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4#捜査線

 データが並ぶモニターの青白い光、冷めたコーヒーの酸っぱい香り、そして解決の糸口が見えない事件がもたらす、じっとりとした焦燥感。  サウスウエスト・エッジ・ステーションの一室、ラスはデスクに足を放り出し、手元のタブレットに映し出されたネオンブライトの成分分析データと、ここ最近の中毒者の情報をぼんやりと眺めていた。隣ではジェイクが、判明している売人の情報と関係図を根気強く更新している。向かいのデスクでは、マキが腕を組んだまま黙考していた。  その時。 「冗談じゃないわ!」  気怠く澱んだ空気をぶち破ったのは、部屋のドアを蹴破らんばかりの勢いで開けた女性捜査官だった。  ​飛び込んできたのは、同僚のイジー・ダラス。普段はクールな彼女にしては珍しく、その声には怒りと苛立ちが剥き出しになっていた。アシンメトリーに切り揃えられたショートヘアが、乱れた呼吸に合わせて揺れている。 「どうした」  ​ただならぬ様子にマキが重々しく顔を上げる。部屋にいた三人の視線が、一斉にイジーへと注がれた。 「どうしたもこうしたもないわよ。せっかく密売人を追い詰めたっていうのに――」 「逃げられたのか?」  ​ジェイクが椅子を回転させ、心配そうに尋ねる。イジーはそれを、首を激しく横に振って否定した。 「違う。横取りされたの」  イジーは椅子を引いて荒っぽく腰を下ろすと、テーブルに肘をついて悔しそうに髪をかきあげる。 「横取り?  どういうことだよそりゃ」  ​ラスが放り出していた足を下ろし身を乗り出すと、イジーは忌々しげに舌打ちを一つして一気にまくし立てた。 「レヴァリスよ。奴らが横槍を入れてきて、私が押さえようとした売人を掻っ攫っていった」  ​その名前に、部屋の空気が一瞬で張り詰める。  レヴァリス。ダスク・ストリップを拠点に、このルミナス・ネックスで、トレード・ハブを取り巻く市街地「ミッド・グリッド」の裏社会を牛耳る巨大マフィア組織。  これまでの捜査で、ネオンブライトの密売にもその巨大な組織が関わっているに違いないと、誰もが考えていた。 「レヴァリスが売人を横取りするって……どういうことだ?  LCPS(うち)に捕まらないように助けたんじゃなくて?」  ​ジェイクが、もっともな疑問を口にする。ラスも同じことを考えていた。自分たちの縄張り(シマ)で動く末端の売人を、元締めであるはずの組織が、わざわざ警察の目の前で攫う理由がない。  ​イジーは腕を組み、数時間前の出来事を思い出すかのように目を細めた。  彼女は数日にわたる内偵の末、マーケット・ロウでとある密売人が取引を行うという確証を得て踏み込んだ。相手はすぐに逃走を図ったが、裏路地へと追い詰め、あと一歩で身柄を確保できる、というところだったという。  そこに、まるでタイミングを計ったかのように、二人の男が現れた。 「一人は銀髪の優男。もう一人は黒髪の長身で……口ぶりや身なりからしても、両方下っ端の構成員って感じじゃなかったわ」  ​イジーは冷静に、しかし声の端々に怒りを滲ませながら続ける。男たちは、彼女が銃口を向けるのも意に介さず売人の身柄を確保すると、こう言い放ったという。 「『そいつは俺たちが引き取る。お嬢さんにゃ悪いが、こっちもこいつに用があってね』――ですって。何がお嬢さんよ、ふざけてるわ」  ​ラスは想像する。薄暗い路地裏、追い詰められた売人と、銃を構えるイジー。そして、そこに悠然と現れる二人のマフィア。  それは、単にLCPSに対する挑発、あるいは縄張りを荒らすなという警告にも見える。だが、それにしてはイジーの語った男の台詞はどこか腑に落ちない。 「奴ら、それだけか?  この件に関わるなとか、そういう脅しや警告とかは?」 「それが、妙なのよ」  ​イジーは首を傾げる。 