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1#ホテル:ルミナス・インにて

 夜の帳が下りたギア・ストリートに、パトカーのサイレンが響く。ネオンサインがひっきりなしに点滅する商店街を縫って、ラス・リーズとジェイク・テラーの乗る車両は目的地へと向かっていた。 「退屈な会議の後に管轄外で呼び出しか……ついてないな」  助手席の窓を流れていくネオンを眺めながら、ラスはやれやれとため息をつく。  サイドを短く刈り上げた金髪に左眉のピアス。ラフな服装はおおよそ警察官には似つかわしくない雰囲気で、唯一Tシャツの上に羽織った制服のジャケットだけが、彼がLCPS――ルミナス都市警察の隊員であることを示していた。  バックミラーに目をやると、後部座席では黒い毛艶と青い電子の瞳を持つ中型犬——ラスの相棒であるサイバードッグのクロウが、サイレンに耳をそばだてている。  セントラルからの緊急出動コールが二人と一匹の乗るパトカーに鳴り響いたのはつい三分前のこと。  ラスとジェイクは、本部での長時間の研修会議を終え、南西のダスク・ストリップにある自分たちのステーションに戻る途中だった。本来なら、勤務を終えて缶ビールでも飲みながら今日の愚痴でも言い合っているはずの時間だ。 「仕方ないよ、中央管制(システム)が俺たちが一番近いって判断したんだから」  運転席でジェイクが肩をすくめた。ラスとは対照的に、制服ジャケットの下はきっちりとしたシャツにネクタイを締めている。LCPSではジャケットの着用義務さえ守れば服装は自由なのだが、几帳面な彼は滅多にそのスタイルを崩さない。  ジェイクは年齢こそラスより二つ下だが、ふた月前に他の隊から転属してきたラスよりもサウスウエスト・エッジ隊では先輩にあたる。ピンクブラウンの髪が車内に反射する街の灯りに照らされ、歳より幼く見えるその横顔はいつもより少し疲れて見えた。 「真面目なこって」   呆れ混じりに呟いて、ラスは渋々頭を仕事モードに切り替えた。  車は商店街を抜け、工房やオフィスビル、ホテルの立ち並ぶやや落ち着いた区画へ入る。 「で、客の変死ってどんな状況なんだ?」 「待って、今詳細を出す」  ジェイクが運転席のコンソールを操作してホロパネルにセントラルからの情報を表示する。ラスはそこに記載された簡潔な通報内容を読み上げた。 「通報してきたのはホテルの従業員。部屋からの呼び出しで訪ねたら応答がなくて、ドアを開けたらベッドの上で男が死んでいた——か」 「病死かクスリか殺しか——ちょっとその情報だけじゃ判然としないね」 「ま、初動対応はやるとして、あとはイーストの奴らに引き継げばいいだろ」  やる気のなさを隠そうともせずにさっさとパネルの表示を閉じるラスに、ジェイクが肩をすくめる。そうこうする内、車はモダンな外観のホテルの前に停まった。『ルミナス・イン』という看板が青白く光っている。中堅クラスのビジネスホテルで、シンプルながら上質な佇まいだった。ダスク・ストリップの安宿とは大違いだ。  フロントでバッジを見せ、不安げな様子の従業員から簡単な状況説明を聞くと、二人は現場の部屋へ向かった。廊下は静まり返り、足音だけが響く。 「七一五号室。ここだな」  ジェイクがカードキーで扉を開ける。ホテル特有の清潔なリネンの香りに、かすかに湿気と甘いものが混じっていた。  ベッドにテーブル、テレビ、奥にバスルーム。特に不自然なところはない、ごく一般的なホテルの一室だ。  従業員の証言の通り、死体は部屋の中央、ダブルサイズのベッドの上にあった。バスローブ姿で横たわったまま事切れているのは、四十代前半と思われる男だ。脱ぎ捨てられているスーツは高級そうで、腕時計も良いものを着けていた。 「外傷はなしか。だが、妙だな――薬物か?」  ラスは死体の顔を覗き込み、眉をひそめた。  唇が紫色に変色し、男の表情は苦悶に歪んでいる。だが気になるのは、見開かれた瞳の周りが微かに青白く発光していることだった。 「おいジェイク、こいつを見ろ」 「これって――まさかネオンブライト?」  タブレットを手にしたジェイクが近づき、端末をかざして生体スキャンを試みる。 「死因は……急性心不全かな。ネオンブライトの副作用かもしれない」  最近ダスク・ストリップでは新型の薬物――接種後に瞳が一時的にネオンのように光ることから通称〝ネオンブライト〟と呼ばれている――による中毒事件が相次いでいる。