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3#裏通りでの再会

 あれから数週間が経っていた。夕暮れ時のダスク・ストリップはいつにも増して陰鬱な雰囲気を漂わせ、薄汚れた建物の隙間を縫って伸びる路地に、色とりどりのネオンサインが不規則に明滅している。  ラスは相棒のクロウと共に、ネオンブライトの流通経路を追う聞き込み捜査を終えて帰路についていた。  今日の成果は芳しくない。裏通りの連中は口が重く、得られたのは口さがない噂話ばかり。しかも治安が治安なだけあって、LCPSの隊員に好意的な連中ばかりではない。転属して数ヶ月。ルミナス・ネックスでも最悪の治安を誇るこのダスク・ストリップの環境にも慣れてきたとはいえ、日々の仕事は楽ではなかった。 「ったく、聞き込みも楽じゃねえよな」  ラスは制服のジャケットの前を開けて風を通しながらぼやいた。Tシャツの胸元に涼しくなり始めた夜風が心地良い。  疲労を滲ませながら歩くラスの足元で、不意に連れのサイバードッグから耳慣れない電子音が響き、首元のホロセンサーが不安定に明滅し始めた。クロウが立ち止まり、困ったような鳴き声を上げる。 「……どうしたクロウ、どっか調子おかしいのか?」  クロウの様子を確認しようと、ラスは膝をついてセンサー部分に軽く触れる。特に外傷はない。だが、瞳の青い光が時々ちらつくように不安定になっている。  その時だった。 「あれあれ、どこかで見た顔とワンちゃん」  背後から聞き覚えのあるおっとりした声。ラスは振り返って、思わず顔をしかめた。 「げ。あんた……」  そこにいたのは、フラン・エルウッドだった。スタンドカラーのシャツとベストにスラックス、きっちりした服装に身を包んだ彼は、以前バスローブ姿で現れた時とは印象がまるで違う。買い物の帰りなのか、手には小さな紙袋を抱えていた。 「また会ったね、刑事さん。こんなところでどうしたの?」  フランの蜂蜜色の瞳が、灯ったばかりの街灯に照らされて微かに輝いている。こんな裏通りの街角には似つかわしくない美形ぶりは相変わらずだ。 「仕事中だ。あんたに関係ないだろ……」  ラスは素っ気なく答えて立ち上がった。この男と関わり合いになるつもりはない、と先日マキに言ったばかりだ。だが、フランはラスの態度など意に介さず、クロウに近づいて屈み込んだ。 「ふうん。この子、調子悪そうだけど。大丈夫?」  フランの視線がクロウのセンサーに注がれる。医師らしい観察眼で、不調の箇所を見定めているようだった。 「僕でよければ診てあげようか。すぐそこだし」  フランが診療所の方向を親指で指しながら言う。その表情には先日のような挑発的な色合いはなく、純粋に医師としての提案のように思えた。 「……」  ラスは答えに迷った。クロウの不調は明らかだが、この男に頼るのは何となく釈然としない。だが、今からLCPSのステーションに帰ってもこの時間ではもうメカニックは捕まらないだろうし、夜間も対応している提携ラボまでは距離がある。 「……あんた、人間専門じゃないのか? サイバードッグも診られるのかよ?」 「裏通り(ここ)はいろんな人がいるからねえ。人間でもサイボーグでも、ひと通りは診られるよ。もちろん、あんまり専門的で高度な治療とかは無理だけど」  フランは肩をすくめながら、まるで当然のことのように答えた。 「そう警戒しないで?  これでも医者としての仕事はまともなつもりだよ?」  最後の言葉は少し甘えるような響きがあった。  ラスは一瞬躊躇したが、クロウが『クゥン』と甘えた声を上げ、フランにすり寄るのを見て、ラスはああもう、と唸ってガシガシと頭を掻いた。 「……わかったよ、頼む。クロウがそんだけ懐くなら悪いようにはしねえだろ」  観念したように肩を落とすラスに、フランは満足げに微笑んだ。 「任せて」 *  診療所は、裏通り沿いの角に立つ二階建ての建物だった。建物自体はいささか古びており、パネル張りの外観にはところどころ塗装の剥げや錆が見える。  青白く光る十字のネオンサインと、入口上部のホログラム看板の『Ellewood Medical Clinic』の文字が控えめに点灯し、スモークガラス製の自動ドア横のパネルには、診療時間などが表示されていた。  中へ入ると、外観の印象よりもずっと清潔で整理された空間が広がっていた。さほどの広さはないが、待合室には簡素なソファや観葉植物が置かれ、奥には診察室。白い壁には医療器具が整然と並んでいるのが見える。 