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序章 憑かれすぎ男と無敵の偽物霊媒師 1

 ――りっくんよ、堪忍やで。じいちゃんせめてりっくんが二十歳こえるん見届けたかったんやけどな、俺もただの人間やでもうじきにお迎えが来てしまうんや。  けどなんも心配することはない。今までどおり普通に生活しとったらええ。  ……そうやな、受験勉強きばって好きな部活入って、放課後はちょっとの時間でもええから毎日うちに座りにおいで。そしたら呼吸が楽になる。明日からまたまっさらな気持ちで生きてけるでな。  りっくんにはええご両親がおる。倅……おじちゃんもおる。無心でな、けど生きてる自分がこの世でいちばん強いんやと堂々としとったらええ。  そしたらな、いつか機が熟せば自分を害するわけのわからんもんとも対峙できるようになる。りっくんにしか見えん人ならざるもんにも、な。そのときは――とな、力合わせて精進してったらええ。  なんも心配することない。みんなおる。――もな、そんときはきっとそばにおるでな。     序章 憑かれすぎ男と無敵の偽物霊媒師      絶賛得意先回り中の九条陸は、気がついたらまたストリートに戻っていた。表通りから路地を抜けてすぐに広がる狭い通路の両側には古着屋が軒を連ねている。  見慣れた光景だったがこうなったら仕方がない、合間に見つけた屋台で生春巻きと焼きそばと豚バラの串焼きをテイクアウトして、そのまま店の前の椅子に座って食べた。  横にいる女が早く行こうと誘うように腕を引っ張る。鬱陶しいし邪魔くさい。大きく振り払ったら、前を横切る通行人がこちらを見た。平日の午後三時、スーツ姿の男がひとりで大量のおやつを食べているのがそんなに珍しいのだろうか。  わざとゆっくり食事をする間、女は長い髪の毛の先から大量の水を零しながら、九条の目の前を行ったり来たりしていた。    今日は先輩から引き継いで初めてひとりで訪問する取引先へ出向いたところだった。ルート営業先のひとつとはいえ、勤続三年目にしてようやく回ってきた単独案件のため相当に張り切っている。  初めてのボーナスで奮発して購入したグレーのソリッドタイは、角度によっては上品なシルバーに輝くお気に入りだ。その勝負ネクタイを締め直してエレベーターホールへと向かう。愛想よくあいさつをしながら目的のフロア直通のエレベーターに乗り込んだところで、扉をこじ開けるように若い女が乗り込んできた。  手ぶらの姿を見てここの社員かと考え会釈をしておいたが、エレベーターにふたりきりになってしまった。月に一回は開催されるコンプライアンス研修が頭に浮かぶ。法令遵守、社会規範と順に思い出し、密室でのふたりきりには気を付けるべき。といざ、さりげなく降りようとしたが、女が扉の前から動かないのであきらめて扉の上で増えていく数字を眺めていた。    このあとはどうしようか。ちょうどランチ時でもあるし食べてから会社に戻るか考えていたところで、急に首筋にまとわりつくような湿気を感じた。  真冬の乾燥しきったエレベーターの中、おかしなことに鼻をつくような水の臭いまで漂いだす。流れのないヘドロの中で腐敗した草の臭いだ。  思わず斜め前にいるはずの女の方を見る。離れたところにいるはずだった女はすぐ目の前に移動していた。じっとり濡れた後頭部から黒い髪が背中に流れている。その毛の先から滴り落ちた水滴が女の足元に濁った水たまりを作っている。また一滴、ぽたりと滴が落ちた。  足元に濁った水が広がりはじめる。腐臭が空気を満たし、九条は思わず息を止めた。  あかん。    九条はすぐ自分の足元に目を落とした。これは見たらだめなもの、認識してはいけないものだ。自分のつま先ギリギリに女の履物のかかとが触れている。  濃いブラウンのサンダルを片方だけ履いていた。底が厚くてヒールも太くて高い。今の流行かどうかは知らないが、少なくとも季節外れの履物なのはわかった。サンダルを履いていない方の足が地につかずにぶらぶら揺れるのを絶望した気分で見ているうちにエレベーターは目的地に到着する。  せめてエレベーターに用のあるものであってくれ。そんな願いも空しく女は九条の傍から離れることはなかった。誰に会っても女に目を向けるものはいない。ビルを出たところで腕を絡められそうになり、慌てて腕時計を確認するふりをしてその手を避けた。    久しぶりにまずいものに気づいてしまった。真っ青な肌は人間ではありえないが、片方だけ靴を履いていない歩き方は妙に人らしくて気分が悪い。大きな花柄のミニスカート、赤い細身のカーディガンはいつの時代に流行したものだろう。考えているうちに自分が帰るはずだった会社はとうに過ぎて、表通りから一本路地を抜けたストリートを歩いていた。自分の意志ではない、この女の思考だとすぐに気づく。    瞬間師に言われたことを思い出した。ぼうっとするな、自分の意志で歩いて生きろ。    九条のモットーは整理整頓よく眠りよく笑いよく食べること。人間としてきちんと生きることというのが、今は亡き師、じいちゃんと呼んで慕っていた恩師との約束事だった。  丹田に力を入れて誘い込まれたストリートを見渡した。見覚えのある道、学生の頃はもっと古着屋が多かったと記憶しているが、今は屋台の飲食店が目立つ。屋台の奥はきっと古着屋よりも数があった町工場跡だ。  知らない土地につれてこられたわけではないと回れ右してダッシュで路地を戻る。だが大通りに戻ったところで、真横にいる女の青白い指が示す先を見てしまった。まずいと思ったがもう遅い。気付けばまたさっきのストリートにたたずんでいた。  会社には直帰すると伝えた。それからこれを繰り返して数時間がたっている。持久戦だ。歩くためには腹ごしらえが必須で、人間として生きるために今すぐに成すべきことだった。  だから今九条は全力でメシを食っているのだ。もう食べることもできない女に見せつけるように、串焼きを追加で注文した。

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