1 / 55

第1話

 それは、今から遡ること十五年前――。  山奥の洞窟で、狼の群れと生活している推定五歳位の少年を発見したのは、一歩間違えば命を落としかねない過酷な山狩りを行っていた狩人達だった。  洞窟に残されていたボロボロの産着から、少年は生後六ヶ月くらいでこの山に捨てられ、どういうわけか、奇跡的に狼達に育てられたと考えた。  狩人達は少年を保護しようとしたが、狼が野生であることは言うまでもなく、少年自身も野生の動物と同じように警戒を緩めない。  狩人達は自分達の身の安全のため、煙で狼を洞窟から炙り出し、少年を保護――いや、まさに「確保」した。  ――少年は山奥で狼達と育ったせいか、人間の常識からは到底量れないほどの身体能力を誇っていた。狩人達がようやく彼を縄の罠に閉じ込めた時、その状況を言い表す言葉は「少年を確保した」のほかになかった。  野山を駆け回っていたため、全身は汚れ泥だらけで、狼のように四足歩行を繰り返していた。だが驚くべきことに、その顔立ちは整っていた。  見る者を思わず陶然とさせる、危険なまでの美しさ。  しかも、怒っていてもどこかいまいち迫力に欠ける物理的な小柄さが、少年の底知れない愛らしさをより一層加味していた。  だが、彼の見た目に油断してはならなかった。その可憐な外見の裏で、少年はすべてを凌駕する凶暴さを隠し持っていたのだ。  少年は自分を誇り高い狼だと信じ込み、保護されてもなお暴れ放題――一刻も早く山へ帰りたがった。  頭を抱えた狩人達は村長と相談し、村から遠く離れた街にある、手厚い保護が受けられる孤児院へと少年を預けることに決めた。  その孤児院を創設したのは、地域住民から絶大な信頼を集める徳の高い大僧正だった。彼は自らの善行から寺院とは別に孤児院を併設し、子どもたちのための学習院まで開いていた。  大僧正は檻に入った少年を引き取り、「ディラン」と名付けた。彼が人間として生きられるよう、文字通り誠心誠意尽くしたのだ。  だが、少年はなかなか人間社会に馴染もうとしなかった。夜の静寂が訪れるたび、仲間を呼ぶための遠吠えを何度も繰り返した。  それを見た他の子どもたちが、ディランの姿を見かけるたび「(ヴォルフ)(ヴォルフ)」と面白半分に嘲り、囃し立てるようになった。  ディランは終始野生の狼のように過ごしていたが、人間の言語はいつの間にか短期間で把握していたようだ。  (ヴォルフ)という言葉の意味を正しく理解した彼は、「ディラン」と呼ばれても知らん顔をし、「ヴォルフ」と声をかけられた時だけ敏感に反応するようになった。  それもそのはず、ディランにとって狼は誇りだった。命の恩人であり、父であり、母であり、兄弟であり、かけがえのない仲間たちだった。  だから「ヴォルフ」と呼ばれて反応しないはずがなかった。  あの時、狼達がいなければ、ディランはとっくに死んでいただろう。厳しくも愛に満ちた、あの楽しかった日々。ディランは今でも、彼らに会いたくてたまらなかった。  大僧正は厳しい人だったが、大きな情も持っていた。彼はディランの痛切な想いを尊重し、その生き方を全肯定した上で、少年の名を「ヴォルフ」へと名づけ直した。  ヴォルフと呼ばれるようになった少年は、その日から少しずつ、人間社会へと歩み寄りを見せるようになった。  初めのうちは子どもたちと喧嘩になり、大怪我をさせることもよくあった。しかし、ヴォルフは聡く、人の痛みが分かる優しい子どもだった。  すぐに周囲の者たちと馴染み、寺院に併設されている孤児院の厳しい戒律の中で、たくましく育っていった。  月日は穏やかに流れていき、十六歳の春、衣食住が完全に保証されている軍に、ヴォルフは自ら入隊した。  ――もし、ヴォルフの容姿が保護された時のまま、優れていれば。もしくは頭脳がずば抜けて優れていたならば。あるいは、圧倒的な身体能力に恵まれていたのなら。十六歳になるまでに、裕福な家庭の養子縁組に恵まれたかもしれない。  だが、不思議なことに、ヴォルフは容姿も、頭の出来も、身体能力も、いつの間にかすべてが「平凡」という一言で片付けられるような、パッとしない青年へと成長していた。  孤児院に来た当時、あんなにも人々を陶然とさせた危険な美しさは、いつの間にか綺麗さっぱり消え去っていた。それが一体いつの間に消えたのか、誰も思い出せなくなっていた。  