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真夜中のデカダンス(6)
1ヶ月後。攻は朝から市民会館でスタッフとの打ち合わせやアルバイトへの指示に追われていた。その中には警備員として派遣された相川の姿も見える。
司は「行くところがあるから」とタクシーで出かけてしまい、なかなか帰ってこない。その間にも白井が控室に入り、外では大勢の客が列を作って、開場を今か今かと待ち構えていた。
ようやく会場に司が姿を現したのは、開演の1時間前。客を館内に入れる直前だった。
「どこに行ってたんだい。このまま姿をくらますのかと思って心配したんだよ」
「ちょっと野暮用を済ませていました。これから白井と打ち合わせしますから、その前にステージを見せていただけますか?」
大ホールに入るとすっかり準備が完了しており、ステージ上では中心に二人が対談するソファがセッティングされていたり、上から二人の名前が書かれた垂れ幕がぶら下がっていたりする。向かって左側には「真夜中のデカダンス」が飾られ、その前には赤外線リフレクトグラフィーの機器も置かれて、分析結果を映し出すスクリーンが用意されていた。
ちょうど、機器と共に東京から呼び寄せた操作員が、試しに分析をしている。司と攻はステージに上がり、背後から覗き込んだ。二人に気づいた係員は難しい顔をしている。
「あっ、弓岡さんに佐伯さん。分析結果が出たんですが、これ……本当にこのままスクリーンに投影するのですか?」
小さなモニターに映し出された分析結果を見て、司も攻も言葉を失う。どうして熊谷が分析を渋っていたのか、ようやく分かった。確かにこれは誰にも見せられるものではない。
「司、やめよう。こんな汚らわしいものを大衆の前で晒す必要はないよ」
司は、今にも倒れそうなくらい青白い顔をしている。それでも、首をやんわりと横に振り
「いいえ、投影してください。これほどの決定的な証拠はありませんから」
と操作員に命じた。「司……」と攻は両肩を掴む。かすかに震えているのが伝わってきた。
「どうして、こんな無茶をするんだい? 私は苦しくて堪らないよ……」
「言ったじゃないですか。熊谷先生の名誉を取り戻すためなら、何でもするつもりだって」
おそらく、司の心中は穏やかではないだろう。それでも強がる姿に攻は胸が痛んだ。
「白井先生と打ち合わせしなければいけないですね。モニターは直前まで消しておいてください。白井先生を驚かせたいですから」
操作員にそう言い残すと、司は背中を向けて舞台袖へと消えていった。攻は何も出来ない自分が悔しくて、ただ握り拳を震わせていた。
*
対談は予定どおりに始まった。客席はすべて埋まり、立ち見客が出るほどの大盛況。最前列には東京から呼び寄せたマスコミが陣取っている。攻は舞台袖から見守っていた。
司は進行役を無難に務め、ときには笑いを引き起こすなど、客たちを飽きさせない。司の両親も、客席で息子の活躍を誇らしげな表情で見守っている。
白井は常にご機嫌で、「真夜中のデカダンス」について訊かれるたび、饒舌に講釈を垂れていた。司は大げさなくらい驚き、過剰におだててみせる。一見すると、白井をひたすら持ち上げる会のように見えた。
「ところで、白井先生。絵描きは試行錯誤しながら、絵を完成させていくものです。この『真夜中のデカダンス』が、どのようなプロセスで描かれたのか、赤外線リフレクトグラフィーで分析させていただきました」
司の言葉に、白井は少し顔を引き攣らせる。
「ど、どんな結果が出てくるのか楽しみだね」
「それでは、客席の皆様もこちらのスクリーンに注目してください。どうぞ!」
ステージや客席が暗転し、スクリーンにスポットライトが当てられる。盛り上げるためのドラムロールが止まると同時に、分析結果がスクリーンに映し出された。
会場にいた誰もが絶句する。やがて、少しずつ客席がざわめき始めた。白井も言葉を失っている。
