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第15話 -最終話-
慌ただしく帰っていった綾たちを、玄関まで見送った恭吾がリビングに戻ってくる。
静寂が訪れた。
すべて、千冬の勘違いだった。奥さんだと思っていた綾は妹で、楓はネコだ。
呆然とする立ちつくす千冬の横で、恭吾はソファーに腰をかけ脚を組む。
「で? なんだったっけ? 俺が結婚してるとか子どもがいるとか……」
「僕の勘違いでした……」
穴があったら今すぐ入りたい。入ったら蓋をして中から鍵をかけて、もう二度と出てきたくない。
恥ずかしさで、白い肌が赤くなっているのがわかる。
「俺が興味があるのは『僕は都築さんが……』の続きだな」
「…………なんでもありません。忘れてください」
千冬は俯く。
既婚者の恭吾に勢いで告白して、さっさと玉砕してしまおうと思っていたさっきまでとは状況が違いすぎる。
楓が、テーブルの脚に立てかけてあった千冬の鞄に顔をすり寄せる。
その軽い衝撃で、千冬の鞄が倒れ、中に入っていたものが滑り出た。
2人の視線が同時に注がれる。
「これは……」
鞄から滑り出た、退職願と書かれた封筒をソファーから立った恭吾が拾い上げる。
千冬は、ばつが悪そうな表情をする。
「佐宗、理由の説明を」
「一身上の都合です」
「そんな書面上の話を聞きたいんじゃない……」
千冬は頑なに口を割ろうとはしない。
恭吾は深く追及することを断念し、机上の書類を一枚、千冬に手渡す。
「これ、下半期の各プロジェクトのメンバー表だ。もうすぐ発表する予定だが、特別に先に見せてやる」
新規プロジェクトの欄に、プロジェクトマネージャーに都築恭吾、プロジェクトリーダーに佐宗千冬の名が記載されていた。
「僕はプロジェクトリーダー失格なんじゃ……」
「そんなわけないだろ。おまえはよくやってる。頑張りすぎなぐらいに。退院して来た日、強く言い過ぎた……悪かった。……でも、あのくらい言わないと、プロジェクトから外すことに納得しなかっただろう。 佐宗はみかけによらず頑固だからな」
大きな手で、千冬の髪をくしゃくしゃと撫でる。
千冬の好きな恭吾の手だ。それだけで涙が出そうになるのを千冬は堪えた。
書類の一番下に異動(大阪支社)遠藤聖の文字があった。
「遠藤さん、異動ですか?」
「ああ、大阪支社からリーダークラスの人間がほしいという打診が、前々から人事に来ていたらしい。人事から聞かされていた第一候補はおまえだ。俺としてはせっかく一緒に働けるようになったおまえを、みすみす大阪に行かせたくなかった……。退院したばかりで、ゆっくり休ませたかったのも勿論だが、とにかく候補者から外したかった。だから異動の条件を満たさないように、一時的にリーダーから外した」
恭吾は人の考えを軽く凌駕する。
「変わりの人材を考えたときに、適任がいたからな。発破をかけて、リーダーにした」
悪びれる様子もなく語る。
策士だ。
遠藤は恭吾の巧妙な罠に嵌められたのだ。
きっと異動の話を聞かされたとき、遠藤は地団太を踏んで悔しがることだろう。
「佐宗はもう俺とは一緒に働きたくないか?」
思いがけず恭吾の気持ちを聞いた千冬に迷いはなかった。
「一緒に働きたいです……」
「もう、これはいらないな」
恭吾は手に持っていた千冬の退職願をビリビリに破り、灰皿に捨てた。
ジッポーで火をつけると、赤い炎が立ち昇り、瞬く間に退職願は灰と化した。
「都築さん……」
恭吾の瞳をしっかりと見つめ、千冬は一度長く息を吐く。
「あなたのことが好きです……」
恭吾は破顔すると、千冬を抱きしめる。
千冬の耳殻をねっとりと舌を這わすと、低い声で千冬に尋ねた。
「俺のパートナーになってくれるか? 公私ともに」
「喜んで」
千冬の緊張した表情が、綻んだ。
恭吾の背中に腕を回し、千冬は恭吾の口づけを深く受け入れ、身を任せた――。
― END ―
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