、美しい緑青に覆われた表面には、見覚えのある紋章が刻まれていた。千年前にこの地方を割拠していた古王国群のひとつ、オーレイルを支配していた王家のものだ。 「間違いない……これは王家の墓だ」  もしかしたら、これはあの伝説の王、アルヘヴィスの墓なのではないかという希望が頭をもたげる。  アルヘヴィスは、大災厄後に天使と契約を結んだ王で、聖書にも記されている有名な人物だ。しかし、その墓所がどこにあるのかは誰も知らなかった。  もし、これが本当にアルヘヴィス王の墓なら、歴史上まれに見る大発見だ。  ユーリスはゴクリと生唾を飲んだ。  墓の封印は破られていない。中に眠っているのが誰であれ、その人物が葬られて以来、ここに到達したのはユーリスが最初なのだ。  ユーリスは厳粛な気持ちで扉の前に(ひざまず)き、死者の眠りを守る天使ユースラムへの祈りを(ささ)げた。  そして立ち上がると、扉の封蝋を丁寧に取り外した。封蝋の下には、扉を縛る鎖と一緒に、魂を冥界に誘うイチイの枝が差し込まれている。枝には、古代文字でこう刻まれていた。 『邪なる者に創造主の呪いあれ』  決まり切った警句だが、ゾクリとした。とはいえ、ここまで来て引き返すわけにはいかない。  ──僕に邪な気持ちはない。純粋な、学問の徒だ。  傍らのヴィジャに頷いてみせると、彼はいとも簡単に鎖を破壊して、重い扉を、ゆっくりと開いた。  扉の向こうに姿を現したのは、小さな石室だった。息を詰めて、中に入る。  そこは、大の大人が五人も並べば狭苦しく感じるほどの小部屋だった。壁面には、墓の主──とある王の生前の物語を描いたと思しき壁画がある。  王に謁見する人びとの列に、今は滅んでしまった古代種たちが勢揃いしていた。妖精族(エルフ)に、岩躯族(ドワーフ)半魚族(セイレーン)壮獣族(オーク)……そして人族(ヒューマン)。  王の石棺は部屋の奥、五人の天使が居並ぶ壁画の前に安置されていた。  棺の蓋には、王の生前の姿が彫刻されている。王冠をかぶり、(ひげ)を生やした人族(ヒューマン)の王は、厳めしい顔つきで目を閉じていた。  一秒ごとに、ここがアルヘヴィス王の墓だという可能性が濃厚になってゆく。  息をするのも(はばか)られるほど重要な遺跡の中にいるのだと思うと、ユーリスの膝が微かに震えた。その上、棺を開けて中を覗くなんて大それたことをしてもいいのだろうか?  だが、ユーリスの緊張をよそに、ヴィジャはとても寛いだ様子だった。彼は棺の蓋に手を掛け、「力、食べる。いい?」と尋ねた。 「だめ……とはいえないな」  ユーリスは答えた。  ヴィジャは、木製の蓋を持ち上げるみたいに軽々と蓋を外し「そっと、そーっとだぞ!」というユーリスの頼みにしたがって、それを慎重に床に置いた。  逸る気持ちを抑えつつ石棺を覗いたユーリスは──驚愕(きょうがく)に目を見開いた。 「これは、いったい……」  棺の中に眠る遺体は、当然ながら白骨化──少なくともミイラ化しているはずだった。七百年以上も前の墓なのだから、そうでなければ不自然だ。萎れた皮膚をした、朽ちかけた王の姿を見ることになるものと思っていたのだ。  ところが、目の前にあるのは、つい昨日亡くなったと言われてもおかしくないほど、新鮮な死体だ。豪華な死衣には埃一つついておらず、遺体の上に安置された、見事な剣も錆びていない。  ユーリスは改めて石室を見回した。  一瞬、この遺跡が、すでに何者かの手によって攪乱されていたのではという疑いが頭を過ったのだ。だが、それでは墓の封印が無事だった説明がつかない。あそこ以外に出入り口はない。 そもそも、誰が好き好んでそんなことをする?  ユーリスは、自分で自分を納得させるために、心中にずらりと並んだ疑念の蝋燭(ろうそく)を一つずつ吹き消した。最後に残った結論はひとつ。  間違いなく、彼こそが七百余年前にこの世を去った墓の主なのだ。  おそらく何らかの魔法によって、当時の姿を保っているのだろう。今まで似たような話を聞いた覚えはないが、魔法に満ちた遺跡では、こうした奇跡も十分に起こりうる。  遺体に置かれた剣に目を向けると、刀身にこう刻まれていた。 『(なんじ)アルヘヴィス 約束の守り手に天使の祝福あれ』古いが、確かに共通語で書かれている。これを読むのは、ユーリスにとっては造作もないことだ。それでも、ユーリスは三度、その文章を読み直した。そうして、ようやく納得した。  ──アルヘヴィス。これは本当にアルヘヴィスの墓だ。  歴史的大発見を成し遂げた興奮に、一瞬気が遠くなりかける。  伝説の王の墓所を、ついに発見したのだ。したためたい論文のテーマが、一気に五十ほど脳裏に浮かぶ。  だが、感動的な対面に浸るユーリスの前に、七百年前の真新しい死体よりも信じがたいものが飛び込んできた。 「まさか……」  そこにあったのは、とても、とても古びた一枚の紙だった。 「まさか、〈創造の書〉……!?」

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