「銀髪の男は、『俺たちも、この厄介なクスリの出所を探っててね。内部が少し、ごたついてるもんで』なんて、わけの分からないことを言ってた。まるで、自分たちは今回の密売とは無関係みたいな口ぶりで」 「内部がごたついてる、か……」  ​それまで黙って聞いていたマキが、低い声でその言葉を繰り返す。長年この街の裏も表も見てきたベテランの目に、鋭い光が宿った。 「なるほどな。どうも引っかかるとは思ってたが、レヴァリスほどの組織が、一枚岩じゃないってことか」 「どういうことです?  マキさん」  ​ジェイクが尋ねる。 「レヴァリスの現ボスはどちらかと言えば穏健派だ。先代からの古い掟を重んじ、無用な争いや目立ちすぎる商売を嫌う。特に、中毒性の高い新型ドラッグで死人がバタバタなんてのは、奴の流儀に反するはずだ」  ​ラスはマキの話を聞きながら、これまでのネオンブライトによる中毒死事件を思い出していた。フランと出会ったあのホテルでの変死事件も、死因はネオンブライトの副作用だった。似たような死亡事件はあれひとつではない。プロの組織が流通させる商品にしては、あまりにも粗悪で危険すぎる。死者が出れば警察が動き、商売がやりにくくなることくらい、レヴァリスほどの組織なら分かりきっているはずだ。 「つまり、ネオンブライトを売り捌いてるのは本当にレヴァリスじゃないってのか?」 「いや。口ぶりからして出どころはレヴァリスの内部で間違いはないだろう。その内部で、急進派の連中が密かに力をつけようと、シノギを広げるために独断で動いてるのかもしれん。そいつは『出どころを探ってる』と言ってたんだろう?」   マキの確認に、イジーが頷く。 「売人を横取りしたのも、組織内部の裏切り者を吊るしあげるための証拠集めと考えれば説明がつく」  ​マキの言葉に、これまで点と点でしかなかった情報が、一本の線で繋がっていく感覚があった。  レヴァリス。杜撰な品質の麻薬。横取りされた売人。内部抗争。追うべき敵の正体が、少しだけ輪郭を帯びてくる。 「粗悪な薬といえば」  ジェイクが思い出したように呟いて、モニターを切り替え、画面に一人の男の情報を映し出す。 「ギア・ストリートのホテルで死んだ例の男――アラン・ケンプについて、改めて身元を洗ってみたんです。裏通りで売られてるような質の悪いヤクにわざわざ手を出すようなクラスの人間じゃなさそうなのが気になって」 「……ああ、あのドクター――フラン・エルウッドの」  ラスの脳裏に、あの夜の光景が蘇る。ベッドの上で冷たくなっていた男。そして、その傍らでバスローブ一枚を纏い、悠然と佇んでいたフランの姿。  男はトレード・ハブの一流企業に勤める中堅クラスの管理職だった。たしかに、これまで確認されているネオンブライトによる死亡者の中で、トレード・ハブのオフィスに席を置くような、いわゆるハイクラスに属する人間はこの男だけだ。  それ以外にも、ケンプの死の状況には違和感があった。  「ラボから、現場に落ちていた薬のパッケージの詳細な解析結果が上がってきたよ。現場で照合して、パッケージは正規の心臓発作の抑制薬のIDだって確認したろ? その後ケンプにその薬の処方歴があることも確認された。彼が心臓の持病を抱えていたことは間違いない」 「たしかに、あのドクターも言ってたな。男は最中に胸を押さえるような仕草をしてたって」  ラスの言葉を受けて、ジェイクが続けた。 「そう。でも、開いてたパッケージの残留物から検出されたのは、高純度のネオンブライトの成分だったんだ」 「つまり正規の薬のパッケージの中に、ネオンブライトが仕込まれてたってこと? そんなケース初めてだわ」  イジーが眉をひそめる。あの日の男の死体としれっとしたフランの顔を思い出しながら、ラスは腕を組んだ。 「ベッドでの激しい()()で発作が起きて、奴はいつもの自分の心臓薬を飲んだつもりだった。