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第12話

後日談 第一話  ヘーゼルダイン王国から帝国までは、旅客船でひと月と十日かかる。 「軍艦なら旅客船よりも速いだろう?」 「そりゃあそうさ」 とは言いつつ、リチャードはちょっと目線を泳がせた。なにせ海軍を辞めたのは十年以上前だ。軍事技術というのは日進月歩だから、リチャードが士官だった頃よりも、軍艦はおそらくぐんと性能が上がっているだろう。あの頃はヘーゼルダイン王国海軍の軍艦でひと月、帝国の最新型の高速軍艦でも二十五日を切ることはできなかったはずだ。  今はひょっとしたら、二十五日を切れるかもしれない。  そして。 そのうち前世のように空を飛ぶ技術も開発されて、空軍も創設されるかもしれない。  帝国にもヘーゼルダイン王国にも、空軍は存在しない。この世界には、空を飛ぶという概念が存在しないのだから。  前世の記憶がある者は、めずらしいと言うほどではないが多いというほどでもない。仮にあっても、リチャードやジョナサンたちと同じ世界の記憶とは限らない。  前世、アメルハウザー皇国で生きた者であっても、記憶がある者と無い者がいる。後になって記憶がよみがえる者もいる。  アメルハウザー皇国やその他の、空軍が存在する世界の記憶がある者がしゃべらないかぎり、この世界には空を飛ぶ飛行機や兵器についての概念は、存在しないのだ。  それはさておき。  リチャードから命を移譲されたジョナサンがよみがえり、リチャードがベータになってから二年。ようやくふたりの周囲も静かになった。  二年前の今頃は、まだ、アディンセル公爵邸から出ることすらできなかった。ダブル・アルファから十年の歳月をかけて命を移譲されたオメガとして、世間の、世界中の耳目がジョナサンに注がれていると言って過言ではない状態だった。  ダブル・アルファから命を譲り与えられた、奇跡のオメガ。ダブル・アルファで筆頭公爵令息であるリチャードが、自身の稀少な存在価値を投げ出してまでよみがえらせた最愛の男は、今、傷ひとつ無い健やかな身体で、隣に立っている。しかも、死んだときの年齢から老いていない姿で。  この笑顔を、どれだけ希求しただろう。この笑顔を見るためなら、地位も財産もいらない。生まれ変わっても必ずという前世の誓いを、リチャードは叶えた。十年の長きにわたって、生きることを諦めてしまった悲しい身体に熱を、命を注ぎ続けて、取り戻したのだ。  一度は喪われた命を。  もう一度抱きしめるために、アルファである自分を投げ棄てた。  思い出した以上、迷いなど微塵も無かった。  自分が前世を思い出さない間、理不尽な苦労を余儀なくされていたジョナサンを、リチャードは幸せにするのだ、これから、生涯をかけて。  もっとも当のジョナサンは、リチャードが前世の記憶をとりもどして自分を思い出してくれた、アルファである自身を投げ出してまで求めてくれた、リチャードのそばにいさせてもらえる、もうそれだけで充分だと思っている。多くは望まない。リチャードにまた愛されている、それだけで幸せだ。前半生があまりにも不遇で過酷だったからか、ささやかな普通の生活を、これ以上ないほど幸せだと言って微笑む。  その笑顔を見ると、リチャードは胸がいっぱいになるのだ。  ジョナサンは、一度は諦めてしまったのだ。時空を超えた想いも、自分の命さえも。  前世で、あまりにも人を殺し過ぎた。戦時中だったから、パイロットだったから、出撃命令を拒否なんてできないから不可抗力だったのだけれど、それでも、人を殺した罪は、転生しても拭えない、許されないと思った。だから、不遇だったのも、オメガとして虐げられ、売春をさせられたり代理母として胎を使われたのも、仕方のないことだったのだと、記憶がよみがえってから、思っていた。前世で殺した命には到底、届かないけれど、新しい命を生み出したことが贖罪になったなら、それでいい。前世の記憶がよみがえってからずっと、そんなふうに考えていた。  リチャードに記憶が無いなら生きていても仕方が無いし、存在自体、消してしまおうとして、森に分け入った。不埒者たちに襲われたのは想定外だったが、捨て鉢になっていたし、どうせ汚れた身体だったから、どうでもよかった。  しかしリチャードの前世の思念が、白銀のペガサスの姿で時空を超えて顕現した。  