3 / 5
第3話
第三話
「ロブ、ちょっといいか」
リチャードはロバートに声をかけた。
「アボット病院って、政府系の銀行から融資をうけているよな? 財政状況が健全かヤバイか、教えてもらえるか?」
ロバートの父親であるフリーマン公爵が財務大臣になってから揮った大鉈によって、ヘーゼルダイン王国の財政はずいぶんと健全化された。経営状況がよくない企業は、前の財務大臣の時代から半減したとまで言われている。
「あそこなら焦げ付く寸前だな。引き揚げたいけれど、そうもいかないからな。縮小する方向で調整していると聞いた記憶がある」
病院というのは市民生活になくてはならないものだから潰すわけにはいかないけれど、銀行側だって貸した金は返してもらわなければならない。
遠い親戚の子をバース偽造してまでリチャードに嫁がせ、アディンセル公爵家にくいこみたい理由は、金、ということだ。高位貴族の身内扱いになれば、融資を引き揚げられてしまうのは回避できる。あるいはうまくいけば融資を増額してもらえる。
つまり、セシルはかわいそうな人身御供だ。しかし、結婚してからバース偽造がばれれば、リチャードの父は激怒するだろう。偽装結婚を続けることにメリットがあるほどの家柄でもないのだから。
そもそもセシル自身は、バース偽造を知っているのか、それともお前はオメガだと言われて信じてしまっているのか。ベータはヒートが無いのだからいつまでもヒートが来なければ、いずれはわかるだろう。セシル自身が自分のバース性が偽造されているのを知っているのなら、大叔父どもの共犯者だからまとめて処分すればいいので話は簡単だが、信じ込まされているのだったら、結婚相手からオメガじゃないからいらない、と言われてしまうのは、残酷なことだし、離婚するのだって可哀想だ。
セシルと結婚してコリンズとアボットの弱みを握って子飼いにしても、リチャードにはさして旨味は無い。バース偽造を暴いて縁談自体を無かったことにしたいけれど、どっちにしても、可哀想なのはセシルだ。大叔父どもの身勝手に反吐が出る。
リチャードは、結婚したくないわけではない。いつかはしなくてはならないものだし、自分の子どもがほしくないわけでもない。家のためとか金のためとか、オメガを娶って、あらゆる才に恵まれていることがあらかじめ保証されているアルファの子どもをと狂気じみて強制されるのが腹立たしいだけだ。
しかし、本当にそれだけだろうか。
なにかが心にひっかかっている。胸の奥のどこかにある、小さいのに決して消すことができない違和感。
自分はなにか、大切なこと・・・、もの? ひと? を、忘れているような気がする。
ロバートの声を聞いたからか、あの夜のロバートとの話が、脳裏に再生される。見せられた写真も、思い出される。男女の性もバース性も関係無く、心が求める相手を見つけたんだな、と、ロバートの表情を見てわかった。見せられた写真の中のロバートは、すごくしあわせそうだった。想い人の男性も、すごくしあわせそうだった。ちょっと見ただけだけれど、心がじんわりと温かくなった。親友とその想い人の、ふたりのしあわせを願う、やさしい気持ちが自分の中から滲み出てくる気がして、過去に親戚や仕事の付き合いで出席した、見た目だけ派手な披露宴なんかよりもよっぽど、祝う、とはこういうことなのだと、そんな気持ちになった。
あの気持ちは、ただふたりを祝福するだけなのだろうか。それだけではない、あのふたりの他にも、誰かがいる。あれは、誰だ。逆光で顔が見えない。ロバートとその想い人の他にも、誰か・・・。
こころを熱くさせる、あれは誰だ。
セシルはベータなのにバース鑑定を偽造してオメガであると嘘をついて、リチャードと娶せようとしたのだということについて、異母妹のアガサが証拠をとってきた。アボット病院の内情を調査してきたのだ。念写のスキル持ちであるアガサは、アボット一族の系譜や病院の財政状況まで全部調べ上げてきて、ずらりとリチャードの前に並べた。
