1 / 4
第1話 死神
七月半ばの墓地は、死者の眠る場所とは思えないほどうるさかった。
朝から照りつけていた太陽は、午後を回ってもいっこうに勢いを失わない。雲ひとつない空の下で墓石も敷石も白く灼け、墓地を囲む雑木林から降り注ぐ蝉しぐれが、読経の声も墓参りに訪れた家族の話し声も呑み込んでいる。遠くに見える管理棟の屋根は陽炎の向こうで揺らぎ、空と地面との境まで溶けて見えた。
高瀬 彰人 は、墓石の前で深々と頭を下げる遺族を少し離れた場所から見守っていた。
四十九日法要を終え、今日ようやく納骨を迎えたのは、二か月前に彰人が葬儀を担当した男だった。故人は八十二歳。長く患った末の死であり、喪主を務めた長男も、その妻も、葬儀の席では気丈に振る舞っていた。それでも骨壺が墓の下に納められ、石材店の職人が重い蓋を閉じる音を聞いた途端、老いた妻は初めて夫が死んだことを知ったようにその場に崩れ落ちた。
彰人は慌てて支えようとした長男より先に彼女の肘に手を添え、照り返しの強い場所から日傘の下に移した。泣き止ませようとはせず、背を撫でることもしない。ただ転ばないよう傍らに立ち、ハンカチを探す震えた手に、鞄から取り出したものを黙って渡した。
遺族の涙に何を言っても、夫を失った事実が変わるわけではない。故人はきっと幸せだった。もう苦しまずに済む。これからも空から見守ってくれる。そうした言葉を望む遺族もいれば、慰めとして差し出されたそれらに傷つく者もいる。大学を卒業した春に今の会社に入り、死者と遺族の間に立つようになって五年目になるが、何を言うべきなのか分からない場面は今も多かった。だからこそ、分かったような言葉で悲しみを小さくするより、必要とされるまで黙ってそこにいることにしている。
「今日は本当に、ありがとうございました」
墓前での挨拶を終えた長男が、額に滲む汗を白いハンカチで押さえながら彰人に頭を下げる。既に還暦を過ぎているはずだが、父親を墓に納めたばかりのその顔は、親とはぐれた子どものように見えた。
「いいえ。暑い日が続きますので、皆様もどうかご自愛ください」
「高瀬さんも。そんな格好では暑いでしょう」
彰人は礼を返し、自分の姿に視線を落とした。夏用とはいえ黒い礼服は容赦なく日光を吸い込み、ワイシャツはとうに背中に張りついている。首元を締める黒いネクタイも、革靴の中で蒸れた足も不快ではあったが、仕事中に暑いと口にしたところで涼しくなるわけでもない。昔から自分の不調を他人に訴えるのが苦手だった。無理をしているつもりはなく、耐えられるものなら耐えれば済むと思っているだけである。
老いた妻と長男夫婦が駐車場に向かうのを見送り、石材店の職人とも挨拶を交わす。会社にはこのまま直帰すると伝えてあった。時刻は午後三時を少し過ぎたところで、事務所に戻れば片づける仕事はいくらでもあったが、この墓地に来た時だけは、よほど急ぎの用がない限りもうひとつの墓に立ち寄ることにしていた。
腕時計に目をやり、彰人は墓地の奥に向かって歩き始めた。
七月に入った頃には青々としていた供花が、いくつもの墓前で既に萎れている。水の濁った花立てから腐りかけた葉の匂いが漂い、線香の煙と、強い日差しに温められた石の匂いに混じっていた。墓と墓の間を縫う細い通路には日陰がほとんどなく、靴底を通して伝わる熱で、踏みしめるたびに足の裏が焼かれているようだった。
自動販売機の前を通りかかり、一度足を止める。喉の渇きは感じていたが、帰りの車に乗れば冷房もある。そう思ったものの、結局ミネラルウォーターを二本買った。一本はその場で蓋を開け、もう一本は冷たいまま鞄に入れる。飲み込んだ水は乾いた喉を僅かに潤し、熱のこもった体に落ちていった。