死体の状況は、ネオンブライトの中毒症状と酷似していた。だが、ここはラスたちの管轄するダスク・ストリップと比べれば比較的治安の安定したギア・ストリート。裏社会の薬物が流通するような場所ではないはずだ。ましてこんな上等な身なりの男が、上等なホテルで。 「注射痕は見当たらねえな……経口か?」  ラスは視線を巡らせるが、周囲に注射器や吸引具の類は見当たらない。  そこへ、室内を嗅ぎ回っていたサイバードッグのクロウが、サイドテーブルの足下で何かを発見したとばかりに一声『ワン!』と鳴き声をあげた。 「クロウ、なにか見つけたのか?」  そこに落ちていたのは、よくある錠剤がパッケージされた銀色のPTP包装シートだった。手袋をした指先でつまみあげると、十個あるポケットのうち端の一つだけが破られ、空になっている。 「ジェイク、これ」 「市販薬? IDは——どうやら心臓発作の抑制薬だ」  手元の端末で手早くパッケージのIDを調べたジェイクが告げる。 「心臓の薬? それを飲んで、()()か?」  ラスは訝しげに死体を見下ろす。IDの照合ができたということは、少なくともパッケージは正規のものだろう。だが正規の流通ルートに乗った薬に、強力な違法ドラッグが混入しているなど聞いたことがない。これまでのネオンブライトの死亡例でもなかったことだ。  二人が首をひねったその時、部屋の奥——扉に閉ざされていたバスルームの方から、ガチャリと音が響いた。ドアが開くと同時に、湿った熱気とともに場にそぐわないのんびりとした声が届く。 「騒々しいと思ったら……なにごと?」  現れたのは、バスローブ姿の男だった。甘く整った顔だちに、印象的な口元のほくろ。柔らかそうな栗色のショートボブから滴る雫がバスローブの襟元を濡らしている。  蜂蜜を溶かしたようなアンバーの瞳が、長い睫毛の奥でゆっくりと瞬く。その視線がラスを通り過ぎ、ジェイクを捉えた瞬間、わずかに見開かれた。 「あれ?」 「……フラン……先生!?」  ラスの後ろで、ジェイクが驚いた声を上げた。 「ジェイク君じゃない。どうしたの、こんな所で」  フランと呼ばれた男は、まるで街角で偶然知り合いに会ったかのようなのんびりとした口調でジェイクに問いかける。 「ジェイク、お前、知り合いなのか?」 「知り合い──というか、ええと。そうか、ラスはまだ知らないよな」  ジェイクは、突如目の前に現れた美しい男と訝しげなラスの顔を交互に見比べ、一つ咳払いをしてから説明を始めた。 「この人は……サウスウエスト(うち)が世話になってる〝バック・ドクター〟なんだ。名前はフラン・エルウッド」  バック・ドクターとは、LCPSが協力を依頼している医師や技師のことだ。正規機関では間に合わない案件を補うため、各エリアのステーションは民間の医療機関やラボと暗黙の協力関係を築いている。特に治安の悪いサウスウエストでは欠かせない存在だった。 「医者あ? これが?」  口から思わず本音がこぼれ、ラスはフランと呼ばれた男の姿を上から下までまじまじと見た。  バスローブから覗く白い肌、艶やかな髪、どこか挑発的な雰囲気。とても医者には見えない。 「……コールボーイの間違いじゃねえのか」 「遠からず」  ぼそりとこぼれたラスの呟きに、フランは気分を害した様子もなく否定とも肯定とも取れない答えを寄越すと、そのまま悠々と部屋を横切ってラスの目の前を通り過ぎた。鼻先を掠めた湯上りの体温とソープの香りに、胸の内が妙にざわつく。  ソファに腰掛けたフランが足を組むと、バスローブの裾が大胆に割れた。際どいラインまで晒されたなめらかな肌へつい吸い寄せられそうになる視線を無理やり引き剥がして、ラスは舌打ちする。 「それで、テラー捜査官。こちらは?」  わざとらしく改まって尋ねるフランに、ジェイクが思い出したように答える。 「ああ、えーと、彼はラス。ラス・リーズ捜査官だ。ふた月前にうちに転属になったばかりで……」 「ふうん。よろしく、リーズ捜査官」  フランの声には独特の甘い響きがあった。その響きが逆にラスを苛立たせる。 「よろしく──って、そうじゃない、あんた、」 「あんたじゃなくてフラン・エルウッド」 「そんなことはいい、死体が出てんだよ。あんた、この男とはどういう──」 「ああ、この人?」  フランはようやく振り返ってベッドの死体を一瞥する。