「セシル嬢の父親は傍系で、アボット一族の中では軽んじられています。セシル嬢がお兄さまに嫁ぐことで、アディンセル家の威光を笠に着て、アボット家内部での自身の存在感を増したいようです」
どんな裏ルートを使ったのやら、女のほうがやることがえげつない。さすがはアディンセル家の血を引く娘だけある。ベータであることが惜しいと父が言うのもわかるような優秀さだ。その言い方を誉め言葉だとしている父には、うんざりするが。
アガサが調べたことを父に暴露するぞと言ってやると、アボットは泣いてリチャードに土下座した。コリンズもうろたえた。
「頼む! リチャード! どうか目を瞑って、セシルと結婚してくれ!」
コリンズとアボットは身も世もなく恥も外聞もかなぐり捨ててリチャードにすがる。セシルをリチャードの妻にすれば、アボットを意のままにできる、というコリンズの思惑もあるらしい。
ベータの娘をオメガであると偽装してまで、アディンセル公爵家に入らせたいのか。そんなことをしたって、アルファの子どもが生まれなければ意味が無い。ヒートが無くアルファの子どもが生まれなければ、バース偽造がバレてリチャードの父親に無理矢理に離縁させられるだろう。バツイチになれば可哀想なのはセシルなのに、アボットはそんなこともわからないのだろうか。呆れて声も出ない。
「その娘自身は、バース偽造を知っているのか? それとも知らないのか?」
「セシルはなにも知らない! わかってないんだよ! だから頼む! 娘には、話さないでくれっ! 自分がオメガだと信じて、リチャード様にお嫁入りできるなんて夢みたいだ、って、喜んでいるんだから!」
子どもはオメガの代理母に産ませる、完璧に書類を偽装して、リチャードとセシルの実子として籍を入れる、そう言ってとりすがるセシルの父に、唾を吐きかけてやりたい。
「つまり、オメガの代理母に産ませた子どもをベータの娘に実子として育てさせます、って、そういうことか? だったら娘が自分はオメガじゃなかったって知るのは時間の問題じゃないか」
「どうせヒートが来なければいつかはわかることだ。結婚してしばらく経ってからなら、問題無いだろう?」
ギリ・・・、とくちびるを噛む。オメガだと言われ、リチャードに嫁ぐことを喜んでいた娘が実は自分がベータだったと知って悲しむことなどどうでもいいのか。その悲嘆にうちひしがれている娘に、夫がよそで産ませた子どもを実子として育てろ、と命令するのか。そこまでして、アルファの跡継ぎを欲しがるリチャードの父に媚び諂うのか。カネのためなら娘をさえ犠牲にする外道の所業に、頭が腐っているのか、と怒鳴りつけたい衝動をぐっとこらえる。
それと。
「俺に、どこの誰かもわからないオメガを抱いて子どもを作れと、そんなふざけたことをぬかすのか」
アルファとオメガの交合は、きちんと肉体を合わせなければアルファの子どもを受精しない。体外受精や顕微授精といった人工授精では、アルファではなくベータの子どもが生まれるのだ。生き物として、医療技術に頼らず、原初ながらの交合をしなければアルファの子どもは生まれない。ジョナサンが人工受精ではなく実際にアルファの男に抱かれなければならなかったのも、それが理由だった。もっともジョナサンを代理母として利用した富裕層のアルファは、ヒートのオメガとヤりまくりたいという劣情も込みで高額の契約に応じていたのであろうことは、想像に難くないが。それはさておき、妊娠中に強いストレスにさらされてもベータが産まれるし、さらなる出産前後の問題点としては、アルファの子は保育器に拒絶反応を示すという。つまり早産は百パーセント死を意味する。きちんと予定日まで十月十日母胎の中でしっかりと育ててから産まなければ、『人の上に立つ才能を有した子ども』は生まれないのだ。もちろん、完璧に月満ちて生まれたとしても、絶対にアルファ、という保証があるわけではない。あくまで他の組み合わせよりはアルファが生まれる確率が少しばかり高くなる、という程度である。