もう一度、一緒に空を飛ぼうと、連れて行ってくれた。こころないアルファに好き勝手に使われ、穢された身体を棄てて、一緒に行こうと言われ、その翼に魂を乗せた、はずだった。 そして十年の歳月をかけて、リチャードがよみがえらせてくれた。ダブル・アルファである自身を投げ出して、自身の命を移譲して、ジョナサンを求めてくれた。だから、こうして一緒にいる。  リチャードはずっと、訊いてみたいと思っていた。あの時、白銀のペガサスの背に乗って、空を翔けたのかと。  訊こうとして、できなかった。  前世の自分に嫉妬・・・したなんて、なさけないけれど、そうなのだと、認めざるをえない。思い出した以上、なおさらだ。  ジョナサンが好きで、たいせつで、だから悔しくて自分が許せない。ずっと、思い出さないままだった自分を、殴りつけたい。殴ってもジョナサンがしてきた苦労の百分の一にもならない。  だから絶対に、ジョナサンを世界一幸せにする。ジョナサンだけじゃない、世界中は無理だろうけれどヘーゼルダイン王国の今を生きるオメガ、これから先、生まれてくるオメガが、理不尽に差別されないように、国王やロバートと協力していく。  此度の帝国行きは、そのための一環でもある。リチャードは若い頃に留学や海軍の合同演習などで何度か訪れていたけれど、アーサーやクライヴをはじめ義理の、そして実の息子は、初めて帝国の地を踏むのだ。先進国の空気や文化を、しっかりと学んでほしい。  ジョナサンは、当然だが帝国に行くのは初めてだ。  記憶がよみがえったリチャードに、命を移譲された。諦めたつもりだった人生は終わらず、ぼろぼろにされた身体は完全にリセットされたきれいな状態に、復活したジョナサンは、もう、誰かに利用されたり虐げられることはない。リチャードが護るから。  ダブル・アルファだった自身を棄ててまでジョナサンを欲したリチャードは、ベータになった。後悔しないのかと問うジョナサンに、お前をまた抱きしめるためなら、ベータになるくらい些細なことだと笑った。  リチャードがジョナサンだけにかかりっきりになっている間に、さまざまなことがあった。 ロバートは最年少で副宰相に就任した。  アーサーは、非常勤ではなく常勤になってほしいと請われて、アボット病院の外科部長になった。これは、リチャードが起こしたリセットによってアルファの医師が数人、ベータになって老化して、治療、特に外科手術に支障が出たからだ。医師という社会的地位のある者の中にも、オメガを差別する者達がいたのだ。  アリスとアガサはそれぞれ良縁に恵まれて嫁ぎ、セシルはいつの間にか、リチャードの実弟のハーヴェイと想い合う仲になっていた。  幸い、弟のハーヴェイはベータであっても非常に優秀だし品行方正で、公爵家の相続を快く引き受けてくれた。弟がセシルを幸せにしてくれるなら、こころから祝福するし、公爵家の財産に執着などない。  リチャードは、ジョナサンさえいてくれれば、爵位も財産もいらない。  アルファでなくなってしまったことは、ちょっとだけ寂しい。それは能力や存在価値としてではなくて、ジョナサンがオメガだから。ベータになってしまったリチャードは、ジョナサンのフェロモンを感知できないし、つがいになることもできない。それだけは、ちょっと切ない。  しかしジョナサンは、そんな憂いを一蹴する。 「アルファだからお前が好きなんじゃない。お前だから好きなんだ」 そもそも前世は、第二の性など存在しない世界だったのに、惹かれ合い、愛し合ったのだから。  リチャードは前世よりも小柄で華奢なジョナサンを抱き寄せ、自分の膝の上に座らせる。 「帝国に着いたら、婚姻届を出そう」 「婚姻届?」 「観光客向けのサービスがあるんだよ。法的な効力は無いけど、帝国内においては夫婦だと認められて、新婚限定とか家族限定のサービスが受けられるそうだ」 「へえー」 ヘーゼルダイン王国も、リチャードとジョナサンの一件があって、オメガの尊厳を侵すような犯罪や、離婚やつがいの解消には重い罰則が科せられるようになった。しかし、アルファとオメガではない同性愛に関しては、やっと先月、同性婚が認められたものの、まだ法律施行には至っていないのだ。  ジョナサンはその法律について、アーサーから聞いてはいたけれど、自分がリチャードと結婚できるなんて、考えもしなかった。そもそも平民だし、一回死んでいるのだ。十年間死んでいた間に弟のジェフリーが自分よりも年上になっている。