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2#フラン・エルウッド
自動ドアが開き、明け方の薄暗い街へ細身のシルエットが消えていく。
渋い顔でその背中を見送ったラスは、ステーション裏手の喫煙所で忌々しげに煙草に火を付けた。
本来であれば、事件の管轄は現場のホテルを受け持つイースト・ギア隊にあった。ラスとジェイクも、当初はその予定で現場の初動対応に駆けつけたのだったが――今回は逆にその初動権限を盾に、半ば強引にフランの身柄をこのサウスウエスト・エッジ・ステーションへと引き取ってきたのだ。
理由は二つ。一つは死体の所見に、ラスたちが追っている新型麻薬『ネオンブライト』の中毒症状が見られたこと。もう一つは、フラン・エルウッドがサウスウエスト・エッジ隊と提携するバック・ドクターという立場だったことだ。
バック・ドクターはあくまで非公式な提携先であり、迂闊に容疑者として他管轄の隊に引き渡せば、癒着や不祥事として――たとえ後ろめたいことは何もなくても、だ――余計なことまでつつかれかねない。
そうまでして行った聴取だったが、結局フランからはろくな情報は得られず、結果は徒労に終わった。
彼曰く、死亡した男とはバーで声をかけられ、名前も聞かず気まぐれにベッドを共にしただけ。ひと段落したところで男はルームサービスを頼み、それを待つ間にシャワーを浴びていたところ、ラスたちLCPSの隊員がやってきた。それ以上知っていることはない、と。
『最中にちょっと苦しげに胸を押さえるような仕草をしていたから、元々心臓に疾患でもあったのかもしれないね。手加減してあげたんだよ?』
まるで他人事のように淡々と語るフランの顔が脳裏に蘇る。ネオンブライトについても、『僕はわざわざお薬をキメてセックスする趣味はないからねぇ』と、綺麗な顔に似合わない即物的な物言いでやんわり否定し、実際簡易検査を受けた彼自身からも薬物は検出されなかった。
のらりくらりとかわされる問答にラスの苛立ちは募るばかりで、かといって物的証拠は何一つない。
結局それ以上追求しようがなく、参考人止まりで釈放となったフランは「お疲れさま」と軽やかに手を振って明け方のダスク・ストリップへと消えて行ったのだった。
釈然としない思いを抱えたまま吐き出した煙が、ダスク・ストリップの冷たく湿った朝靄に溶けていく。
そこへ、扉の音と共にステーション裏口のドアが開き、ジェイクが現れる。
「お疲れさま、ラス。現場の後処理と、イースト・ギアから引き継ぎ完了したよ」
「ああ、お疲れ」
ラスは灰皿に煙草を押し付けながら振り返った。ジェイクの疲れた表情を見て、自分だけが困惑していたわけではないことに少し安堵する。
「で、フラン先生はやっぱり何も知らないって?」
ジェイクが手渡してくれたコーヒーを啜りながら、ラスは頷いた。
「……ああ。被害者の死因は心臓疾患かドラッグによる急性心不全。外傷もなし、争った形跡もなし。以前からの顔見知りらしい証拠もなし――あのドクターの所持品からもヤクは出なかった」
それに、と付け加える。忌々しいが、ラスの勘は何故か彼がシロだと告げていた。
「あのふざけた態度は癪だけどな――隠し事をしてる風には見えなかった」
「そっか、まあそうだよな」
どこか安堵したように頷いて――やはり顔見知りが事件の容疑者というのは多少なりと心地が悪いものなのだろう――、ジェイクは肩をすくめた。
「状況的にも……だって考えてもみてくれ。セックスした相手を殺して、逃げもせずにルームサービスを待たせたまま鼻歌交じりで優雅にバスタイム? 彼が犯人ならイカれてる」
「まったくだ。そこが一番気に食わねえ」
「とりあえず、被害者が飲んだと思われる薬のシートと残留物は、ラボに回しておいたよ。簡易検査じゃわからなかった不純物や、薬の成分そのものに異常がなかったか詳しく調べさせる」
そこへ、もう一つ足音が響いた。現れたのはマキ・リックス——ラスの先輩にあたるベテラン捜査官だった。四十代半ばの彫りの深い顔に、いつものぶっきらぼうな表情を浮かべている。
「よう、お前ら。フラン・エルウッドが男を腹上死させたって?」
開口一番のマキの言葉に、ジェイクが困ったような苦笑いを浮かべた。
「腹上死って、言い方……死因は心不全か、薬物摂取による中毒発作です」
「どっちにしろろくな死に方じゃねえなあ」
マキは煙草を取り出しながら、鼻を鳴らした。
「だがまあ、俺の知る限り、あのフランが殺しはねえな。あいつは筋金入りのトラブルメーカーだが、自分から進んで面倒事を――まして警察沙汰になるような事件なんぞを抱え込むタマじゃねえよ」