「絶対にきちんとしたオメガの代理母を用意する! 性病なんて絶対無いオメガを、一定期間社会から完全隔離してリチャード以外のアルファとは接触させないでおくよ! それなら安心だろう!?」
それはそれで実験動物みたいに扱って監禁でもしておきそうな話で、ますます気が滅入るし、自分のためにそんなふうに扱われるオメガに申し訳ない。
それを言うと、コリンズは鼻で笑った。
「オメガに申し訳ない? 気は確かなのかね? オメガというのは生殖に特化した、言ってみれば家畜だよ? 金さえもらえればどんなアルファにでもシッポをふって股を開く、アルファを咥え込みたくてフェロモンをまきちらす、猥褻極まりない下等動物だ。そんなものに申し訳ないと思うなんて、アルファなのに意外と気が小さいんだねえ」
呆れた差別意識だ。マジック・レコーダーを持っていればよかった。録音して王宮で大音量で放送してやりたい。オメガ保護法制定に尽力された王太子殿下に聞かせれば、老害の頑迷さにさぞかしうんざりなさることだろう。
なんにしても結婚は、セシルがきちんと成人してからにしてほしい。そこだけはリチャードががんとして譲らなかった。オメガだと偽装するのだから学歴などいらないだろう、カネのかかる貴族学校など中退させてすぐに、と食い下がるアボットを殴るのを我慢したことを、褒めてほしいと、リチャードは思う。オメガはそのように扱っていいのだという差別意識を晒して、恥ずかしくないのだろうか。昔のまま、オメガを不当に扱う年寄りの愚かさ。老害はさっさとくたばればいいのに、と、生まれて初めて心の底から思った。
売春や代理母をさせるフレッドの魔の手からジョナサンを護るために全面的に協力しよう。だからジョナサンにあと一度だけ、代理母をしてもらえないか。妊娠中の生活も、入院も出産も、出産後に身体が回復するまでのケアも、すべて面倒をみる。暴力をふるう父親に絶対に見つからない安全な住居も提供する、というアボットの話を、アルバートとジェフリーはジョナサンに、受けてはどうかと言った。ふたりともベータで男で、だからジョナサンの身体にこれ以上の妊娠や出産がどれだけ負担になるか、わかっていない。
父にやらされていたのとは違って、医療機関がやってほしいというのだから、違法行為ではないのだろうと、ジョナサンもあっさり騙された。医療従事者を信じない理由が、ジョナサンには無い。
ひとつだけ、条件をつけくわえさせてほしい、と頼んでみた。
母の介護をしていると、ジェフリーは今までのようには働けない。だから自分が依頼された出産を終えて自由になるまで、母を入院させてもらえないかと頼んでみると、そんなことならおやすい御用だとアボットは応じてくれた。
あとは、次のヒートが来るまで、自分の身体を少しでも健康にするだけだ。
健康。自分にはもっとも縁遠い言葉のような気がして、自嘲する。生まれてからずっと、健康なんていう状態とは無縁の環境で生きてきた。いまさら、健康なんてどうやればいいのかわからない。
救急救命で運ばれてきて最初に入れられた病室から、別の病室に移された。静かな個室だけれど、入り口の開閉に違和感がある。鍵をかけられているらしいのだ。なんだか閉じ込められているみたいだ。
まがりなりにも病院である以上、父に命令されてどこの誰なのかもわからないアルファの男に凌辱されて妊娠させられ、モグリの助産師の助産施設で出産するよりは、安全なのだろうと、無理矢理に思い込もうとする。
*****
白銀のペガサスが描かれた機体ではない、別の友軍機と、ペアを組まされた。敵の領空で、その友軍機がありえない動きをした。そのせいで、愛機は被弾した。
今まで一度も使ったことなど無かった、脱出装置。
使い方に、一瞬、手間取った。
音速で飛ぶ戦闘機は、まばたきの間に数キロの距離を移動してしまう。脱出に手間取ったのと風向きのせいで、パラシュートは敵地へと流された。捕らえられ、捕虜にされた。
捕虜交換で戻った母国に、自分の居場所は無くなっていた。
*****
「男性オメガ・・・?」
