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第1話 恋愛相談室ってなんだよ

「お前ら、まさか付き合ってたのか」 言った瞬間、自分の声が思ったより低く聞こえて、青葉凪生(あおば・なお)は少しだけ驚いた。 杜都学院大学の体育館裏。 フットサルサークル Linden の練習が終わったあと、身体にはまだ汗の熱が残っていた。 夕方の風は冷えきっていないのに、胸の奥だけが妙に冷たい。 広瀬航太(ひろせ・こうた)と柏木千尋(かしわぎ・ちひろ)は、並んで立っていた。 いつも通りの二人だった。 航太は少し困った顔をして、千尋は唇を噛んでいる。 けれど、肩の距離が近かった。 目が合うと、二人は一瞬だけ互いへ視線を向ける。 その一瞬で、凪生は全部分かってしまった。 「ごめん」 航太が先に言った。 「言い出せなくて。でも、俺たち、凪生に黙っていたかったわけじゃなくて」 「これからも一緒にいたいんだ」 千尋の声はまっすぐだった。 凪生は笑おうとした。 笑えばよかった。 いつものように、「はあ? そういうことは早く言えよ」と言えばよかった。 肩でも組んで、茶化して、三人で駅まで歩けばよかった。 けれど、喉がうまく動かなかった。 「いいよ」 出てきたのは、それだけだった。 「凪生」 「いいって。別に。おめでとうってやつだろ」 凪生はスポーツバッグを肩にかけ直した。 航太が一歩近づく。 その足音だけで、胸の奥が詰まった。 「いや、今日は帰る。ちょっと用あるし」 「送るよ」 「いらねぇ」 言い方がきつくなった。 航太も千尋も、悪い奴じゃない。 むしろ、いい奴だ。 だから余計に腹が立った。 怒りを向ける場所がない。 二人は凪生を外したかったわけじゃない。 分かっている。 分かっているのに、置いていかれた気がした。 ずっと三人でいられると思っていた。 サークルだって、三人で入った。 別にフットサルが死ぬほど好きだったわけじゃない。 航太が誘って、千尋が笑って、凪生が「じゃあ俺も」と言った。 それだけだ。 三人でパスを回して、点を決めて、くだらないことで笑うのが好きだった。 その三人の中で、いつの間にか二人だけが違う場所へ行っていた。 (男同士の恋?) 凪生は大学の門を出て、駅へ向かう人の流れに混ざった。 (別に、そういうのがあってもいい。誰が誰を好きになろうが勝手だろ。けど、何だよ。親友って、そんな簡単に別の名前になるのかよ) スマホが震えた。 航太からだった。 『今日は悪かった。ちゃんと話したい』 続いて千尋からも来た。 『急に言ってごめん。凪生のこと、大事なのは変わらない』 凪生は通知だけ捉えて、画面を伏せた。 「大事、ね」 口に出すと、胸がまた痛くなった。 その夜、凪生はサークルの通知を切った。 **** 次の日、講義が終わっても、凪生はサークル棟に向かわなかった。 中庭のベンチに座り、求人アプリを眺めていた。 何でもよかった。 時間を埋められるもの。 航太と千尋のことを考えなくて済むもの。 大学と家の往復だけにならないもの。 スクロールしていた指が、ひとつの募集で止まった。 『男性同士の恋愛専門コンサル補助スタッフ募集。成人済み歓迎。未経験可。短時間勤務可』 「何だこれ」 怪しい。 怪しいが、妙に気になった。 恋愛コンサル。 しかも男同士専門。 今の自分が一番近づきたくない単語の集まりだった。 なのに、凪生は募集ページを開いていた。 仕事内容には、相談受付補助、資料整理、映像確認補助、検証補助とある。 「検証補助って何だよ」 思わず笑った。 笑ったあとで、胸の中が少しだけ軽くなった気がした。 どうせ、何をしていても二人のことを考える。 だったら、いっそ真正面から変なものに突っ込んでやればいい。 凪生は応募フォームに必要事項を入力した。 返信は早かった。 『明日十七時、面談可能。場所は添付地図参照。担当、片平』 あまりにも淡々としていて、逆に不安になった。 **** 翌日、凪生は定禅寺裏の雑居ビルの前に立っていた。 表の通りには、まだ夕方の明るさが残っている。 けれど、一本奥へ入ると空気が変わる。 