48 / 48
第48話
気持ちよく、晴れた。
空は高く青く、澄みきっている。
そんな中、茉希は病院のエントランスにいた。
医師にかかる人々や、その付き添いの家族で、少しずつ混み始める中、椅子に掛けて待っていた。
「虚空さま、思ったより早く退院できて良かったね」
「うん。あの方は、魔力を失くしても強い人だったよ」
隣には、亜貴が寄り添っている。
(あんなに冷たかった亜貴が、こんなにも優しくしてくれる……)
これも虚空さまの、おかげ。
あの人が現れてから、由比家は風通しがよくなった、と茉希は想いを噛みしめていた。
茉希の隣には亜貴がいて、そのまた隣には意外な人物が掛けている。
「あの男の強さは、戦ったこの俺が一番よく知ってるさ!」
「ちょっと……偉そうに言わないでくれるかな?」
亜貴に冷たくあしらわれ、ユーリは肩をすくめて小さくなった。
彼は、生きていた。
魔人の剣は、急所を逸れていたのだ。
しかし、自分でも何だかとどめを刺された気分になって、そのまま意識を失ってしまった。
目を覚ました時には全てが終わっており、天使殺しの容疑者として警察の御厄介になっていた。
さらにしかし、その天使も死んだふりをしていただけだったのだ。
おかげで、ユーリは無事に釈放されたというわけだ。
「全く、調子のいい男! もう、僕に付きまとわないでくれる? この下衆野郎!」
「冷たいこと、言わないでくれよ。二度と浮気なんかしないから……」
亜貴とユーリの掛け合いに、茉希は小さく笑った。
(何だかんだ言いながら、亜貴はユーリ様のこと大好きなんだよね)
まだ彼と婚約解消していない所を見ると、このまま結婚まで進みそうだ。
(僕は、どうなるんだろう。虚空さまと婚約関係は続いてるけど……)
彼の、長い復讐の歩みは終わったのだ。
(今後の生き方、虚空さまはどう考えているのかな?)
あの性格からして、旅にでも出そうな気がする。
(僕を置いて、独りで……)
そこまで考えた時、バタバタと賑やかな足音が聞えて来た。
「おぉ、間に合ったようだな!」
「将臣さんの支度が、遅すぎるんですわ!」
両親が、病院に到着したのだ。
茉希も亜貴も、驚いた。
「お父様! お母様も!」
「えぇ? 僕、虚空さまの退院の日、教えてないよ!?」
「茉希の婚約者だぞ? 知らずにどうする!」
「うふふ。お元気になって、本当に良かったわぁ」
念入りにメイクをしている母・玲美は、まだ虚空に色目を使っている。
息子の婚約者と愛人関係になるのは、さすがに無理だと悟ってはいるのだが。
頻繁に見舞いを続けては、アピールを続ける玲美。
そんな彼女は、時々亜貴から本気で叱られていた。
さらに、由比家に仕える使用人たちや、虚空が魔術指導していた神官らも駆けつけた。
知らない顔の人間がやって来たと思えば、虚空が利用していた店の主人やスタッフたちだ。
「虚空さんの好きな酒、たくさん仕入れておきましたよ」
「茉希くんも、一緒に俺の店へ来るといい」
「虚空アニキの、めでたい出所だぜ! 黙ってなんかいられるか!」
「出所じゃない! 退院だ!」
こんな具合に、何だか素性の怪しげな人も混じっていたが。
茉希は驚き、そして胸が熱くなった。
「虚空さまは、こんなに大勢の人たちから慕われているんだ」
そういえば彼は、魔人との戦いで、こう言っていた。
『なぜ、耐える? どうして、そこまでして頑張るんだ?』
『茉希のためだ!』
『だったら、茉希だけを守ればいいじゃないか。他の連中など、見捨ててしまえ』
『話せば長くなる!』
「話せば長くなる、って。それだけ大切な人たちがいる、ってことだったんですね。虚空さま……!」
クールに見えて、実は情の深い男。
そんな虚空を、茉希は誇らしく思い、もっと好きになった。
やがて虚空が、専属の看護師と共にエントランスへと現れた。
そして、そこに集まった人々の姿に驚いた顔を見せたが、すぐに柔らかな笑顔になった。
「まいったな。こんなに出迎えがあるなんて」
照れる虚空に、看護師は嬉しそうな声を掛けた。
「慕われてますねぇ、虚空さん」
「そんなはずは、無いのだが……」
とまどう虚空に、右隣に沿って歩いていた、アジラが笑った。
「まぁ、俺の見込んだ男だしな!」
なぜか、由比家の抱えるテーラーの、アジラが一緒だ。
しかし、それもそのはず。
虚空は、いつものような黒ずくめの、暗いファッションではなかったのだ。
アジラが心を込めて仕立てた、真新しいスーツを着ていた。
若々しい、ブライトネイビーの上下に、ストライプのシャツ。
ペパーミントグリーンのネクタイは、彼を粋に演出している。
「こ、虚空さま……」
茉希は、その姿に見蕩れてしまった。
出迎えの中に彼を見つけた虚空は、にっこり笑って小さく手を振った。
「まぁ! わたくしに、手を振ってくださったわ!」
「お母様に、じゃない! 茉希に、合図したんだよ!」
「玲美さん。夫の前で、義理の息子推しをするのはどうかと思うが!?」
由比家の家族が騒ぐ中、虚空はそのまま彼らに近づいて来た。
虚空は真っ先に、茉希の間近へやって来た。
「心配かけたな。いつも支えてくれて、ありがとう」
「虚空さま。まだ痛むところとか、ありませんか?」
