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第20話 英雄劇はだいたい嘘
「愛しき賢者よ! 俺の後ろから決して離れるな!」
舞台の上で、勇者アデマール役の男が剣を天へ掲げた。
客席のオルヴァンが固まった。
隣では、本物のアデマールも固まっている。
舞台上の賢者オルヴァン役は、長い白い外套を翻しながら胸元で両手を組んだ。
「はい、勇者様。私はあなたを信じ、どこまでもついて参ります」
オルヴァンがゆっくりアデマールを見た。
アデマールもこちらを見る。
「……俺、あんなこと言った?」
「言われたら怒ります」
「だよな」
「それに僕、あんな話し方でした?」
「もっと普通」
「アデも毎回剣を天へ掲げていません」
「そこも気になってた」
前の席の客が振り返った。
二人は揃って口を閉じる。
舞台では、勇者役がまた剣を掲げていた。
アデマールが小声で言う。
「またやった」
「好きなんでしょうね、あの動き」
オルヴァンはもう笑いを堪えていた。
****
この町は、古い円形劇場を中心に広がった芸術都市だった。
石造りの劇場が大小いくつもあり、通りには役者、楽師、踊り手、絵師が溢れている。
二人も朝から芝居を一本見て、昼には路上劇を眺め、そのあと仮面作りの工房へ寄った。
夕方、宿の主人から、
「今夜の大劇場は人気作だよ。魔獣王戦争の英雄劇だ」
と聞いた。
題名を尋ねた。
『魔獣王を討った勇者と賢者』
二人は顔を見合わせた。
「行く?」
「行きたいです」
即決だった。
席を取る時も、まさか本人たちが来るとは誰も思っていない。
二人も普通の旅人として客席へ座った。
そして開幕から十分。
すでにかなり面白かった。
****
舞台版アデマールは、とにかく偉そうだった。
何かあるたび胸を張る。
剣を掲げる。
敵へ向かって長い名乗りを上げる。
舞台版オルヴァンは、儚かった。
すぐ勇者の後ろへ入る。
何かあるたび、
「勇者様……」
と潤んだ声を出す。
本物のオルヴァンが眉を寄せた。
「僕、戦っていませんね」
「今のところずっと俺の後ろだな」
「嫌です」
「だよな」
「僕も前へ出ます」
「知ってる」
舞台上で魔獣役が三体現れた。
勇者役が一人で前へ出る。
賢者役は後ろで祈る。
オルヴァンの指が膝の上で動いた。
「アデ」
「うん」
「このあと僕、何をすると思います?」
「たぶん倒れた俺を泣きながら治す」
「僕もそう思います」
勇者役が魔獣役に吹き飛ばされた。
賢者役が駆け寄る。
「勇者様――!」
二人は同時に俯いた。
笑いを堪えるためだった。
「当たった」
「当たりましたね」
舞台版オルヴァンが勇者役を抱き起こす。
「私の力をすべて使ってでも、あなたをお救いします!」
本物のオルヴァンが小声で言う。
「怪我の程度を先に見ます」
「そこ?」
「大事です」
「俺もいきなり全部使われたくない」
ついにオルヴァンの肩が震えた。
アデマールも口元を手で隠す。
劇そのものはよくできていた。
衣装は華やかで、魔獣の張りぼては驚くほど大きい。舞台奥から火花が上がり、照明代わりの魔法灯が夜空や炎を表現する。
役者たちも真剣だった。
だからこそ、本人たちには余計に面白い。
幕間になると、オルヴァンはアデマールの肩へ額をつけた。
「駄目です。次も笑いそうです」
「俺も。オル、あんなに俺のこと『勇者様』って呼ぶ?」
「一度もありません」
「試しに言ってみて」
「嫌です」
「一回だけ」
「アデ」
「はい」
オルヴァンは近づき、耳元へ小さく囁いた。
「勇者様」
アデマールが固まった。
数秒後。
「……もう一回」
「嫌です」
オルヴァンは満足そうに果実水を飲んだ。
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後半になると、今度は四英雄が全員登場した。
剣聖役はやたら寡黙で、舞台の端に立つだけで格好いい。
大魔術師役は高笑いしながら炎を撒く。
アデマールがそっと言った。
「ベルトラン、あんなに喋らなかったっけ」
「普通に喋ります」
「シビラは?」
「高笑いはしません」
「見せたいな、これ」
「絶対怒りますよ」
「ベルトランは?」
「笑うと思います」
舞台版四英雄が魔獣王の城へ突入する。
勇者役が剣を掲げた。
また。
オルヴァンがアデマールの腕を掴む。
二人とも耐えている。
舞台上では巨大な城門の装置が動いた。
