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1 この世は狂っている
この世は狂っている。
「お父さん! 見て、どこが変わったか分かる?」
「お、ますます美人になって。頬の近くかな?」
「惜し〜い! 正解は、フェイスラインでしたぁ」
「たしかに昨日よりもっと小顔になったな」
「もう、お父さんったらー!」
いちゃつく両親を尻目に、俺はキッチンに向かう。粉末をシェイカーに入れてミルクで割る。
この世は狂っている。だが、プロテインはある。素晴らしい。
2階から降りてきた俺に気づいた母が、モデル顔負けのご尊顔で微笑んだ。
「おはよう、あーちゃん」
「……おはよ」
「見て! フェイスライン」
「聞こえてた。あー……うん、いいんじゃない? 似合う似合う」
期待に満ちた目に最大限応えたつもりだが、母はかわいらしくプウッと頬を膨らせた。
「ほら。アイク、男がそんな適当じゃモテないぞ」
俳優かと錯覚するようなご尊顔の父にたしなめられる。茶を啜る姿は、まるで映画の一幕だ。
……これで二人とも還暦間近だなんて、前世だったら到底信じられなかっただろうな。
現代医学の敗北。あるいは倫理観の敗北だ。
が、そんな話は二人に通じはしない。そもそも常識の根っこが違うのだから。
……なんていうんだっけか、えーと……そう、異世界転生。
ふわふわとした朧げな感覚の中、気づいたら目の前にこの世のものとは思えない美貌の女性がいた。
俺はピーンと来た。これは「異世界転生」だと。最近流行っているそうじゃないか。
おじさんでも、多少は知っているんだ。深夜帯のアニメがそういうのばっかりだったから。
別に特段アニメが好きってわけじゃない。夜に流れているものなら何でもよかった。
労働でへろへろになった体を発泡酒と割引の惣菜で満たしながら、テレビで適当な番組を流し見る1時間。それが人生の束の間の楽しみだった。
異世界転生したキャラクターたちが爽快に物語を繰り広げていく様子も、何度もテレビで見たものだった。
まさか自分の身に起こるとは思わなかったけど。
「……ということは、俺は亡くなった?」
「そういうことですねえ」
男とも女ともつかない美声が女神から発せられる。こちらを観察する目はどことなく愉快そうだ。
「あまり残念そうじゃないですね?」
「……まぁそうですね。やりたいこともありませんでしたし」
この世に生を受けたから何となく生きた。そんな人間は俺だけではないと思いたい。
食って、寝て、働いて、ちょっとテレビやインターネットを見たりして、気づけばそれが数十年。
時代が悪かったのか、それとも縁がなかったのか、中小企業で細々と食いつなぐのに精一杯で、残念ながら生涯のパートナーとも出会えなかった。
が、そういう人生にさしたる疑問も湧かない。
人様にはなるべく迷惑はかけなかったつもりだ。それでいいじゃないか。
そう説明すると、女神は不満げに眉を寄せた。
「なんと無欲な……もっとありません? お金持ちになりたかったとか、名声が欲しかったとか、モッテモテになりたかったとか」
「モッテモテ……はぁ……そう言われましても」
「なんかあるでしょう。というか、少しはないと困るんです。あなたには異世界でサクッと幸せになってもらわないと」
「はぁ……?」
麗しき女神さま曰く。
「つまり、俺がその……何ちゃら〜っていう抽選で、女神さまの徳を積む修行として幸せにしてもらう権利を頂いたってことなんですかね」
「女神とくとくキャンペーンです。あ、『徳』が2個で徳々キャンペーンですからね」
「……名前は別にいいんですけども。俺は別に要らないので、他の方に譲りますよ」
チッチッチと指を振る。
なんかこの女神、いちいちノリが古い気がする。おじさんには助かるけども。
「誰でもいいって話ではないのです。強欲な人間の願いを叶えてしまっては徳も何もあったものではありません。善良な小市民の中から、そらもう厳選なる抽選をもって、あなたが当選したのです!」