確信に満ちた先輩刑事の言葉に、ラスは複雑なものを隠しきれない表情でマキを見る。
「うちのバック・ドクターだって話は聞いたが……マキさん、その口ぶりだと親しいんですか? 結局なんなんすか、あの人は」
その問いに、マキの口元がわずかに緩んだ。呆れとも親しみともつかない、まるで懐かしい昔話でも思い出すような表情だ。
「あいつの診療所は元々ハーヴェイって医者がやっててな。腕のいい男で、ウチもよく世話になってたんだが……数年前にハーヴェイが死んで、今はあのフランが継いでる」
「つまり、先代からのバック・ドクター?」
ラスは興味深そうに眉を上げた。フランという男はバック・ドクターというわりにまるで警察に協力的には見えなかったが、先代からの縁で、ということならばある程度納得がいく。
「俺もマキさんに言われて何度か彼に仕事を頼みに行ったことがあるけど、ちゃんとした人だよ。……仕事は」
補足したジェイクの、「仕事は」という但し書きの微妙に含んだ響きに、ラスは眉をひそめた。
ジェイクの言葉に苦笑して、マキが煙を吐きながら続ける。
「師匠譲りであれも腕はいいんだが、フランの男癖の悪さは筋金入りだからなあ……ハーヴェイのとこへ行って少しはマシになるかと思ったが、昔とちっとも変わりゃしねえ」
「? 昔って?」
意味を掴みかねたラスの質問に、マキは一瞬煙草を口から離し、遠い目をした。
「――『エルファン』。聞いたことないか? 十年前までこのダスク・ストリップじゃあ知れた男娼の名だ」
「十年前って俺もまだ十七のガキですよ。歓楽街の娼婦の名前なんて――、って」
言いかけたところで、マキの言わんとすることに思い当たったラスは、煙草を咥え直した先輩刑事の顔をまじまじと見る。
「それがあのドクターだってのか?」
「そうだ。フランは元々ダスク・ストリップの娼館育ちでな。ハーヴェイが助手として引き取るまでは男娼として売ってた」
「………それで」
ラスの口から、記憶とともに低くぽつりと言葉が漏れた。ホテルの部屋で思わずラスが漏らした「コールボーイの間違いじゃねえのか」という皮肉に「遠からず」と答えたのは、そういうことだったのか。冗談でも皮肉を返したのでもなく、文字通りの意味だったということだ。
「あのきれいなツラとふてぶてしい態度、見たろ?」
マキが苦笑いを浮かべる。
「昔からああなんだ。あれに狂った客の男と刃傷沙汰なんてのもしょっちゅうの、とんだトラブルメーカーでなあ。俺も何度呼びつけられたか……」
「十年前っていうと……あの人っていくつなんですか? 年齢不詳ですよね」
ジェイクの疑問に、マキがうーんと顎に手を当てて首を捻る。
「俺が最初に会った時はまだ十四かそこらだったはずだから、かれこれ十五年ぐらい――三十近くにはなるんじゃねえか? まだまだ稼ぎ時の二十歳 かそこらで急に引退したんで、その当時界隈じゃあずいぶん騒がれたって話だ」
ラスは煙草を深く吸い込んだ。『エルファン』。フランの、あの人を食ったような態度、まるで世の中のことすべてが他人事のような飄々とした様子。そのくせひどく甘くて蠱惑的な微笑み。
「今でこそ体は売っちゃいないが……」
マキが続ける。
「好き勝手食い散らかすようになった分、商売にしてた頃の方がまだマシだったかもしれねえな」
「彼の昔のことは俺も少しは話に聞いてたけど、ちょっと印象変わったな……」
ジェイクが困ったような表情で手を後頭部に当てる。
「いつ見てもきれいな人だけど、普段は——仕事で会う時はああいう感じじゃないんだ、本当に。気分屋ではあるけど」
「元娼で、医者ねえ……」
ラスは灰皿に長い灰を落としながら呟いた。確かに、今日のホテルでのフランの態度——他人の死に対する無関心さ、人前で肌を晒すことに一切躊躇のない様子、そして何より、あのおっとりとしていながらどこか計算高い雰囲気——それらすべてに説明がついた気がする。
マキが最後に付け加えるように言った。
「……ま、仕事の方は保証するぜ。たいていのことは診てくれる。ただし、下半身は喰われねえようくれぐれも気をつけろよ?」
「――冗談」
ラスは煙を吐きながら首を振った。
「あんなわけのわかんない奴と関わり合いになるつもりはないっすよ」
見上げた東の空が色を変え始めている。もう夜明けが近い。ダスク・ストリップの街角では、新型麻薬ネオンブライトが静かに、しかし確実に蔓延しつつある。
だというのに、今脳裏にちらつくのは死体でも事件でもなく、あの蜂蜜色の瞳、口元のほくろ、そして挑発的でありながらどこか屈託ない笑顔——白い背中。
それらを振り払うように、ラスは短くなった煙草を揉み消した。
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