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第25話 その後の物語
目を覚ましたとき、図書室は暗くなっていた。
紙の樹に、青白い光がともっている。
葉の一枚一枚が小さな月のように輝き、円形の広間を淡く照らしていた。
王子はヨシュアの膝に頭を預けたまま、何度か瞬きをした。
「お目覚めですか?」
白い指が、髪を撫でている。
「……どれくらい寝てた?」
「二時間ほどです」
「そんなに?」
「よくお休みでしたよ」
身体を起こす。
肩へ掛けられていた白い外套が、膝から滑り落ちた。
ヨシュアのものだった。
「暗くなってる」
「地下ですから、もともと暗いですよ」
「そうじゃなくて」
紙の葉が揺れている。
図書室へ来たときには白かった葉が、今は夜空の色へ変わっていた。
「時間に合わせているのかな」
「そうかもしれません」
ヨシュアは微笑んだ。
その手には、古い絵本がある。
「まだ読んでたの?」
「ええ」
「最後まで読んだだろ」
「そうですね」
ヨシュアは絵本を閉じた。
王子は、その指先を見た。
表紙から何枚もの頁がはみ出している。
読み終えたときより、厚くなっているように見えた。
「貸して」
手を伸ばす。
ヨシュアは絵本を渡さなかった。
「もう、帰りませんか?」
「どうして」
「お誕生日のご馳走が待っています」
「昼に食べるつもりだったのに、もう夜だよ」
「では、夕食に」
「その前に見せて」
「何をです?」
「絵本」
王子は掌を上へ向けた。
ヨシュアはしばらく、その手を見つめていた。
「楽しいお話ではありませんよ」
「わかってる」
「読まないほうが、幸せかもしれません」
「何か隠してる?」
ヨシュアは答えなかった。
その沈黙が答えだった。
王子は手を下ろした。
「僕に嘘をついていたの?」
「いいえ」
「では、どうして見せないんだ」
「嫌われたくないからです」
ヨシュアは、いつもと同じ穏やかな声で言った。
あまりにも素直な答えだった。
王子は言葉を失った。
「僕が、ヨシュアを?」
「ええ」
「何が書かれているの」
「私のことが」
紙の葉が囁いた。
何千もの小さな声が、二人の周囲で重なっている。
「見せて」
王子はもう一度言った。
「テオ」
「僕が決める」
ヨシュアの目を見つめる。
「読んで嫌いになるか、読まなくても嫌いにならないか。ヨシュアが決めることじゃない」
金色の瞳が揺れた。
ヨシュアは、絵本へ目を落とす。
「そうですね」
ようやく、本が差し出された。
「そのとおりです」
王子は受け取った。
最後に読んだ頁を開く。
『悪い魔法使いが、二度と目を覚まさないように』
明るい町の挿絵。
ここで終わっていた。
頁の端へ指をかける。
次の紙があった。
先ほどは、なかったはずの頁。
「読んで」
王子はヨシュアへ絵本を返した。
「私が?」
「うん」
「ご自分では?」
「ヨシュアの声で聞きたい」
それが正しいのかは、わからなかった。
ただ、自分の知らないヨシュアの物語なら、本人の口から聞きたかった。
ヨシュアは本を開いた。
王子の隣へ座る。
肩が触れ合うほど近いのに、先ほどまでとは違い、遠く感じた。
「では」
ヨシュアは頁をめくった。
「その後の物語を、お話ししましょう」
いつもの明るさが、声から少しだけ消えた。
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『悪い魔法使いは、石の中で眠りました』
『一年』
『十年』
『百年』
『それよりも、もっと長いあいだ』
挿絵には暗闇だけが描かれていた。
頁いっぱいの黒。
中央に、金色の小さな目が二つ浮かんでいる。
『石の中には、朝も夜もありません』
『音も、光も、誰かの声も届きません』
『悪い魔法使いは、自分が誰だったのか、少しずつ忘れていきました』
王子はヨシュアを見た。
白い横顔は、絵本へ向けられている。
『けれど、一つだけ忘れませんでした』
『ここから出たい』
『誰かに見つけてほしい』
『もう一人になりたくない』
次の頁には、小さな鈴が描かれていた。
石碑から垂れた、銀の鈴。
『悪い魔法使いは、残っていた力を鈴へ伸ばしました』
『鳴らすことはできません』
『けれど、ごく微かな願いを、音の形にして外へ送りました』
『誰でもよい』
『誰か』
『どうか、ここに気づいて』
鈴の周りから、細い線が広がっている。
王子は胸元を押さえた。
記憶の中で、音がした。
ちりん。
小さく。
か細く。
不規則に。
「呼んでいたの?」
王子が尋ねた。
「ええ」
「僕を?」
ヨシュアは、すぐには答えなかった。
「いいえ」
やがて静かに言う。
「誰でもよかったのです」
胸の奥で、何かが軋んだ。
「誰でも」
「はい」
「僕じゃなくても?」
「鈴に気づいてくださる方なら」
ヨシュアは悪びれなかった。
その頃の自分にとっては、本当に違いなどなかったという顔をしている。
「人でなくても、よかったかもしれません。鳥でも、獣でも。鈴に触れて、封印を壊してくだされば」
「では、僕が聞こえたのは」
「偶然です」
ヨシュアは微笑んだ。
「けれど、偶然は運命の始まりでしょう?」
王子は笑えなかった。
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