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第5話
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頭が真っ白になって、デスクチェアにドカリと座り、湊との電話の内容を繰り返し、繰り返し、思い出し………反省した。
心中って、ないわ。
俺が間違ってた。
ちゃんと就職してから湊を迎えに行くと約束しよう。事前にそのことを湊の両親にもきちんと話す。俺の家族にも湊のこと話して理解してもらおう。時間はかかるけど、それが湊にとって一番いい気がする。
湊に電話すれば、着信拒否されていた。
次の日、学校帰りに平屋に行けば、玄関前には昨日までなかったダンボールがポツンと置いてあった。
中を開ければ、俺の私物が入ってた。
別れようって本気だったんだ。
俺は自転車の籠にダンボールを乱暴に乗せた。自転車をこげば、振動で、チリンッと風鈴が鳴った。
風鈴は俺のものじゃないだろ!
ムカついて、ムカついて、歯を食いしばった。人間ムカつきすぎると、泣きそうになるってことを知った。
もういっそこの訳の分からない感情のまま、今、ここで大声でわんわん泣いてやろうか。でもこんな知り合いしかいない田舎でそんなことすれば、そこにいるジィちゃんや、バァちゃんが「何があったか知らないが男なら泣くな」と言ってくるだろう。
でもな、ジィちゃん、バァちゃん。俺は聞きたい。
辛くて、悲しくて、苦しくて、息さえできないのに、それでも男は泣いちゃ、いけないもんなのか?
湊は真性のゲイだった。俺が男だったってだけで美味しかっただろう。
捧げた俺の純情を受け取れば、とてつもなくいい気分になれただろう。
湊が俺にもあんなに優しく、大切にしてくれる意味も今なら分かる。そうそう、いないだろ。男が男を好きになるやつなんか。
自転車がガタンっと揺れて、風鈴がリリンッと鳴った。
俺だけが本気だった。
俺だけが本気の恋をしていた。
歯を食いしばって、涙が出ないように空を見上げると、澄んだ空気の中に、雲がぽかりと浮かんで見えた。
それから、俺は大学受験に向けて浪人覚悟で猛勉強を始めた。
俺が盲導犬のドッグトレーナーになる必要はもう、どこにも、なかった。
それから半年後。
俺は周囲が引くくらいの集中力を発揮して無事、志望大学に合格した。
そして引っ越しを控えた冷たい雨の降る三月のある夕暮れのこと。
広瀬さんと電話を終えたばぁちゃんが、俺に聞いてきた。
「広瀬さんの隣の家のピアノを弾いてた子、名前、湊くんだった?」
「それが?」
冷めた声にばぁちゃんは気付かず、ショックを隠さずこう言った。
「昨日、癌で亡くなったって」
「嘘だろ……!?」
「こんなこと、冗談で言えないよ」
冷たい雨がしとしと降る中、平屋までとぼとぼと歩いた。
湊の家を知らない俺は、湊に線香をあげる事も、見送る事も、できない。
何も知らない俺はただ、平屋に行って、湊を儚むことしかできなかった。
俺はここでの湊しか知らない。
もっと、もっと、湊を知っておけば良かった。同じ時間を過ごせば良かった。そう悔やんでも、もう遅い。時は戻らない。
いつも、いつも、平屋には湊の奏でる綺麗な音色で満ちていた。
でも、今日の平屋はひどく静かで、雨が降り注いでいる。
扉を開けば、湊の笑顔も、声も、香りも、優しさも、当たり前のようにそこにあったのに。
ピアノの音はもう、聴こえない。どこにも聞こえない。
── 森野、よく聞いて。心中なんかまっぴら御免だ。さよなら。
俺は……湊と一緒にいられなくなるくらいなら、一緒に死ぬってちゃんと伝えた。
でも湊は、一人で逝ってしまった。
あの時なら、一緒に逝けたのに。
湊はそれを選ばなかった。
しとしと。しとしと。雨が降り注いで、広瀬さんが、心配して、傘とタオルを貸してくれた。
しとしと。
雨が平屋に降り注いでいる。
時間が流れて、指先に感覚がなくなっても、足が棒になってしまっても。
ずっと雨は平屋に降り注いでいていた。
ピアノの音はずっと聞こえなかった。
新聞を取りに出た広瀬さんが俺を見て、慌てて駆け寄って来た。
「一晩中そこにいたの?…ああ…;えっと…そうだ!おばあちゃんから伝言聞いた?」
「……伝言?」
「湊くんから森野くんに最後の伝言私預かってたのよ。昨日おばあちゃんに伝えたんだけど」
「……ア、いいえ、いいえ、まだ聞いていません。湊は何て…?」
「『トウモロコシ、美味しかった。……ありがとう』って」
──トウモロコシ。
あの日、俺が初めて彼の家に間違えて持って行った、あの夏の。
ざあああああああ。
雨脚が急に強くなって、急に強くなった雨音にかき消されるように、膝が崩れ落ちた。
しゃがみ込むと広瀬さんが何か言ってた。
「うちにおいで」
首を横に振ると、広瀬さんはカッパを背中にかけてくれた。
外はじゃじゃ降り。涙が止まらなかった。
昔過ごしたあの当たり前の日常が、二人の真実だった。俺のすべてだった。
同じ部屋の空気を吸っている。そう感じただけで、嬉しくかった。
同じ時間を過ごせてる。そう思っただけで、ドキドキした。
甘く胸をしめつけるような想いは、恋で。
俺は目の前でピアノを引く湊に、初めての恋をした。
でもその湊はもう、どこにもいない。
平屋に満ちていたあの綺麗な音色は、いつまで経っても、聴こえない。
命のはかなさを知った俺は大学に進学するのをやめた。
そして三年後、盲導犬訓練士になった。
幼かった俺は、目の見えない湊を恐れて、外の世界へと連れ出せなかった。
湊の人生が短く、はかないものと知っていれば、自宅と平屋だけを往復させるようなこと、絶対にさせなかったのに。
目が見えなくても、行きたい場所に連れて行ってあげたかった。
そんな思いだけがずっと胸に渦巻いている。
湊が俺を一緒に連れて行かないと決めたのなら、残された俺は自分の人生を、価値あるものとして、今はいなくなった湊と一緒に歩んで行きたい。
ただ前を向いて。
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