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第3話

 慌ただしい日常に押され、毎晩、泥に沈み込むようにベッドへ傾れ込む。そうすると、夢を見ることなく眠ることができた。  耳鳴りがなるほどに甲高い声は聞こえず、理不尽な我儘に、耳を貸す必要もない。ただ時折、ふと思い出したかのように、高めの体温を求めることがあった。  灯籠の灯る待宵は特に、あの柔らかな手のひらの感触を名残惜しむ。まだ彼女を見つけ出せずにいる肌が、愛らしい小さな抱擁を求めていたのだろう。 「――おはよう、利央」 「……お前、よく寝るんだな」 「配信がなければ、もっと寝るよ」  ふわぁ〜っと、間延びした声を出した馨の表情は柔らかく、随分と艶やかだ。程よい癖っ毛が目元を色っぽく隠し、寝起き早々にイケメン度を見せ付けてくる。  医学会の推奨睡眠時間を、大きく上回る十二時間の惰眠を貪り、大満足なんだろう。通りでこんな馬鹿デカい身体になるわけだと愚痴を零し、利央はベッドへと歩み寄る。  その手元には薄型のタブレット端末。手持ち無沙汰に部屋を漁り、偶然見つけた物だった。現在地を探るには最適のアイテムだったが、さすがに他人の私物を、勝手に使用するわけにはいかない。仕方なく、持ち主の目が覚めるまで待ち、今に至る。 「これ、ロック解除して。地図アプリ使いたい」 「なんで?」 「帰り道検索するから。始発動いてなかったら、お前がタクシー代払えよ」 「中村さんに言えば? ちゃんと家まで送ってくれるから」 「AIの自動運転には不安しかない。公道走るのに許可取ってんの?」 「道路は使わないから大丈夫」 「えっ、空路!? 中村さんって、事業用操縦士の資格持ってんのか?」  ついにAIが、ジェット機を操縦する時代が来た。目覚ましい科学の発展に驚愕するも、乗用車以上に不安度は爆上がり。それに論点が大幅にズレてきていた。  そもそもの話、なぜ彼の寝室で目を覚ましたのか。誰が、何の目的で自分をここへ連れてきたのだろう。日本語が危うい男を問い詰めたところで、まともな回答が得られるとは思えない。  むむむっと頭を捻らせた利央の頭上に、大量の疑問符が浮上する。 ――現実的に考えられるのは、こいつの事務所の企画に巻き込まれた説だな  華やかな世界に身を置く彼は、そこそこ顔が知れた現役モデル。いわゆるインフルエンサーというやつであり、ドッキリを仕掛けられても、おかしくはない。  それにしても、大して交流のなかった元同級生を、使う理由はどこにあったのか。大掛かりなセットまで用意して、最後の最後でまさかの人選ミス。プロジェクトマネージャーは今頃、剣山で尻叩きの刑だ。  思考を巡らせている間にも、自由奔放な男は服を乱し、際どい箇所へ舌を当てる。スリスリと柔らかな癖っ毛を擦り寄せて、甘えてくる姿は可愛らしいが、生憎こちらは、身も心も健康な普メン男子だ。乙女心や母性など持ち合わせておらず、煩わしさだけが湧き立った。 「……おい、なんだよさっきから。顔近すぎ、触んなって」 「早く目覚めちゃったし。暇だから交尾しようよ?」 「はあぁああっ!? 頭沸いてんのかッ!? ……ちょっ、待て待て待て! 服を脱がすな!」 「あはっ、顔真っ赤。可愛いなあ」  ジタバタと手足を動かし、利央は相手と距離を取る。本気ではないとわかっていても、面の良い男のどアップは心臓に悪い。どストレートの男ですらこれなのだ。異性であれば、即堕ち確実。 「はぁはぁっ……あービックリした。こんなのも台本にあんの? お前、身体張ってんな」 「なんの話?」 「なんのって……これなんかの企画だろ? まさかガチでこんなコンクリ牢獄に、軟禁されてるわけじゃないよな?」 「なんだか酷い言われようだなあ。俺の部屋だって言ってんのに――……」 ――キーンコーンカーンコーン  高めの体温が再び肌に接触したところで、ライトが点灯する。場違いなチャイム音は、なんともスタルジックな音源で心を揺さぶった。絶妙な具合で音程が外れていようと、まあまあ許容範囲内。 ――キーンコーンカーン………… 「…………」 「…………」 「………ラストの『コーン』はどうした?」 