「そうだ。男でもオメガであれば妊娠して子どもを産むことができるのは、知っているだろう? 法の目を掠めて代理母をさせるなら、男のほうがいいんだよ。女だと母性本能が芽生えてしまって、いざ産んでみたらやっぱり子どもを手放したくないって言い出したりするからねえ」
男ならその可能性は低いとアボットは言うが、それはそれで男性オメガに対する偏見ではないだろうか。男性オメガには母性本能が芽生えないと決めつけるのは、ずいぶんと乱暴な話で、非道い差別だと思う。
アボットが前を歩いているのについて行くのは、とてもイライラする。リチャードの脚が長すぎて、アボットを蹴るか、躓いてしまいそうになる。こんな贅肉の塊は転がったほうが速いだろうから、本音としてはさっさと案内しろと蹴り飛ばしてやりたい。
「今はなんで入院してるんです?」
「父親に暴力をふるわれた・・・、だったかな? 下々にはよくあることだ」
下々じゃなくたって、クソみたいな父親はどこにでもいるじゃないか、貴様たちのように、と、リチャードは言ってやろうかと思った。
「ここだ」
一般病棟から少し離れた特別病棟だけれど、政治家や金持ちが使う個室というわけではなくて、それよりもむしろ、事件を起こした犯罪者が怪我をしていた時だとか、自殺未遂者とか、そうしたいわくつきの患者が運び込まれる、一種の隔離病棟。鍵や監視カメラ、拘束用具つきの個室に、その男性オメガは入院させられていた。今は拘束はされていないけれど、錯乱して暴れたりする可能性があるのだと、セシルの父親は言い訳がましく言う。
「なんです、この傷は」
顔を見て最初に思わず言ってしまった。せいぜい往復ビンタ程度だろうと高をくくっていた。殴られて腫れあがって、青痣はまだあざやかだし、口角も切れている。小さな顔は痩せて青白く、上掛けの上にある細い腕にはタバコを押しつけられたらしい痕がいくつもある。首のほうは筋が、その下は鎖骨が、浮き出ているというよりは、皮膚が骨格に張り付いている、といった状態で、痩せ衰えていて、襟から見える胸元にも、傷や痣、古い傷痕が無数に見えていた。
「しばらくの間は、ヒートは来ない。出産直後の衰弱しているところに暴力をふるわれたらしい。骨盤にヒビが入っているし、内臓にもダメージを負っている。だからしばらくはしっかりと体力回復に努めさせて、ヒートが再開するのを待つ」
リチャードの子どもを産ませるための代理母としてアボットが用意した、オメガの男性。リチャードと同じようなプラチナブロンドの髪が、まず目に入った。けれどその髪はリチャードのなめらかなそれとは違って、ツヤも無くパサパサで、老人の白髪のようだった。身体も・・・、ひどく細くて、身体の厚みが、肩幅につりあっていない。不自然なくらいに薄い。布団の下に本当に身体があるのか、と不安になるほどだった。生気の無い肌は枯れ葉のようで、年齢もリチャードよりずいぶんと上であるように見えた。
「・・・こんなんで本当に子どもが産めるんですか?」
「彼はちゃんと実績があるのだ。信用してくれ」
あんたなんか誰が信用するかよ、と心の中で悪態をつく。実績って、ようするに何度も妊娠出産させられたってことだろう、ふざけるなと呆れながら、痩せこけた男性オメガのベッドサイドにあった椅子にどさりと腰をおろす。人の気配に、ジョナサンが目を覚ました。長い睫毛が瞬いて、緑色の眸が現れた。最初、ぼんやりと焦点が合っていなかったそれは、ゆらゆらと目線が泳いで、周囲の状況を見回した。その動きを見ていたリチャードは、生気の無い眸に、一瞬、なにかこころを刺されるような痛みを覚えた。
「おはよう。別に寝ていてくれてかまわない」
目を合わせようともせずに、居丈高に言う男を、ジョナサンはどこかで見たような気がした。すっと鼻筋が通っているので、横顔が美しい。この病棟の担当医かと思ったが、白衣を着ていないし医者の態度や口調ではない。高級そうな、仕立てのよい服。清潔に整えられた髪は自分と同じようにプラチナブロンドで、けれど艶やかでなめらかそうだと思った。にこりともせずにジョナサンを見下ろす碧い眸は、なんの感情も見せず、冷たく無機質だった。