左右から石壁を模した板がせり出し、中央に巨大な門が現れる。
役者たちがその前へ立つ。
その時。
上から、嫌な音がした。
ぎ、と金具が軋む。
アデマールの表情が変わった。
同時にオルヴァンも上を見る。
舞台上の役者は台詞を続けている。
観客も気づいていない。
巨大な城門飾りの片側が外れた。
役者の真上へ傾く。
アデマールが立つ。
「オル」
「はい」
客席の背もたれへ片足を置き、そのまま通路を越えた。
舞台へ。
落ちる城門。
勇者役がようやく見上げる。
アデマールが片腕を上げた。
轟音がした。
巨大な舞台装置が止まる。
片手で。
勇者役が、その真下で口を開けていた。
同時にオルヴァンが舞台袖へ飛び込み、倒れかけた支柱の横から別の役者を引き寄せる。
上から落ちてきた細い飾り紐だけが、白い服の肩へ乗った。
静寂。
アデマールは城門を支えたまま舞台裏を見る。
「これ、どこ置けばいい?」
裏方が我に返った。
「そ、そっち! 右の床へ!」
「分かった」
ゆっくり下ろす。
数人の裏方が駆け寄る。
オルヴァンは助けた役者の肩を軽く確かめた。
「痛いところはあります?」
「だ、大丈夫です」
「よかった」
そこへ年配の演出家が走ってきた。
二人を見る。
アデマール。
オルヴァン。
その視線が、アデマールの右手の黒いグローブ、オルヴァンの白い長手袋へ落ちる。
さらに顔へ戻る。
演出家の目がゆっくり大きくなった。
「……まさか」
アデマールが口元へ人差し指を立てた。
オルヴァンも小さく笑う。
演出家は数秒固まり、深く一礼した。
それだけだった。
アデマールとオルヴァンは客席へ戻る。
途中から拍手が起こった。
事故を救った旅人への拍手だった。
二人は軽く手を上げ、自分たちの席へ戻る。
隣の客が興奮している。
「すごかったな!」
アデマールが座る。
「びっくりした」
「いや、こっちがびっくりしたよ!」
オルヴァンはもう笑っていた。
****
舞台は少しだけ中断し、すぐ再開した。
城門装置の代わりに幕が使われた。
役者たちも立て直す。
勇者役が剣を掲げる。
客席のアデマールがオルヴァンを見る。
オルヴァンも見る。
二人ともまた笑いそうになる。
「まだやるんだ」
「最後までやるでしょう」
舞台版勇者が叫ぶ。
「賢者よ! この戦いが終わったら、俺の故郷へ来てくれ!」
本物のアデマールが眉を上げる。
「こんな告白した?」
「していません」
「もっと格好よかった?」
「そこは自分で聞くんですか?」
「オルが覚えてるやつ聞きたい」
オルヴァンは舞台を見ながら少し笑った。
「あとで教えます」
「絶対?」
「はい」
アデマールは一気に機嫌がよくなった。
劇は最後まで続いた。
魔獣王役が倒れる。
四英雄が並ぶ。
勇者役が賢者役の肩を抱く。
そして、幕。
大きな拍手が劇場を満たした。
本物の二人も立って拍手した。
「面白かった」
「すごく面白かったです」
何より本人たちが楽しんでいた。
****
劇場を出ると、夜の通りはまだ賑わっていた。
オルヴァンはしばらく黙って歩いていたが、突然胸を張った。
声を少し低くする。
「愛しき賢者よ!」
アデマールが吹き出した。
「やめろ!」
「俺の後ろから決して離れるな!」
「オル!」
「勇者様……」
「それはずるい!」
オルヴァンはもう笑いを堪えられない。
アデマールも同じだった。
二人で路地の端へ寄り、しばらく笑う。
「腹痛い」
「僕もです」
オルヴァンが目元を拭う。
アデマールはまだ笑いながら腰を抱いた。
「でもさ」
「はい?」
「俺ならもっといいこと言える」
「舞台の勇者より?」
「当然」
オルヴァンの笑いが少し落ち着いた。
「聞きたいです」
「今?」
「今」
アデマールは一瞬考えた。
さっきまで笑っていた顔が、少しだけ柔らかくなる。
「俺の後ろじゃなくて、隣にいてほしい」
オルヴァンの目が止まった。
アデマールは続ける。
「前でもいいし、俺が後ろになる時もあるけど。最後は隣にいて」
オルヴァンの口元から笑いが消えた。
代わりに、目が少し潤んだ。
「アデ」
「ん?」
「それ、ずるいです」
「なんで?」
「さっきまで笑っていたのに」
オルヴァンがアデマールの胸元を掴んだ。
「急に、そんなこと言うから」
身体が寄る。
「オル?」
「少し待ってください」
アデマールは腰を抱く腕を緩めた。
オルヴァンは胸へ額をつけ、何度か息を整える。
「……好きです」
「俺も」
