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第4話

「……今日は学力テストか」 「懐かしい響きだな、それ」  床からニョキニョキと伸びてきたテーブルに近寄ると、馨は一枚の紙を拾い上げる。遅れて歩み寄ってきた利央も横へと並び、その手元を覗き込んだ。 「なんだこれ? プリンターの設定ミス? 文字化けしてんじゃん」 「いつもこんなもんだよ」 「いやいや漢字が全部怪しいって。たぶん半分ぐらい中国語と混ざってない?」 「そう? 違いわかんないなあ」 「里見って帰国子女だっけ?」 「あはっ、どう見たって男だろw」 「……ど定番な返しをありがとう」  「この肉体美を前にして、女に見えるとでも言うのか?」と、あからさまな愚弄を向けられるも。気分的には、そっくりそのまま投げ返したいところ。  彼の生い立ちを知るわけではないが、言葉の危うさからして、日本生まれは考え難い。かと言って、他言語を話している姿を見たことがなく、その出生は謎のままだ。  利央は横目で馨をチラ見し、暫し時間を置いてから二枚目の紙を拾い上げた。 「これがテストの説明文? 海外の激安商品についてる説明書みたいだ」 「翻訳ソフトの調子悪かったのかな」 「お前さ、入る事務所選べなかったの?」 「まあ、言いたいことはわかるよ」  先ほど見せた演出が見事だった分、期待値の落差は大きい。小道具担当といい、音響スタッフの情緒不安定さといい、どこから指摘すればいいのだろう。本人は慣れたと言っているが、こんなグッダグダな企画が、よく通ったものだ。  時間差で伸びてきた椅子に腰掛け、利央は気怠げに顎を付く。本来であれば、先ほどのテーブルが出現した際に、出す予定だったスツール。忘れていたことに気が付き、慌てて出したのか。センサーがうまく働かず、妙に低い位置で静止した。お陰で座高が合わず、まるでネットミームで話題になった「伸びる猫」状態。 「それにしても、読解問題で官能小説は攻めてるな」 「今日から新シリーズらしいよ」 「うわっ……こっちも誤字が酷い」 「どこ?」 「ここ」 ――身動きがとれない満員電車の中、郁子のデリケートゾーソに、政義の大根が押し当てられ…… 「大根……?」 「本来は『大』じゃなくて、『男』のはず。誤字のせいで、だいぶ際どいプレイになったな」 「……デリケートゾー『ソ』?」 「たぶん『ン』と『ソ』の違いがわかってないんだよ」 「こっちも『政義さんのお損保』になってる」 「入力間違えた上に、変換もかけたのか」
  果して政義のモノが、損害保険かけるほどの大物であるのか。疑問は残るが、確かに読解力が求められる問題ではある。  馨はペンを拾い上げると、手元で一度だけくるりと回し、回答し始めた。  空調の音はなく、外からの音も聞こえない。緩やかに鼓膜を擽るのは、ペン先の摩擦音と二人分の呼吸だけ。不意に訪れた沈黙に、不思議と気まずさは感じず。利央はただ静かに、目の前で記されていく文字の羅列を追った。  サラサラと記入されていく文字は達筆で、女の艶髪のように美しい。電子機器が発達し、物を書く機会が失われていく中。彼は話すことよりも、書く方が得意なのか。また一つ意外な面を知ってしまい、利央は胸の奥でむず痒さを覚えた。
 「……これで終わり? 余裕じゃん、制限時間まだ四十分も残ってるし。こんなんで視聴率取れんの?」 「これはただの舞台裏だよ。フォロワーへの特典映像みたいなもんだから。本命は来週」 「へえ、色々とあるんだなあ」  ペンを置くと同時にスクリーンの画面が切り替わり、ゴングの音が高々と鳴り響く。  これはどう考えても、「開始前」に使用すべき音源だ。とことん使えない音響スタッフは、これで本日の業務を終えたのだろう。小気味いい音で屁をこき、身支度を整え始めた。因みにマイクは入ったままだ。  こんな仕事でいくらの稼ぎがあるのか。部外者である自分が、口を出すべきではないとわかっていても、不満は拭えない。 「もう一回だけ言うけどさ、お前、事務所選べなかったの?」 「これでもいい方なんだよ。スポンサーは課金してくれるし、現場の人も頑張ってくれてる」 「ペッパーズゴーストの演出で、力出し切っちゃった感じかあ」  疑念は残るが、本人が納得しているのならば仕方がない。所詮は他人事だと腰を上げると、前触れもなく椅子が収納され始めた。  目の前ではスクリーンがエンドロールを流し始め、ライトまで消灯する。間もなくして流されたBGMは、激しめシャウトのハードメタル。この連携力のなさは間違いなく外資系だ。  なんだかなあと首を傾げると、ちょうど、こちらを見下ろしていた瞳と視線が重なった。 「……なに?」 「うなじのとこ噛んでもいい?」 「ダメに決まってんだろ……それよりさ、俺はいつ帰れんの? 明日は朝から講義入ってんだけど」 「帰りたいの?」 「はあ? 当たり前だろ」  利央は不満げに声を上げるも、視界が悪いため、相手の表情が読み取れない。感じ取れるのは、自分より少し高めの体温、そして、彼が少しばかり寂しげな声を出していた、ということだけだった。
 「チューターは週末だけの契約だから、零時になったら自動で送られるはずだよ」 「チューター?」 「そう、俺に日本語教えるアルバイト」  会話の合間にも、すりっと鼻先を擦り当て、触れるだけのキスを施す。馨はそのまま強請るように利央の腰を抱き寄せ、「帰らないで欲しい」と手を絡ませてきた。  なんとも見事な誘惑スキルだ。不覚にも顔が赤らみ、思考が停止する。同年代であるというのに、この色気の差はなんなのか。天性のものとしか、言いようがない。 「利央……ベッド行こうよ」  抵抗がなければ肯定と取る。それが男というものだ。馨がお構いなしにシャツの中へと手を滑らせる最中、利央は「はっ」と意識を引き戻し、目前の薄い唇に手を押し当てた。 「……ちょちょちょちょっと待て、待て待てっ! お前、さっきなんて言った? チューター? 誰が、誰の?」 「利央が、俺の。うちの人事からDMきてただろ?」 「DM? それって、もしかして……」 「来週も宜しく、俺の家庭教師さん」 「は?」 ――ジャ――――ンッ! ダダダダーンッ! ダダダッダーンダーン!♩ ダダダダーンダンッ!♩ 「おいコラァああッ! そのBGMはアウトだ、ろおおぉ――……おッ!? んぶぅうふッッッ!!!」  ダイナミックな導入と共に始まった、宇宙映画ではお馴染みのテーマ曲。夢の国ではど定番のアトラクションでも、揺れが激しいため、厳格な身長制限が敷かれていた。  嫌な前兆を感じ取ったのも束の間。利央の視界はグニャリと曲がり、ずっぷんっと身体が大きな渦の中へと飲み込まれる。上下左右、手加減なく脳を引っ掻き回す超光速航法。三半規管が悲鳴を上げ、込み上げてきた嘔吐感は喉を焼いた。 「――うぷっ、……ぐっ、ぐえええぇえッ」  目を開くと、嘔吐まみれの身体は、激安1K物件の自宅に放置されていた。狭い玄関の中心で、大きく足を上に押し上げた、恥ずかしい固めの体勢。人権もクソもない所業であり、人を愚弄するにも程がある。  福利厚生が最悪のアルバイトは、今からでも辞退は可能なのだろうか。是非とも次回からは送迎ではなく、交通費の支給を希望したいと口を拭い、利央は力無く立ち上がった。

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