「もう、大丈夫だ。何でも、自分でできるようになった」
それから、と彼は続けた。
「君からの、プレゼント。似合っているかな? アジラ氏が、張り切って仕立ててくれたスーツだ」
「ぼんやり見蕩れるくらい、素敵です……」
良かった、と、そこでまた笑顔だ。
虚空は、良く笑うようになっていた。
「では、約束を守るとするか」
「約束?」
「ひどいなぁ、忘れたのか? 」
「……あっ!」
茉希は虚空の言葉を思い出し、虚空は茉希の言葉を思い出していた。
『そのスーツが仕立て上がったら、な。それを着て……君とデートをしたい』
『約束は、ちゃんと守って! 虚空さまはまだ、僕とデートしてないよ!』
デートを、しよう。
デートを、したい。
二人の想いは今、ぴったりと重なっていた。
「はい! いつまでも、二人だけの世界に浸らない!」
亜貴が大声を上げ、隠していた花束を茉希に押し付けた。
「大勢いるけど、これはやっぱり茉希の役目だからね」
亜貴から花を受け取った茉希は、代表として虚空へそれを差し出した。
「退院おめでとうございます、虚空さま」
「ありがとう、茉希……皆さんも、ありがとう!」
顔を上げ、明るい表情を見せた虚空に、その場の全員が拍手を贈った。
確かな絆を示す、温かな拍手だった。
「私は、思うんだが」
「僕、思うんですけど」
虚空と茉希は、念願のデートをしていた。
植物園を巡り、カフェでお茶を飲んだ。
デパートで、ショッピングも楽しんだ。
ディナーをいただき、今はバーでカクテルを飲んでいる。
眩しくきらめく、甘い時間を一緒になって味わった、一日。
その締めくくりに、二人は同時に声を掛け合っていた。
「茉希から、いいぞ」
「虚空さま、お先にどうぞ」
しばらく黙った後、虚空が口火を切った。
「茉希。その、虚空『さま』というのは、もうよそう。私は、君に敬称で呼ばれるような肩書は失ったんだし」
「僕、虚空さまのこと、いつまでも尊敬しますよ?」
次は、茉希の番だ。
「良かったら、虚空さまの『まことの名前』を教えてください。あなたはもう『虚空』な人じゃないんですから」
茉希は、虚空と初めて出会った時のことを、しっかりと覚えていたのだ。
『私の名は、虚空。虚しく、空っぽの、虚空だ』
そうだな、と虚空は茉希の言葉を噛みしめた。
この世界で、虚しく空っぽだった心は喜びに満たされた。
茉希のおかげで。
「君のおかげで、空っぽでいることができなくなったなぁ」
「それって、褒めてるんですか?」
「もちろんだ」
そこで、お代わりのカクテルが運ばれてきた。
それぞれのグラスを手にして、虚空は茉希に視線を合わせた。
真剣に見つめてくる彼に、照れてしまう、茉希だ。
「ど、どうしたんですか? 急に、静かになっちゃって」
「君が今後、私に丁寧語を使わないのなら『まことの名前』を教えよう」
「うぅ、難しいかも……」
「すぐに、とは言わない。少しずつでいいから、直していって欲しいんだ」
私は、茉希と対等なパートナーでいたい。
そんな言葉を改めて贈られ、茉希の心は嬉しさにあふれた。
喜びに輝き、愛情に満たされた。
「はい、解りました!」
「ほら、また丁寧語だ」
「あっ! えぇと、解ったよ! ……これでいいですか? じゃなくって、これでいいかな?」
「それでいい。私の『まことの名前』は、伊吹(いぶき)だ」
虚空は、思いのほか、さらりと告白した。
「いぶき……」
「そうだ。こういう字で表す」
虚空は、テーブルに指で『伊吹」と書いて見せた。
じっとそれを見ていた茉希だったが、やがて口を開いた。
「ひとつ、気付いたんですけど。あ、気付いたんだけど……」
「何かな?」
「虚空さま、じゃなくって、伊吹さま。いや、伊吹さんは、僕たちの仲間です!」
瞳を輝かせ、身を乗り出して、茉希は一気にしゃべり出した。
「亜貴と茉希。そして、伊吹。名前の最後の音が『き』なんです!」
「な……いや、あの!? 茉希、また丁寧語になってるぞ!」
「仲間! 茉希と伊吹で、運命の仲間だったんです!」
はしゃぐ茉希は、少しアルコールに酔っているようだ。
虚空は、いや、伊吹は、彼のグラスに自分のグラスを軽く当てた。
「運命の仲間・茉希に、乾杯」
「伊吹さんに、乾杯!」
軽やかで明るいグラスの音色は、二人の耳に、心に響いていった。
虚空は、今この時を持って、伊吹となった。
(伊吹に『戻った』とは思わない。私はもう、前に進むことができるんだ)
新たに、伊吹の名で、この世界を生きる。
「茉希と一緒に、な」
「何をひとりで、ブツブツ言ってるのかな? 伊吹さんは?」
まるで酔っぱらいの絡みのような、茉希だ。
伊吹は、そんな彼の耳元に、唇を持っていった。
「酔った茉希も可愛いぞ」
「……ッ! ま、また僕を困らせるんだからぁ!」
好きで好きで、たまらなく好きすぎて、困る!
抱きついて、頭を押し付けてくる茉希を、伊吹は受け止め、愛でた。
髪をくしゃくしゃとなぶり、キスをした。
額に、頬に、そして唇に。
「初めまして、茉希。伊吹と呼んでくれ」
「よろしくね、伊吹さん」
改めて口づけ合い、二人は互いを確かめた。
深く繋がる愛と絆を、確かめ合った。
ともだちにシェアしよう!

