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第1話 最悪な再会と、ひとしずくの水
王立属性管理局の新庁舎の建設現場で、屈強な男たちが汗を流しながら石や木材を運んでいた。
「ヴィート! それ運ぶのにいつまでかかってんだ?」
現場監督の男性に怒鳴られて、慎重に地面を踏みしめながら歩いていた青年が、担いだ丸太の下から慌てて声を上げた。
「はい! すみません!」
日に焼けた作業員たちの中で、ヴィートと呼ばれた青年の白い肌だけが浮いて見える。
決して華奢ではなかったが、癖のある黒髪の先から汗が滴り落ちる首筋には、荒っぽい現場に似つかわしくない艶があった。
彼は丸太を担ぎ直そうと肩で揺すりあげたが、その拍子にバランスを崩して転倒しかけた。
「うわっ!」
「おっと」
近くにいた作業員が支えてくれたおかげで転倒は免れたものの、ヴィートは恥ずかしさに頬を赤く染めながら俯いた。
「す、すみません……」
「無理なら降りろ! 怪我人を出されたらこっちも迷惑だ!」
再び現場監督の罵声が飛んできて、ヴィートはビクッと身を固くした。
その作業員はヴィートが体勢を立て直すのを手伝いながら、何かに気がついたかのように少し皺の目立つ目元を細めた。
「あんた――若いのに、よく見たら枯れ木みたいに生気がないな。髪の毛もパサついてるし。ちゃんと食ってるのか?」
「ご心配なく。ちゃんと食べてますよ」
ヴィートは自分の力だけで丸太を支えようとしたが、一歩踏み出した瞬間またもやグラッと傾いてしまった。
「無理はいかん。ここの仕事がきついなら、市場に行ったらどうだ? 日雇いでももっと楽な仕事があるはずだが――」
「いえ! 市場の日雇いは賃金が安くて。お金が必要なんです」
ヴィートの緑色の瞳に宿る必死さを感じ取って、作業員は一瞬言葉に詰まった。
「そうか……とりあえず、水を飲んだ方がいい」
彼が差し出してくれた水筒を見て、ヴィートはなぜか自嘲気味な笑みを浮かべた。
(確かに水は必要なんだけど……その水じゃない)
そのまま自分の手の甲に視線を移す。二十三歳の肌とは思えないほどカラカラに乾いて、葉脈みたいなシワがあちこちに伸びている手だ。
(キリアンめ。あいつのせいでこんなことに……)
ひび割れた下唇をぐっと噛み締めながら、ヴィートは短い銀髪と碧眼を持つ美貌の青年の顔を思い浮かべた。
キリアン・バスク。ヴィートより三歳年上の婚約者で、一年前からバスク邸で一緒に暮らしている。
キリアンは水属性者で、ヴィートは水の魔力を与えられなければ生きていけない植物属性者だった。
(水が欲しければ金を持ってこいだなんて……)
冬ならまだしも、夏場は週に一度は水を与えてもらわなければ日常生活にも支障が出る。しかし、言われた金額がなかなか稼げず、既に一ヶ月ほど水をもらえていなかった。
「ほら、水分補給が足りないから、ふらついたり唇が乾いたりするんだ」
親切な作業員に半ば強引に水筒を押し付けられて、ヴィートは仕方なく丸太を下ろすと、水筒の飲み口に口をつけた。
冷たい水が喉を滑り落ちたが、体は乾いたままだった。
物理的な水では潤せない。彼に必要なのは、水属性の人間との親密な触れ合いによって与えられる、水の魔力だった。
「おい! 金が欲しいなら勝手に休むな! 管理局の方がそろそろ見に来られる。怠けてたらクビだぞ」
現場監督の怒声に、ヴィートは水筒を作業員に返すと慌てて立ち上がった。
「はいっ! すみません!」
ヴィートは限界に近い体に鞭打って、震える腕を丸太の下に差し込んだ。
(集中しろ! 今はとにかくこの丸太を運んで、早くお金を稼がないと――)
「危ない!」
