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第44話
ep.44 33 約束の帰路
月日は、彼らの歩みと共に、穏やかに過ぎ去っていった。
妙な生き物を拾うタクトに、ちょっとした出会いで壮大なやきもちを焼くジュリアン。そんな二人は異世界を転々とし、時には国をひとつ更地にしてしまったこともあった。
そうして永い時間を寄り添い、フェルサン公爵家の後継者を無事育て上げたジュリアンは、ようやく安息の地を見出した。
◇
――終わりの時が、近づいている。
この穏やかな安息の地に身を寄せてからというもの、タクトは自身の命の灯火が静かに燃え尽きようとしているのを、肌で感じ取っていた。
本来、タクトのような「なり損ない」の寿命は、人間よりこそ長いものの、純血の竜人の足元にも及ばない――はずだった。
しかし、ジュリアンが自身の「竜の逆鱗」を分け与えてくれたおかげで、タクトは新種の竜人の倍以上の歳月を生き抜くことができた。
こうしてタクトは、本来なら交わるはずのなかったジュリアンと同じ時間を、その生涯のすべてを捧げて歩み抜いた。
それでも、古代種の途方もない寿命からすれば、ジュリアンの人生はまだ半分にも満たない。タクトが逝けば、彼はこの広大な世界に独り取り残されてしまう。
だからこそタクトは、ジュリアンが独りになったあと、どうすればその孤独を埋めてやれるのか――そればかりをずっと考えていた。
番を失った竜人は、愛を失った花が枯れるように、静かに命を散らすことがあるという。タクトは、そんな哀しい結末をジュリアンにたどらせたくなかった。
永い時を重ねても、ふたりの間に命が芽吹くことはなかった。彼をこの世界へ繋ぎ止めるための、子という『縁』を残すことだけは、どうしても叶わなかったのだ。
だからタクトは、せめてもの『縁』を残そうと、昔拾った奇妙な生き物を手元に置いた。
それはジュリアンを恐れない、湿気を好む「蛙のような猫」だ。
今も庭で虫を追いかけて跳ね回っている。
――あの子が、これからのジュリアンの孤独を支えてくれるはずだ。
タクトはそう信じている。あの子には、この安息の地で過ごしたふたりの日々が、余すところなく詰まっているのだから。
「ジュ、リア……さ、ま」
タクトが名前を呼ぶ。掠れた声は、音として届いたのかさえ定かではない。
それでも、ジュリアンが握りしめる手の力強さが、確かに答えを告げていた。タクトは嬉しさに、細く笑みを浮かべる。
視界はもう霞み、ほとんど何も見えない。
でも、そこには神の彫琢したような美しい姿で、自分に寄り添い、手を握りしめているジュリアンの気配が満ちている。
その大きな手の熱だけが、途方もなくあたたかかった。
喉からヒューと微かな音が漏れる。
「ジュリアン様……お願いが、あります。僕が死んだら、花を……供えてて……死を悼んで、もらえませんか」
「……タクト……」
舌がもつれ、言葉は淀んだ。掠れた声は、ジュリアンでなければ聞き取れなかっただろう。いや、あるいは彼にさえ、届いていないのかもしれない。
手に、頬に、あたたかい雫がポタポタとこぼれ落ちてくる。
やがて、唇に触れる唇の熱を感じた。タクトは最後の力を振り絞り、消え入るような声で言葉をしっかり紡いだ。
「昔、魔王の呪いに蝕まれていたとき……ジュリアン様が僕の死を悼んで、花を供えてくれたらいいなと思ったことあります。その想いが強すぎて、情けないことに今でも消えなくて。だから、僕が亡くなったら――どうか、花を供えてください」
「……分かった」
ジュリアンは愛しげにタクトの髪を梳き、指先で頬をそっとくすぐる。
ポタポタ、ポタポタ、と止めどないあたたかい雫がタクトの上に降り注いでくる。
タクトはふうと小さく息を吐き出す。
ジュリアンは、どこまでも献身的で誠実な人だ。きっと自分がいなくなったあとも、墓に花を供え続けることで、どうにか生きていってくれるだろう。世話をすべき、あの奇妙な生き物も傍にいるのだから。
タクトの意識が、段々と遠のいてくる。
もうジュリアンを支えることも、その愛おしさに触れることもできなくなる。
「約束ですよ?」
「必ず果たそう」
「ジュリアン・ド・ヴレの名において?」
「ああ。ジュリアン・ド・ヴレの名において誓おう。タクトの永遠の眠りを悼み、花を捧げると」
泣かないでと言ってあげられそうになかった。
ジュリアンの頬に手を伸ばそうとするも、もはや指一本すら動かすことはできない。
それを察したように、ジュリアンがそっとタクトの瞼を閉じてくれた。
――ああこれで安心できる。
微かに残る息を深く吐き出し、タクトは穏やかな永遠の眠りへと落ちていった。
◇
風が吹いた。開け放たれた窓から、新緑の香りが運び込まれる。
庭の木陰では、タクトが遺したあの奇妙な生き物が、野生のまま寛いでいた。ジュリアンの世話など必要としない、逞しい生き物だ。
タクトも初めから分かっていたはずだ。自分がいなくなったあとのジュリアンの心に、どんな代用品も通用しないことを。
あの子を遺したのは、ジュリアンの寂しさを癒やすためではない。
「ジュリアンの生活」という枠組みの中に、自分の気配を強制的に居座らせるためだった。
「寂しさを埋める」という甘い慰めではない。愛した者が遺した「異物」をそこに置くことで、ジュリアンの世界を自分の残滓で塗りつぶし続ける――。
それはタクトなりの、あまりに強く、そして傲慢な愛の残し方だった。
ジュリアンは溢れる涙を拭うこともせず立ち上がり、そっと窓を閉めた。
花瓶から一輪の花を抜き取ると、タクトの髪に優しく挿し、愛らしいタクトの細い手を握りしめて、心のままに咽び泣いた。
泣いて、泣いて、泣いて。
愛おしげにタクトの髪を梳き、頬に口づけ、そっと抱きしめる。
彼はそのまま、タクトの温もりに包まれるように目を閉じた。
――共に過ごせる時間に限りがあることなど、最初から分かっていた。
タクトという「なり損ない」の器に、どれほど竜の逆鱗を分け与えようとも、定められた寿命の壁を越えることなどできない。タクトのいない未来で、ただ一人呼吸を続けることなど、ジュリアンには耐えられなかった。
だからこそ彼は、己の命を削り、『胡桃を模した鱗』という媒体を介し、タクトへと自身の生命を絶えず注ぎ込み続けていたのだ。
タクトを支えるために、そして最期に同じ場所へ辿り着くために。ジュリアンは己の存在――その命の残り火を、最後の一滴までタクトという器へ注ぎ込み尽くした。
あと一呼吸もすれば、ジュリアンもまた、永遠の眠りにつく。
タクトの髪に顔を埋め、ジュリアンは満たされたように微笑む。その長い生涯を、愛する者の温もりの中で安らかに終えるために。
こんな壮絶な献身を、ジュリアン以外の誰も知らない。
【彼の壮絶な献身を僕は知らなかった】完。
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