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EX#三度目の口説き文句
診療時間をとうに過ぎ、消毒液の匂いだけが静かに満ちる待合室。フランは一人、カウンターでいつものように業務端末を弄っていた。
今日の診療記録を打ち込み終えて、さてそろそろ二階へ上がろうかというところで、自動ドアのセンサーが来客を告げる。
顔を上げるより先に、聞き慣れた足音だとわかった。
「あれ。どうしたの、こんな時間に」
努めていつも通りの、間延びした声で問いかける。だが、内心では彼が何のためにここへ来たのか、とっくに察していた。
最後に会ったのは——たしか元気になったクロウを連れて顔を見せにやってきた、あの日だ。事件後のバタバタと後処理でラスは疲労困憊といった様子だったが、ほんの短時間、互いに軽口を交わして別れた。
あの時「専属のボディガードとして雇ってあげようか」とからかって、そのまま次があるようなないような、宙ぶらりんの空気のまま放置していた。
あれからもう二週間。フランからは特に誘わなかった。
摩天楼での夜、ここへ戻って緊張と興奮の余韻のままに激しく求め合ったあのセックスはたしかに最高だったが、終わってしまえばそれまでのこと。
誰であっても、求められなければそれきりでも構わない、というのが常だ。求められてさえ二度目に応じることは滅多になく、事実、これまでに幾人もの男を、そうやって当たり前に手放してきた。
けれど。
目の前に立つラスの顔を見て、ほんの少しだけ――自分でも意外なほどに――胸の内が浮き立つのを感じている自分に、フランはひそかに苦笑した。
「……あんたに会いに来た」
思いのほか、あっさりと吐き出された言葉。
フランは目を瞬かせる。この男は、もう少し憎まれ口を叩いてから本題に入るものだと思っていた。そのまっすぐさに、少しだけ調子が狂う。
「……それは、口説き文句かな」
「他に聞こえるか? それか花束でも持ってくりゃ良かったか?」
「あっははは! 似合わない」
思わず声を上げて笑ってしまう。想像してみただけで、このどちらかといえば粗雑な男が不器用に花束を抱えている姿はどうにも滑稽で、同時にどうしようもなく可愛らしかった。
(ああ、でも)
パーティに潜入するために正装してめかし込んでいた彼はなかなか悪くなかった。あの格好ならば気障な花束も似合ったかもしれない。
「それで? どんなふうに口説いてくれるの?」
からかい半分、しかし本当に興味があって尋ねる。カウンターに頬杖をつき、上目遣いにラスを見上げた。
ラスは一瞬視線を逸らしかけたが、すぐに腹を括ったようにひとつ息をついて、真っ直ぐこちらを見据えてくる。
「あんたとセックスがしたい」
その言葉に、フランは小さく息を呑んだ。
――ああ、これは。
いつか自分がラスに言った言葉だ。理由も打算もない、ただその瞬間そうしたいというだけの、単純な欲求——フランにとっての行動原理。あの時ラスは、それを聞いてどこか吹っ切れたような顔をしていた。
まさかここで同じ言葉で返してくるとは思わなかった。それも「口説き文句」として。
だから、不覚にも——少しだけときめいてしまった。
こみ上げてくる愉快さと、それだけでは片付けられない、もう少し柔らかいなにかを持て余しながら、フランは唇の端を持ち上げる。
「――いいよ。手加減、なしでね?」
これもまた、いつかの台詞のリフレイン。気づいているのかいないのか、ラスは軽く目を見開いてから、ふっと息を吐くように笑う。
「当たり前だ」
その返事に満足して、フランはカウンターから立ち上がると、二階へ続く階段の方向へ顎をしゃくった。
「じゃ、先に上がってシャワー浴びてて。僕はこっち閉めてから行くから」
そう言うと、ラスは肩すかしを食らったように首をすくめる。
「お預けかよ」
「ふふ。時間はいっぱいあるんだよ。今日まで待ったんでしょ? あとちょっと焦らされるくらい、なんてことないない」
ひらひらと手を振りながら笑ってカウンターを回り込み、フランはぽんとラスの肩に触れた。シャツ越しに感じる自分よりも高い体温。その熱がもっとずっと熱くなって、自身の肌を溶かすことを知っている。
すれ違いざま、無言で視線を交わすと、そのグリーンの瞳の奥に燻る熱が一瞬閃いて——すぐにふっと下ろされた瞼に遮られた。きっと彼も、同じ熱をこちらの瞳の中に見たはずだ。フランがそれを隠さないことを、ラスもまた知っている。
ひとまず衝動的な熱を収めたラスが「はいはい」と素直に頷いて階段を上がっていく、その背中を見送りながら、フランは端末の電源を落とし、待合室の照明を一つ、また一つと消していく。
静かになった診療所に、自分の足音だけが響く。
——はじめは単なる好奇心と、いつも通りの気まぐれのつもりだった。二度目は張り詰めた緊張と熱と興奮のままに抱き合った。そして三度目——そのうち来るだろう〝その瞬間〟が来るに任せて何も考えていなかったが、いざこうして向こうから会いに来られてみると――存外、悪くない。むしろ、少しだけ待っていた自分がいたことを、フランはようやく認める。
(……ま、いいか)
名前をつける必要も、理由を探る必要もない。ただ、今夜もまた、そうしたいから、そうするだけだ。
最後の明かりを落として、フランは軽い足取りで階段へと向かった。
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