1 / 8
第1話
冷たく暗い、地下の水牢に、由比・ジュドウ・茉希(ゆい・ジュドウ・まき)は閉じ込められていた。
薄衣を纏い、水の中にしゃがみこんでいた。
ゆっくり眠りたくても、足首まで水があるので横になれない。
食事は、一週間ほど前から運ばれて来ない。
極限状態にありながら、茉希の精神はクリアだった。
研ぎ澄まされていた。
「今度は……失敗しないように、しなきゃ」
色の悪い薄い唇を、茉希は噛んだ。
痩せて細い脚を伸ばし、立ち上がったところで、牢番が誰かと話す声がした。
「あの声は……亜貴」
茉希の双子の兄・由比・ジュドウ・亜貴(ゆい・ジュドウ・あき)が、面会に来たのだ。
健康的な笑顔は、茉希と対照的だった。
いや、一卵性の双子だから、茉希も亜貴と同じように美しいはずなのだ。
亜貴の髪は、少しウェーブのかかった柔らかい栗色だ。
白い肌に、輝く大きな瞳。
すらりとした四肢に、キュートな唇。
そんな亜貴が、頑丈な牢扉越しに話しかけてきた。
「茉希、調子はどう? 今度ミスったら、もう国外追放かもね」
双子の兄弟というのに、亜貴の言葉は冷たい。
自分と違って、全く魔力を持たない茉希を、蔑んでいるのだ。
それでも茉希は、何とか『錠前』の属性を持っていた。
おかげで、これまで何とか生かされて来たのだが。
「こ、国外追放?」
「そう。結界の外に出たら、すぐ魔人に殺されちゃうよ、きっと」
「そんな……」
可哀想な茉希は、震え始めた。
茉希のように、錠前の属性を持つ者は、異世界から『鍵』の属性を持つ魔導士を召喚できる。
異世界の扉の向こうから、魔力が強く魔術に長けた者を呼ぶのだ。
自身を極限まで追い詰め、研ぎ澄ました精神状態にすれば、きっと強い魔導士が呼べる。
そう言って、茉希の父で大神官でもある、由比・ジュドウ・将臣(ゆい・ジュドウ・まさおみ)は、彼を地下の水牢へ閉じ込めたのだ。
将臣は、以前はそこまで茉希に厳しい父親ではなかった。
長兄である由比・ジュドウ・芳雅(ゆい・ジュドウ・よしまさ)の死が、そうさせてしまったのだ。
芳雅は、将来を楽しみにされていた好青年だった。
アルファ特有の恵まれた体躯に、整った面立ち。
努力を惜しまず身に着けた魔力に、魔術。
そして、能力を持たない茉希にも、唯一優しい人間だった。
だが、それが災いした。
ある日、魔人に襲われた茉希を助けようとして、逆に殺害されてしまったのだ。
『茉希を離せ!』
『由比・ジュドウ・芳雅、か。噂には聞いているよ。その魔法陣を解いてくれたら、この子を解放しようじゃないか』
『解った。約束は守れ』
『承知しました、馬鹿正直なお兄様!』
芳雅が陣を解いた直後に、魔人の雷撃が彼を襲った。
しかも、体の自由を奪った後で、じわじわとなぶり殺した。
茉希の『優しい芳雅兄さま』は、永遠にこの世から去ってしまったのだ。
『茉希さえいなければ、芳雅は死なずに済んだのに!』
そしてこんな思いが、家族だけでなく屋敷中に、街中に、領地中に広まってしまった。
意地悪な亜貴の言葉を、茉希は真に受けて震えていた。
今度の召喚で、弱い魔導士を引き当てたりしたら、魔人のうろつく外の世界に放り出される。
この世界では、魔人は忌むべき存在だ。
生まれながらに強い魔力を持ち、他者を踏みにじり奪いつくす。
それが、魔人。
人間の魔力では手に負えない魔人を退けるため、この国では錠前の属性を持つ者が、鍵の属性を持つ魔導士を異世界から召喚していた。
そして、召喚された者の力を借り、かろうじて魔人を国外へ追い出しているのだ。
「この前に茉希が召喚した魔導士、弱かったよねぇ。すぐ魔人に殺されちゃったし」
茉希の胸は、ひどく痛んだ。
(僕が、ここに呼んだりしなければ、あの人は別の世界で生きられたのに)
恐れの震えが、悲しみの震えになる。
そこへ、牢番の冷たく固い声が響いた。
「亜貴さま、面会終了のお時間です」
「はーい」
「そして、茉希。時が満ちたらしい。召喚の間へ行くぞ」
「は、はい……」
よろめきながら、茉希は水牢の外へと、ようやく歩き始めた。
その一歩一歩が、運命の人との出会いに繋がると知らずに。
召喚の間へ出ると、もう牢番の肩を借りられない。
茉希は一人でふらつきながら、魔法陣の中心へ立つ大神官である父の冷たい声を浴びた。
「わずか一週間程度の断食で、そこまで衰弱するとは情けない」
「申し訳ございません」
「すぐに、儀式を始めるぞ。次元の扉がすでに開きかけている」
「はい」
一週間程度の断食で、とは言うが、普段から粗食に耐えているのだ。
それでも茉希は、扉の前へと進んだ。
大理石で造られた、荘厳な召喚の間。
天窓には美しいステンドグラスが施され、陽の光を色とりどりに映している。
芳しい香の匂いが漂い、大勢の神官たちの祈る声が歌のように響く。
大小さまざまな神木の枝が組まれ、花々で彩られている。
神木が組み取る隙間こそが、次元の扉だ。
人が動かしてもいないのに、この隙間がどんどん広がってきている。
魔法陣の上に置かれた神木の作り出す、次元の扉。
茉希は、その前へ立つ時が一番好きだった。
(こんな僕でも、お役に立てるんだ)
そう、実感できるからだ。
そして、彼の祈りに応える声が、意識の内に響いてきた。
『私を呼ぶのは、誰だ……』
成人男子の、耳に心地よい低音。
思わず茉希は、顔を上げていた。
ともだちにシェアしよう!

