6 / 47
第6話 わかりやすくて、わからない
オルキウスは、目の前できらきらと赤い目を子供のように輝かせるレンを見て、目を見開いた。
差し出した手を震えながら握られる。その顔は紅潮していて、普段の荒んだ表情とはまるきり違っていた。
(なんだ、こいつ)
予測できなかった反応だ。
オルキウスはじっとレンを観察する。
声をかけた時は警戒するように睨みつけてきた。それは予想通りだった。
いつものレンなら断る。あるいは殴る。
なのに、今日は従った。
想定外だった。
これまでの暴れ鮫とは思えない。そして、極め付けは。
「友達になろう」
何かに気がついたかのように、目を見開いてアホみたいに口をぽかんと開き、顔を赤くさせていく。
「いいぜ!」
食い気味にばかでかい声で了承された。
(やっぱりこいつ、一昨日からなにか違う)
読心しても表層に浮かぶ感情は興奮ばかり。
怖れでも、敵意でもない。
「……あ、あのよ」
ぼうっとしていると、レンが遠慮がちに話しかけてきた。
ハッと我に帰る。
自分らしくない。ぼんやりするなど。
「なんだ」
レンは興奮冷めやらぬ様子で、首を傾げる。
(なんだ、その仕草は)
暴れ鮫らしくない。一瞬、思考が止まった。
レンは、おずおずと口を開く。トレードマークのギザ歯がちらりとのぞいた。
「……友達って、何すんだ?」
いろいろ考えきたプランはあった。だけど、不意を突かれすぎて、うまく答えられなかった。
「……じゃ、じゃあさ」
ごくりと、レンが喉を鳴らした。
「……い、一緒に、泳ぐとか……どうだ?」
上目遣いでこちらをうかがってくるレンに、なぜか胸の奥がざわついた。
「うおおおおー!!! シャチだーーーー!!!」
一時間後。
オルキウスは、内海でなぜかレンに海獣化した姿を見せていた。
「そんなに……嬉しいのか?」
海獣化した姿を人に見せるのは何年振りだろうか。
レンは溺れているのかと思うほど興奮してばしゃばしゃとはしゃいでいる。
「当たり前だろ!! シャチだぞ!? すっげえ綺麗!! 背びれでけえ!! 模様かっけえ!!……てか、十二メートルはあるだろ!?」
レンはひたすら「この光沢! ツヤ!」とか言いながらぐるぐるとシャチの姿になったオルキウスの周りを泳いでいる。
「ちくしょー! なんでスマホがねえんだよ!!」
たまに意味のわからないことも言っている。
オルキウスはその熱狂振りに思わず引きかけた。
なぜだ。
目の前にいるのは最恐の暴れ鮫のはずなのに、興奮して早口になっているオタクにしか見えない。
目をゴシゴシと擦りたかったが、シャチの姿になっているのでできなかった。
目を輝かせて、顔を真っ赤にしながら、レンは恐る恐る口を開いた。呼吸が荒い。
「ちょ、ちょっと……ちょっとで良いからよ……っ。さ、さわ、触っても良いか……っ!?」
オルキウスは今度こそ思考が停止した。
「触る……?」
海獣化した姿を、触らせる。
それが何を意味するのか、目の前の男がわからないわけはない。
「……お前は、その意味をわかって言っているのか?」
つい表向きの口調ではなく、素で話してしまう。ハッとしたが、レンは全く気がついていないようにブンブンと頭を振って頷いた。
「だ、だから、ちょっとだけでいいんだって……!」
話が通じていないし、完全に不審者だ。
(こいつ、全然なにも考えてないな……)
心を読んでも、目の前の凶暴な男から伝わってくるのは純粋な興奮と────溢れんばかりの嬉しさ。
……そして、まっすぐな好意だった。
オルキウスは水面で静止した。
しばらく黙っていると、レンがハッとしたように慌てる。
「あっ! ああ、悪い!! ダメだよな、触るのなんて! いや、そりゃそうだよな……で、でもほんとちょっとだなら……」
気がつけばオルキウスは口を開いていた。
「いいぞ」
「へっ?」
レンがぴたりと動きを止めた。おそるおそる覗き込んでくる。
「ほ、本当に……?」
首を傾げて見上げてくる男を、じっと見下ろしてオルキウスは不思議と頷いていた。
――自分でも、なぜ許したのか分からなかった。
許可を得たとたんに、レンの赤い目が興奮したように熱を持った。
「じゃ、じゃあ……」
レンがごくりと喉を鳴らして、そろそろと指先を近づけてくる。
ちょん、と指先が体表に触れた。
「は、はわわわ……」
その瞬間、レンの目が涙目になって顔がますます赤らんでいく。
オルキウスは胸がざわざわとしながら、その様子をじっと見ていた。
(なぜ、こんなにも嬉しそうなんだ……?)
海獣化した姿を触らせる。
まさか、自分がそんなことをするだなんて思ってもいなかった。
「ひゃああ……すげえ……! ちゃんとゴムみてぇ……!」
「……」
目の前の男はすっかり興奮して意味を忘れているようにも見えるが。
(こいつ……シャチが好きなだけなのでは……?)
……いつ以来だろうか。海獣化した姿に触れられるのは。
一瞬、幼い頃の記憶が蘇りかける。
オルキウスはすぐにそれを打ち消して、じっとレンを見下ろした。
すべてが、想定外だ。
(やっぱりこいつは……一昨日までと何かが違う)
最恐で手がつけられない問題児。
噂を確かめるため近づいただけだった。
それなのに、目の前にいるのは────。
「あ、あのさ……なでても、良いか……?」
潤んだ目でうっとりとこちらを見上げてくる、ワイルドな顔。
「……いいぞ」
(────これは、おもしろい)
もう少し。
この男が知りたいと思った。
「……?」
ふと、レンが静かになって見下ろしてみると、そこには無心で頬擦りしている姿があった。
「……あんまり調子に乗るなよ」
「あっあっ、わり!」
(……本当に、変な男だ)
オルキウスは、目の前で小動物のように震えるホホジロザメの海獣人から目が離せなかった。
バタン、と車のドアが閉められる。
オルキウスは革張りの後部座席に深く腰掛けながら、顎に手を当てて考え込んでいた。
「若様。例の鮫はいかがでしたか」
「……」
オルキウスはしばらく黙っていた。
「若様?」
「……少し」
ぽつりとこぼす。
「想定外だった」
運転手が驚いた声を上げた。
「若様が……読めない男なのですか」
オルキウスはため息を吐いた。
「いや。むしろわかりやすい」
背もたれにふう、と背中を預けた。
「……わかりやすいから、わからなくなった」
運転手が戸惑う。
「……それでは、元老院へのご返答は」
「保留だ」
「承知しました。では、レン・ホワイトファングの件は保留ということで」
オルキウスはそっと目を閉じた。
まぶたの裏に浮かぶのは、赤い目をきらきらと輝かせながら、自分を見上げていた男の姿だった。
ともだちにシェアしよう!

