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第13話
恭吾は追いつくと、千冬の腕を掴んだ。
蒼白な顔色の千冬の前髪から雫が落ちる。
「風邪引くぞ」
恭吾は傘をさすと、千冬に差し出す。
「あの日も雨が降っていて……それで風邪ひいて…………」
雨が降ると、どうしても過去の記憶が蘇る。
恭吾は『あの日』がいつのことを指しているのかがわからない。
ただ、そっと千冬の話に耳を傾けた。千冬は言葉は独白に近い。
「最終面接に……行く前に……倒れた……」
右目から涙が零れ落ちた。
回想するかのように、一つずつ言葉を紡ぐ。
佐宗千冬が、最終面接を無断欠席した。その情報は一次面接の面接官の一人でもあった恭吾の耳にも入っていた。千冬が約束を故意に破った、と恭吾はその当時ひどく落ち込んだ。
「倒れた……せいで……全部失った。あの時も、今回も……」
苦しい気持ちが吐露される。
「どうしてこんなことになったんだろう……こんなはずじゃなかったのに……」
恭吾の下で働くことを切望していた。
大学時代の運命を狂わせたあの日。最終面接前日。
あの日、恭吾の姿を見に行くことなく、翌日の最終面接に挑んでいたら、千冬は恭吾の勤める会社に受かっていたかもしれない。
自分の心の声に耳を傾けることなく、尊敬する先輩として恭吾を慕い、一緒に笑いあって仕事ができたかもしれない。
恭吾が結婚していても、子どもがいても祝福できたかもしれない。
そして、恭吾に再会しなければ、昔の片思いとして片づけられたかもしれないのに。
「あなたと出会わなければ……よかった」
こんな苦しい思いをするなら――。
苦しい。苦しい。
助けて―――。
悪夢から、千冬は目を覚まし、身を起こす。
フロアライトが部屋を照らしていた。
千冬は部屋を見渡した。見たことがない部屋だった。
しかし、よく知っている匂いが鼻を掠め、この部屋の主は恭吾だということがわかり、安堵のため息をつく。
サイドテーブルのデジタル時計に目をやると、19時を少し回ったところだった。
恭吾が女性と話をしていたのを目撃したあとから、千冬は記憶が飛んでいる。
なぜここにいるのかが、よくわからない。
ベッドから降り、引き戸を手にかける。
寝室の正面は玄関ホールになっており、左右にのびる廊下の先にはそれぞれドアがあった。
右の突き当りにあるドアから、少し明かりが漏れていることを確認し、千冬はそちら側に歩みを進めた。
千冬がドアを開くと、恭吾の姿が目に入った。
ドアの音に気付いたのか、膝の上に乗せたノートパソコンから恭吾が顔を上げる。
「やっと目が覚めたか……」
いつもとは違いポロシャツにテーパードパンツとラフな格好をしていた。
ノートパソコンを閉じ、書類が散乱したテーブルの上に置き、千冬に歩み寄る。
「倒れたとき、心臓が止まるかと思ったぞ」
「すみません。ご迷惑をおかけしました……」
千冬が倒れた後、医務室に連れて行こうと恭吾は一瞬思ったが、それを止め自分と千冬の午後休を総務に申請した。会社には遠藤がいる。もし医務室に千冬を眠らせていたら、また何が起こるかわからないと思い、千冬を自分の家に連れて帰ってきた。
「そういえば、午前中言っていた、話ってなんだ? 差し支えなければここで聞くが」
「あ……」
奥さんや娘は外出しているのか、他に人の気配はない。
伝えるなら今しかないと、千冬は腹を括った。恭吾の深緑色の瞳を直視し、口を開く。
「都築さんが結婚してるのも、娘さんがいるのもわかってます……。だけど、僕は都築さんが……」
インターホンが来客を告げる。
その人物は鍵を持っていたようで、少し間をおき、鍵が解錠される音がする。
玄関から女性の声と、女の子の元気な声が響いた。
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