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第10話

 チラリと視線を落とせば、素晴らしい完成度の折り鶴が目に入った。あの状況下で、よくここまでのクオリティに仕上げたものだ。意外にも手先が器用なんだな〜と気軽に構え、利央は対戦者の方へと視線を流す。  色違いの瞳が捉えたステージの上。残念ながら、彼は課題をこなせなかったのだろう。声もなく、白い机に両手を突いた状態で動かない。たとえ日本人であろうと、鶴を折れる割合は男性で五割。そう気落ちする必要はないのだが――。  あまりの落ち込みように、利央は声を掛けてやろうかと立ち上がる。すると、それを制するように、馨が手首を掴んだ。 「危ないから動かないで」 「踝ぐらいの水嵩だぞ? 別に転んだりしないって」 「そうじゃない。動かないで」 「なんでだよ、いい加減に放――」 ――トスッ  軽やかな音と共に、視界の端で赤い鮮血が吹き溢れる。どこからともなく放たれて白い光は、心臓の上を掠めたのだろう。青年は胸を押さえたまま蹲り、悲痛な声を張り上げた。 「ひっ……なっ、なんだこれ!? ……さ、里見っ! なにこれ!?」 「利央、笑って。まだ放送中だから」 「お、お前っ……なんで正気なんだ!? おかしいだろっ!? 人が撃たれたんだぞっ!?」 「ああ、頬に血が付いちゃってる。なんか拭うのあったかなあ」 「は……? ふ……ふざけんなよっ! そんなこと言ってる場合か……っ!」  制する腕を振り払い、利央は一直線に青年の下へと駆け出す。背からも血が溢れ出ていることから、弾が貫通しているように思えた。しかし、それが果たして、いいことであるかの判断は、素人では付けられない。 ――クソッ! こんなことなら応急手当の講習、受けとけばよかった!  そう心中で唾棄し、利央は自身の上着で傷口を圧迫する。 「お前っ、大丈夫か!? あんまり深く息すんなよ!」 「ゆ……雪ちゃん、ごめ……っ」 「……おいっ! 動くなって! ……クソッ! どうなってんだっ!」  人が声を荒らげているというのに、青年には聞こえていないのか。ずりずりと床を這い、白い箱の方へと向かっていく。  べっとりと鮮血に塗れた両手で箱に手をかざし、半透明に透けてきた箱の中。小さな檻に入ったそれを目にすると、彼は小さな声で何かを囁いていた。 ――ピュンッ……ヒュンッ  密やかに放たれた弾丸が、額のど真ん中を貫く。サイレンサー付きの銃を使用した理由は、視聴者の意識が、すでに別のところへと、移っていたからだろう。本日の勝者である馨の元には花吹雪が吹き込み、高い照度でスポットライトが当てられていた。 ――なんだ、これ……っ? なんで、誰も助けにこないんだ? なんで、誰も、おかしいって思わないんだ……?  握り締めた手が、徐々に温度をなくしていく。ファンファーレの鳴り響く中央は、まるで別世界。誰一人として、消えゆく命に目をくれようともせず、推しの勇姿を讃えていた。  一通りのインタビューが終わると、馨はくしゃくしゃっと髪を乱し、呆然と膝を突く利央の下へ歩み寄る。 「……お前さ……ここで、なにやらされてんの? ……な、んだよ、これ」 「前に言っただろ? 俺はエンタメのために育てられたって。課金してもらって、フォロワー増やして。推してくれてる人の期待に応えられなかったら、俺は廃棄だ」 「そんな……っ、嘘だろっ!? こんな、……人の尊厳とか無視した行為、許されるわけがないっ!」  怒鳴るように吐き出した声は震え、上手く言葉が繋がらない。ボロボロっと零れ始めた涙が頬を濡らし、肌に飛び散った鮮血を洗い流していく。  なんて非道な世界なのか。  道楽のために命を作り、用が済めば、最も容易くへし折ってしまう。  無慈悲で冷酷。  ゴミクズ同然の扱いだ。  腹の奥底から湧き上がる憤怒と悲しみ。それは目の前にいる、この男の言っていた意味が、今この瞬間、わかってしまったからだ。 ――『……もっと自由になりたいとか、思わねえの?』 ――『選択肢にあるならね。俺の場合はもう、先が決まってるから……』  馨はもうわかっている。自分がいずれ処分されるであろうことを。美しさが欠け、衰えが見えた時。それが彼の終わりだ。  芸能人、モデル、インフルエンサー、それらの業界は華やかであるが故に、移り変わりが激しい。今日明日にでも、新たなスターの種が芽吹けば、一気に情勢は変化する。日が当たらなくなり、枯れた花を、わざわざ見に来る者などいるだろうか。  せめて、全ての花が刈り取られる前に。まだ、根も、茎も、葉も新鮮なうちに、別の場所へ移し替えることができれば――。  ぐっと力強く目元を擦り上げ、利央は馨の肩を掴む。 「どうにかならないのか!? ここから解放されるには、なにをすればいいんだっ!?」 「大丈夫、焦らなくてもそのうち解放されるよ。支持率が下がれば、すぐに処分だから」 「お、お前……っ、処分って……っ!」 「俺のスポンサーは優しいし、もしかしたら、そのまま観賞用として、飼ってくれるかもしれない。でもあんまり期待はしてないかな……ただ老いていくだけの俺を、欲しがる奴なんていないだろ?」  「なにを言ってるのか」と、詰め寄りたくなったが、彼の目は本気だ。まるで当然のことのように言ってのけた声は穏やかで、軽い。  どれほど残酷なことを言っているのか、きっと本人に自覚はないのだろう。彼の中に、逃げ出そうなんて考えはなく、状況の改善を図る気すらないのだ。生まれた瞬間から洗脳され、そう思うように教育されている。  自分は彼らを愉しませるためだけに作られて、いずれは処分される。それが存在意義であり、それ以上でも、それ以下でもないのだと。  愛情もクソもない、とんだ毒親だ。 「あはっ、利央見て。ネズミだ」 「……チンチラな」  場違いな陽気さを放つ馨は、血の手跡が付着した箱を持ち上げた。一仕事を終え、やや開放的になっているのだろう。上機嫌でこちらへ手招き、中を覗き込んでいる。  利央も視線を落として確認すると、白い小さな檻の中で、手のひらサイズの毛玉が蹲っていた。  全体的に色素が薄く、毛並みにおいては極上のツヤツヤ感。指で突くと小さく身じろぎ、黒くつぶらな瞳が僅かに歪む。 「……ッチ、触んなよ」 「え?」 「どうかした?」 「いや、なんか喋った気がする」  しゃべるネズミのコンセプトは、すでに大御所が複数いるため、日本ではアウト。なぜこうも際どい線を狙ってくるのか。オリジナリティを出さない理由は、弱小の企画部のせいか。それとも日本推しであるが故か。  照度が落とされ、清掃が始まったスタジオの中。利央はそっと馨の手に指を絡ませ、鮮血に染まった床を静かに眺めていた。

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