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第九章 モブ山モブ生の決断(1)
さて、大変なのである。
俺は昇降口に向かいながら、周囲の刺すような視線に晒されていた。ひそひそ声であれが噂の――などという言葉が聞こえてくる。女子生徒の何人かが俺を睨みつけている辺り、香月の衝撃の告白は夜半の内に楓陵学園の生徒の間を駆け巡ったようだ。たった一晩明けただけでこの騒ぎ。いずれカミソリレターが俺の許に届くのは間違いない。
正直、くるりと踵を返して家に帰りたいところではあるが、今ここで挫けてしまっては、俺のモブからの脱出計画が振り出しに戻ってしまう。何も恥じることがないなら堂々としていろ。そう言ったのが俺の父だったか、それともいつぞやの瀧居家だったかはもう思い出せないが、俺は香月に告白されただけだ。何も恥じるような真似はしていない。だから俺は鞄を胸に抱きながら、てくてくと昇降口に入った。胸を張って歩けない辺りは流石の臆病者 であるが、登校を諦めなかっただけ成長した。そう自分を慰めながら、恐る恐る下駄箱を開ける。幸いにしてまだカミソリレターは届いていないようだ。ほっとしながら階段に向かう。と、背中をばんばんと叩かれた。
「おっす、モブ山!」
畑山だ。
俺は身構えた。ずけずけ物を言う強メンタルな畑山の耳に、香月の告白の件が届いていたとしたら、絶対に何かを言ってくるに違いない。
「期末、どうだったよ」
「うん、まあまあかな」
「お、余裕じゃないか」
幸いというべきか、畑山は噂を知らないようだ。肩を並べてくると、先週終わったばかりの期末テストに話題をフォーカスさせてくる。
「余裕でもないよ。点数的には中の上ってぐらいじゃないかな。でも勉強をするようになって、どこがわかってないのかがわかるようになったからさ」
「わからないときって、自分が何をわかってないかもわからないもんな」
「そうそう。自信満々で答えを書いたら、解答が全然違っててさ。しかもケアレスミスじゃないんだよね。根本的な理解が違ってる。そういうことがなくなった」
「成長したじゃん」
また背中をばんばん叩かれる。
自己採点では10点近く点数を伸ばしている俺の今回の期末テスト。早くも返ってきている主要科目の点数からするに、自己採点は概ね合っているようだ。と、なると、気になるのは学年順位である。中の中からの脱却を目論んでいる俺としては、いきなり上位躍進というのも難しいだろうから――と、先ずは中の上に食い込むのを目標としている。
「まあ、自己採点だから、本当に中の上になってるかはわからないんだけどね」
「モブ山は何をやっても平均的だからなあ。逆に稀有だろ。あそこまで平均的だと」
「笑っちゃうよね。体育の実技なんかもそうだし」
勉強も中の中ならば運動も中の中。音楽や家庭かといった実技科目でも、可もなく不可もなくの中の中。俺の人生は常に評価が真ん中であるが故に平均的で、そして驚くほどに『普通』である。凸凹になればいいという話ではないが、ここまで平均的だと、何なら出来て何なら出来ないのかがわからない。せめて一つぐらいは突出した才能があってもいいだろうに。
「そうそう。短距離や長距離、障害走問わずに平均的なタイムだもんなあ。あれは笑った」
「わざとやってる訳じゃないんだけどね」
「狙ってあれがやれたら、それはもう才能だろ」
「そうだよね。俺、自分の通知表見る度に笑うもん。オール3とか中々見られないだろうってさ」
「それも笑った」畑山が歯を剥き出しにする。「俺、人生であんな通知表初めて見たからな」
階段を上り終えた俺は、廊下で少し畑山と話をした。クラスが変わってからというものあまり話す機会がなくなったので、お互い積もり積もる話がある。先日のボランティア委員会の不思議な荷物の件についても訊いた。福祉施設への慰問でやるレクリエーションを考えるのに使ったそうだ。
「じゃあ、また今度な!」
「夏休み、楽しみにしてるよ」
ついでに夏休みの終盤に遊ぶ約束をして、俺は畑山と別れた。
今年の夏休みは忙しいなあ。香月の別荘に行くし、澤井さんとも会わないといけない。本田たちとも遊ぶ予定だし、畑山とも遊ぶ予定が立った。むしろ空いている日を探す方が難しい。
楓陵学園に入学してから、こんなに予定の詰まった夏休みは初めてだ。気分が高揚したした俺は足取り軽く教室に入った。「おはよう、奥山」もう登校していたようだ。俺の席近くで輪を作っていた香月が俺に挨拶をしてくる。
「おはよう、香月」
