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第14話

 玄関から続くドアを勢いよく開け、走ってきたのはボブヘアの小さな女の子だった。  恭吾はしゃがんでその子を受け止め、抱き上げる。 「待って、ママも行くから……」  女の子を追ってリビングに入ってきたのは、長い髪を無造作に後ろに束ねた女性だった。 「あれ、お客さん? 珍しいね」  つぶらな瞳の女性は千冬に会釈をする。 「綾、こいつが佐宗だ」  恭吾は綾に千冬を紹介する。  綾は、結婚指輪を失くした時に、恭吾が電話で必死に謝っていた相手……つまり恭吾の奥さんだ。 「兄がいつもお世話になってます。指輪を見つけていただいてありがとうございます」  満面の笑みをたたえ綾は、千冬にお礼を言う。 「え、いえ…………え? 兄?」  一瞬、自分の耳を疑った。  綾は恭吾のことを『兄』と言ったのだ。  綾が妹なら、恭吾の結婚指輪のことでお礼をいうのかわからず、千冬はしどろもどろになる。 「兄がずっと嵌めてた結婚指輪、実は私の主人のなんです。(みやび)が、主人の指輪で遊んでて、ちょうどその時に近くにいた兄に面白がって嵌めたのはいいけど、抜けなくなってしまって…………本当、お恥ずかしい話です」 「雅……ちゃん?」  初めて聞いた名前に千冬は戸惑いを隠せない。 「この子です。3歳なんですけど、なんでも触りたがって……」  恭吾が抱き上げている女の子を指し示す。 「楓ちゃんは……?」  恭吾の子どもは『楓』という名だったことを記憶していた千冬は、考えるより先にその名前が口をついて出た。 「主人が車を止めてから連れてくると思います。ちょっと待っててくださいね」  綾はとてもにこやかで、素敵な女性だ。  結婚指輪を一度でも捨てようと思った自分を千冬は恥じた。 「病院に連れて行ってもらって悪かったな。楓の具合どうだった?」  恭吾が綾に尋ねる。 「食べ過ぎでお腹壊してただけみたい。あ、これ忘れないうちに返しておくね」  綾はさきほど使ったマンションのスペアキーをテーブルに置く。  綾がお昼に会社に来たのは、結婚指輪を受け取るためだったが、同時に恭吾から体調が思わしくない楓を病院に連れて行くように依頼を受けていた。 「恭吾、こいつ前より重くなってないかー? 太らせ過ぎだぞ」  ほどなくして、ペット用のキャリーケースを片手に持ち、恭吾と同じぐらい身長がある綾の夫が部屋に入ってきた。 「気のせいだ。楓は前からこの重さだ」  キャリーケースから優雅に出てきたのは、アメリカンショートヘア―だった。  千冬を見上げる目は、恭吾によく似た綺麗な緑色をしていた。 「あれ、お客さん? 珍しいな」  千冬の姿を見ると、綾と全く同じ反応をし、恭吾を見る。 「………………佐宗、だ」  綾に紹介した時とは違い、しぶしぶ千冬を紹介する。 「おぉ! 君が噂の佐宗くん! お会いできて光栄です。山城(やましろ)桂佑(けいすけ)と申します」  噂の、というのは聞き捨てならなかったが、それ以上に、名乗った相手の苗字に反応した。 「山城って…………もしかして」 「弟の俊平がいつもお世話になってます!」 「!!!!!!!」  千冬の驚きは声にならなかった。  あの時感じた違和感はこれだったのだ。  昔から知っているような口ぶりは、千冬の思い違いではなく、親戚だったからで、前に熱く語っていた恭吾の個人情報も、社内報云々の話が本当か嘘かはこの際関係なく、元々知っていたのだ。 「こいつは高校時代からの親友だ。まさか綾と結婚して身内になるなんて思いもしなかったが……」 「まさか、なんてことないだろ。こんなステキな俺を放っておくほうがどうかしてる」 「はっ。婚約中に綾を泣かせたことを忘れるなよ」  5年前、桂佑が浮気している、と泣きながら電話をしてきたことを、恭吾は強く覚えている。  その後、会社の前で待ち合わせたが、綾は恭吾の胸で泣くばかりだった。  子どもをあやすように綾を撫で、そのあと泣き止んだ綾を連れて桂佑のマンションに殴り込みに行ったのだ。 「もう! 2人とも雅の前でそんな話しないで!」  恭吾から雅を取り上げ、綾が2人を叱責する。  大きな体格の2人が身長の低い綾に怒られて肩を落としている光景が、滑稽で千冬は久しぶりに声を上げて笑った。

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