古いビルのガラスに、街路樹の影が細く映っていた。 エレベーターで指定された階へ上がると、廊下は暗めで、足元に細い照明が入っている。 扉の横には、小さなプレートがあった。 『杜灯(もりあかり)恋愛相談室』 「名前だけは、ちゃんとしてるんだよな」 凪生が呟いた瞬間、扉が内側から開いた。 「青葉凪生か」 出てきた男を捉えて、凪生は一瞬言葉を失った。 若い。 もっと胡散臭い中年でも出てくるかと思っていた。 なのに、そこに立っていたのは、凪生と大して変わらない年頃にも見える男だった。 黒いシャツに細身のパンツ。 顔立ちは整っていて、目元は涼しい。 笑っていないのに、不思議と怖くはなかった。 ただ、妙に観察されている感じがした。 「青葉凪生です。本日はよろしくお願いします」 凪生は頭を下げた。 「片平征路(かたひら・せいじ)だ。入れ」 「はい。失礼します」 凪生は中へ入った。 足が止まる。 オフィスというより、ホテルの一室だった。 低いソファ。 大きなベッド。 壁一面の液晶には、夜の広瀬川に似た水辺の映像が映っている。 照明は柔らかく、部屋の隅には小さな香炉が置かれていた。 「な……」 凪生は思わず声を漏らしてから、咳払いした。 「かなり、特殊な相談室なんですね」 「取り繕わなくていい」 「え?」 「今、変だと思っただろ」 片平がこちらを向く。 凪生は背筋を伸ばした。 「いえ、面接に来たので」 「ここでは敬語を使わなくていい」 「……はい?」 「検証補助では、素の反応を確認する。取り繕った言葉だと、反応が読みにくい」 「いや、面接でいきなりため口は変でしょう」 「今、変だと思ったなら、そのまま言え」 凪生は片平を捉えた。 涼しい目だった。 からかっているのではない。 本気で言っている顔だった。 「……変だろ。普通に」 「それでいい」 「何がいいんだよ」 「その方が、お前が何を感じているか分かる」 「初対面で人を観察すんな」 「仕事だからな」 「くそ真面目かよ……あっ、すみません。つい……」 片平がほんの少し笑った。 「それも、そのままでいい」 凪生は口を閉じた。 やりにくい。 ものすごくやりにくい。 こちらが礼儀を保とうとすると、片平が平然と崩してくる。 けれど、不思議と嫌な感じではなかった。 むしろ、変に肩へ入っていた力が抜ける。 片平はローテーブルに書類を置いた。 「先に確認する。うちは男性同士の恋愛相談を専門にしている。相談内容には成人向けのものもある。映像確認と、検証補助が業務に含まれる」 「検証補助って、求人に書いてあったやつか」 「そうだ。合わないと思ったら断っていい」 片平の声は淡々としていた。 凪生は書類を手に取った。 内容は思ったよりきちんとしている。 業務内容、報酬、守秘義務、途中停止の合図。 検証補助を断っても採用やその日の報酬には影響しないと、はっきり明記されていた。 凪生は最後まで読み、ペンを持った。 「こういう仕事してるわりに、ちゃんとしてるな」 「仕事だからな」 「それ、口癖かよ」 「よく言われる」 片平は少しだけ笑った。 その顔に、凪生の胸が妙に跳ねた。 (何だよ。普通にイケメンじゃねぇか) 凪生は少し乱暴に署名した。 「で、俺は何すればいいんだよ」 「ちょうど案件がある。やってみるか?」 「いきなりかよ」 「仕事を知るには早い」 「本当にくそ真面目だな」 「そうだな」 **** 片平は景窓を切り替えた。 水辺の夜景が消え、暗い寝室の映像が映る。 凪生は一瞬、息を止めた。 男が二人いた。 相談票には、先輩後輩のカップルとだけ記されている。 個人名は伏せられていた。 片方は先輩で、もう片方は後輩。 恋人同士らしい。 先輩は艶のある声で後輩を責める。 後輩は必死な目をして、何度も謝る。 映像の中で、後輩はすぐに果ててしまった。 先輩は不満そうに眉を寄せる。 けれど、その後、後輩が口で奉仕を始めると、先輩の表情が変わった。 怒っているようで、拒んでいるわけではない。 後輩の方は、叱られているのに嬉しそうだった。 凪生は画面から目を逸らせなかった。 (やばい) 男同士が触れ合っている。 