三枝 家の墓は、墓地の西側にある。
母方の祖父母と、弟の晴希 が入っている墓だった。両親の離婚後、父についていった彰人は三枝から高瀬へ姓を変えたため、そこへ入ることはない。いずれ自分が死んだ時、誰が骨を拾い、どの墓に入れるのかは考えたことがなかった。一人で死ぬなら永代供養墓でも構わないし、骨など残さず海に撒かれてもいい。死んだあとの自分にそれほど興味はないが、晴希の墓だけは放っておくことができず、命日と盆、それ以外にも近くに来る機会があれば足を向けていた。
今年に入って、母親が再婚すると連絡を寄越した。相手の住む町に移ることになったからと、晴希の遺品を詰めた段ボール箱を彰人に押しつけたのも、その時だった。いらなければ捨てていいと言われ、捨てられるくらいならと引き取ったものの、箱は今も自宅の押し入れに入れたまま開けていない。
死者のものを処分できないことと、死者が生きていた頃と向き合うことは、どうやら別の話らしかった。
墓地の中ほどまで来た時、強い風が雑木林を揺らした。太陽に炙られた熱気が移動しただけの生温い風だったが、頭上の葉が一斉に裏返り、蝉の声がほんの一瞬だけ遠ざかる。彰人は乱れた前髪を掻き上げ、その向こうに見え始めた三枝家の墓に目を向けた。
誰かいる。
最初に見えたのは、墓石の陰から通路に投げ出された一対の脚だった。
白いスニーカーは泥で薄汚れ、色の褪せたジーンズの裾にも乾いた土がついている。墓参りに来た人間が休んでいるのかと思ったが、座り込むにはあまりにも場所が悪い。この時間の墓石が作る影など、身を隠すには狭すぎる。男は僅かな日陰に無理に体を押し込めるようにして背中を丸め、片膝を立てたまま、俯いて動かなかった。
「大丈夫ですか」
仕事で使っていた声音のまま呼びかけたが、返事はない。
熱中症で意識を失っているのなら、一刻を争う。彰人は足早に近づき、男の前に片膝をついた。灼けた敷石から黒いスラックス越しに熱が伝わってくる。白い半袖のシャツも栗色の髪も汗で濡れ、顔色はこの暑さの中にいる人間とは思えないほど青白い。
「聞こえますか」
肩に触れるより早く、男がゆっくりと顔を上げた。
頬に張りついた髪の向こうから、色素の薄い目が彰人を見る。焦点が合うまでに少し時間がかかり、やがて眩しそうに細められた。
彰人は伸ばしかけた手を止めた。
五年という年月は、十七歳だった少年を二十二歳の青年に変えていた。丸みの残っていた頬は削げ、髪も記憶にあるより長い。それでも目尻の形も、僅かに下がった眉も、相手の顔を確かめる時に首を傾ける癖も変わってはいない。
忘れようとして、忘れられなかった顔だった。
青年は長いあいだ彰人を見上げていた。黒い礼服、ネクタイ、手に提げた鞄の順に目を動かし、ひどく掠れた声で尋ねる。
「あんた、俺のところに来た死神?」
途切れていた蝉の声が、耳の奥に突き刺さるように戻ってきた。
彰人は答えず、青年の額に掌を当てた。汗ばんだ皮膚はひどく熱い。
「頭は痛いか。吐き気は」
「少し、くらくらする」
「いつからここにいる」
「分からない。そんなに長くはないと思う」
受け答えはできている。彰人は鞄から先ほど買ったばかりのボトルを取り出し、蓋を開けて差し出した。
「少しずつ飲め。一気に飲むな」
「死神にしては親切だな」
「死神じゃない。水を飲め」
青年は素直にボトルを受け取った。けれど指先にうまく力が入らないらしく、柔らかな樹脂が頼りなく揺れる。彰人は底に手を添え、落とさないよう支えた。
ひと口飲み、青年が咳き込む。
その短い咳が、五年前の川岸に彰人を引き戻した。