スクリーンに映し出されていたのは、若い全裸の男性が直立している姿だった。しなやかな体つき、躍動感のある筋肉。そして股間から立派な一物が聳え立っていた。
その時
「バ、バカ野郎! 見るんじゃねぇ!」
と誰かが客席からステージに上がってきた。警備の制服に身を包んだ相川である。
「おい、弓岡。早くこれを消せよ! 俺に恥をかかせるつもりか?」
そう、「真夜中のデカダンス」の下に描かれていたのは、相川の全裸だった。それはあまりにも生々しくて、熊谷の欲情が熱気や匂いを伴って伝わるほどだった。
「誰だ、おまえは! 警備員のくせに邪魔をしおって」
我に返った白井が声を上げる。再びステージや客席に明かりが灯ると、司は蔑むような眼差しをしていた。
「おや、貴方が描いたのに、ご存じないのですか? この絵のモデル、相川流さんですよ」
「わざわざ名前まで言わなくていいんだよ!」
相川は必死で、まだスクリーンに映し出されている自分の肖像画を大の字になってジャンプしながら隠そうとしている。司は、相手にせず白井と向き合った。
「これで証明されましたね。貴方がこの絵を横取りしたことを」
最前列のカメラマンたちがシャッターを切る音が鳴り響く。白井は何も言い返せないでいた。
「貴方は絵描きたちが身を削って描いた作品を、自分の名前で横取りしてきた。絵描きの風上にも置けません。でも、これで終わりですよ。貴方の悪行は全国に広まりましたからね」
「私を嵌めたのか!」
白井が司に向かって拳を振り上げる。攻は思わず、ステージへ飛び出しそうになった。
「嵌めたなんて人聞きの悪い。貴方の名前を全国に広めてあげただけですよ。たかだか100万円を受け取って、それを望んだのは白井先生。貴方じゃないですか」
司の視線につられて、白井が客席に目を向けた。誰もが冷たい眼差しで白井を睨んでいる。さらには、何人かが駆け寄って「俺もこの男に自分の絵を盗まれたんだ!」「私もよ!」と次々に抗議の声を上げた。
「畜生。ただで済むと思うなよ!」
そう言い残して、白井は逃げるようにステージから去っていった。肩を怒らせながら攻の前を通り過ぎてゆく。司は再び客席に向き直った。
「とんだ茶番をお見せしました。この『真夜中のデカダンス』の本当の作者を紹介します。熊谷刀先生です!」
紹介するなり、反対側の舞台袖から熊谷が登場する。一張羅のスーツに身を包み、髭もあたり、髪型を整えていた。いつもの小汚い姿はそこにない。おそらく、司の「野暮用」とは、熊谷の身支度を整え、会場へ連れてくることだったのだと攻は気づいた。
熊谷は舞台の中央に立つと、まだスクリーンに映し出された自分の肖像画を隠そうとする相川の腕を引っ張り、肩を組んだ。
「名作を生み出した偉大なる画家に、大きな拍手を」
司の言葉に合わせて、客席から拍手が沸き起こる。熊谷は恥ずかしそうに、それでも誇らしげに受け入れた。相川と仲睦まじくじゃれ合う姿は、二人が特別な関係であることを客たちに匂わせていた。
けれども、すべての客たちが喜んでこの茶番を受け入れたわけではない。怒って帰る客もいたし、司の両親は失望を露わにしていた。まだ、熊谷と繋がっていたのかと。
司が駆け寄ってマイクを渡すなり、熊谷は思いの丈を延々と語り始めた。「真夜中のデカダンス」を描いた経緯や、白井に横取りされて悔しかったこと、大勢の前で鼻を明かせてすっきりしたこと、そして、相川に対する思いの丈もたっぷりと。マスコミがうんざりした顔をするくらいに。
司は一歩下がったところから、その様子をうかがっていた。けれども、その目には何かがきらりと光っているようにも見える。攻はこっそりステージに出ると、目立たないように舞台袖へと連れていった。そして、背後から抱きしめて目元を優しく覆う。すぐに手のひらが濡れるのを感じた。
「もう何も見なくていい。私はずっとそばにいるからね」
熊谷の口から、司や攻への感謝が語られることは、ついぞなかった。
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