知識として知らないわけではなかった。 けれど、目の前で捉えるのとは違う。 肌が重なり、声が漏れ、舌が動き、熱が欲しがられる。 そこには、ふざけた感じも、軽い冗談みたいな空気もなかった。 ただ、欲しがっている。 男が、男を。 「どう思った」 片平の声で、凪生は肩を跳ねさせた。 「どうって」 「改善点だ」 「……早すぎるんだろ。なら、薬とか、鍛えるとか」 「違うな」 「は?」 即答だった。 凪生はむっとした。 「じゃあ何だよ」 「よく観察しろ。後輩は早く果てたことを申し訳なく思っている。けれど、その後に先輩のを口でしている時の顔を確認しろ」 「顔?」 「嬉しそうだろ」 凪生は映像を確認した。 確かに、後輩は嬉しそうだった。 先輩に文句を言われても、目が熱っぽい。 叱られているのに、もっと尽くしたいと言っているように映る。 「この攻めは、受けのを口でするのが好きなんだ。後始末ではない。むしろ、そこが一番したいことに近い」 「……そんなの分かるかよ」 「だから観察する」 片平は画面を止めた。 「順番を変える。最初に後輩が好きなだけ尽くす。その上で繋がればいい。攻めは満たされた状態で落ち着ける。受けも途中で待たされている感覚が減る」 「マジかよ」 「……そう思うのも無理はない。だから試す」 「試すって、何を」 片平は香炉の前に立った。 「杜香を焚く。依頼者の感情と身体の流れをなぞる。お前は先輩側、俺は後輩側に入る。つまり、これが検証だ」 「は? いや、ちょっと待て。入るって」 「さっき読んだだろ」 「読んだけど、初日から本当にやるとは思わねぇだろ!」 「なら、やめるか?」 片平がこちらを捉える。 淡々とした目だった。 煽っているわけでも、試しているわけでもない。 凪生が断れば、そこで終わる。 そういう目だった。 凪生は歯を食いしばった。 ここで帰ったら、何か嫌だった。 航太と千尋から離れて、何もない自分になって、変な求人に応募して、ここまで来た。 今さら尻込みするのが、ものすごく情けない気がした。 「やる」 片平は頷いた。 「いいだろう。なら、目を閉じろ。さっきの二人を思い出せ」 **** 杜香に火が入る。 甘く、熱っぽい匂いだった。 肺の奥に入った瞬間、頭の芯がふわりと緩む。 (何だ、これ) 目を閉じているのに、さっきの映像が浮かぶ。 先輩。 後輩。 苛立ち。 可愛さ。 もっと上手にしてほしい。 けれど、必死に尽くそうとする姿が愛おしい。 凪生のものではない感情が、胸の内側に重なってくる。 (これが、先輩側の気持ち……?) ぞくりとした。 男に求められている。 男に尽くされている。 後輩の恋人が、自分の熱を欲しがっている。 その感情は、凪生が思っていたよりずっと甘く、ずっと生々しかった。 「先輩」 片平の声が近くで聞こえた。 目を開けると、片平がベッドの横に膝をついていた。 さっきまでの涼しい顔ではない。 目が熱を帯びている。 後輩側の感情に重なっているのだと分かるのに、その顔はどう捉えても片平征路だった。 「させてください。俺、我慢できない」 (ちょ、待て) 凪生の口はそう言ったつもりだった。 けれど、身体は待てと言っていなかった。 片平の唇が触れる。 舌が熱をなぞる。 凪生は息を詰めた。 頭の奥が白くなる。 男に、こんなふうに尽くされる。 目の前の男が、自分の昂りを宝物みたいに扱っている。 (っ、やば……) 言葉が脳内に漏れた。 恥ずかしい。 ありえない。 ついさっき知り合った男に、身体の熱を預けている。 しかも、その男は面接相手で、妙に真面目で、顔がいい。 それなのに、快感が強すぎた。 片平は焦らない。 けれど、容赦もなかった。 舌先で煽り、唇で包み、凪生が腰を引きかけると手で押さえる。 強い指だった。 欲しいものを最後まで味わう手つきだった。 (これが、好きな相手に尽くされるってことかよ) 凪生の中に重なっている先輩側の感情が、蕩けるように広がる。 後輩が可愛い。 自分を欲しがっている顔が愛しい。 もっと確かめたい。 もっとさせたい。 叱ってやりたいのに、喉から出る声は甘く崩れていく。 「っ、もう、無理……」 白く弾けた。 