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第1話

ep.1 1 プロローグ 成り損ないの業 上  タクトの母は、元はただの人間の女に過ぎなかった。  竜人の(つがい)となり『逆鱗』を食らった際、母はその肉体と血脈を、完全に竜人のものへと書き換えられた。  けれど母は、夫という「竜」に飽き足らず、人間の男と一夜の過ちを犯した。  そうして生まれたのが、人間でも竜人でもない「竜人のなり損ない」――タクトだった。  竜人の夫は、不義の子であるタクトを殺すことも、かといって愛することもできず、完全に遠ざけた。  夫がそうして冷淡に接する一方で、妻である母親もまた、己の罪悪感と嫌悪から我が子への関わりを放棄した。その結果、タクトは両親のどちらからも存在を無視されて育つことになる。  家庭という名の冷たい空白の中、親たちがタクトに与える不穏な気配に、ただ怯えながら息を潜めるだけの日々。そんな張り詰めた日常すらも、長くは続かなかった。  タクトが7歳の時、母はとうとう彼を人間の国へ「養子」という名目で売り飛ばした。夫はただ静観していた。  タクトは、息を呑むほどに美しい子だった。なぜなら、彼は「なり損ない」とはいえ、その身に「竜人の血」を宿していたからだ。  人間たちはこぞって彼の容姿と血脈を神聖視し、熱狂的にもてはやした。  豪華で美しいものだけが並ぶ貴族たちの邸宅へ迎え入れられ、まるで人形のように華美に着飾られたタクト。権力者たちは、彼を「生きた宝石」として邸に囲い、自らの権勢と富を誇示する最大のステータスとした。  華やかなサロンや夜会で眩い脚光を浴びるタクトを、彼らは食い入るような視線で追う。誰もがその存在を渇望し、タクトは権力者たちの屋敷を転々とした。  権力者たちはタクトを熱烈に寵愛しつつも、決してその肉体を性欲の対象にして貪ろうとはしなかった。彼らがタクトの肉体を渇望しながらも躊躇(ちゅうちょ)していたのは、竜人という種族が持つ、苛烈な『マーキング』の特異性を恐れていたからだ。  一度でもタクトと肌を合わせ、体液を交わし合えば、最後、以後タクト以外の者の体液が触れると、全身が激痛に引き裂かれるようになるのだ。つまりタクトを抱くとは、己の生涯の性愛を彼一人に捧げなければならないことを意味していた。  ――そこまでして、この「なり損ないのタクト」を愛し抜く覚悟があるか。  富と権力を誇る人間たちが、この逃れられない『マーキング』の特異性を恐れ、生唾を飲み込みながら手を出せずにいる。その怯えと歪んだ執着こそが、タクトを取り巻く歪な現実だった。  彼らには守るべき家があり、他に囲う女もいる。人間たちにとって、タクトはどこまでいっても己を飾るステータスでしかなかった。生涯を縛られるリスクを背負ってまで、一時の欲情に溺れる愚者は存在しなかったのである。  そのため周囲の者たちは、タクトの美貌をただ遠巻きに眺め、ただ悶々と欲望を(たぎ)らせることしか出来なかった。  誰の所有物にもなれず、けれど誰のものでもない高級な美術品として、歪な賞賛の中に置き去りにされたまま。ただ時間だけが、彼の幼い美貌をさらに残酷なほど妖艶に開花させていく。 「愛される」という概念を知らずに育ったタクトにとって、人間たちの熱狂的な賛美は、両親からの無視と同じくらい理解不能で、空恐ろしいものだった。  そうして貴族たちの手を転々とし、タクトが12歳になる頃、彼はガスパールの手に渡ることとなった。  ガスパールは毎夜のようにタクトの寝台へ潜り込み、耳元でこう囁いた。 「早く大人になりなさい」  ガスパールにとって、タクトは自らの所有欲を満たすだけの高級な玩具に過ぎなかった。  綺麗な、綺麗なお人形。  タクトが成人するのを待ち、彼はその体を寝台に組み敷いた。そこには当然、タクトの拒否権などなかった。