「モヤっとするなあ」  長年聴き続けた音のため、不燃焼感が拭えない。静けさの舞い戻った室内で、なんとも締まりのない空気が漂った。  横で欠伸する馨も、同じ見解なのだろう。やれやれと首を振り、ベッドの脇に置かれていた水を口に含む。 「今のなんだったの?」 「チャイムの音だよ」 「それはわかってるんだけど、なんで鳴ったのかって」 「今にわかるよ」  そう返すと、馨は立ち上がり、壁に収納されていた衣装棚を引き出す。合わせて服を脱ぎ捨て、露わになった身体は、雄々しい筋肉を携えていた。  適度な盛り上がりのある胸筋、そして引き締まった腰までのくびれ。磨き上げられた腹直筋が、無駄に色気を放出する。  しかし、目を引いたのはそちらではなく。前鋸筋から腹斜筋の下部まで、大きく覆うように刻まれた噛跡だった。 「お前、それ……」  利央は思わず口が出掛るも、途中で押し黙る。  擦り潰したような形からして、平らな臼歯を持つ動物によるもの。しかし、あれほどの大きさの口を持つ草食動物など、いただろうか。特殊メイクにしては生々しく、第一、必要性が見出せない。
  気まずげに目を逸らせた利央を横目に、馨は皺一つない純白のシャツに袖を通す。すると再度スピーカーのスイッチが点灯し、騒がしげなノイズが流れ始めた。 ――ゴガッ、ガガガ……キンコンカンコ――――ンッ!!! 「……そんなヤケクソみたいに鳴らす? 俺が悪いの?」 「気にしなくていいよ、たぶん恥ずかしがってるだけだから」 「ゲストに対しての教育がなってない。でも、こいつがGカップの美脚女性社員なら許してやる」 「性別どっちだったかなあ」 「ノンバイナリーってやつ? グローバルな職場なんだな」 「それよりそこの箱取ってくれる?」 「どれ?」  扱い辛い音響担当はさて置いておき、馨はチラリとベッド横へと視線を送る。同じように顔を向けると、床に立方体の箱が転がっていた。  一辺が四十センチ大の、白いキューブボックス。手に取ると前面がじわじわと透過し、中に収められていた物が明るみになる。 「……なにこれ? 指輪?」  この大きさの箱に対して、この小ささ。明らかに梱包ミスだが、いいのだろうか。  ふと脳裏を過ったものは、某サイトのオンラインショッピング。USBの変換アダプタを購入したはずが、特大サイズのダンボールが届いて驚いた。熱心に環境保護活動を謳っているわけでなくとも、あれは気が引ける。  訝しげに眉を跳ね上げた利央の肩に顎を乗せ、馨は後ろから抱き込む形で身を寄せた。 「参加証みたいなやつ。これないと参加できないんだ。最近視聴率も落ちてきてるし、今日はいい成績出さないとな」 「視聴率って……お前、Vチューバーでもやってんの?」 「そうそう、似たようなやつ」  外行き仕様になった男はふふっと鼻を鳴らし、軽やかに笑う。三百六十度、どの角度から撮っても美しい顔は艶っぽく、このまま女性雑誌のトップ面を飾れそうな華やかさだ。  勘違いさせる距離感も、甘えるような仕草も。狙ってキャラ作りをしているのならば、かなりの大物。一重に三白眼という、個性なパーツを兼ね揃えた身からすると、羨ましい限りだった。  利央はツンッと口を尖らし、再び視線を箱の中へと戻す。  シルバーで凹凸が目立つ不恰好な指輪。飾り気はなくとも、どこか惹き付けられるデザインだ。大きさ的に男性用に思えるが、彼の所有物なのだろうか――。 「利央、ちょっと下がって。そこ危ないから」 「え? ……あっ、……おっ!? おおぉおおッ!? すごいッ! ペッパーズゴーストだ!」 「なにそれ?」 「光と反射を使って。物を消したり出したりする技術。お前の事務所なかなかやるな!」 「そんな複雑な仕組みじゃないと思うけどなあ」 「あとでセット裏、見に行ってもいい?」  鼻息荒く身を乗り出す利央を抑え、馨は冷静にカメラの動きを追う。  コンクリートの床は白いタイルへと切り替わり、天井、壁、装飾品の全てが真っ白に染まった。続いて正面に現れたスクリーンには、紙と鉛筆のアイコンが表示され、時計のカウントダウンが始まる。

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