前日まで降り続いた雨は朝には上がり、増水した川だけが濁った水を速く運んでいた。彰人はたまたま数日だけ地元に戻っていた。晴希の友人だという少年が川から引き上げられた時、その場に駆けつけることができたのも、その偶然のためだった。
少年は岸に横たえられ、吐いた水に何度も咳き込みながら、誰に尋ねられても同じ言葉だけを繰り返していた。
俺が殺した。
俺が、晴希を殺した。
それが、彰人が藤代 朔 と初めて顔を合わせた日だった。
晴希の体が見つかったのは、さらに下流だった。雨で緩んだ岸が崩れて二人とも川に落ちたこと、朔が晴希を助けようとして腕を掴んだこと、流れの中で二人が離れたこと。朔自身の証言と現場の状況は食い違わず、警察は事件性のない水難事故だと結論づけた。
彰人も、その説明を聞いた。事情聴取を終えた朔が晴希の葬儀のあとに自殺を図り、命を取り留めた代わりに過去の記憶を失ったことも知っている。
それでも、納得できなかった。
岸が崩れたこと自体は事故でも、なぜ晴希があの日、増水した川のそばにいたのか。なぜ二人は言い争っていたのか。朔は何を悔いて、自分が殺したと繰り返したのか。警察が事故として処理したのは、晴希が川に落ちた経緯であって、そこに至るまでの理由ではなかった。
そして、その理由を知っていたはずの少年は、何も語れない人間になった。
「まずいな、これ」
青年の声に、彰人は我に返った。
「水に味はないだろう」
「口の中が変なのかも。鉄みたいな味がする」
「もう少し飲め」
青年は不満そうにしながらも、今度は咳き込まずに数口飲んだ。半分ほど減ったところで顔を背け、浅く息を吐く。まだ顔色は悪いが、先ほどより目の焦点は合っている。
「どうしてこんなところにいる」
「駅まで近道できるかと思って入ったら、迷った」
「墓地で近道をするな」
「もうしないよ。日陰もないし」
青年は背後を振り返った。墓石の側面から伸びた影は、座り込んだ青年の頭と肩を辛うじて覆う程度しかない。それでも灼けた通路の真ん中に倒れるよりはいくらかましだったのだろう。
「歩けなくなったところに、ちょうどこの墓があったんだ。それに、俺の名前が書いてあったから」
彰人は一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
青年は墓石に手を伸ばし、熱を持った石の表面に刻まれた文字を指先でなぞる。三枝家の墓には、納められた者の名と没年月日が側面に彫られていた。三枝晴希という名の下には、五年前の日付と、十七歳という短すぎる年齢がある。
「同姓同名みたいだ。自分の墓を見つけたのかと思った」
「……お前の名前は」
「三枝晴希」
あっさりと告げられたその名に、腹の底が焼けるように熱くなった。
墓石の周りには人の姿がない。離れた場所で僧侶が読む経と、耳を塞ぎたくなるほどの蝉しぐれだけが響いている。何も知らない顔で死んだ弟の名を口にする青年に、二度とその名を使うなと怒鳴りつけたい衝動が込み上げた。
右手に力が入る。爪が掌に食い込む感触で、どうにか言葉を呑み込む。
青年は墓に刻まれた没年月日に目を落とし、どこか不思議そうに首を傾けていた。彰人の反応を窺う様子も、悪意も見えない。病院で一度だけ面会した時、朔は彰人のことも、自分が藤代朔であることも分かっていた。目の前にいる青年の目には、その時の記憶が何ひとつ残っていないように見えた。
「俺を覚えているか」
思わず出た問いに、青年は墓石から目を上げ、彰人を見た。
「会ったことある?」
問い返され、彰人は口を閉ざした。
