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第一章 モブ山モブ生の挑戦(1)
撮れない。
俺はこっそり構えていたスマートフォンを下げた。クラスメイトの隙間から被写体を撮れないかと狙っていたのだが、そんな俺の行動を見透かしているのか、被写体――香月一生 の傍には、彼のお目付け役として名高い瀧居家修司 が陣取っている。
瀧居家の切れ長の瞳は周囲を慎重に窺っていた。あー、これは絶対警戒されてる。俺は高等部の二年生に上がって十日経ったにも関わらず完遂出来ない妹からのミッションに頭を悩ませていた。
俺の妹が香月一生を好きになったきっかけは二年前に遡る。
中等部の入学式。妹の奥山亘代 は母と一緒に楓陵学園 中等部の校門を潜った。ところがそこでローラーの溝に足を取られてしまった。転倒は避けられたようだが、バランスを崩した亘代は、少し離れた位置にいた三年生の群れに突っ込んでしまった。
そこに居たのが香月一生だった。
突如として突っ込んできた新入生を避けて、モーゼの十戒のように割れる三年生の中で、ひとり残って亘代を抱き留めてくれた香月。彼のすらりとした長躯と綺麗な顔立ちは、一瞬にして亘代を魅了した。そう、恋に落ちてしまったのである。
ところが亘代は偉かった。
何せ香月一生は芙蓉グループ創業者一族の御曹司。将来的には芙蓉グループを背負って立つ彼は、並大抵のステータスしかない我が家からすれば、逆立ちしても太刀打ちできない大物である。楓陵学園に入学してその現実に直面した亘代は、自分が香月に釣り合わない家柄であることを直ぐに自覚した。そして、自らの恋心に蓋をすると、その他大勢の女子生徒と同じく、彼の一ファンになった。
ところが、である。
香月を遠巻きに眺めているだけで満足していた亘代は、けれども今年、俺が香月と同じクラスになってしまったことで変わってしまった。一枚でいいから写真が欲しい。そう言い出したのだ。
俺と香月の間には、これまで接点が全くなかったにも関わらずである。
中等部三年間プラス高等部の一年間、俺と香月の間には一度も交流がなかった。住む世界が違うのは勿論だが、クラスも委員会もものの見事に掠らなかった。亘代の入学式の件で、一応お礼を云いには行ったのだが、香月にとって俺はその他大勢のひとりであるのだろう。それ以降、口をきいたことすらない。
無理ゲーだ。俺はスマートフォンを制服のポケットに仕舞った。
可愛い妹の頼みである。俺としては写真一枚くらいなら叶えてやりたいという気持ちがあった。二年間、一ファンとして慎ましく香月を応援してきた亘代からすれば、せめてもという気持ちなのだ。その切実な感情を無碍にはしたくない。だが、いかんせん相手が悪過ぎる。
俺は香月の隣に陣取っている瀧居家を眺めた。
日本人が想像する日本人らしさを詰め込んだような男前。どこか浮世離れした香月の格好良さとは対照的な魅力がある。ただ、彼は厳格で融通が利かないという欠点があった。香月に近付く女子生徒は悪い虫だとばかりに全部追い払ってしまうし、男子生徒にしてもそうだ。良からぬ噂のある者は決して傍に近寄らせない。よしんば近寄れたとしても、瀧居家のお眼鏡に適わなければ全部がパーだ。香月にとってマイナスの影響しかないと感じたその瞬間に、瀧居家は即座に相手をその場から追い出してしまう。
女子生徒の大半は香月一生のことを『まさしく高嶺の花』なんて噂しているようだが、彼が高嶺の花である所以の殆どは瀧居家にあるんじゃないかと俺は思う。そのぐらい瀧居家のガードは固い。
なら瀧居家のお眼鏡に適うようになればいいのではないか。普通の人間はそう考えることだろう。
ところはそうは問屋が卸さない。
俺は平凡を絵に描いたような人間だ。
年功序列で部長になった父と総務畑一筋の母親の間に生まれた俺は、顔も能力も平均値で、あまりにも印象に残らないところから『モブ山モブ生』と呼ばれている。本名は奥山民生なのだが、多分この名を覚えている生徒はこの学園にはいない。こう言うと、『そうはいっても何か一つくらいは特技があるだろう』と言われるが、これが困ったことに本当にないのだ。いや、シャープペンを回せることが特技と言えるのであれば、確かに特技はあるけれども、瀧居家が求めている特技や能力は断じてそういったものではないだろう。
俺は席を立って、隣のクラスに向かった。
「どうしたよ、モブ山」
二組の畑山健治 と俺は、中等部一年で同じクラスになってからの長い付き合いだ。才媛だの、才子だの、良家の子女だの、子息だのがゴロゴロいる楓陵学園では希少な一般人でもある。その健治は伊達に四年も俺と付き合っていないだけあって、殆ど前髪に隠れてしまっている俺の目を見ずとも俺の表情がわかるようだ。「落ち込んでるじゃねーか」と、俺の顔を見るなり肩をばんばん叩 いてきた。
慰めているつもりなのだ。
気のいい奴ではあるが、いかんせん行動がオーバーなのが困りもの。俺は痛みを覚えた肩を庇うようにして健治に向き合った。
「撮れないんだよ」
「ああ、写真?」
「撮ってくれよ、健治」
「嫌だよ。俺はあいつらに睨まれたくねえ」
並み居る良家の子息子女の頂点に君臨する高嶺の花。噂では理事長とも個人的な繋がりがあるらしい。そういった香月を敵に回す恐ろしさ。それを健治は良くわかっているのだろう。肩をそびやかして言う。
俺だってわかってはいるのだ。
でも亘代は可愛い俺の妹なのだ。俺と同じ平均的であるが故に他人の印象に残らない顔をしているが、それでも可愛い可愛い妹なのだ。その亘代が頼み込んできたものを、どうして俺が叶えられないなど言えるだろうか。
「頼むよ、健治ぃ」
「俺に頼むくらいなら瀧居家に頼めばいいんじゃね? ワンチャン、許してくれる可能性も」
「ないんじゃないかな……」
「うん、まあ、俺も言ってて思った。瀧居家に限ってそれはないな」
去年、香月&瀧居家のコンビと同じクラスだっただけはある。あっさりと前言を翻した健治に、袋小路に嵌まり込んだ気分になった俺は、深い溜息を洩らさずにいられなかった。
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