マーキングの特異性を病的に恐れるガスパールは、タクトの体液を徹底的に避けて彼を玩具にした。  彼は、タクトという極上の美をこれでもかと貪り尽くし、毎夜のように溺れ続けた。  タクトは知らず知らず瑞々(みずみず)しい少年から、男たちの目を狂わせる熟れた妖艶さを放つ青年へと成長していった。  そんなタクトをサロンで見染めたのは、帰国を果たしたばかりの若き皇子、アレクセイだった。  華美な社交界の頂点に立つ皇子にとって、ガスパールからタクトを奪うことはとても容易なことだった。  そうしてタクトはまた新たな権力者の掌中へと、その身を移されることになった。  アレクセイは自身の宮殿にタクトを迎え入れ、至高の恋人として慈しんだ。  そう、誰もが厄介極まりないものとして忌み嫌うタクトの『マーキング』を、この若き皇子はただの一度も気に留めはしなかった。  自らマーキングを求めるアレクセイの執着を前に、タクトは生まれて初めて浴びる純粋な愛の熱に浮かされた。  夜の帳が下りれば、アレクセイはタクトの柔肌を貪り、独占の痕を刻みつける獣へと豹変する。だが、ひとたび陽が昇れば、彼は完璧な「若き名君」の仮面を纏う。  公務の場では一切の私情を排し、タクトに目線すら合わせない。その冷徹な横顔に、誰もが未来の絶対的な統治者を幻視していた。  そんな二人の歪な平穏を切り裂くように、ある日、宮廷に衝撃的な報せがもたらされた。  アレクセイが、他国の王女と婚約するというのだ。  どういうことなのかと、タクトは狂わんばかりに取り乱し、アレクセイを問い詰めた。 「『なり損ない』である君には、そもそも『マーキング』なんてできやしない。だから、俺は最初から君を抱くことを恐れなかった」  その言葉に、タクトは目を見開いた。視界が急激に歪み、大粒の涙が次から次へと溢れ落ちていく。  タクトはアレクセイを信じ切っていた。微塵もその気持ちを疑っていなかった。 「ああ……素晴らしい。悲しいかい?泣くほど、俺を求めて…それほど俺を愛しているんだね」  愛おしげに髪を撫で、耳朶に直接注ぎ込まれる甘い熱を帯びた声。しかし、その唇から零れ落ちる言葉は、タクトの息の根を止めるのに十分なものだった。 「心配しなくていい。婚約者には、はなから君を愛人にすると織り込み済みだ。安心するといい。君は俺だけのものだ。これからも君を大事にする。約束する」  ――その瞬間、タクトの中で何かが決壊した。  矜持を踏みにじられたせいなのか、本能を冒涜されたせいなのかは分からない。ただ身体が弾かれたように動き、アレクセイを力任せに突き飛ばしていた。  激昂のままに豪奢な調度品を打ち砕く。その凄まじい破壊音に、異変を察した衛兵たちが次々と部屋へ押し入ってきたが、タクトはそれらをも容赦なく薙ぎ払っていった。 「僕だけのものだと言っただろう……!」  血を吐くような悲痛な叫びが部屋に響く。  アレクセイは悲しげな色を瞳に浮かべ、周囲の近衛兵たちへ命じた――この者を、排除せよ、と。  魔術によって根源をねじ伏せられ、空間の裂け目へと投げ込まれるその瞬間、タクトはアレクセイの瞳に宿る、切なげな光を見た。  猛獣をペットにしたのはいいが、結局は手には負えなかった――そんな、愛惜と失望が混ざり合った視線を。  異界の闇が飲み込む瞬間、タクトは何がおかしいのか、泣きながら笑った。  あれほど注がれた愛に、きっと偽りはなかったのだ。  ただし、アレクセイはタクトに愛を注いでいたのではなく、自分自身に愛を注いでいた。タクトへの愛よりも、自分が思い描く「完璧な愛し方」の形式を何より優先していた。  眩いばかりの救いも、肌を焦がした甘い温もりも、すべてはただ、冷たく消えて無くなっていく。  あとに残された世界は、残酷なまでに静まり返っていた。

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