31 / 31

第四章 けものあやかし⑧

 その夜、九条は川瀬、門崎とともにアパートの近くで見張りにつくことになった。柊真には部屋の中でチロと待機してもらい、早坂は仕事先から直接合流する手筈だ。  アパートの目隠しになっている生垣に身を寄せながら、三人は周囲に目を配っていた。門崎が「このかたはソファーの……?」と言い出して、まだ紹介していなかった奴がいたのかと慌てた。    冬になりきる前の夜風が身に沁みる。コーヒーくらい買ってきたらよかったかなあ、と手のひらをこすり合わせた川瀬が「俺姉ちゃんおるねんけど」と口を開いた。  九条は前に聞いたことがある。弟を愛して実家から蹴り出した優しい女性だ。 「俺姉ちゃんには勝てんの。ケンかとかもそうなんやけどね、なんていうか圧倒的に守られてるな、って思う瞬間がある」  九条はきょうだいがいないし、門崎は兄だ。ふたりともこの意見になんと答えていいものかわからず、顔を見合わせた。 「歳はあんま離れてないんやけどね。なんでかなあ、こういうんって……もどかしい? っていうの?」  俺は兄ちゃんの立場からやけどわかります、と門崎が同意する。 「俺も。柊真に頼ってもらえんのが逆にもどかしいときあります」   「それって血が繋がったきょうだいあるあるなんかな」  柊真の部屋を見上げていた九条がぼんやりと呟くと、川瀬は少し考えてはっきりと言った。 「血の繋がりなんかなくっても。ねえちゃんにいちゃんっていう生き物はね、ちいさいものを守ろうとするよ」  そっか、と息だけで紡いだ言葉は川瀬には聞こえていたらしい。力強く「そう」と答えてくれた。血の縁がなくてもいい縁はあるからね、と笑う顔にふっと力が抜けるが、「九条! 川瀬さん!」という抑えめの鋭い声に我に返る。 「誰か来た。隠れよ」    息を潜めて身をかがめる。暗がりから現れた人影は小柄だったが、体型や歩き方から男だと感じた。  時計を確認すると午後九時を少しすぎたところだ。柊真が夢を見て起きるのはほぼ夜中だが、この男とは無関係なのだろうか。  できればただの通行人であってほしい。九条の願い虚しく、男は不審者丸出しで周囲を何度も確認していた。横の川瀬が「ビンゴ」と呟く。 「こいつが犯人? 柊真に写真送りつけて猫を……」 「たぶんやけどね。アパートの敷地内入ったら陸くんは警察に連絡、拓海くんは柊真くんに知らせる」  はい、と答える門崎の声は掠れていた。無理もない、猫を少なくとも二匹は傷つけているかもしれない人間と相対するのだ。  男はアパートの前を行ったり来たりしている。今日何事もなければ、早坂と九条が男のあとをつけて大体の住居を確認する予定だ。そういえばふうちゃん遅いな、と九条が考えたときだった。  急に歩く速度を速めた男がアパートの庭に入り込み、素早く雨樋に足をかけた。門崎が静かに裏口に回っていく。通報しながら緊張のあまり、喉がごくりと音を立てた。  そしてベランダに両手をかけ、男がぶら下がった瞬間だった。  川瀬が飛び出し男の足を掴んで引きずりおろす。貧相な体は簡単に下に落ちた。地面に倒れた男を今度は無理やり立たせた川瀬が「もうすぐ警察来るからね」と穏やかに話している。が、手は男の襟首をつかみ、ほぼぶら下げている状態だ。まるで猫のようだと九条は思った。 「あんたらなんや!」    不法侵入者は元気だった。凶悪犯という顔つきではない。どこにでもいるような普通の男だ。  だが身じろぎした瞬間、黒いウインドブレーカーのポケットから何かを落とす。反射的に拾おうとかがんだ九条は、それを見てぎゃあ! と悲鳴を上げた。 「ナ、ナイフ!」 「うそ。ほんとに?」  緩んだ拘束から不法侵入者が抜け出した。川瀬が捕らえようと構えたそのとき、真正面からトトト、という軽いエンジン音が聞こえてきた。  片側だけの眩しい光が徐々に近づいてくる。 「ふうちゃん!」  九条は叫んだ。 「ふうちゃん! 犯人コイツ!」  スクーターに乗って登場した早坂は九条の大声に気付いたらしい。かぶっていたヘルメットを後方へ叩き落すと、不法侵入者を見て目を見開いた。     「こいつは悪霊や、俺にも見えた!」      次の瞬間、エンジンがかかったままのバイクから早坂が飛び降り、そのまま悪霊に跳び蹴りを見舞う。  バイクは主を失ったまま生垣に突っ込み、悪霊は三回転ほどしてから地面に伸び、そして動かなくなった。  あっという間の出来事だった。 「ふうちゃん、これ生きてる人間やで!」  静かな住宅街で巻き起こった大捕り物にあたりがざわつき始め、九条の悲鳴が響き渡る。川瀬が「ああ警察が来てしもた……」と犯人みたいな台詞を吐いた。   「川瀬さん! ふうちゃん逮捕されへんよな!?」 「なんで? これ悪霊ちゃうの?」 「こいつが猫虐待してた当事者で、柊真くんを脅してた奴で間違いないならまあ……」    ベランダから顔を出した門崎と柊真が、呆然とその様子を見下ろしている。  柊真に抱かれていたチロが、下を見てニイニイと鳴きだすのでそちらを見ると、あの黒猫が座ってチロを見上げていた。 「……もうなんかすごい騒ぎになったけど。助けたでたぶん。仔猫も、仔猫の命の恩人も」  黒猫は九条を見てニャア、と鳴いた。グリーンの瞳がキラキラと輝いている。    そしていつも去って行くのとは逆方向に颯爽と走って行き、やがて暗闇に紛れて見えなくなってしまった。

ともだちにシェアしよう!