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パパ、ドラゴン飼ってもいい!?

 ミンミンミンミン……  鬱蒼と茂る森の中。四方八方の木々から響く蝉の声が、余計に暑さを増幅させる気がする。息を吸うと、土の濡れた匂いが口のなかにまで広がった。 「ふぅ……」  鏡野恭平はジーンズの膝に手をつき、眼鏡をずらした。黒髪をかきあげ、こめかみを垂れていく汗を拭う。昨晩ゲリラ豪雨があったせいか、朝なのに湿度が高くてかなわない。ちょっと家の裏山に登るだけのつもりが、5分もたたないうちに汗だくだ。 「パパー! 早くしてよ!」  顔を上げると、3メートルほど先で半袖短パンの「虫取り小僧」が跳ねている。息子の朝陽だ。小学1年生になって随分と大きくなったものだと思っていたが、買ったばかりの虫取り網よりまだ背が低いところを見るとまだ子供である。 「ねえ! カブトムシいなくなっちゃうじゃん! 先行っちゃうよ!!」  恭平と似た黒髪を汗でとがらせ、大きな目で朝陽は不満を表してきた。 「ちょ、ちょっと……!」  走り出す朝陽を追う。35歳にもなると、走るだけでしんどい。普段は在宅で通勤すらしないのだから尚更である。 (……でも、きっとこうやって親に甘えてくれるのも今だけなんだよな)  その親も、自分しかいない。そう思うと、頑張らないという選択肢はない。 「危ないから! 待って!」  しかし、制止の声も聞かず走っていく朝陽の姿はどんどん遠くなり、獣道の藪の向こうに消えてしまう。 「うわぁーっ!」 「朝陽!」  聞こえてきた大声に、恭平は大慌てで藪を曲がった。ぽかりと口と目を開けた朝陽が立っているのに安心し、それから朝陽の見る先に視線を移す。  道を塞ぐように、山の斜面が崩れ落ちていた。昨日の夕方カブトムシの餌を仕掛けに来たときには何ともなかったから、その後の雨で地盤が緩んだのだろう。  問題は、その崩れた土の中から出てきているものだった。  炎のように赤い鱗。一抱えはある頭から伸びた大きな角、コウモリのような羽。丸太のように太い前足の先から伸びた、大きな爪。 「ドラゴンだ!」  朝陽の叫んだとおり、どこからどう見てもそこにいるのはドラゴンだった。恭平の3倍以上はありそうな体長で、だらりと道の真ん中に伸びている。  怪我があるようには見えないが、眠っているのか気を失っているのか、目は閉じられている。 「な、なんでこんなところに」  呟いた恭平の口の中が粘ついた。  以前はこのあたりにも住んでいたとか、山や海の守り神として崇められていたという話は聞いた事はある。だが、それももうずっと昔の話のはずだ。今では残っているドラゴンのほとんどは「特区」に住んでいると聞くし、実際、恭平だってドラゴンなんて見るのは修学旅行で「特区」に行った時以来だ。  どうしたらいいんだ、これ。  呆然とドラゴンを眺める恭平の横で、「おおお」と朝陽が声を弾ませた。 「本物!? すっげえ!」 「ちょっと、朝陽! やめなさい!」  弾かれたように走りだす朝陽の、ドラゴンに伸ばす腕を慌てて握る。  起きたドラゴンが寝ぼけて右腕でも振ったら、その気がなくても人間など弾け飛んでしまう。  だが、小学生男子には全くそんな危機感はないらしく、キラキラとした目で恭平を振り返ってきた。 「パパ、こいつ飼ってもいい!?」 「は、はあ?」  飼う? これを? 馬鹿か? 飼えると思ってんのか? 「お願い! ちゃんと世話するから!」 「そういう問題じゃ……って言うか失礼だろ! ドラゴンだぞ! 朝陽よりよっぽど」  言いかけた恭平は固まった。  ドラゴンが、朝陽の後ろで目を開けていたからだ。  