ただ、あの時あれほど度肝を抜いた異常な身体能力も、言葉を瞬時に理解する恐ろしいほどの聡さも、すべてが失われていたのだけは確かだった。  ヴォルフが得たものは人間らしさだった……いや、違う。それすらも少し怪しい。  ヴォルフは無口で無表情に育ち、そういった意味では人間らしさは今なお薄いままだった。  そんなヴォルフだったが、孤児院での厳しい戒律や集団生活に慣れきっていたため、軍という組織に入っても浮くことはなく、孤独になることもなかった。  でもそれは、同じ孤児院で育った頼れる幼馴染、パウルが、いつも近くにいてくれたからにほかならなかった。  ヴォルフはどこにでもいるような平凡な顔をしていた。  しかも、極度の無口で、感情が表情と一切一致せず、常に無表情。強くも弱くもない、特徴のない剣技。  特筆すべき点など何一つ見当たらなかった。  会話するとしても返事くらいしかしない為、普通なら新しい部隊に馴染むまでに気の遠くなるような時間を要するはずだった。  しかし、幼馴染のパウルが、いつもヴォルフと周囲のみんなとの間に立ち、見事に取り持ってくれたのだ。 「小さい頃、親に捨てられたり育児放棄されたりして、まともに人と関わらずに育つと、たいてい社会性がなくなってうまく話せなくなるんだ。そういう子供が孤児院にはわんさかいたよ。ヴォルフはその中の一人なのさ。だからって、喋らないからって中身がクソとかクズとか、そんなこと絶対にないから! ヴォルフは情の深いいい奴だよ」  パウルの言葉通り、実際ヴォルフは、弱っている人や困っている人を決して見捨てない、強い正義感を持つ、優しい性格の持ち主だった。  しかも、軍の厳しい規則を嫌味なく、さらっと一度たりとも破らないそのスマートさは、周囲の兵士たちからも密かに尊敬を集めていた。  なおかつ、そんなヴォルフの絶対的な理解者であり、彼の肩を持つパウル自身も、周囲から「なぜこんな優秀な男が軍に?」と首を傾げられるほど賢く、見目麗しい青年だった。  そんな一目置くべきパウルが太鼓判を押すならと、部隊の仲間たちはヴォルフへの壁をすんなり取り払い、ごく自然に接するようになったのだ。  そして、ヴォルフが戦争とは無縁の平和なこの国の軍隊で、ひたすら黙々と任務をこなして過ごした三年後のことだった。 「モルグ」と呼ばれる謎の異世界人たちが、突如として時空の歪みに迷い込み、この国の辺境地帯に数名姿を現した。  この世界では、時折そういった現象が起きていた。「稀人(まれびと)」と呼ばれる者たちが、次元の裂け目から落ちてくることがある。  しかし、元の世界へ帰る方法はない。  辺境地の心優しい住人達は、当然のようにモルグ達を手厚く保護しようと試みた。  だが、彼らは人間の想像を絶していた。モルグ達は大変凶暴で、凶悪で、おまけに致命的に知能指数が低く、そのくせ繁殖力と成長力だけは常軌を逸して半端ではなかったのだ。 「この地は今日から我々のものである!」  そう主張すると、モルグ達はあっという間にその数を爆発的に増やし、平和だった辺境地を瞬く間に血の海へと変えてしまった。  事態を重く見た軍は、モルグを制圧すべく、総力を挙げて動き出した。  唯一の救いは、モルグ個人の戦闘力自体はそれほど高くなかったこと。  しかし、絶望的な不幸は別にあった。モルグたちの繁殖力と成長力が、あまりにも尋常ではなかったのだ。  この国、ヴィルトリアの総面積は約九百六十万平方キロメートル。その途方もない広大さが逆に災いし、国中に散り散りに逃げ延びたモルグ達はあらゆるところで無限に繁殖を繰り返し、気が付けばその数は推定十億にまで膨れ上がっていた。  もはや一刻の猶予もない。  追い詰められたヴィルトリア第三皇子であるミヒャエル・ヴィルトリア大元帥は、禁断の決断を下す。  それは、異世界から絶対的な「勇者」を召喚するというものだった。  ただし、この大規模な召喚術には重大なリスクがあった。百年に一度しか使えず、しかも神頼みのように一度きりしか許されない、文字通りの賭けだった。  世界を救うため、できるだけ圧倒的に強い者を召喚しようと試みた。  運良くその強大な召喚に応じたのは――竜人の中でも最強種と呼ばれる古代黄金種。名はルイ・クレイグ。  召喚に応じた理由はただ単に、その時の気まぐれによるものだった。

ともだちにシェアしよう!