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■1章「最悪で最高の夏休み」 01-01.田舎の夏

みーんみんみんみーん。 最悪。最悪だ。最低。最悪。 蝉がうるさい。 一匹や二匹じゃない。家の周りにある木という木へ、全部びっしり張りついて鳴いているんじゃないかと思うくらいうるさい。 声というより音だった。古いガラスの窓と薄い壁を平気で突き抜けてくる。 耳のすぐそばで何かがずっと震えているみたいで、考え事をしようとしても頭の中までじわじわ埋め尽くされる。 ほんっと最悪。 畳の上に寝転がったまま、俺は何度目か分からない悪態を心の中で繰り返した。 天井の隅では、古い扇風機が首を振っている。こっちを向いた時だけ生ぬるい風が来て、汗ばんだ首筋を撫でていく。 少しも涼しくない。むしろ肌の上に張りついた汗を広げられているみたいで気持ち悪い。 何から何まで苛つく。 枕代わりにしている座布団も、日に焼けた畳も、なんとなく湿っている。知らない家の匂いがする。 古い木と線香と、押し入れに長く入っていた布団みたいな匂い。縁側の方には、さっきじいちゃんが置いていった麦茶がある。グラスの表面を流れた水滴が、丸い染みを作っていた。 喉は渇いている。 でも起き上がるのが面倒くさい。 飲んだところで機嫌が直るわけでもない。 そもそも、なんで俺がこんなところにいなきゃいけねえんだ。 父さんは海外出張。母さんは研修。 二人とも同じ時期に家を空けることになったから、中学一年の子供を一人で置いておけない。 それで夏休みの間だけ、じいちゃんの家へ預けようということになった。 大人たちの言い分は、だいたいそんな感じ。 父さんは、帰ってきたら土産を買ってやると言った。何がいい、と聞かれたから、別にいらないと答えたら、そういうところだけ母さんに似たなと笑われる。 意味が分からねえ。笑ってんじゃねえよ。 母さんは、田舎で過ごす夏休みなんて楽しそうじゃない、とまあ暢気だ。 川もあるし、山もあるし、虫もいるらしいよ、と。 どれも別に求めてねえし。 なんだ山って。なんだ川って。なんだ虫って。興味ねえ。 川はプールじゃないし、山は遊園地じゃない。虫に至っては何が楽しいのか本当に分からない。 それでも話は勝手に決まった。 じいちゃんも一人暮らしで、最近は顔を見せていなかったし、ちょうどいい。 そういうことらしい。 何がちょうどいいんだよ。 俺の予定は。俺の夏休みは。 友達と遊ぶ約束だってあった。陸上部の部活は休みが多いけど、何日かは練習もあった。 それなのに全部、大人の都合でどうにかされた。 父さんも母さんも、悪いと思っていないわけじゃないんだろう。 それくらいは分かる。だから余計に腹が立つ。 悪いと思っている顔で仕方ないだろと言われると、こっちが我が儘を言ってるみたいになる。 実際、我が儘なのかもしれないけど、でも俺だけ悪いのか? 絶対悪くない。俺は悪くない。 嫌なものは嫌だ。嫌だ。とにかくもう全部が嫌だ。腹立つ。 昨日、電車を何本も乗り継いで、最後は一時間に何本あるのかも分からないバスに揺られてここまで来た。 駅を離れるほど建物が減って、代わりに田んぼと山ばかりになった。 窓の外には知らない緑が延々と続いていた。眺めていても何も変わらないから、そのうち寝た。 バス停まで迎えに来たじいちゃんは、久しぶりに会った俺を見て、ずいぶん大きくなったなあと笑っていた。 そりゃ大きくもなる。 最後に会ったのがいつだったかも覚えていない。 じいちゃんは別に嫌いじゃない。話し方はゆっくりだし、余計なこともあまり聞いてこない。 俺が不機嫌なのも多分分かっているけど、機嫌を取ろうとはしてこなかった。 じいちゃんのそういうところは正直楽だった。 だって機嫌取ろうとされたところで、多分直るもんじゃねえし。 ただ、だからといってここに来たかったことにはならない。 家の外で、また蝉が一段大きく鳴く。 うるっせえ。こいつら喉とか枯れないのか。 仰向けのまま片腕を持ち上げて、目元に乗せる。腕の内側にも汗が浮いていた。 じっとしているだけなのに暑い。 網戸の向こうから風は入っているはずなのに、庭の葉っぱの匂いと湿気ばかり運んでくる。 都会だって暑い。 でも、ここは暑さの逃げ場がない。 アスファルトの照り返しとは違う。地面も木も草も、朝から浴びた熱をずっと抱え込んでいる。 息を吸うたび、青臭い葉っぱの匂いまで喉に絡む。 静かでいいところだろう、とじいちゃんは言った。 どこがだ。 蝉はうるさいし、どこかで鳥も鳴いている。家の中では柱時計がやけに大きな音を立てる。 廊下を歩けば床が鳴るし、夜になれば知らない虫の声が網戸の外からずっと聞こえてくる。 静かなんじゃない。 知っている音がないだけ。 俺の部屋のエアコンの音も、道路を走る車も、隣の部屋で母さんが何かを探している音もない。 代わりに、全部知らない音がする。 「透」 廊下の向こうから呼ばれて、腕をずらす。 返事はしなかった。 すぐに、足音が近づいてきた。襖が少し開いて、じいちゃんが顔を覗かせる。 「麦茶、ぬるくなるぞ」 「あとで飲む」 「そうか」 それだけ言って、じいちゃんは引っ込んだ。 怒られないのも、なんだかムカつく。 もう一度腕で目を覆う。瞼の裏まで赤い。外が明るすぎるせいだ。 テレビもゲームもスマホもあるのに、どれもやる気にならない。 友達から来ていたメッセージには、まだ返していない。 今何してる、とか。 田舎どう、とか。 写真送れよ、とか。 何を撮るんだ。 畳か。蝉か。庭にある、やたら葉っぱのでかい木か。 どれもいらない。 寝返りを打つと、畳が頬に擦れた。少しざらざらしている。 最悪だ。 本当に何もない。 何もないくせに、音と匂いと暑さだけはやたらと多い。 このまま夏休みが全部ここで潰れるのかと思うと、腹の奥がむずむずした。 じっとしていられないような、でも何をする気にもなれないような、変な苛立ちだった。

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