オレンジの、ほぼ白目のない目の真ん中で、縦長の瞳孔が裂け目のように開いている。 「あ……」  反射的に、朝陽の腕を引いて自分の背後へと押し込む。ゆっくりと後退る恭平に視線を合わせ、ドラゴンがゆっくりと瞬きをした。ぬるりとその頭が持ち上がる。 「……今、我を『飼う』と言ったか?」  低く、深いところから響いてくるような声。疑わしげな視線と威圧感に、恭平の全身から血の気が引いた。  ドラゴンも、人に友好的な個体ばかりとは限らない。 「いや、あのっ、そんなことは」 「言ったよ!」  なんとかごまかそうとした恭平の後ろから、朝陽が顔を出した。 「ねえ、ウチにおいでよドラゴン!」 「朝陽!」  余計なことを言うんじゃない! 再度自分の後ろに朝陽を押し込む。  触らぬ神に祟りなし。できるだけ関わらずに、無事に家に帰りたいのに。 「いや、いやあのさ、朝陽? ドラゴンさんも自分の家があるだろうし、うちじゃ小さくて無理だよ、入らないって」  背後の朝陽に呟いた恭平は、また赤いドラゴンに向き直った。 「すみません、ドラゴンの方に向かって飼うなどと失礼なことを……その、この子にはよく言い聞かせておきますので、何卒お許しを……」  じりじりと距離を広げていく恭平に、ドラゴンは無言のまま尻尾を振った。  その体が光ったかと思うと、恭平と同じくらいの大きさに縮んでいた。 「……これなら、よいだろうか?」 「えっ」 「ああ……いや、こちらのほうがよいか」  何のつもりだ? 固まる恭平の前で、再度ドラゴンがゆるやかに尻尾を振る。  再びドラゴンの体が光に包まれたかと思うと、そこには青年が座り込んでいた。 「ええっ……」  年齢は二十歳くらいだろうか。頭から生える角と尻尾はさっきのドラゴンのままだが、太かった前脚は華奢な指になり、鱗の代わりに真っ赤な巻き髪が腰まで伸びている。着ているのは白い和風——というより、ひな祭りのお内裏様が着ていそうな服だ。 (前、こんな格好の陰陽師が主人公のゲーム案件あったけど……)  考えていると、見上げてくる青年と視線が合った。  オレンジ色の切れ長の目を、真っ赤なまつ毛が囲っている。派手で力強い色なのに、ドラゴンの姿のときと違ってどこか儚げな印象があった。  不安そうに握られた指先や、自分を見上げてくる潤んだ瞳に、恭平は捨てられた猫を連想した。 「その。これなら……そなたらの家に、入れるだろうか」 「入……れ、ますが」  ついそう返事をしてから、しまったと思う。  うちに来る気なのか、このドラゴンは。 (まあ……この様子なら、こちらが油断したところを一撃! とかは……なさそうだけど)  でも、ドラゴンだ。カブトムシどころか犬猫ですらない。  けれど、怯えた目をする青年を、一人ここに残して帰ることも、恭平にはもうできなかった。 (とりあえず……一時保護するくらいは、いいか)  じっと見てくる、不安げな視線に恭平は微笑み返した。 「……本当に、大した家ではありませんが。それでもよろしければ、ひとまずはいらっしゃいませんか」  屈みこんで手を出すと、きょとんと青年は恭平の手を見つめた。それからおずおずと自分の膝に置いていた右手を持ち上げ、恭平の手の上にそっと重ねてくる。 「私は鏡野恭平と申します。後ろにいるのは息子の朝陽です」 「我は……楓、だ」  温かい手を握ると、ようやく彼の視線が少しほっとしたように見えた。  大変なものを拾ってしまった。  そう思いつつ、恭平はドラゴンの表情に自分も安心するのを感じていた。

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