息が乱れる。 背中がベッドに沈む。 片平は顔を上げ、唇を親指で拭った。 「満足しましたか、先輩」 「お前、そういう顔すんな……」 自分の声が震えていた。 けれど、追体験は終わらなかった。 凪生の身体が勝手に動く。 膝が開く。 自分でそうしているのに、自分だけの意思ではない。 受け側の欲望が、奥から熱くせり上がってくる。 「じゃあ、次はこっち」 凪生の声が、凪生ではないみたいだった。 片平の目が細くなる。 「はい、先輩」 体勢が変わる。 片平の手が、凪生の内側を確かめる。 杜香の熱と、先輩側の欲望と、凪生自身の混乱が一緒になって、身体の奥がじんじんと疼いた。 (待て。待てって。ここまで本当にやるのかよ) そう思うのに、止める合図は出なかった。 片平はすぐには進まなかった。 凪生の呼吸と、膝の開き方と、腰に残る力を確かめている。 内側が片平の指を受け入れ、凪生自身が熱を追うように腰を寄せる。 肩から余計な力が抜けたところで、片平がさらに近づいた。 重みが触れる。 凪生はシーツを掴んだ。 「力、抜いて下さい、先輩」 「抜けてる。はやく来い」 奥へ届く感覚に、凪生は息を飲んだ。 痛みより先に、熱が来た。 (うっ……入っちまった、男のが……奥までっ) 深い。 重い。 自分の身体の知らない場所を、男の欲がゆっくり満たしてくる。 片平が動くたび、凪生の中で何かが崩れていく。 (嘘だろ) 男同士が、こんなに熱いなんて。 男に抱かれることが、こんなに頭を溶かすなんて。 男の腕に押さえられて、息を奪われて、奥から揺らされるたびに、胸の中まで満たされるなんて。 「先輩、気持ちいいですか」 「聞くな……っ」 「顔、すごいですよ」 「見るな」 「無理です。見ていたい」 その言葉に、凪生の腹の奥がきゅっと震えた。 見ていたい。 片平が、そう言った。 依頼者の台詞だ。 追体験の流れだ。 分かっている。 けれど、片平の声で言われると、凪生自身がそう求められたいと思っているみたいだった。 身体が跳ねる。 喉が震える。 片平の熱が奥へ届くたび、凪生は自分の声を抑えられなくなった。 (っ、くそ、やばい、こんなの……っ) 「先輩」 (呼ぶな、ほんとに、もう……っ) 言葉の終わりは、声にならなかった。 快感が一気にせり上がる。 さっき尽くされた時とは違う。 今度は内側から奪われる。 自分の奥を知られていくような感覚に、凪生は目を閉じた。 航太と千尋も、こういう熱を知っているのか。 恋人同士になるというのは、こういう顔を晒し合うことなのか。 親友の絆とは違う。 上とか下とかではない。 もっと身体の内側へ、相手を入れてしまうような関係。 理解した瞬間、胸が痛くなった。 それでも、身体は片平を求めていた。 「いく……っ」 片平の腕が凪生を強く抱いた。 凪生は声をこぼしながら、深い熱の中で果てた。 杜香の匂いが薄くなる。 景窓の夜の水面が、静かに揺れていた。 凪生はしばらく動けなかった。 シーツに沈んだまま、荒い息だけが残っている。 身体の奥に、まだ片平の重みが残っているような気がした。 **** 片平はベッドの端に座り、何事もなかったようにタブレットへメモを打ち込もうとしていた。 「おい」 「何だ」 「何でそんな平気な顔してんだよ」 「仕事だからな」 「くそ真面目かよ……」 凪生が腕で顔を隠すと、片平が少しだけ笑った気配がした。 「どうだ。俺の見立ては合っていただろ」 「ああ、合ってたよ。腹立つくらいにな」 「後輩は、最初に口でご奉仕の時間を作るべきだ。先輩もそれを受け入れている。あの二人は順番さえ整えれば、かなり良くなる」 「……本当に、そこまで分かるもんなんだな」 「分かるまで観察する。合っているかどうかは、こうして確かめる。検証する事で確実性が増す」 片平はタブレットを置いた。 「男同士の恋愛には、形が多い。世間の型に当てはめると、大事なところを取り落とす」 凪生は腕の下から片平を見た。 その横顔は真面目だった。 変な仕事をしているくせに、ふざけていない。 いや、変な仕事だからこそ、真面目なのかもしれない。 