アボットの、不純物が混ざった金属のような耳障りな声が割り込んでくる。
「クロフォードくん。きみにはこの方の子どもを産んでもらいたい。きちんと言うことを聞いて、くれぐれも失礼のないように」
・・・こんな若くて見目麗しいアルファだったら、女性がいくらでも寄って来るんじゃないのかと、ジョナサンは思う。こんな立派な人でも、アルファというのはアルファの子どもが欲しいのか。自分のような使い古しのオメガを代理母として使ってまで。
「・・・はい」
アボットが病室を出て行き、気まずい空気と沈黙が病室に漂った。
「俺の子どもを産むのなら、もっとしっかり食事をしろ」
吐き捨てるように言ってから、後悔する。食事を食べさせてもらえない、あるいは食べ物を買う金が無い、なんて環境は、リチャードには未知のものだ。妊娠したら悪阻で食べられない、ということも、知らない。ジョナサンはビクッと身体を強張らせる。
「すみません・・・」
「いや、謝ることは無い。歳は、いくつだ?」
「三十二です・・・」
尻の青いクソガキと結婚して、こんな年上の使い古しのオメガに子どもを産ませる自分の人生を、投げ棄てて唾を吐きかけてやりたいと、リチャードは思う。
「そんな歳で、妊娠なんてできるのか? 高齢出産じゃないか」
「すみません・・・。でも、これで、最後・・・です」
思いつめたような、絞り出すような声には、生きることになんの希望も無い様子が滲み出ていた。
「代理母などをしなければならない事情でも?」
「ずっと、・・・父にむりやり代理母させられていて、でも、父は今、警備隊に拘束されていますから、今回だけは父の命令じゃなくて、報酬を父に奪われないで、母の治療費に使えれば、もう、こんな仕事、やりません。だから・・・、お願いします。こんな、汚い身体で、申し訳ありませんが・・・」
妊娠を、仕事、と言う。最後のほうは、泣くのを堪えて上擦って震えて消えて、聞こえなかった。しかしリチャードは、ジョナサンの声に、チリ・・・、と心が波立つのを感じた。どこかで聞いたことがあるような気がするけれど、思い出せない。
「アンタ、名前は?」
リチャードは勝手にカルテを手に取ってざっと目を通したが、アボットの字はクセが強くて、名前が読めなかった。訊かれたジョナサンが小さな声で答えたのを聞いて、汚い字を読み取ることができた。直後、アボットがコリンズを案内してせかせかともどってきた。
「リチャード。お父さんと話がついたよ。セシルとの結婚は、籍だけ入れて、セシルが貴族学校を卒業した後で盛大な式をあげようじゃないか。ただ、このオメガをねえ、二年も遊ばせておいても時間の無駄だろう。そこでだ。ヒートが来たら、さっさと子どもを産ませてしまえと、お父さんが仰せだよ」
「は・・・?」
授かり婚とか、今は便利な言葉があるじゃないか、子どもが先にできていたって、なんの問題も無いよ、と言い放つコリンズを睨みつけたが、蛙のツラになんとやらだ。
つまり、若いリチャードよりも老人たちのほうが一枚うわ手だったということだ。セシルのバース偽造のことを父にばらすとアボットを脅し、リチャードは優位に立ったつもりだったが、詰めが甘かった。リチャードにばらされるよりも先に、コリンズのほうがリチャードの父に代理母として使うオメガを確保したからセシルを嫁にすることを確約してほしいと直訴し、まんまとリチャードを出し抜いたということだ。
「ちっ」
リチャードの乱暴な舌打ちに、ジョナサンがビクッと委縮する。自分が怒られたのかと怯えたらしい。虐待されて育った人間には、よく見られることだが、そこに配慮するような優しさは、この場の誰にも無い。
時間をおけば、あの傷だらけのガリガリの身体も、少しは健康になるだろうと思ったが、あの成果至上主義の父親は、オメガの健康状態などどうでもいいのだろう。とにかくさっさと種付けして子どもを産ませてしまえと、そういうことらしい。どこの馬の骨かもわからない下賤のオメガを二年も飼っておく、そんなのは金と手間の無駄だという父の意見は、間違ってはいない。リチャードの子どもでさえあれば、正妻の子だろうと素性の知れないオメガの子だろうと構わないのだ。