瞬間、教室がざわめいた。
そうだった。一度に向いたクラスメイトの視線に、俺は一気に現実に引き戻された。特に香月の取り巻きたちだ。彼らに値踏みされているような気がするのは俺の気の所為ではあるまい。瀧居家に選ばれて香月の傍に居る彼らとしては、ぽっと出の俺が香月に告白されたという事実が信じ難いものであるのだろう。俺が香月に相応しい人間であるか判断しようとしているように映る。
いたたまれない。
俺は自分の席に鞄を置いた。いつもならこのまま本田たちのところに向かうところだが、先程まで畑山と話し込んでいたこともあり、担任が来るまでそんなに時間が残されていない。教科書やノートを準備して、席にぽつねんと着く。うう、落ち着かない。俺は教科書を開いて読んでいる振りをした。なんとかしてクラスメイトからの視線から逃れたかった。
休み時間も大変だった。
俺のクラスは動物園の柵の中と化した。何かれと理由を付けて教室を訪れる余所のクラスの生徒たち。同級生は勿論のこと、上級生や下級生もやってきた。あとから本田たちに聞いたところによると、中等部を抜け出して見にきた生徒もいたらしい。「暇人が多いな」とは瀧居家の弁だが、それだけ香月が普段から注目を浴びている存在であるということの証左でもある。恐ろしい。俺は気が気でなくなりながら、休み時間をカーテンの中で過ごした。挙動不審であるのは承知しているが、流石にこの状況は臆病者 な俺には耐え難い。ほんの二か月半前まではモブとしてひっそりと生きていたのだ。堂々としていられる限度を超えてしまっていた。
「もう出てこないかい、奥山」
昼休み。俺は窓際の一番後ろの席にお弁当箱を持って移動し、カーテンの中に籠った。休み時間ですらあの騒ぎである。昼休みともなれば更なる混乱が予想された。というか、この騒ぎの中、混乱の原因であるところの香月はいつもと変わりなく過ごしていた。注目を浴びることにもう慣れているのだろう。この辺り、俺と違って強メンタルの持ち主である。
「今日の俺はいないものと思って欲しいです……」
「そういう訳にもいかんだろう。今日が駄目なら明日来る。そういう連中だっているぞ」
「俺を見て何が楽しいんだろう」
「さあ。見ても何も変わりはしないだろうにね」
香月と瀧居家は俺の傍で昼食を取ることにしたようだ。近くの席に陣取る気配がする。そこに水無瀬川がやってきたのだろう。「何してんのさ、モブ山」と、呆れたような、それでいて途惑っているような声がした。
「見ての通りです。俺にはこの状況はちょっと、耐えられない……」
「一生の隣に立つってこういうことだよ。もっと胸を張りなよ。ホント、そういうところがモブ山なんだから」
「まだ答えを出してないのに」
「それもどうなの?」ガタガタと机を動かす音がする。「真面目なのは結構だけどさ、澤井さんと香月じゃ付き合いの深さが違うでしょ。直ぐに答えが出そうなものだけど」
「そうは言われましても……」
香月に首ったけな水無瀬川であれば、それは一発で答えを出してみせることだろう。だが俺は違う。こういう友達もいいなと思っていた矢先の出来事だったのだ。
あれから二週間。香月からのスキンシップが増えたことで、嫌でも香月の好意を意識させられることとなった俺は、だからこそ、きちんと香月とも向き合おうと思っていたのだが、このままでは外堀を埋められてなんとやらになりかねない。それだけバーべーキューでの香月は凄かった。あののんびりやの山口が「付き合ってるんじゃないの?」と、首を傾げたぐらいなのだ。他の生徒はもっと訝しく感じていたに違いない。
ああ、何故だ。何故なのだ。何故、香月はあんな爆弾発言をしてしまったのだ。
あれがなければ噂は噂で済んでいたというのに。
「両方と付き合えば?」
あっけらかんと水無瀬川が言い放つ。「水無瀬川」と、即座に瀧居家が咎める言葉を吐くが、水無瀬川はお構いなしだ。
「俺の父さんは本妻さんの他に何人か愛人を持ってる人だし、母さんを本妻に迎えた今でも他の愛人と繋がりがあるけど、その中には他にお手当を出してくれる旦那を持っている人もいるよ。まあ、モラルが崩壊してるって言われたらそれまでなんだけど、無理に一人に絞らなくても良くない?」
「日本は一夫一妻制の国だぞ」
「だから何なのさ。多様性が謳われる世の中で、マジョリティだけが唯一の価値観なんてナンセンスでしょ。勿論、お互いが納得する必要はあるけど、モブ山は結婚する訳じゃないしねえ。お試しで両方と付き合ってみるっていうのもアリなんじゃない? ほら、モブ山、そういった意味で奥手でしょ。経験しないとわからないこともあるってことで、それも一つの答えなのかも知れないよ」
