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clear 08. 音と芽

 春がはじまりかけています。なんだか寂しい感じの今日、フィルストーン学園は卒業式です。  式典には全校生徒が出席します。わたしも、もちろん出席して、とてもしつこい眠気と戦いました。  卒業生代表は、なんと優芽先輩でした! おどろきました。それから世那先輩は薬学の賞をもらっていました。例の騒動で、世那先輩の開発した解毒薬はとても役に立ったみたいです。  ようやく式典がおわって、みなさん、毎日通っていた大通りで別れを惜しみます。悲しいですよね。世那先輩もけいくんに何やら声をかけていますね。盗み聞きは野暮なので離れていますよ。あ、世那先輩が誰かに声をかけられました。人気者ですもんね。あれ、その場で断っているみたい。それはそうですよね。けいくんは動揺もしていない。もうすっかり、大丈夫だ。  いけない。踊りだしそうになっていましたよ、たいへんたいへん。 「音音ちゃーん!」 「……へ?」  どこからか優芽先輩の声が聞こえてきました。でもどこにいるのだろう。校舎の方から聞こえたような気がしたけどな。どこにもいません。  と思ったら、砂ぼこりが舞いました。なにごと。 「ちょっと、ごめんね〜」 「……え、」  わたし、状況があまり、えっと、浮いています! 景色がびゅんびゅんと過ぎていく。あれ、これは、すごい速度で走っている優芽先輩に、抱えられている。 「ど、どどど、どういう!?」 「あはは! いま逃げてんの〜」 「に、にげている?」  おそるおそる背後を見てみます。うわあ。おどろきました。たくさん追いかけてきますよ。あれはVeilですね。後輩も卒業生もいますね。でも、やっぱり優芽先輩の足には敵わないみたいです。どんどん脱落していく。  けれど、なぜ、わたしを……? 「ゆ、優芽先輩、えっと、」  わたし困惑していたら、優芽先輩はいくらか速度を落として、どこか空の遠い方を見て「うーんとね」と言いました。そして、なにやら頷いて、とびきりの笑顔で、 「音音ちゃん。俺のお嫁さんにならない?」  と言います。  よめ、ヨメ、……嫁!?  嫁って嫁ですか? 嫁って、つまり嫁ですか? すっかりパニックです。あわあわしてしまいます。  でも優芽先輩、すごく楽しそうに笑っています。 「えっと、えっと、そのっ、えっと、」  わたしの頭では処理が追いつかなくて、きっと煙が出ています。ぐるぐると考えていたら、優芽先輩はふいに立ち止まって、そっとわたしを降ろしました。  そして、わたしの両手をゆったりともちあげます。 「来年、迎えに来るからさ、それまで考えていてよ」    と言って、わたしの手に、触れるか触れないかの口付けを落としました。わたし、ひょえっ、となってしまって、でも不思議とこれは嬉しい感じがして、こくこくと頷くことしかできなかった。  優芽先輩、また楽しそうに笑って、 「ちょっとデートしてこうよ」  と言います。なっ、でーと、ですか。    わたし、やっぱりこくこくと頷くことしかできず、優芽先輩に手を引かれるまま、なんだかきれいな川のほとりを歩きます。  あたらしい芽が出る前の、さらさらとした並木道を歩いて、優芽先輩がぽつりぽつりと話して、わたしは頷いたり笑ったりしていました。それはいつもと変わらないような時間ですけど、優芽先輩、手を離してくれないので、わたしはたぶん沸騰している。  いつのまにか日暮れがすぐそこにやってきて、学園に戻っていました。優芽先輩は寮まで送ってくれたのですが、寮の前にはけいくんがいて、そして窓からこちらを見ているひとがいる。あ、さっき優芽先輩を追いかけていたひともいますね。 「音音ちゃん借りてた〜」  と優芽先輩が言って、けいくんは「べつにいいけど」とため息をつきました。 「じゃね、音音ちゃん。お返事まってる」  優芽先輩、さわやかにわらって、もう後ろ姿になりました。わたし、とたんに寂しくなってきます。    もう、毎朝、おはようって言ってくれないのですね。  ようやく現実が押し寄せてきます。もう優芽先輩と、学園に通えないのですね。 「優芽先輩……!」  わたし、優芽先輩の後ろ姿に走っていきました。あまり大きな声ではなかったけど、優芽先輩は振り向いてくれます。でも、わたし何も考えていなかったから、あれどうしようかなと思いました。  どうしよう、どうしよう、と思っているうちに、すとんと優芽先輩がわたしを受け止めます。なんだか抱きつくみたいになってしまった。は、恥ずかしい。  あわてて離れようとしたら、優芽先輩がぎゅっとしてきました。……恥ずかしい! 「えっと、えっと、」  もごもごとしてしまいます。とくになにも、言いたいこととかなくて、でもちょっと、なんていうか、追いかけてしまった。  優芽先輩、「なあに」とやさしい声で言います。優芽先輩はいつだってやさしくて、あこがれで、本当に素敵な人です。わたしにはもったいない。けれど、とてもうれしい。 「む、むかえにきてください」  そんなことを言ってしまった。  優芽先輩、もういちどぎゅっと強く抱きしめて「かわいいなあ」と言って離れていきます。か、かわいい……?  つい照れてしまったら、優芽先輩はぽんぽんとわたしの頭を撫でて、「約束!」と、それこそ可愛らしく笑いました。  今度こそ優芽先輩の後ろ姿を見送ります。  あれ、わたし、とんでもないことを言ってしまったな、と気がついて、しばらく動けませんでした。けいくんに引っ張られて寮に帰ったことは覚えています。  その日の夕焼けは、とてもきれいでした。  

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