作業員の声が脳に届いたと思った瞬間、バランスを崩したヴィートはそのまま持っていた丸太に押しつぶされそうになった。
「あっ!」
その時、誰かの片腕がヴィートの腰を後ろへ引き、もう一方の腕が落ちかけた丸太を受け止めた。
「……え?」
誰かの熱い胸が背中に当たり、どこかで嗅いだことのあるような、懐かしい匂いが鼻腔をくすぐる。
一瞬何が起こったのか分からず、世界が止まったような気がした。
「エイムズ様! 申し訳ありません!」
止まっていたヴィートの世界が、ものすごい勢いで動き出す。
勢いよく顔を上げると、こちらを見下ろしている紫色の瞳とかち合った。
「ルドガー!」
短く整えられた赤毛が、陽光を受けて燃えるように輝いている。
間違いない。幼馴染で犬猿の仲だった、ルドガー・エイムズだ。
かつて、同じ学院で競い合っていた積年のライバルは――立派な制服で身を飾って、ヴィートの後ろに威風堂々と立っていた。
「どうしてここに――?」
「お前こそどうして……なんでこんなに乾いてるんだ?」
ルドガーの指が、ヒビの入ったヴィートの手にそっと触れた。
眩しい制服を身につけたかつてのライバルを直視できず、ヴィートは慌ててぱっと下を向いた。
その制服は——ヴィートの夢であり、憧れであり、一度は手が届いたはずのものであった。
自分が袖を通すはずだったその制服を、今はかつての好敵手だけがきちんと身につけている。
「別に。お前には関係ないだろ」
「属性の症状が発現したから、一年前にキリアンと暮らし始めたんだろ?」
「だからなんだよ」
「どうしてキリアンと暮らしてるのに、そんな有様なんだ?」
メラッ、と見慣れた炎が、ルドガーの紫の目の奥に燃え上がる。
ルドガーは火属性の人間だ。昔のヴィートは、彼の瞳に火が宿るたび、ルドガーは短気な男だと思っていた。
「なんで俺が怒られなきゃならないんだよ?」
「……別にお前に怒ってるわけじゃない」
(あれ……? こいつ、ちょっと大人になった?)
しかし、ヴィートが驚いたのはそれだけではなかった。
ルドガーはヴィートの腰から腕を離すと、支えていた丸太をゆっくりと地面に下ろした。
彼が屈んだ時、赤毛の中に一房の銀髪がチカッと太陽の光を反射した。
「えっ、ルドガー、白髪生えてるぞ」
しかしルドガーはヴィートの言葉を無視すると、資材の陰で死角になっている場所へと彼を引っ張っていった。
「緊急措置だ。嫌なら振り払え」
次の瞬間、左手の甲に冷たい唇が触れた。
「え……ルドガー!?」
我に返って手を振り払おうとしたが、冷たくて心地いい感触が手の甲から伝わってきて、ヴィートははっと動きを止めた。
砂漠に恵みの雨が降り注いだように、飢えて乾いた体に魔力の水が染み渡っていく。
「はぁ……っ!」
思わず感嘆のため息が漏れて、ヴィートは慌てて右手で口を覆った。
やがてルドガーは、チラッと視線を上げてヴィートの表情を確認すると、ゆっくりと手の甲から唇を離した。
「お前……火属性だった、よな?」
「水のことは誰にも言うなよ」
ルドガーはヴィートの手をぱっと離すと、強い口調で念を押した。
「な……どうしてお前が水を持ってるんだ?」
「火属性が水属性を本能的に警戒することくらい、お前も知ってるだろ。局で仕事をする上で、水属性への恐怖が邪魔だった。だから水を得たんだ」
何事もなかったかのように袖口を直すルドガーを、ヴィートは信じられない気持ちでぽかんと眺めていた。
(水を得たって……属性って、そもそも後天的に手に入れられるものなのか?)
そう疑問に感じながら、ヴィートはもう一度赤毛に混じった銀の一房を見つめた。
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