病院の長い廊下を足早に歩く。原因不明の苛立たしさを抑えきれなくて、がつがつと乱暴に廊下を蹴るように歩く。
ジョナサンと名乗った、男性オメガ。貧相な、けれど新緑の色の眸だけはとても印象的だった。なぜかひどくなつかしいような気がした。過酷な人生をおくってきたらしい、うつろな表情が、脳裏にこびりついて消えない。痩せて傷だらけの身体。世の中に絶望した、なにもかもを諦めたような表情が、胸を騒めかせる。
アボットは、代理母として実績があると言っていた。本人も、これで最後だと言っていた。つまりは過去に、なんども代理母として妊娠、出産をさせられてきたということだ。しかもDⅤ家庭とか言っていた。あのおびただしい身体の傷は、実の親に暴力をふるわれていたということか。代理母も、父親の命令でやっていたと言っていた。そんな過酷な人生をおくってきたオメガに、同情はするけれど、欲情などできるだろうか。単なる性欲処理にしたって、ドン引きもいいところだと思う。いくらオメガだからと言ったって、男なんか抱けるか、と思う。
アルファの子どもを欲する富裕層のアルファの身勝手の影に、あのように理不尽に身体を酷使されるオメガがいる。聞いて、知ってはいた。オメガというのは、アルファの子どもを産ませるための道具、苗床なのだと、頭では理解していた、つもりだった。
あのオメガが、せめて中流貴族の娘であったならば、年上のバツイチであったとしても父は、メカケにすればいいと淡々と言っただろう。しかし男で、年増で、貧困層の、過去に何人ものアルファにその身体を代理母として使われてきたオメガだ。一発ヤって妊娠させて出産させたらハイ終わり、さようならで、二度と会うことなど無いだろう。あるいは父は、口封じに殺せと言い出すかもしれない。父の性格なら、ありうる。
帰路、めったに立ち寄らない街区に足を向けた。
「お久しぶりですね、リチャード様」
「おう。生きてたか?」
「うちみたいな商売は、いつの世でもそれなりに需要があるんですよ。で、なにを調べろって言うんです?」
「今現在この国には男性オメガはどのくらいいるのか、またその生活実態」
「はあ?」
「それと、オメガに違法に子どもを産ませる富裕層のアルファと代理母を請け負うオメガについて」
「はあ・・・。それって、仕事関係じゃないってことですよね?」
仕事関係で頼むことがあるとすれば海軍工廠に物品を納入する業者の内情調査などで、中でも新規参入の業者や納入した物品が胡散臭かった場合の背後関係を洗う時だ。軍の調査部を動かせない時、ここに頼む。
「まあな。それと、ジョナサン・クロフォードっていうオメガ男性の身許を調べてほしい。成育環境から家族関係、来歴すべて」
「急ぎですか?」
「・・・いや、手の空いた時でいい」
しかしリチャードが辞去すると、マイケルはマジックメッセージを飛ばした。
『アディンセル公爵令息から通常の仕事とは別の調査依頼があったぞ』
返信は無かった。かわりに、送信相手が息せき切って現れた。
「ジョナサン・クロフォードっていうオメガの男性の身許を洗えってさ」
マイケルはミヒャエルだった前世、ヨナタンに会ったことはない。義弟だったアルトゥルから話だけは聞いていたが。
「ヨナタンなのか?」
「わからん。リチャードには前世の記憶は無いんだからな。そのジョナサン・クロフォードという人物がヨナタンだとして、いったいどこにいるんだ?」
「それも含めて調査しろと言っているのではないか? とりあえず病院関係はお前に頼みたい。それと、オメガに違法に子どもを産ませる富裕層のアルファと代理母業の実態について。役所と警備隊は俺とジェニーがやる」
「わかった」
アーサーは、茫然と考え込む。
「ヨナタンが、オメガ・・・?」
ともだちにシェアしよう!

