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ep.02 一軍と、超一軍と、空気

 不慣れなネクタイにもようやく馴染み始めた、四月中旬。  クラスではすでに、「一軍」か「それ以外」の明確なグループ分けが完了していた。  春希は当然のように「それ以外」の、その中でも更に「空気」に属している。  と、自覚している。  話しかけられたら、嫌な顔をせず返事をする。  頼まれごとは基本、断らない。  質問に対して口から出るのは無難な応答だけで、軽口の一つも言えずに友達もできないまま、四月が下旬へ向かおうとしていた。  その日、春希は日直だった。  誰かの机と椅子を借りて、同じ日直の女子二人と日誌を埋める作業をしている。  書くことがない日ほど、たった三行が長い。  教室の真ん中で、机が二つ、脇へ寄せられた。  一軍の女子が数人集まって、一人にスマートフォンを持たせている。  どこかで聞いたことのある曲が流れ出して、手と腰が同じ形に動き始めた。  数秒撮っては顔を寄せて画面を確かめ、笑い、また撮って、また笑う。  それが何度も繰り返された。 (何が面白いんだか……)  顔を上げると、向かいの日直と目が合った。  まーたやってる、という顔で、互いに苦笑する。  彼女たちが帰らないと、日直の仕事は終わらない。  他の生徒たちは、部活や委員会へ三々五々、教室を出ていく。 「あ、遠野君、遠野君!」 「――え」  扉のほうへ向かいかけていた細い肩が跳ねて、白い顔が振り返った。 「いっしょに撮ろうよ〜、遠野君がいたらアイドルっぽいし」 「いや、でも、僕」  断る間もなく袖を引かれて、体がカメラの前へ引きずられていく。  背は女子より頭半分以上高いのに、他が何もかも細い。 「……」  春希はシャーペンを日誌のページに置いて、席を立った。 「牧野君?」  日直女子が止める間も無く、春希はホームルームの板書が残る黒板の前に立ち、上の段から下まで、身長を使って一気に拭く。 「ちょっと〜!」  カメラを構えていた女子が、抗議の声を上げた。 「ん? あ、ごめん。黒板が映ったらヤバいかなって」 「そ、そうそう、名前とか書いてあったから」  日直の女子が、フォローに入る。 「あ、そっか」 「気づかなかったー、ありがとね!」  案外と素直に、女子たちは「場所変えよっか」と相談を始める。 「僕、用事があるから……」  その隙に後ずさりして、遠野は教室を出ていった。 「――ふう」  真っ白になった黒板消しを持って、春希は窓を開ける。  校庭側の風が、教室の(よど)んだ熱を押し出した。  昇降口から校門へ、細い人影が足早に歩いていく。  遠野だ。  すれ違ったジャージ姿の女子生徒たちが、二度見して「きゃー」と黄色い声を上げている。下階の窓からもいくつか頭が覗いていて、遠野の背中を追っていた。 「こっわ……」  春希は首を振って、窓を閉めた。 *  予定通り、春希は水泳部に入部した。  といっても、公立の弱小水泳部でできる活動は限られている。  泳げるのは屋外プールが使える六月中旬から九月上旬まで。  それ以外は週に二度ほどの軽い陸練と、各自の自主練だ。  どちらも強制ではない。  水曜の夕方、春希は市民プールにいた。  二十五メートルプールは八つのレーンに区切られている。  左の二レーンは、水中ウォーキングゾーンだ。  腰まで浸かった高齢者たちが、横に並んで同じ速さで歩いている。歩きながら楽しげに喋る声が、水面を滑って端まで届いた。  右端側は子ども用に浅くしてあり、ビート板を抱えた子どもたちが指導員の合図に従って一人ずつ水を蹴っている。  中央の二レーンは長距離泳用で、春希を含む学生や仕事帰りの社会人がノンストップで往復している。三十分ほど軽く流して、春希はプールから上がった。  真面目に水泳に取り組んでいるわけではない。  小学生の頃から続けてきた習い事の延長で、時々こうして水に浸からないと調子が狂う、というだけだ。  タイムも距離も測っていない。  強いて言えば、プール開きまでに受験で鈍った体を少しは絞っておかないと格好がつかない、という理由があるくらいだ。  おざなりに体を拭いて着替え、髪を乾かしきらないまま外へ出ると、スマートフォンが震えた。母からだ。  ――バター切らしちゃった! 「またか」  いつものことだ。  了解のスタンプだけ返信して、春希は駅前のスーパーへ足を向けた。  平日の夕方過ぎ、夕飯の支度に間に合わせる時間帯のスーパーは、主に主婦たちで混んでいた。天井のスピーカーから、店のテーマソングが延々とリピートしている。 「?」  精肉コーナーの角に、小さな人だかりができていた。  あまり見かけない光景だ。  外周から覗いてみると、白いコック帽の先端が見えた。  行き交う客達の間から見えるのは、細身のエプロン姿の店員。  ホットプレートの前に立って、爪楊枝の刺さった紙皿を差し出している、やたら小顔で童顔の―― 「え、なんで」  春希は、思わず柱の陰へ体を寄せた。  人だかりの中心にいたのは、遠野雪だった。  柱の陰から、その様子を見る。 「本日、豚こまが特別価格、百グラム九十八円です。よかったら味見していってください」  よく声が通っている。  教室の時の十倍は張っていた。 「タレは、うちの店で作ってるんです。生姜とニンニクがダブルできいてます」  紙皿を受け取った女性が肉を口に入れ、美味しいとリアクションすると、遠野の顔に笑顔が弾ける。 「でしょう! ごはんがどんどん減るんです」  つられて笑った女性は、パックとタレをセットで持って行った。  遠野はプレートの肉を返して新しい紙皿に取り分け、次に通りかかった客のほうへ笑顔を向ける。 「……学校にいるときと違うし」  唖然とする春希が見守る中、笑顔につられるように、通路を歩いていた主婦が一人、また一人、次々と足を止める。  人だかりの厚みが増して、その後ろで別の客がパックとタレを取っていく。  商品棚はみるみる底が見え始めた。 「バイトがあるから、帰宅部ってことか……」  春希は、手元の籠を見た。  母親に頼まれていた、バターと、追加のニンジン、長ねぎと、みりん。 「……」  何だか気恥ずかしさを覚え、春希は柱から離れる。  遠野に見つからないよう、足早にセルフレジへ向かった。

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