「その子をこっちへ」  言いながら、受付カウンター内の壁のフックに掛けてあった白衣を羽織ると、フランは診察室へとラスを案内する。  診察台代わりの金属テーブルへクロウを乗せるように促され、ラスは抱き上げたクロウをそこへ寝かせた。サイバードッグの重量感のある体が、ひんやりとした金属に大人しく伏せる。 「ちゃんとメンテナンスしてあげてる? サイバードッグは繊細なんだから、こまめにみてあげなきゃだめだよ」  フランは小さな精密ドライバーやスキャナーを手に取りながら、まるで子供を諭すような口調で言った。 「……わかってるよ。最近、少し忙しかったからな。無理をさせすぎたかもしれない」  憮然と答えたラスを気にしたふうもなく、フランは手馴れた様子でクロウの首元のパネルを開いて配線をチェックしていく。  最初は警戒して身を強張らせていたクロウも、フランの手つきが的確で優しいものだと理解したのか、今は大人しく身を任せていた。  ラスは壁際に立って腕を組み、フランの作業を見守っていた。先日のホテルでの飄々とした態度とは打って変わって、フランの表情は真剣そのものだった。集中した横顔は美しく、長い睫毛が影を作っている。 「……あんた、元は娼館で働いてたって?」  沈黙に耐えかねて、ラスは口を開いた。フランは特に手を止めるでもなく、淡々と作業を続けている。 「マキさんから聞いたの? お喋り。――ま、別に隠してもないんだけど」  フランは手元から視線を上げないまま、ふっと笑って軽い調子で答える。 「ずいぶん売れっ子だったって聞いたぜ。それがなんで医者なんかに――」  ラスが言いかけた瞬間、診療所の入り口のドアが勢いよく開いた。 「助けてくれ!」  息を切らせた男が、もう一人の男を肩で支えながら飛び込んでくる。支えられている男は顔色が悪く、額に脂汗を浮かべていた。シャツの袖が血で染まっており、明らかに怪我をしている様子だ。 「はいはい、ちょっと待ってねえ」  急患を一瞥したフランは、クロウに「きみは少し待ってて」と優しく声をかけて工具を置く。表情も声も変わらない。だが顔を上げた彼の瞳は、今までのおっとりした色とは違っていた。 「手伝って」  唐突、それでいて有無を言わさぬ声音に、ラスは思わず目を瞬かせてたじろぐ。 「は?  なに――」 「人手がないの、文句は後で聞いてあげるから。患者を処置室のベッドへ。急いで」  ​語気は強くない。だがその口調は命令そのものだった。ラスは呆気に取られつつも、身体が動く方が早かった。付き添いの男と二人で患者の身体を抱えて奥の処置室へと運ぶ。かなり痛みが強いのか、抱えられた男は顔を歪めた。 「なにがあったんだ?」 「作業中に機械に巻き込まれちまって――……その、」  尋ねたラスに、付き添っていた男は言い淀んだ。視線がラスのジャケットについたエンブレムを気にするように彷徨う様子に、内心で事情を察する。 (……なるほどな)  ダスク・ストリップには、正規の身分証を持たない者や、様々な事情で表の医療機関にかかれない者も多くいる。この診療所は、そうしたグレーゾーンに生きる人々の受け皿でもあるのだろう。この患者も、何か警察には言えないような事情を抱えているのかもしれない。 「大丈夫、ここじゃよくあることだから」  そこへ白衣の袖を捲り、手袋をはめたフランが現れた。立場上、本来であれば見咎めるべきところなのだろうが、ラスも今この状況でそれを言い立てるほど非情ではない。 「付き添いの――あなたは外で待っていて。大丈夫、任せて」  不安げに立ち尽くす付き添いの男に悠然と微笑むと、フランは急ぐでも慌てるでもなく、落ち着き払った様子で処置室のベッドに寝かされた患者の腕をとる。 「どれどれ、見せて」  血で汚れた作業着の袖を手早く切り取り、血を洗い流して傷口を露出させる。見ると、右前腕の筋肉部分に深い裂傷があった。動脈は無事のようだが、出血は続いている。 「うん、筋肉の損傷だね。神経と血管は大丈夫そう……でも縫合は必要かな」  フランの診断は迅速で的確だった。すでに麻酔薬と縫合用の器具を準備している。 「リーズ刑事、そこの棚から消毒薬を取って。青いボトル」 「お、おう」  ラスは指示された物品を手に取りながら、フランの変貌ぶりに戸惑っていた。先日のホテルでの挑発的な態度、人を煙に巻くような口ぶり、クロウに向ける優しげな表情、そして今の医師としての判断力と手際。すべてが別人のようで、それでいてまったく変わらないようにも見える。 