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第6話
◇ ◇ ◇
「――待って、利央! なんで置いてくんだよ」
「だから、二時から打ち合わせなんだって! モデルさんも来るから、遅刻できないって言っただろ」
「それ来月撮影のやつ? 俺も同席していい?」
「よくないよくない。お前は衣装担当と三時に新宿。自分で選んだ服借りに行くんだから、ちゃんと確認して来いよ」
簡素なエントランスを抜け、螺旋状の階段を登った踊り場。利央は優吾の手を振り払い、強めの声量で叱咤する。
インターンシップ先のスタジオは、大学からそう遠くはない。二つほどブロックを挟んだ先の、向かい側だ。たかだか十分ほどの距離で、何を大袈裟にしているのか。口を尖らせた優吾は、見上げるほどの長身を傾がせて、体重を掛けてきた。
「はぁ……せっかく同じインターンシップ先にしたのに、全然一緒にいられない」
「保育園から大学まで一緒で、お前はどこまで付き添えばいいの? 墓まで?」
「むしろ骨壷も一緒でいい」
「まあ、再来月に籍入るしなあ」
後ろから抱き付かれたまま、優吾にグリグリと顎でつむじを弄られる。昔と変わらないイジけ方だが、ここは昼休憩で賑わうフォトスタジオ。綺麗めなネイルを輝かせたお姉様方が、颯爽と髪を靡かせる聖地だ。デカい男二人で絡み合う場ではない。
早速、横を通り過ぎた女性社員に二度見され、利央は気まずげに顔を背ける
「やっぱり父さんたちの結婚、乗り気じゃないんだ? 玲香さんに男ができるのが、そんなに嫌?」
「いやいやいや。人にマザコン疑惑かけるより先に、お前の親父をどうにかしろよ。普通さ、息子の友達に『エロ動画見ようぜっ♡』って誘ってくる? アウトだろ」
「ああ〜……熟女モノだっけ?」
「『超』熟女モノな。騎乗位のところでいつ息止まるかって、ハラハラした」
「女優も八十代でよく頑張ったよ」
常識がなければ、性癖も危うい。そんな男に、自身の母親を任せたいと思う者が、いるだろうか。ふんっと鼻息荒くそっぽを向けば、近い位置で軽笑が吹き零された。
「なんだかんだ理由付けして、自分の母親が取られるのが、気に食わないじゃないか?」そんな含みは、当たらずとも遠からず。早い時期に父を亡くし、女手一つで育ててくれた愛しの母だ。マザコンになってなにが悪い。
利央はモゾモゾと身じろぐと、二人羽織のような歩行で壁際へと移動する。長椅子に腰を下ろしたところで一息吐き、視線は自然と手元のスマホへと落ちた。
「……別に、結婚に反対なわけじゃない。誠司さんには感謝してるよ。進路のことでたくさん相談に乗ってもらったし。それに、陽葵のことだって――」
現在時刻を表示する文字の下。光沢のあるスクリーンの中で、子生意気な妹は、いつもと変わらない笑みを浮かべている。
最近のアップデートで、ライブ壁紙の機能が追加されたらしい。大口でスイカに齧り付く姿は豪快で、思わず笑みが溢れた。
画面を見る度に画像が切り替わり、まるで生きているかのように、こちらへ笑いかけてくる。残酷な機能だとわかっていても、止めることはできない。もう戻ることのない日々に焦がれ、気が付けば不毛な時間を浪費していた。
「……上の許可待たないで捜査本部設置して、問題になったって聞いた。迷惑掛けたなって、反省してる」
「そんな他人事みたいに言わないでよ、俺たち家族になるんだから」
言葉尻が震えれば、優しい友人が頬を擦り寄せてくる。古傷に寄り添いながら、しかし直接痛みに触れることはない。
長い睫毛が蝶の羽のようにゆっくりと瞬くと、柔らかな肉の感触を耳元で感じた。
「……優吾、近いって言ってんだろ。もう行けよ、中居さん入り口のところで待ってんぞ」
「はああぁ〜…………わかった、行くよ。でも打ち合わせ終わったら待っててね、一緒に帰りたいから」
「やだよ。お前の家、逆方向じゃん」
「夕飯奢るから」
「寿司?」
「コンビニ飯」
「却下」
名残惜しげに振り返る巨体をどうにか送り出し、利央は壁に背を預けた。
洋介の言うように、優吾の「過保護」スイッチはこちらに原因がある。悲惨な事件が与えた影響は大きく、それが幼い頃であればなおさらだ。突然の悲報は受け入れ難く、近しい人々にも大きな爪痕を残した。
