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第46話 メビウスの輪を越えて

「早紀、これを見てくれ!」  衛はマンションへ帰って来るなり、手にした数枚のイラストボードをテーブルの上へ広げた。 「わぁ! 衛さん。これって、もしかして!」 「そう。新しいメビウスの、イメージだよ!」  それぞれに、外観や内装の見取り図的なイメージスケッチが描かれている。  建築業者との打ち合わせを重ね、衛は理想の新・メビウスを構想していた。 「内装の細かい点は、ぜひ早紀の力を借りたいな」 「ぼ、僕!?」  ダメだよ、と早紀は両手を激しく横に振った。 「デザインの勉強とか、本格的にやったことないし!」 「メビウスが、ぬくもりのある落ち着いた雰囲気に変わったのは、早紀のおかげだよ?」  シンプルで、ともすれば無機的だった、メビウス。  それが、早紀がクリスマスツリーを飾ったあたりから、良い方に変わっていった。  散らかって見えない程度に、季節のオブジェを置いたり。  さりげなく、一輪挿しを飾ってみたり。 「お客様にも、好評じゃないか。新しいメビウスも、早紀にプロデュースして欲しいんだ」 「ありがとう、衛さん」  衛と一緒に、未来のメビウスを形作れる。  そのことが、早紀には大きな喜びだった。 「じゃあ、そろそろ出かける準備をしようか」 「衛さん、帰って来たばっかりじゃん。少し、くつろいだら?」 「お父様は、時間に厳しいんだ。遅れると、叱られる」  肩をすくめて見せる衛は、いたずらっ子のような表情だ。  最近、彼のそんな笑顔をよく目にする早紀は、安心した。 (衛さん、お父さんと仲良くできてるみたいだ)  若い頃は、衝突と反発しかしていなかった、と衛の父には聞いている。  新・メビウスの件で、父と話す機会が増えた衛だが、親子関係は良好だった。 (とても、親子ゲンカしてたようには、見えないよ)  そのうち衛の父に、過去の衛はどんな風に振舞っていたのか、早紀は聞いてみたいと感じていた。 「予約は、何時からだったっけ?」 「19時から、21時までだよ。今、17時ちょいだから、まだ大丈夫だよ」 「そうか。しかし、まさかの面子で、宴会を開くことになったなぁ」 「僕、貸し切りでコンパしたい、って前に言ったよね。願いがかなって、嬉しい!」  二人は居酒屋で、新しいメビウス着工の前祝いをすることにしたのだ。  かつて、衛と共に来た居酒屋。  その時は、二人だけのささやかな宴だった。  ところが今は、二階の座敷を貸し切って、大勢が集まっている。  早紀は、ニコニコとご機嫌だった。  不機嫌そうな声は、聞えてきたが。 「パーティー会場が、このように古びた和室とは! しかも、隣の声が聞こえて来るじゃないか!」 「まぁ。庶民の文化を見聞したいから、と快く出席なさったのは、あなたですわよ?」  衛の、両親だ。 「それに。衛と一緒に飲めるなんて夢のようだ、と満面の笑みで……」 「あ、あ、彩華さんは! 少し、お喋りを控えて欲しい!」  二人の夫婦漫才に、秀一はクスクス笑っている。 「俺たちも、あんな風に年を重ねたいな。ね、桂」 「僕も、そう思うよ」 「ところで、メビウスでのバイトは、どう? うまくいってる?」 「大丈夫。弓月さんは優しいし、早紀くんがフォローしてくれるし」  秀一が抜けた後のバイトを、桂が引き継いでくれたのだ。  衛も早紀も、彼の働きに助けられていた。 「早紀。ほら、メビウスだよ」 「お父さん、器用だなぁ」  早紀の父・紀明は、割りばしの入っていた袋で『メビウスの輪』を作っていた。 『メビウスの輪』とは、細長い帯を1回180度ひねって端と端をはり合わせ、リング状にしたものだ。  表面をたどっていくと裏面になってしまい、再び表面にたどり着く。  そんな、表裏の区別ができない、連続面となる図形だ。  紀明は感慨深く、その輪を手の中で遊ばせた。 「本当に、ありがたいことだよ。不思議な縁で、こうしてまた早紀と一緒に過ごせる」  メビウスの輪を一周まわって、同じ場所へ戻ったみたいに、と紀明は目を潤ませた。 「お義父さん、同じ場所ではありませんよ。あれから早紀は、逞しく成長しました」 「弓月さん」 「もちろん、私も。実父と衝突せずにいられるのは、早紀の良い影響を受けたからです」 「ありがとうございます。そうですね、決して元の場所では、ない」  男二人が杯を交わしていると、酒瓶を片手に衛の父が割り込んで来た。 「ずるいですぞ、梅ヶ谷さん。衛とだけ、飲むとは! ぜひ私も、お仲間に!」 「おぉ、これは失礼しました」 「お父様、酔って絡まないでください!」  そこへ、早紀の明るい声が響いた。 「皆さん! 僕がこれから、手品をしまーす!」  思いがけなく始まった余興に、全員の目が早紀に集まった。  立ち上がった早紀の手には、先ほど紀明が作った『メビウスの輪』がある。 「さぁ、よく見ててね」  早紀は、それに線を描き始めた。  輪の幅の半分ほどに、ぐるりと回る中心線だ。  線は一周すると、やはり描き始めの、元の場所へと戻って来た。 「へぇ、面白い!」 「早紀くん、ホントにマジシャンみたい」  秀一と桂は、彼に拍手を贈った。  二人の拍手に手を振って応えた後、今度はハサミを取り出した早紀だ。 「さて、このメビウスの輪。今描いたラインに沿ってハサミで切ると、どうなるでしょう?」 「それは、やはり二つの輪ができるだろう」 「一回、ひねってありますのよ? そう単純かしら」  衛の両親も、興味津々だ。 「では、実際に切りまーす」  音楽を口ずさみながら、早紀は輪を切った。  そして、結果は。 「おぉ。すごいぞ、早紀!」 「これは知らなかったな……」」  紀明と衛は、感嘆の声を上げた。  メビウスの輪は、二つのひねりを持つ大きな輪へと変化したのだ。  全員の拍手の中、早紀は照れながら話し始めた。 「僕、カフェ・メビウスの名前通り、元の場所へ。お父さんとまた笑って過ごせる、元通りの場所へ戻れたって、最初は考えたんです」  でも、それは違った、と彼は続けた。 「衛さんとメビウスだけじゃなくって、もっと大勢の人たちのおかげで、今この場所に僕はいます」  それは、秀一や桂。  そして、衛の両親。  踏ん張って生き続けてくれた、父・紀明。 「カフェに来てくれる業者さんや、お客さんたちも、僕を支えてくれました。だから……」  早紀は、できあがった大きな輪を掲げた。 「こんな大きな、人の輪がある場所へ、来られたんだと感謝しています! ありがとう、みんな!」  ひときわ大きな拍手が、早紀へ降り注いだ。 「早紀……立派になって……!」 「梅ヶ谷さん、素晴らしい御子息ですな! 実に羨ましい!」 「あら。それでは、衛は素晴らしくない、とおっしゃるの?」 「お父様、それはひどい!」 「弓月さん、言われちゃいましたね」 「秀一。可哀想な弓月さんに、グラス渡してあげて」  盛り上がる笑顔の中、衛は早紀に向けて両腕を広げた。  早紀もうなずき、その腕の中へと飛び込んだ。  メビウスの輪をたどっても、二人は同じ場所には戻らない。  もっと大きな輪の中に、鮮やかな光景が、衛と早紀の瞳には見えていた。

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