「今、いっぱい好きです」
声が少し震えている。
アデマールの腕がもう一度背中へ回る。
オルヴァンはそのまま顔を上げた。
唇が重なる。
少し長い。
離れたあと、オルヴァンはまだ胸元を掴んでいた。
「アデ」
「うん」
「もう一回」
また重なる。
今度はオルヴァンの方から首へ腕を回した。
通りから一本入った路地には、劇場帰りの音楽だけが遠く聞こえていた。
アデマールが頬へ触れる。
「宿帰る?」
「はい」
オルヴァンは答えてから、少しだけ笑った。
「でも、その前にもう一つ聞きたいです」
「何?」
「昔、本当に言った方」
アデマールが眉を上げる。
「告白?」
「はい」
「オル覚えてるだろ」
「アデの口から聞きたいです」
「宿で?」
「宿で」
「じゃあ急ごう」
二人は手をつないだ。
さっきまで英雄劇を笑っていたのに、今度は歩く速度が少しだけ速かった。
****
宿へ戻ると、オルヴァンは上着を脱ぎながら寝台へ腰を下ろした。
「アデ」
「はいはい」
アデマールも向かいへ座る。
「昔のやつな」
オルヴァンが期待するように見ている。
アデマールは少し照れた。
「改めて言うと恥ずかしいな」
「舞台ではあんなに堂々としていましたよ」
「あれ俺じゃないから」
「では、本物をお願いします」
アデマールはオルヴァンの左手を取った。
指を絡める。
「俺、オルとずっと一緒にいたい。戦争が終わっても、勇者じゃなくなっても、ずっと」
オルヴァンの目が潤む。
「それから?」
「結婚してほしい」
「はい」
返事が速かった。
アデマールが笑う。
「昔もそれくらい速かった」
「何度聞かれても同じです」
オルヴァンは手を引いた。
アデマールが近づく。
唇が重なる。
一度。
二度。
三度目は、少し長くなった。
オルヴァンが離れたあとも、指を絡めたまま見つめている。
「アデ」
「ん?」
「本物の方がずっと格好いいです」
アデマールの表情が変わった。
「今それ言う?」
「言いたくなりました」
「オル」
「はい」
アデマールが少し困ったように笑う。
「ごめん。ちょっと待って」
オルヴァンの目が柔らかくなる。
「どうしました?」
「今、すごく抱きたい」
さっきまでの穏やかな声より、少し低い。
アデマールは繋いだ手を離さず、もう片方で自分の額を押さえた。
「舞台見て笑ってただけなのに。オルに格好いいって言われたら、急に無理になった」
オルヴァンはその言葉を聞き、嬉しそうにアデマールの手を自分の頬へ寄せた。
「我慢します?」
「……した方がいい?」
「僕はしてほしくありません」
アデマールの目が上がる。
オルヴァンは頬へ触れている手へ口づけた。
「来てください」
次の瞬間、アデマールが身体を寄せた。
言葉より早かった。
オルヴァンを抱きしめ、そのまま寝台へ押し倒すように身体を重ねる。
「オル」
「はい」
「好き」
「僕もです」
唇が重なる。
オルヴァンの手が黒いシャツの背中へ回る。
アデマールの指が白い上着の留め具を緩めた。
肌へ触れる。
オルヴァンが脚を絡める。
「アデ」
「ん?」
「もっと」
アデマールが額を合わせた。
「止まれないかも」
「止まらなくていいです」
オルヴァンが笑う。
「本物の勇者様なら」
アデマールが固まった。
「今それ言う?」
「ふふっ」
「オル」
「はい?」
「もう笑わせるな」
「無理です」
二人とも笑ったまま、また唇を重ねた。
****
夜更け。
オルヴァンは毛布に包まり、アデマールの腕を枕にしていた。
汗ばんだ髪を、アデマールの指がゆっくり梳く。
「オル」
「はい」
「勇者様はもうやめて」
オルヴァンが吹き出した。
「似合っていましたよ」
「どこが」
「反応が可愛かったです」
「オルの方が可愛い」
「ありがとうございます」
頬を撫でられる。
オルヴァンはその手へ顔を寄せた。
「でも、今日の劇は好きです」
「嘘ばっかだったぞ」
「だから楽しかったんです」
「俺たちより格好よかった?」
「本物の方が好きです」
アデマールの腕に力が入る。
「またそれ言う」
「何度でも言います」
「じゃあ俺も」
髪へ口づける。
「本物のオルが一番好き」
オルヴァンは満足そうに胸の中へ収まった。
卓の上には、劇場でもらった小さな演目札が置かれている。
明日になれば、また別の芝居を見に行くつもりだった。
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