こんな妙な存在が、栄誉ある公爵家の惣領息子であるリチャードと結婚なんてできるはずがないと思っていた。ただ側にいられれば、それでいいと思っていた。  しかし、ロバートが尽力した結果として、議会はアルファとオメガではない同性婚も承認せざるをえなくなった。同性婚を認めない議員は差別主義者であるとされ、国王への拝謁がかなわなくなり、のみならず傘下の商会が帝国から交易を拒否されるようになった。工場や鉱山労働者が、差別的な風土の職場で働きたくないと辞める者が続出した。他方、男女差別が無い、オメガ差別も同性愛差別も無い経営者の商会や工場はどんどん栄えて富み、業績は飛躍的に向上した。  近い将来、ヘーゼルダイン王国でもアルファとオメガではない同性婚ができるようになる。  ただ、リチャードは待てなかった。ジョナサンを取り戻すために十年も待ったのだ。もう待てない。一刻も早くジョナサンを公的にも自分のものにしたい。アルファではなくなってしまったから、つがいになれない。だったらせめて、結婚はしたい。  だから蜜月旅行のつもりで、帝国に行くことにしたのだ。  前世のヨナタンよりも細いジョナサンの腰に手を回し、抱き寄せる。  くちびるをかさねる、寸前。 「義父上、人目がありますゆえ、ご自重ください」 クライヴの声がして、ジョナサンはパッと上半身を引いた。が、リチャードは逆に腕に力をこめる。 「放せ」 「いやだ」 この船旅が始まって、もう三週間だ。甲板員や乗組員、他の乗船者、八割方は、名前や顔、身分や人間関係など、ひととおりは知れ渡っているだろう。いちゃついているところを見られるくらい、些事だ。・・・と、リチャードは思うけれど、ジョナサンはそうはいかない。 「立場をわきまえろ」 前世の記憶がよみがえってから、ジョナサンは前世の、ヨナタンの時の常識とか考え方、性格に寄った。今世の前半生、あまりにも陰惨だったから、記憶が曖昧で、だから思い出した前世の性格が、強く出るようになった。  それはいい。  しかし、前世よりも華奢で可憐な容姿なのにアメルハウザー皇国空軍エースだった傲慢で男くさい口調で話すのは、できれば勘弁してほしいと、リチャードは、ちょっぴり思う。  公爵家の跡継ぎの座を弟に譲ったリチャードは、今、母がたちあげたテレビ局のエグゼクティブ・プロデューサーという肩書で働いている。この役職はアディンセルテレビ局独自のもので、他のテレビ局には存在しない。  リチャードは正式な役職は取締役専務で、いずれは経営陣に入る。しかし今は、経営にはタッチしていない。エグゼクティブ・プロデューサーの肩書で、ある一点についてだけ局内の百パーセントの実権を任されている。  それは、自局内においてオメガ差別を許さないという項目である。リチャードがオメガ差別だと判断した番組は放映させない。また、オメガを虐待した経歴のある人物は採用しないし、どんなに有名な俳優や歌手でも、オメガ差別を改めることができないなら出演させない。そのための絶対的な権限を有している。  オメガ差別を絶対に許さない。それが、アディンセルテレビ局の理念であり、そのすべての責任と権限を、リチャードが任されているのだ。  当然、賛否両論はある。何故なら、アディンセルテレビ局をたちあげた直後、代表取締役であるアディンセル公爵(夫であった公爵の失脚後、夫人が正式に当主として公爵になった)主導の下に開局特別番組として制作されたのは、リチャードとジョナサンの顛末を題材としたドラマだったからだ。前世が空軍のある世界だったことはぼやかされ、アリスが見た天使だったという夢を前世とした設定の、壮大なファンタジーになっていたが、オメガ差別反対を謳っていながらオメガが虐げられるお涙頂戴劇を放映するのかという非難は、あった。  しかしそんな非難など消し飛んでしまうほどの反響があった。ジョナサンの役を演じた無名の若手俳優は反響の凄まじさによって一躍トップスターになり、実際にはベータなのに世間ではいまだにオメガだと思われているほどだ。オメガ差別撲滅キャンペーンの広告塔にされたり、講演会の依頼などが、一時期は引きも切らない状態だったらしい。また、そのドラマはヘーゼルダイン王国から帝国への輸出コンテンツでは最大のヒットとなり、帝国で高い評価を得て、大きな賞を受賞した。  リチャードはダブル・アルファではなくなった。普通のアルファですらない。