彼は、まるで壁の絵でも見るような無関心な表情で首を傾げた。 「バーで熱心に口説かれたから付き合ってあげたんだけど……死んでるねぇ」 「死んでるねぇ、って……」  ラスは呆れた。目の前で人が――それも直前までベッドを共にしていたらしい相手が死んでいるというのに、この男からは緊張感のかけらも感じられない。 「だって他に言いようがないでしょ? 僕がこの人の事で知ってることと言ったら、セックスがいまいちだったってことくらい。名前も聞いてないし……」 「あ、あの。ドクター」  ジェイクが割って入った。彼もフランの態度に困惑しているようだった。 「一応聞くけど、この男とその……寝てたっていうのは間違いないのか?」 「うん。少なくとも僕がバスルームに行くまではまだ生きてたかな。良い酒でも飲み直そうってルームサービスを頼んでいたよ。僕はゆっくりお湯に浸かりたかったから、勝手に始めててって言ったんだけど……まさか死んでるとはねぇ」 「死因に心当たりは?」 「さあ……」  フランは首をかしげた。まるで他人事のような反応だ。ラスの苛立ちが限界に達した。 「あんたが殺したんじゃねえのか?」 「僕が? まさかあ」  ラスの詰問するような低い声音にもまったく臆した様子はなく、フランはあっけらかんと笑ってみせる。そして不意に艶めいた響きを乗せて、こう続けた。 「……ま、ベッドの上で()()()()()()()のが原因だっていうなら、僕が殺したと言えなくもないかもしれないけど……あーんな退屈なセックスじゃあ、ね」  挑発的な視線がラスを捉える。言いようのない苛立ちと居心地の悪さを覚えて、ラスは内心で毒づいた。 (なんなんだよ……このふざけた態度は……)  何もかも煙に巻くような態度なのに、フランの様子は隠し事をしているようでもはぐらかしているようでもない。まったく掴みどころがなかった。 「とりあえず、状況が状況だし……悪いけどドクター、ステーションまで来て詳しい話を聞かせてもらえないか? ……あと、服を着て欲しいんだけど……」  ラスの剣呑な雰囲気と、いい加減に目のやり場に困ったのか、ジェイクが遠慮がちに提案を口にする。 「えー、取り調べ? 受けなきゃだめ?」 「一応、形式上は……」 「あんたなあ」  不服そうに口を尖らせるフランに、思わずラスは前に出た。 「バック・ドクターか知らないが、直前までヤッてた相手が死んでるんだぞ。状況的には一応容疑者なんだからな?」  ​詰め寄ったラスにフランはわざとらしくため息をつくと、渋々といった体でソファから立ち上がる。 「めんどくさいなあ、名前も知らないのに」  そしてベッドサイドに脱ぎ捨てられた衣服の山へ向かうと、そのまま二人に背を向けて、こともなげにバスローブの紐に手をかけた。  衣擦れの音がやけに大きく響き、バスローブが肩から滑り落ちる。露わになった背中は男のそれとは思えないほどなまめかしく、繊細な肩甲骨のラインに、腰のくびれまでまるで非の打ち所のない造形だった。  気まずそうにさっと目を逸らすジェイクを尻目に、ラスは目を逸らすか睨むか一瞬悩んで、後者を選んだ。  この男――いや、この状況に対する苛立ちなのか、それとも別の感情なのか、自分でもよく分からない。  そんな二人をよそに、フランは落ち着き払って下着を身につけ、シャツに袖を通す。その一連の動作に一切慌てる素振りはない。まるで一人でいるときのような自然さで、他人の視線などお構いなしのようだった。 「はい、お待たせ」  スラックスに足を通し、ベストを羽織ったフランが振り返る。バスローブ姿とは打って変わって、意外にも露出もないきちんとした格好だ。しかし、その掴みどころのない雰囲気は衣服を変えても消えることはなかった。 「それじゃあ、行きましょうか」  両手をぽんと叩いて、まるでピクニックにでも出かけるような軽やかさで言うフランに、ラスは深いため息をついた。  そんなラスを、足元でクロウが心配そうに見上げてくる。 「まったく……」  小さく毒づきながら、ラスは後から到着したイースト・ギアの隊員への現場保存と指示をジェイクに任せ、この不可解な美貌のドクターと共にステーションへ向かう準備を始めた。  部屋の窓からは夜のギア・ストリートの灯りが見える。いつもなら心地良いネオンの輝きも、今夜はやけに複雑に思えた。

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