「はぁ」
「あとね、当選したのに即キャンセル〜とされちゃっては私もいろいろ都合が悪いんです。上司にちくちく言われるし、作業がクソめんど……大掛かりなので」
女神は女神で大変なようだ。
神様ってもう少し楽して生きてるもんだと思ってた。
「ね? ここは神助けだと思って、人生楽しんでくださいよ。何かやってみたいことあるでしょう?」
「うーん……俺、たしか最期は病で倒れたんですよね?」
今となっては記憶は朧げだが、最期はなかなか苦しかったはずだ。あれだけ不摂生な生活をしたのだから仕方ないともいえる。
「なら今度は健康に生きたいです。健康寿命が長いとありがたいです」
「……あまりにも地に足ついた願いごと……まぁ、ひとまずはそれで行きましょうか。生きていたらそのうち欲も出てくるでしょう。何か思いついたら早めに連絡してくださいね」
女神がパチンと指を鳴らすと、中年の緩んだ腹がみるみる引っ込んでいく。
手足が、いや全身が、時を巻き戻すように縮んでいき、意識も散り散りになっていく。
女神の「……この願いごとで審査通るかなあ……また何か言われそう」というぼやきが聞こえたのが最後である。
そうして次に目を開くと、やたら美形の両親が俺の顔をのぞきこんでいたというわけだ。
それから数十年生きてみて、俺は地球とまったく違うこの世の常識に幾度も苦しめられた。
世代間ギャップならぬ、世界間ギャップとでも言おうか。
母が瞳をうるうるさせてこっちを見つめてくる。
「あーちゃん、どうしてもメイキングには慣れない? 1回くらい試してみない?」
「別に今のままでも不都合はないよ」
「そうは言っても、ねぇ。生きにくいでしょう」
この世界と地球の一番大きな違いは魔法の存在だ。
地球では科学が解決していたありとあらゆることを、魔法が解決してくれる。
そして、少しお金を積めば顔や体のパーツだって変更可能。その結果どうなるか?
「今月はボーナスでディナーのフルコース」のノリで「顔を一式フルコース」が出てくる世界になったのだ。
その技術を「メイキング」という。
しかも、地球とは違ってメスを使わないのでデメリットは一切なし。ゲームのキャラメイク感覚で、簡単にビジュアルをアップデートできてしまう。
想像できるだろうか。街には両親と同じようなキラキラ、ピカピカの人間が溢れている。
「美しい」がデフォの世界。だが、独身おじさんの生まれ変わりにはこれが少々生きづらかった。
「アイク……ナチュラル嗜好が悪いとは言わん。だが、それが許されるのは王家の方々のように元々が美しい人か、よほどお金に困っている人だけだ。お前は、その……私たちの息子だろう?」
前世で言う平凡……いや、ちょっと盛った。そこそこブサイク寄り。ただし女神のおかげで風邪ひとつ引かない健康体である。
今では体を鍛えるのが趣味となった。メイキングを使えば体のパーツだって変えられるのだが、筋肉は自分で育ててナンボだろう。
「父さん、白い目で見られるのなんて今さらだよ」
「でもでもォ、あーちゃんもお年頃じゃない。好きな人の一人や二人いるでしょう」
……他人の見分けがなかなかつかないって言ったら、母さんぶっ倒れそうだな。
申し訳ないが、おじさんには若いアイドルが全員同じに見えるのである。
だって皆そっくりなんだ。両親のように、年齢という壁すら越えてくるのでもう何が何だか。
母さんは「好きな人〜」なぞ言っているが、そもそもこの世界で俺のような価値観の人間は珍しく、近寄ってくる人間なんてごく少数だ。
あまり人と楽しくおしゃべりするタイプではないのでむしろ助かるのだが、ここで反論してもいいことはない。
時計を見て、俺はわざとらしく声を上げた。
「もう行かないと」
「あーちゃん!」
「行ってきます!」
三十六計何とやら。母親の「帰ったらまた話すからね!」の声を、扉で強引にねじ伏せた。
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