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Ⅲ 沈黙のヴィーナス
グレアムに見送られながら農園を後にし、二人は再び車へと乗り込んだ。いつの間にか陽は大分傾いてしまっていた。
「あっ、苺、もらえなかったことを母さんに伝えないと」
海沿いの道を走り出してからエドウィンが気づいてスマホを取り出し、メッセージを送信する。
「これでよし、と」
「わけあり品をもらえなかったのは残念だったな」
「仕方ありません。……けれどさっきは本当に、ありがとうございました。ユリウスさん」
「なあに、お役に立てて嬉しいよ」
「今度、お礼させてください。俺にできることなら、何でも」
――何でも?
ユリウスの心臓がどくん、と跳ね上がった。行きの車の中で自身の好意がエドウィンに伝わっていたことを知ったばかりで、今は車内に二人きり。
――もしここで自分が望めばキスくらいさせてくれるだろうか?
という期待が膨らむ。だがそのとき、そんなユリウスの甘い期待を切り裂くように、スマートフォンの無機質な着信音が鳴り響いた。
「……電話に出てもいいか?」
「ええ、もちろん」
ユリウスは内心の落胆を隠して通話ボタンをタップし、スピーカーモードに切り替えた。
「ユリウスだ」
『ヴァルム美術館の警備員、ニールです。ボス、大変なことが起きました!』
電話に出た瞬間、車内に焦燥しきった男の声が響く。
ヴァルム美術館はヴァルム・コンツェルンが所有する、チャコールグレーの箱型の外観がモダンな、双子が通う国立大学と同じ都市にある美術館である。大学からそう遠くないため、エドウィンも知っていた。
「落ち着け。大変なこと?」
『実は……』
とニールは話し始めた。
『現在開催中の企画展の目玉である、著名な彫刻家のブロンズ像“沈黙のヴィーナス”が何者かに触れられた形跡があります。警備の巡回が途切れたわずか二十分の間の出来事です。像が台座から数センチずれていました。しかし……不可解なことに、盗まれたわけでも、傷つけられたわけでもないのです』
「実質的な被害がないから、警察も呼べないということか」
『はい。ですが、何かがおかしいのです。私の勘ですが、嫌な予感がして……』
「……わかった。今からそちらに向かう」
ユリウスは短く告げて電話を切った。そして隣のエドウィンを見て、すまなそうに眉を寄せる。
「聞いての通りだ。せっかく君の街へ遊びに来たというのに、これから私はヴァルム美術館に行かなければならない」
「俺も行きます。協力させてください」
「何? だが、これは我が社のトラブルだぞ」
「あなたは先ほど、見ず知らずのヴィスタの人たちのために動いてくれました。今度は俺があなたの力になりたいんです」
エドウィンの真摯な言葉に、ユリウスは胸を衝かれた。
「……そうか。では頼む」
「はい。それと、ルーも連れて行った方がいいと思います。あいつ、けっこう鋭いところがあって……人が気づかないことに気づくこともあるので」
「そうなのか?」
「ええ。だから、一度俺の家に寄ってもらえませんか?」
「わかった」
ユリウスは頷き、海沿いの道を街へと走り続けた。
ベネット家に着くと、祖父の車であるグレーのセダンが停まっていた。
「あ、じいちゃん、帰ってきたんだ。ユリウスさん、俺とルーはじいちゃんの車で美術館へ向かうことにします」
「そうか、わかった」
確かに自分の車一台で向かったら帰りは彼らを送らなければならず、
――どのみちルーが一緒ではエドと二人きりになれないだろうし。
そんな思いもあって、ユリウスはエドウィンの提案を受け入れた。
「俺、ルーを呼んできます」
エドウィンは車から降り、家の中へと入っていった。
少しして、エドウィンがマリルーを連れて家から出て来ると、ユリウスに頷いて見せたので、彼も頷き返して車を発進させた。
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