18 / 18
真夜中のデカダンス(7)
ようやくすべてが片付き、シトロエンは夜の自動車道を東京に向かって走っていた。助手席に座る司は、ずっと黙り込んだまま考え事に耽っている。
あの後、涙を拭った司は、スタッフや操作員、東京から駆けつけたマスコミ一人ひとりに謝礼を渡した。気丈な振る舞いに誰もが気の毒がり、気遣わしげに声をかけてくれた。司の両親を除いて。
「まだ、あの熊谷に未練があるのか。父さんは恥ずかしくて街を歩けないぞ!」
「司、お願い。目を覚ましてちょうだい!」
この修羅場に、攻は躊躇いなく土下座して「どうしてもと無理強いされて引き受けただけなんです。どうか弓岡君を許してください」と、ひたすら謝った。司の受けた痛みを考えれば、これくらいお安い御用だった。
熊谷と相川は、いつの間にかいなくなっていた。「真夜中のデカダンス」さえ置き去りにして。きっと今ごろ、浮かれながら二人で安酒を呷っているか、その勢いで抱き合っているのだろう。うっかり想像しただけで攻は身震いした。
これだけ苦労して金もかけたのに、見返りは何も無い。司がしばらく生活を切り詰めると考えたら、攻はいたたまれなくなってきた。せめて、司の家にあるガラクタのような熊谷の絵を売れば足しになるかもしれない。話題性のある今なら少しは高く売れるだろう。司は嫌がるかもしれないけど。
「攻さん……」
「どうしたんだい?」
ようやく口を開いた司に、攻は優しく答える。
「僕、熊谷先生を迎えに行った時、せがまれて口づけをしたんです」
思いがけない告白にハンドル捌きが乱れ、シトロエンが大きく蛇行した。危うく中央分離帯へぶつかりそうになる。周りに車がいなくて命拾いした。
「求められたことが嬉しくて浮かれていたんです。まだ、先生は僕を必要としているって……。バカですよね」
言葉尻が涙声になる。攻は、あらためて熊谷への怒りを強くした。司の気持ちを散々弄んでおきながら、ステージであんな姿を見せて感謝の言葉も無いなんて。今度会ったら握り拳でぶん殴ってやろうと。
「僕、画商としてまだまだですね」
そう言って、司は自嘲する。攻は首を横に振った。
「そんなことない。少なくとも私から見れば腕利きの画商だよ。自信を持ってほしいな」
早く抱きしめて慰めなければ。そう考えるほど攻はアクセルを強く踏み込む。けれども、これ以上シトロエンのスピードは出ない。焦る攻を見て、司はクスクス笑った。
「攻さん、東京に帰ったら行きつけのブティックに連れてってくれませんか」
攻は1ヶ月前の会話を思い出す。ようやくその気になってくれたのかと胸が熱くなった。司のためなら、吊るされている服を端から端まで買い占めて、いくらでもポケットマネーから支払うつもりだ。
「いいよ。君に似合う服を私が選んであげよう」
「自分で選びますから結構です」
憎まれ口を叩いても、司の声は弾んでいた。思わず攻からご機嫌な口笛がこぼれる。
「選んだ服を着てバカンスでも行こうか。ニースなんかどうだい? たまには陽射しをたっぷり浴びなきゃダメだよ」
「仕事が山積みですから……。明日からもしばらく忙しいですよ」
肩を竦める司は、束の間7年前の少年に戻っていた。それでもすぐに居住まいを正すと
「落ち込んでなんかいられないですね」
と画商の顔になった。
「ったく……」と呆れながらも、攻は片腕を伸ばして司の肩を抱いた。
「もう……。しっかりハンドルを握っていないと事故を起こしますよ」
それでも、司は嫌がらない。
「私のテクニックを信じてほしいな」
そう、司は何があっても守ってみせる。それが自分の使命だと攻はあらためて心に誓うのだった。
ともだちにシェアしよう!