ふたつあった命のひとつをジョナサンに譲って生き返らせたことによって、ベータになった。だからもう、ジョナサンのうなじを噛んだとしてもつがいにはなれない。  そのリチャードの役を演じたのは、演劇界のサラブレッドと言われる俳優で、ドラマのあまりの反響に、一時は俳優人生が危うくなった。何故ならその俳優はアルファで、アルファなのにオメガに媚びるのかと親族や周囲の者たちから突き上げられたのだ。  しかしそうした声も、ドラマが帝国で高い評価を受け、大きな賞を受賞したことで、小さく弱くなった。作品賞だけではなく主演男優賞を受賞した、初の外国作品となったからだ。しかも帝国でも高名な舞台監督から請われてその監督の作品に主演することが決まった。ヘーゼルダイン王国出身俳優として初の、帝国舞台への主役出演者となったのだ。  帰国後、王宮に招かれて快挙を讃えられ、文化人であれば欲してやまない最高位の文化芸術勲章を授与され、国王から直々に、我が国の演劇史上最高の逸材である、オメガ差別をするような古い価値観の者達を駆逐してほしいとのお言葉を賜って、以後、演劇界の若き帝王として、順調にキャリアを伸ばしている。アディンセルテレビ局のドラマにもたびたび出演している。  船の甲板から紺碧の海を見ながら、そんな嵐のような来し方を振り返る。過ぎてしまえばもう、昔の話だ。  だからふたりっきりで、帝国への蜜月旅行・・・、の、はず・・・、だったのだ、が。  ロバートとアーサーがいる。アリスとアガサと、それぞれの連れ合いがいる。クライヴとセドリックとギルバートとロジャー、サミュエルもいる。かつてリチャードの副官だったハロルドが、この船の艦長室にいる。  とどめに国王と王妃までいる。当然、専属護衛であるデイヴィッドもいるし、今ではジョナサンよりも年上になってしまった弟のジェフリーもいる。  乗船している船は、定期運航の通常の旅客船ではない。軍艦だ。軍艦なのに軍人や甲板員だけではなく王族と民間人を乗せて帝国への航路を、波しぶきを蹴立てて進んでいる。  民間人とはいってもほとんど貴族で、平民は自分と弟くらいだろう(と、ジョナサンは思っている)。国王夫妻と、忠臣の中でも国王夫妻とプライベートでも親しい者たち、それから特に選抜された士官候補生や学生たちが乗船しているのは、耐用年数を超過して引退が決まった、古い軍艦だ。引退航海と称して、帝国へ向かっているのだ。  軍艦は圧縮魔力による特殊な内燃機関を動力としているので、引退させて廃船とするにしても、王国ではできない。圧縮していない魔力の内燃機関が使われている中型や小型の船のように沖合に沈めて漁礁とすることは、約定違反になる。造船元である帝国の海軍工廠で正式な手順で解体することが、譲渡の時の契約で定められているのだ。圧縮魔力の放出による環境破壊を防ぐためだ。  廃船になる古い軍艦に国王と王妃が乗船するなど、普通はありえない。  しかし今回の帝国行きは、ただ単に廃船を返却に行くだけではないのだ。  古い軍艦を引き渡し、新たに譲り受ける最新式の軍艦を引き取る調印式に臨み、新しい軍艦に乗船してヘーゼルダイン王国に帰る。それは、帝国とヘーゼルダイン王国との新しい一歩を意味する。何故なら、帝国の数ある同盟国の中でヘーゼルダイン王国が最初の、最新式の軍艦の譲渡先となったからだ。  帝国の造船技術は他の追随を許さない。圧縮魔力を使った内燃機関の技術の精度もあり、世界中どこの国も真似はできない。どこの国も帝国製の軍艦を欲しているが、今までに譲渡されたのは技術的に二世代三世代前のものだけだった。最新鋭の軍艦の譲渡は、正真正銘、今回が初なのだ。だから帝国への敬意と感謝を表して、国王夫妻が調印式に臨むことになったのだ。 「まあ、妃殿下のお里帰りって意味でもね」 王妃ブリジットは、帝国の第三王女として生まれ育った。側妃腹ではあるが、当代の王女たちの中でも群を抜いて魔力が高く、レアスキルの持ち主でもあった。そして王族にはめずらしい、恋愛結婚を成し遂げた存在でもある。王妃の存在が、此度の最新型の軍艦譲渡先としてヘーゼルダイン王国が選ばれた理由として大きい。  御自身の王子王女がある程度成長して手がかからなくなったといった状況もあって、此度の里帰りが実現したのだった。

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