ふぅっと小さく息を吐き、利央は静かに窓の外へと視線を移す。雲の流れが早く、密度も濃いめ。予報では晴れであったが、夕方から荒れるのかもしれない。
優吾に傘を持たせるべきだったかと腰を上げると、急に身体が反対の方へと引き寄せられる。
「――仲良いんだね。友達?」
「ひっ……ひぃいいいッ!! ……な、ななななんだっ!? ……えっ、里見?」
「あはっ、すごい顔。写真撮ってもいい?」
「いいわけないだろっ! おいっ……だから撮んなって!」
思いもよらない人物の登場に、利央の瞳が大きく見開かれた。
薄手のニット素材のセーターに白いシャツ、下はダークカラーのスキニージーンズと。今日は外行き仕様なのか。きっちりと髪型まで整えた馨は、興味深げに目を細めている。
「里見、なんでここにいんの?」
「今日は撮影の打ち合わせだから」
「撮影? ……まさかっ! 来月撮影のモデルって、お前のことかっ!?」
「正解~」
たとえ取引先の敷地内であっても、遠慮のなさは変わらない。馨はふふっと鼻を鳴らし、身勝手に人の脚で膝枕をし始めた。
今にも蹴り飛ばしたいところだが、生憎こちらはインターン生であり、顧客である彼よりも立場は下。苛立ちに歯を喰いしばれば失笑され、利央は口元をヒクつかせる。
「昨日は無事に家まで帰れた?」
「……お陰様で。自分のゲロを頭から被るっていう、希少な体験させてもらったよ」
「中村さんの運転、荒っぽいからなあ」
「お前さ、いつもあれで通勤してんの? もしかして今もゲロった後?」
「いや、俺は三角規管強い方だから」
「『三半規管』な」
一字違いで、惜しくも不正解。気持ちはわからないでもないため、オマケで加点してあげたいところ。
――わざわざ矯正しなくても、これはこれで愛嬌があるように思えるんだけどな……
そんな心象を抱こうと、それはあくまでも個人の意見だ。これから本格的に業界へ進出していくのであれば、確かに日本語はできた方がいい。
つんつんっと頬を突き、利央はウトウトと瞼を上下する馨の意識を呼び覚ます。
「……なに?」
「ちょっと聞いてもいい? お前のご自宅と、所属事務所について」
「いいよ〜」
「いつからあそこに住んでんの?」
「わかんないなあ……俺がちっちゃい頃からってのはわかるんだけど」
「写真とかねぇの?」
「あるよ。見る?」
「どれ? ……ほおほお、なるほどな」
「可愛い?」
「可愛いかどうかは別として。小さい頃の写真見せるって言って、受精卵の写真見せてきた奴は初めてだわ」
どこのブランドだかわからないスマホを手渡され、視線を落とした先。見事な円形の細胞が映し出され、なんとも形容し難い感情に見舞われる。
ギャグなのか、ガチなのか。ギャグであればさして面白くはないし、ガチであれば不思議ちゃんレベルが場外だ。どちらにしても、自身の許容範囲を大きく上回る。いくら顧客であろうと、これ以上の関わりはご遠慮願いたい。
どう反応するかと、利央が頭を悩ませていると、その狼狽を察したのか。馨は鉛のように重たい頭を持ち上げ、軽やかに笑った。
「俺はあそこで作られて、エンタメの一つとして育てられてるんだよ」
「作られたって……え? なに言ってんの?」
「日本でもあるだろ? 課金してモンスター育てるソシャゲ。あれと似たやつ」
横に並んだ馨は印象的な垂れ目を歪ませ、温度のない微笑を作り出す。その作り物めいた表情が、先ほど目にしたバナー広告のそれと重なり、利央に寒気を抱かせた。
「異世界の化け物に飼われてる男が、そんなに珍しい?」
「……珍しい、と……思う、から、記念にバシバシ写真撮っとくわ! それじゃ打ち合わせ始めるんで、こちらの部屋にお願いします」
「あははっ! なんでいきなり他人行儀になるんだよ?」
「悪いけど、頭ぶっ飛んでる奴とは、なるべく関わらないようにしてるんだ」
「信じられない?」
「信じろって言う方が無理がある」
いくら超光速航法を体験したからといって、非現実的な発言を鵜呑みにできるほど、純粋ではない。
コミュニケーションに難ありの生徒。ブラック企業感満載の事務所。やはり、これ以上関わらない方がいい。そう意思を固め、利央は腰を上げる。その途端に腕を掴まれ、目の前にスマホの画面が突き付けられた。
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