「麻酔するから、少しちくっとするよ」  フランは患者に優しく声をかけながら注射を打つ。男の緊張した表情が、わずかに和らいだ。 「大丈夫、きれいに治るからね。ただし、しばらく重いものは持っちゃだめ」  フランの声は穏やかで、患者を安心させる響きがあった。ラスはただ無言でその端正な横顔を見つめていた。 「刑事さん、この人の肩を支えててもらえる? 縫合中に動かれると困るから」 「ああ、わかった」  自分でも驚くほど素直に指示に従って、ラスは患者の背後に回り、肩をしっかりと支えた。男の体重がずっしりと腕にかかる。 「じゃあ、始めましょうか」  フランは縫合針を手に取った。集中した眼差し、微細でありながら一切の迷いのない手技。  彼の手は驚くほど器用で、傷口の縁を的確に合わせながら縫合していく。時々患者に「大丈夫? 痛くない?」と声をかけるのも忘れない。  ラスは間近でその技術を見ながら、文字通り舌を巻いていた。職業柄、ラスにも簡単な創処置の心得はある。だがこれほど確実で美しい縫合技術を、こんな裏通りの小さな診療所で見ることになるとは思わなかった。 「――はい、終了。お疲れさま」  最後の結び目を作り終えると、フランは満足そうに息をついた。患部にガーゼを当て、包帯で固定する。動きは優しく見えるのに、その一連の動作にもやはり無駄がない。  痛みと緊張に強ばっていた患者の顔にもようやく安堵の表情が浮かぶ。 「薬をいくつか出しておくから、いつものところで処方してもらって。忘れずにきちんと飲むこと。熱が出たり傷口が腫れたりしたらすぐに診せに来てください。いいね?」 「はい。……ありがとうございます、先生」 「お大事に」  患者と付き添いの男が深々と頭を下げて出て行くと、診療所に静寂が戻った。 「ありがとう」  ラスに向き直ったフランが、そう言ってにっこりと微笑んだ。嫌味も含みもない、ごく純粋な笑み。 「それじゃ、きみの相棒のほうに戻ろうか。いい子で待てができてえらいねえ」  フランはふたたびのんびりとした口調に戻って、クロウの方へ歩いて行く。ラスは一瞬ぽかんとした表情になった。 「あ、ああ……」  急患対応に集中していて、クロウのことを完全に忘れていた。フランの自然な切り替えに、改めて戸惑いを覚える。 「あんた、」 「なに?」  言いかけたラスに、フランが振り返る。その表情には、先ほどまでの真剣な緊張感はもうない。いつものおっとりとした雰囲気が戻っている。 「……いや、医者としてはまとも、ってのはマジだったんだなと思ってさ。さっきの手際、見事だった」  ラスは正直に感心を口にした。マキの「仕事の方は保証する」という言葉が胸の内に蘇る。  フランは一瞬きょとんと目を瞬かせ、次の瞬間、声を上げて笑い始めた。 「なに、それ。褒めても何も出ないよ?」  けらけらと笑うフランは、先日のホテルで見せた蠱惑的な微笑みとも、今しがたの医者らしい表情とも違う、まるで無邪気な子供のような顔だった。  元娼らしい妖艶さ、患者に見せる医者の顔、そして今の天真爛漫な笑顔。ころころと色を変えるそれに、ラスは困惑する。 「――でも助かったから、この子の処置料はタダにしてあげる。うちは非正規だから、ほんとは高いんだよ?」  笑いを収めたフランは上目遣いに微笑んで、クロウの調整に戻る。その指先が精密な機械部分を的確に調整していく様子を見ていると、なにか説明のつかない妙な感覚が腹の底を掠めた。 「センサーの校正がずれてただけだね。これで大丈夫」  フランがパネルを閉じると、クロウの瞳が安定した青い光を取り戻した。サイバードッグは嬉しそうに尻尾を振り、フランの手を舐める。 「よしよし、もう大丈夫」  フランは優しくクロウの頭を撫でた。その仕草は自然で、どこか愛情すら感じられる。 「ありがとう、助かった」と素直に礼を述べれば、「こちらこそ」とやはり素直な返答が返ってくる。 「何があればまたいつでも」  そう言って微笑んだフランに見送られ、ラスは診療所を後にした。すっかり夜の帳が下りた裏通りを歩き出す。クロウは元気を取り戻し、軽やかな足取りでラスの横を歩いている。それを見下ろしながら、ラスはひとつ息をついた。 「本当に、食えない奴だな……」  あのフラン・エルウッドという男は、ラスが今までに出会ったどんな人間とも違っている。何を考えているのか、さっぱりわからない。  夜風が頬を撫でて行く。遠ざかる診療所を、ラスは無意識に振り返っていた。 

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