「男同士は初めてだったのか」 「当たり前だろ」 「そうか」 「そうか、じゃねぇよ」 「これは追体験だ。依頼者の感情と欲望に引っ張られている。お前の本心そのものではない」 そう言われて、凪生はなぜか少しむっとした。 「分かってる」 「ならいい」 「けど、分かってても、身体は変な感じなんだよ」 「大丈夫だ。次までには落ち着く」 「次もやるって言ったか?」 「嫌になったか」 片平がこちらを向く。 凪生は枕を掴み、片平へ投げつけた。 片平は片手で受け止めた。 「乱暴だな」 「お前が平然としすぎなんだよ」 「初めてにしては中々良かった。しっかり依頼人のトレースが出来ていた……お前は筋がいい。きっと、気持ちが何にも染まっていないまっさらだからなのだろう」 その一言で、凪生の顔が熱くなった。 「なっ……ほ、褒めてんのかよ、それ」 「褒めている」 「……ふん」 凪生は顔をそむけた。 褒められて嬉しいと思った自分に腹が立った。 さっきまであんなことをしていた相手に、仕事ぶりを褒められて喜ぶなんて、どうかしている。 **** 着替えを終え、凪生は契約書の控えを受け取った。 「これで契約成立だ。本当にいいんだな?」 片平が聞いた。 凪生は扉の前で振り返る。 「当たり前だろ」 「そうか」 「何だよ。やめてほしいのか」 「いや、助かるよ」 また、その真面目な顔。 凪生は胸の奥が少しだけくすぐったくなるのを感じた。 「ようこそ、杜灯恋愛相談室へ。歓迎する」 「ああ」 **** ビルを出ると、定禅寺裏の夜風が頬に当たった。 駅へ向かう道で、凪生は大きく息を吐いた。 足元が少しふわふわする。 身体の奥が熱い。 歩くたび、さっきの感覚が蘇って、凪生は思わず顔をしかめた。 「くそ……まだ残ってるみたいだ」 男同士。 航太と千尋。 恋人。 さっきの映像。 片平の声。 片平の舌。 片平の腕。 片平の目。 全部が頭の中で混ざる。 航太と千尋も、いずれああいう顔をするのだろうか。 いや、もうしているのかもしれない。 そう考えた瞬間、胸がまた痛んだ。 けれど、昨日までの痛みとは少し違った。 怒りだけではない。 知らない熱を突きつけられて、自分だけ何も知らなかったことが悔しい。 二人が自分を捨てたのではなく、二人だけの熱を持ったのだと、少し分かってしまったのが悔しい。 「何だよ、男同士って」 凪生は駅前のガラスに映った自分を捉えた。 頬がまだ赤い。 スマホが震える。 航太からだった。 凪生はしばらく画面を捉え、今度は消さなかった。 返信はしない。 けれど、消さなかった。 代わりに、片平から届いていた業務連絡を開く。 『明後日の十七時にシフトを入れた、来られるか』 凪生は唇を噛んだ。 「本当に仕事のことしか言わねぇな、あいつ」 そう呟いたのに、指はもう返信を打っていた。 『行く』 送信してから、凪生はスマホをポケットに突っ込んだ。 まだ杜香の匂いが残っている気がした。 鼻の奥か、服か、それとも身体の内側か。 分からない。 片平の顔が浮かぶ。 涼しい目。 真面目な声。 熱を含んだ表情。 自分を見下ろして、「見ていたい」と言った声。 凪生は額を押さえた。 「くそ。何であいつの顔ばっか出てくんだよ」 ホームに電車が滑り込んでくる。 凪生は人の流れに混じりながら、もう一度だけスマホを確認した。 片平から返事が来ていた。 『了解。遅れるな』 「部活の顧問かよ」 思わず笑ってしまった。 笑ったあとで、胸の奥がまた熱くなる。 航太と千尋のことは、まだうまく考えられない。 祝福なんて、今すぐには無理だ。 けれど、何かが変わった気はしていた。 男同士の恋を、何も知らないまま笑えなくなった。 そして、片平征路という男のことを、何も知らないまま忘れることもできなくなっていた。 電車の窓に映る自分の顔は、ひどく落ち着かなかった。 凪生はそれを捉えないふりをして、吊り革を握った。 「明後日か」 小さく呟いた声は、電車の音に混ざって消えた。 けれど、胸の奥では消えなかった。 むしろ、片平の声みたいに、ずっと残っていた。

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