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プロローグ①
……今は、終末世界。
燻ぶった街並みのその奥――路地裏にひっそりと隠れるようにその店はあった。
主に、文明崩壊前の古書を扱った貸本屋である。
腹を満たすこともなければ、寒さをしのぐこともない。
この時代にそぐわない娯楽。
店子である郁は、きっと主人の道楽なのだろうと邪推している。
この店には古書特有の甘ったるい匂いが充満していて、じっとりと湿っぽい。
壁には、主人の趣味の映画が流れている……。
バレエ・メカニック。
実験映画だと聞いた。
耽美なタイトルにそぐわない前衛的な映像が延々と映し出されている……。
「うん。これじゃあ、客なんて来るはずもない」
おまけに店子は、微塵も愛想がないときた。
カウンターの椅子に腰かけ、最近、入った古書をめくる。
「服や化粧品が嗜好品として溢れていた時代があるのかー……」
表紙は、半裸のヒトのオス。
メスを誘惑する意図でもあるのだろうか。挑発的な表情とポーズをしていた。
郁は、いつもの癖でページをめくった。
さほど、興味がない。
美貌には感情らしい感情はない。
けだるげな無表情である。
確かに、華やかな女性の装束は目を惹くが、てんで、郁は着飾ることに興味がない。
ついでにいえば、今の時代はメスが希少種になって等しいので、こうした媒体で見るのが精々といったくらいの感想だ。
『――率直に言って、ベッドの上のマグロは飽きられる!? マンネリ防止に刺激的な一夜を』
唐突に、そんなとんでもない見出しが飛び込んできた。
いつもなら、冷ややかな表情で即座に本を閉じていただろう。
しかし、その文言には少なからず、心当たりがあるので、つい、ページを凝視してしまった。
『今の時代は女子も肉食的に♡ 彼のハートを射止める積極的プレイ♡』
ハートとは、とどのつまり男根のことであろう。
隠しているつもりなのだろうが、露骨な物言いに郁は冷や汗をかいていた。
思い当たる節しかない。
自分が行為の際に受け身なことも、未だにそういった場面で羞恥を捨てられないことも自覚していたが……。
そこにラインナップされていた行為の解説を読んで、ひっと声をあげてしまう。
あまりにも生々しく、エグいプレイが並んでいた。
――無理だ。
――とてもではないが、できない。
そう郁は心の中で白旗をあげた。
「こすぷれえっち……」
これなら、まだ許容範囲だと思う。
いつもと違うコスチュームに身を包んで、非日常感や視覚的な興奮を楽しむプレイ。
というか、前にやった。
(確かに、あのとき、すごく喜んでいたような……)
あのときのことを思い出すと頬が熱くなってしまう。
媚薬を口移しで飲まされた挙句、盛りあがりに盛りあがり、最後は大変なことになってしまった。
「……考えるのはやめよう」
「ほお。汝ら、まんねり? とやらなのかえ。若いのに、可哀そうに」
横から艶っぽい女の声がした。
「うわっ」
郁はあわてて、本を後ろ出に隠そうとしたが、時、既に遅し……というやつである。
女はひょい、と郁の手から雑誌を取りあげてしまった。
そして、にやにやと邪悪な笑みを浮かべながら、ページを眺めている。
「ほおほお。これはなかなか刺激的じゃなあ。若い者はようやるのぉー……」
「俺と望月はしない」
「でも、まんねり、に悩んでいるのだろう?」
女の口から出てくるとは思わない下卑た言葉に郁はじと目になった。
見た目は、妙齢のヒトの女性だ。
だが、古から生きた魔女だと言われている。
“太古の森“に住み、怪しげな媚薬だの薬だのをつくり、占いやまじないを扱うことから、森の魔女と呼ばれていた。
その容姿も物腰も含めて何ともうさんくさい女だと郁は思う。
「なんの用だ」
「黒い童、主人から聞いていないのかえ? 貴重な書物が入荷したと聞いての。特別に言い値で売ってくれることになった。ほれ」
森の魔女が、代金でぱんぱんに膨れた布袋を差し出す。
こういった上客がいるおかげで店の経営が成り立っているのかもしれない。
「ああ、これか」
見事な皮張りの分厚い古書を取り出す。
タイトルは、剥がれかかった金の箔押しで、古びているが装丁がとても美しい本だった。
文明崩壊前の文字を解読できる郁でも、その言語は判別不可能だった。
文字というより記号のような綴りをしている。
「これ、読めるのか」
「わらわは、古の魔女。この程度の書物の読解など、赤子の手をひねるより容易い」
「ふぅん……」
既に、郁の興味は失われていた。
古書の内容が気になるが、いかんせん、郁はこの魔女が苦手だった。
「つれないのう。わらわが久しぶりにこんなかび臭くてじめじめとした場所に足を運んでやったというのに」
「もう用は済んだだろう。帰れ」
「そんなにすげないと白い童に飽きられるぞ」
けらけらと森の魔女が笑う。
「……やっぱり、そう思うか? 受け身じゃ、望も俺に飽きてしまう……とか……」
(おや)
意外にも素直な郁の言葉に、森の魔女は猫のような金色のつり目を瞬かせた。
「こういうことには、適度なスパイスがあった方が楽しめる」
「……適度なスパイス……」
なんにせよ、郁はその手のことに疎かった。
例えの類なのだろうが、頭を抱えてしまう。
「いつもと違う興奮ってところかのー……」
ふと、郁の視界にそれが過る。
露出度の高いドレスから覗く白いデコルテに、たわわ。
つい、自分の胸元を見てしまった。
オスなので当たり前なのだが、見事な断崖絶壁があるだけである。
「もしかして、この差……なのか……?」
「汝、時代が時代ならせくはら、だぞ。まあ、着眼点としては悪くない。わらわに不可能はない」
森の魔女は、妙案を思いついたように、口元に弧を描く。
艶めかしい赤の口紅が、塗られている。
これも郁にはない女性的な象徴だ。
「我、魔王様に忠誠を誓えし者。あるいは月を支配下においた者。常世……箱庭の番人である。その名を持って、祈りを捧げる。福音を――」
彼女の魔法は、簡易的な詠唱に留まる。
それは、彼女が、高位の魔女であることである証左だ。
だが、詠唱の内容も、魔法の類に馴染みのない郁には、まじないの仕組みなど分からない。
貸本屋の一室が眩い閃光に包まれる――。
天井からはらはらと埃が落ちてくる……。
「ほい。そのまま時空転移じゃ」
「まだ就業中だぞ!?」
郁の悲鳴があがる。
その声が鈴を転がしたように高いので、あわてて、郁は唇を抑えた。
(どういうことだ……?)
困惑しつつも、強制的に時空転移の魔法に巻き込まれ、視界がぐんにゃりと歪んだ。
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