彰人が病院で面会したあと、朔は自殺を図り、記憶障害が残った。自分の名前にも家族にも反応を示さず、唯一口にしたのが晴希の名前だったことも聞いている。それでも実際に確かめたわけではない。朔が地元を離れたあと、彰人は行方を探そうともしなかった。弟を死なせた理由を知っているはずの人間が、何もかも忘れてどこかで生きている。そのことを考え続けるより、朔を憎んで、朔などいないものとして暮らす方が楽だった。
今なら、確かめられる。
目の前にいる青年が本当に何も覚えていないのか。晴希の死について、ひとつでも残っているものはないのか。
「いや」
彰人は答えた。
最初の嘘は、驚くほど滑らかに口から出た。
青年は「そう」と短く応じただけだった。自分から尋ねたくせに、彰人の答えにたいした興味もなさそうにまたボトルに口をつける。
「立てるか。休憩所まで行くぞ」
「もう平気だと思う」
「平気な人間は墓の陰に座り込まない」
彰人が先に立ち上がり、手を差し出す。青年はその手と彰人の顔を交互に見たあと、素直に掴んだ。握り返す力は弱い。引き上げた途端に足元がふらつき、彰人は腕を掴んで体を支えた。
「悪い」
「急に動くな。目眩は」
「少し」
「なら、ゆっくり歩け」
青年の腕を自分の肩に回し、脇から支える。倒れないことだけを確かめながら歩き始めると、墓石の影が二人分、白く灼けた敷石の上に短く落ちた。
墓地の休憩所は、管理棟の隣にある小さな平屋だった。冷房は効いていたが、頻繁に人が出入りするため室内まで蝉の声が入り込み、冷えた空気の中にも線香と古い畳の匂いが薄く染みついている。
長椅子に青年を座らせ、彰人は管理棟の職員から、冷蔵庫にあった経口補水液を一本買った。濡らしたタオルと一緒に渡すと、青年は素直に受け取って首筋に当てる。
「これも飲め。気分が悪くなったらすぐ言え」
「救急車まではいらないよ」
「それを決めるのはお前じゃない。意識がおかしくなったら呼ぶ」
「今はちゃんとしてる」
「自分の墓を見つけたと言う人間が、ちゃんとしているように見えるか」
口にしてから、言い方が悪かったと気づいた。
けれど青年は気を悪くした様子もなく、経口補水液の蓋を開けながら笑った。
「それはそうだな」
体調の悪い人間を放っておけないのは仕事柄でもある。葬儀や法要では、張りつめていたものが途切れた途端に倒れる遺族も珍しくない。今日の暑さなら、見知らぬ相手であっても同じように休憩所まで連れてきただろう。
そう考えながら、彰人は長椅子の端に腰を下ろした。
青年が飲み物を口に運ぶたび、朔という名と、晴希という名が頭の中で交互に浮かぶ。五年前には膝や肘に擦り傷を作り、川の水を吐きながら泣いていた少年が、今は彰人の隣で、死者の名を自分のものだと思っている。
それを哀れだと思うだけでは片づけられなかった。
ただ、あまりにも何かがずれている。死んだ晴希の方が名前を奪われ、墓の中から目の前の青年を見ているような、説明のつかない居心地の悪さがあった。
「あんた、名前は?」
「高瀬彰人」
青年の手が止まる。
彰人は何気ないふりをして、その横顔を見た。高瀬という姓も、彰人という名も、晴希は知っていた。事故当日、朔がどこまで彰人について聞いていたのかは分からない。それでも何かひとつ思い出せば、先ほどの嘘は簡単に剥がれる。
「高瀬彰人」
青年は確かめるように繰り返したあと、何の反応も示さず飲み物に口をつけた。
「その格好、葬儀屋なのか」
「ああ」
「死んだ人を迎えに来る仕事じゃないのか」
「病院や自宅に迎えに行くことはある。ただ、死んだ人間をどこかへ連れていく仕事じゃない。残された人間が見送るのを手伝う仕事だ」
青年は少し考えるように黙り、冷えたボトルを両手で持ったまま窓の外を見た。
「じゃあ、死んだ人より、生きてる人のためにいるんだな」