「ふん。おためごかしだな。わかっているぞ。お前はそこから一生に自分を売り込む話を始めるつもりだろう」
「あれ、バレた? そうなんだよね。だから一生、俺はお得だよ。何せ俺は二番手でもいいって思ってるからね……」
瀧居家の言葉が呼び水となって、水無瀬川がいつもの如く香月にアプローチを始める。その止め処ない小鳥の囀りのような声をBGMにしながら俺は考え込んだ。確かに、結婚するという話ではない以上、水無瀬川のように気楽に考えた方がいいとも思える。しかし、二人と一度に付き合うなんて、そんな両天秤にかけるような真似をしてもいいのだろうか。ううん。俺は箸を咥えながら思った。俺には無理だ。両方を等しく好きならまだしも、まだ自分の気持ちを決めかねている状態である。そんな浮ついた気持ちで両方と付き合うなど失礼にも程が――。
「私は奥山が私と付き合ってくれるのであれば、それでもいいと思っているけれども」
耳に飛び込んできた香月の言葉に俺は目を瞠った。
香月は独占欲が強そうに思えるだけに、俺が澤井さんと付き合うのを快く感じないと思っていた。澤井さんとの進展を尋ねてくるのも、香月からすれば恋敵である。それは気になって当たり前だ。そう思い込んでいただけに、もしかして俺の頭が固いだけなのか? そういった考えが湧いて出る。
「最終的に自分に振り向かせればいいだけの話だからね。そのきっかけとなるのなら何でもいいね」
あ、そういう……じゃない。怖い。怖いよ、香月。
もう何が何でも俺を落とすのだという香月の宣言に、俺はカーテンの中で縮こまった。
「流石ぁ、一生。格好いい。そういう強気なところに惚れ惚れしちゃう」
媚びる水無瀬川の声を聞きながら、その対象であるところの俺は気が気ではない。俺、このままだと本当に香月に落とされるんじゃないか。いや、もう告白されている以上、香月がそういう気持ちで俺と向き合っているのは間違いないのだけれど、それにしても明け透けにし過ぎである。
せめて告白の件を隠してくれていれば、誰にも知られることなく決着が付けられたものを。こうなってしまった以上は、どちらの答えを選んだにせよ、俺は学内の香月ファンに睨まれるのだろう。それを香月は理解しているのだろうか。付き合えば付き合ったで嫉妬を受けることになるだろうし、断れば断ったでモブ山如きがと見下される。往くも地獄戻るも地獄とは、まさにこのことだというのに。
俺は頭の中をぐるぐるさせながら食事を進めた。
すると、するりとカーテンの中に香月の手が入ってきた。「奥山」と、手探りで俺の手を握ってくる。
「そういうことだから、あまり難しく考えないでくれないかい。遥の言うように、もっと気楽でもいいのだよ」
「い、いや、香月がそれで良くても、俺はですね……」
「ふふ、そういう真面目なところも好きなのだけれど」
臆面なく俺を口説いてくる香月に、冷や汗なのか、それとも逆上せあがっての発汗なのかわからない汗が浮かんでくる。ひぃ。ほんの数か月前までは俺はただのモブだったのに、どうしてこうなった。
「あー、もう、また。一生はモブ山に触り過ぎ。俺のことも触ってよ」
カーテンの中のこととはいえ、想像がついたのだろう。拗ねる水無瀬川に、このぐらい自分の気持ちが明瞭 りしていればいいのにと思う。そうすれば香月も澤井さんも待たせずに済む。
ついでに俺の指を弄び始めた香月にドギマギしながら、俺はこの二週間を振り返った。放課後を偶に一緒に過ごすようになった澤井さんに、俺に触れている時間が長くなった香月。どちらも進展があったといえばあったが、スローペースな澤井さんとの付き合いと比べて、香月との付き合いは急展開の連続だ。はあ、どうしよう。悩ましさばかりが増えてゆく。
「奥山、お客さんだよ!」
箸を持った片手だけでお弁当を抓みながら、俺が現状を憂いていると、クラス委員の山際が俺を呼ぶ声がした。
この状況で俺に顔を出せというのか。俺は緊張に汗を掻きながらカーテンを出た。けれども、思ったよりは人が少ない。きっと興味を持っている人間は大半がこれまでの休み時間に来てしまっていたのだろう。幾分、安堵しながら教室の外に向かう。
それにしても、こんな騒ぎの中、俺を訪ねてくるなんて強い心臓の持ち主もいたものだ。
俺はドアの陰に立っている人物の顔を見た。そしてぎょっとした。
澤井さんだった。
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