だが、その中身はネオンブライトにすり替えられていた……それで急性の心不全を起こしたってことだな」 「仮にケンプがネオンブライトの常用者だったとしても、自分の麻薬を隠すためのカモフラージュにしちゃ手が込んでる。そもそも心臓病の人間がネオンブライトに手を出すとも思えないし」 「ふむ。となると、気になるのはそいつの素性だな。もしたまたまじゃなく意図的に持病の薬に仕込まれたんだとしたら――動機はなんだ?」 「それなんですけど」  マキの言葉に、ジェイクがモニターの情報を指差した。 「ケンプの勤務先は、トレード・ハブにあるヘルスケア系のテクノロジー企業『ネクサス・バイオテック』。実は、彼が手がけていた先端応用メディカルの開発プロジェクトには、ここ一年ほど不自然に大きな資金が投入されてて」  その報告に、部屋にいた全員の視線がモニターに突き刺さる。 「これは推測だけど……彼が単なる偶然の被害者じゃないとしたら……例えばネオンブライトの『開発』に何らかの形で関わっていたとしたら?」  ジェイクの言葉に、ラスがその先の推測を口にする。 「だとしたら、ケンプはその薬の開発に関わる内輪揉めか口封じか――なんらかの原因で〝消された〟ってことか?」  イジーがはっとしたように顔を上げた。 「それなら辻褄が合うわ。そもそも、新しい麻薬を開発して、しかも正規の薬に偽装する技術……それもボスの目を盗んで独自のルートで売り捌くなんて、レヴァリスの急進派だかの一部が単独でやれる規模じゃない。相当な資金と、専門の設備が必要なはずよ。その金はどこから来てるのかしら」  ​イジーの指摘は的を射ていた。レヴァリスの内部資金だけでは、ボスに隠れてこれだけの規模の計画を進めるのは難しいだろう。必ず、外部に強力なスポンサーがいるはずだ。 「資金源……なあ。ケンプ本人はマフィアに出資できるほどの資産家ってわけじゃないんだろ」  ​ラスが呟くと、ジェイクがタブレットを操作し、ルミナス・ネックスの地図をモニターに映し出した。きらびやかな高層ビルが立ち並ぶトレード・ハブと、その周囲に扇状に広がる街、ミッド・グリッド――その端に位置するダスク・ストリップ。光と影が、あまりにも対照的だった。 「これだけの資金を動かせるとなると、金の出所はケンプよりもっと上のトレード・ハブの富裕層……企業の重役や投資家あたりが絡んでる可能性も考えられるね。ハイリスク・ハイリターンを狙った、裏の投資として」  ジェイクの言葉に、マキが頷いた。 「あり得る話だ。表ではクリーンな顔をして、裏でマフィアに金を流し、違法な商売で儲ける。いつの時代も、そういうダーティな金持ちはいるもんだ」 「ここの金の流れを洗えば、あるいは――」 ​  レヴァリスの内部抗争、トレード・ハブの資金源、そして、開発に関わっていたかもしれない男の死。先の見えなかった事件の糸が、ようやく一つの綻びを見せ始めていた。 「よし、方針は決まりだな」  ​マキが、会議を締めくくるように言った。 ​ 「ジェイクは引き続き、そのネクサス何とかって企業と、死んだ男の金の流れを追え。特にトレード・ハブやレヴァリスに繋がりそうな不審な履歴を重点的に。イジーはそいつの交友関係のほうを洗ってくれ」 「了解」 「わかったわ」  ​ジェイクとイジーが、力強く頷く。 「そしてラス」  ​マキの視線が、ラスへと注がれる。 「お前さんはクロウを連れて俺とレヴァリス周辺の捜査だ。何か引っかかることがあれば、どんな些細なことでも報告しろ」 「了解」  ​短く答えながら、ラスの脳裏にふと、あの食えない医者の顔が浮かんだ。 (……あいつなら、何か)  この裏通りで表も裏もなく患者を引き受け、元娼として数多の客を見てきた彼ならば、あるいは。――そんな考えが頭をよぎる。  捜査は、新たな、そしてより危険な局面へと突入しようとしていた。  

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