彰人は答えなかった。
冷房の低い運転音が、会話の途切れた室内に響く。窓硝子一枚隔てた向こうでは、白い日差しが墓石の列に容赦なく降り注いでいた。
晴希が死んだ日も、雨のあとの空は明るかった。照りつける太陽が川面に反射し、目を開けているのも辛いほどだったのに、引き上げられた弟の体だけが冷たかった。あの日から彰人にとって、盛夏の光はどこか死に近い。
隣に座る青年は生きている。呼吸をし、汗をかき、冷たいものを飲んで少しずつ顔色を取り戻している。
それなのに死んだ弟の名を名乗っている。
「連絡先は」
「俺の?」
「ほかに誰がいる」
「助けてもらった礼なら、今は何も持ってないけど」
「いらない。帰ってから具合が悪くなった時のためだ」
自分でも苦しい理由だと分かっていたが、青年は気に留めなかったらしい。ポケットから古いスマートフォンを取り出し、画面に指を滑らせた。角が欠け、透明なケースは黄ばんでいる。表示された番号を、彰人は自分のスマートフォンに登録した。
名前を入力する欄に「藤代朔」と打ち込む。
五年前に僅かに顔を合わせただけの少年の名を、指は迷わず覚えていた。
「これ、俺の」
彰人は名刺入れから一枚を抜き取り、会社の番号の下に個人の携帯番号を書き添えた。青年は差し出された名刺を受け取り、印刷された会社名と彰人の名前をゆっくり読む。
「やっぱり、死神にも名刺があるんだな」
「だから、死神じゃない」
「分かったよ、高瀬さん」
体調が戻ったからか、今度の声には先ほどよりも力があった。青年は名刺を胸ポケットに入れ、もう少し休んでから帰ると言う。駅まで車で送ると申し出たが、それには首を横に振った。
「歩いて十分くらいだろ。もう平気だよ」
「道は分かるのか」
「管理棟で聞く。それなら迷わない」
「着いたら連絡しろ」
「そこまでしなくても」
「倒れていないと確認するまでが、今日の仕事だ」
「仕事にされたら断りにくいな」
困ったように笑いながらも、青年は頷いた。
無理に連れ出す理由も見つからず、彰人は先に休憩所を出た。
冷房の効いた室内から一歩外に出た途端、全身を包むような熱気に襲われる。ほんの短い時間しか離れていなかったはずなのに、太陽はさらに近くなったように感じられた。黒い上着を腕に掛け、彰人は駐車場とは反対方向に歩き出す。
晴希の墓前に戻ると、先ほどまで青年が座り込んでいた場所に、飲みかけのミネラルウォーターだけが残されていた。休憩所に向かう途中で置き忘れたのだろう。拾い上げると、墓石の影にあったためか、まだ僅かに冷たかった。
柔らかなボトルには、力の入らない手で握った跡が小さな窪みになって残っている。
彰人はそれを持ったまま、墓石の前に立った。
三枝晴希。
傾き始めた陽を受け、刻まれた名が黒々と浮かび上がっている。晴希が死んで、もうすぐ五年になる。命日まであと僅かだった。
いつものように手を合わせようとしたが、今日はどうしても両手を重ねる気になれない。片手には藤代朔の残した水があり、ポケットの中のスマートフォンには、今しがた手に入れた連絡先が入っている。
警察が事故だと結論づけたあとも、彰人の中では何ひとつ終わらなかった。朔が記憶を失ったと聞いても、それで晴希の死まで無かったことになるわけではないと思った。何も覚えていない人間に問い質しても意味がないと分かっていたから、探そうとはしなかった。
その朔が、偶然、彰人の前に現れた。
死んだ弟の名前を名乗り、彰人を死神と呼んだ。
蝉しぐれの向こうで、陽炎が揺れている。どれほど目を凝らしても、灼けた墓地の出口は歪み、その先に何があるのかは見えなかった。
ともだちにシェアしよう!

