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第32話 勇者になってよかった?

「アデ、あそこです」 オルヴァンが街道の先を指した。 町の入口に、何人かの子どもが集まっている。 その真ん中で、若い男がしゃがみ込んでいた。 「こっちの道をまっすぐ行けば、赤い屋根の粉屋がある。そこまで行けば分かるか?」 「分かる!」 「妹の手、離すなよ」 「うん!」 少年が隣の小さな女の子の手を握る。 若い男は立ち上がり、二人が走っていくのを見送った。 腰には剣。 旅装の胸元には、見覚えのある勇者紋。 アデマールが笑った。 「リュシアン」 呼ばれた若者が振り返る。 一瞬、目を丸くした。 「アデマールさん!」 すぐ隣のオルヴァンにも気づく。 「オルヴァンさんも!」 「お久しぶりです」 「何してた?」 「道案内です」 リュシアンが少し照れたように笑う。 「妹を連れて母親を探してたみたいで。粉屋で働いてるっていうから」 アデマールが子どもたちの消えた道を見る。 「勇者の仕事?」 「今のところは」 「今のところ?」 「朝は荷車の車輪を直すの手伝って、そのあと畑に出た魔獣を追い払って、昼前に迷子です」 アデマールがオルヴァンを見る。 「忙しいな」 「充実していますね」 リュシアンが笑った。 「前より、こういうのも勇者の仕事なんだって分かってきました」 アデマールの口元が少し上がる。 「いいじゃん」 「はい」 町の中から鐘が鳴った。 昼を知らせる鐘だった。 リュシアンが二人を見る。 「もう昼、食べました?」 「まだ」 「僕たちも今からです」 「じゃあ、いい店ありますよ」 アデマールがすぐ乗った。 「行こう」 オルヴァンも頷く。 「案内してください」 三人は並んで町へ入った。 **** リュシアンが連れていったのは、大通りから一本外れた食堂だった。 入口では肉の串焼きが香ばしい匂いを立てている。 店へ入るなり、女将がリュシアンを見つけた。 「あら勇者さん。今日はちゃんと客を連れてきたね」 「昨日も食べましたよ」 「一人じゃ客とは言わないよ」 「じゃあ今日は三人です」 女将はアデマールとオルヴァンを見る。 「旅のお連れさん?」 アデマールが答える。 「そんな感じ」 「腹いっぱい食べていきな」 大きな卓へ案内された。 出てきたのは、香草をまぶして焼いた鶏肉、豆と玉葱の煮込み、平たい焼きパンだった。 リュシアンが鶏肉を一口食べる。 「これ、うまいんですよ」 アデマールも食べる。 「ほんとだ」 オルヴァンは豆の煮込みをパンですくった。 「こちらもおいしいです」 「それも好きです」 リュシアンが嬉しそうに自分の皿へ取る。 アデマールは鶏肉をもう一切れ食べてから、若い勇者を眺めた。 「前より慣れた?」 「何がです?」 「勇者」 リュシアンは少し考えた。 「慣れた……と思います。たぶん」 「たぶんか」 「勇者になったばかりの頃は、もっと大きなことをしないと駄目だと思ってました」 オルヴァンが顔を上げる。 リュシアンはパンをちぎった。 「強い魔獣を倒したり、盗賊を捕まえたり。そういうのをちゃんとできないと、勇者って名乗っちゃいけない気がして」 アデマールは黙って聞いている。 「でも、この町に来てから、井戸の蓋を直したり、荷物を運んだり、道を聞かれたりするんです」 「ずいぶん頼まれていますね」 「勇者だって知られると、何でもできると思われるみたいです」 アデマールが笑った。 「分かる」 「アデも昔、よく頼まれていましたね」 「俺、何でもやったよな」 「屋根へ上がった猫を下ろしたこともありました」 リュシアンが食べる手を止めた。 「本当ですか?」 「ある」 「勇者が?」 「勇者が」 「猫を?」 「猫を」 オルヴァンが笑う。 「三日後には魔獣の群れと戦っていました」 「差がすごいですね」 「猫も困ってたからな」 アデマールは何でもないことのように言い、残ったパンを半分に割った。 片方をオルヴァンの皿へ置く。 「オル、これ食べる?」 「いただきます。アデは足ります?」 「あとで串焼き買う」 「では僕も一本欲しいです」 「二本買おう」 「一本でいいですよ」 「俺のも一口あげる」 「それなら二本ですね」 リュシアンが二人を見ていた。 アデマールが気づく。 「何?」 「いえ。相変わらず仲いいなと思って」 「夫夫だから」 即答だった。 オルヴァンも普通に煮込みを食べている。 「リュシアンも食べないと冷めますよ」 「あ、はい」 リュシアンは慌てて自分の皿へ戻った。 **** 午後は、三人で町を歩いた。 リュシアンはこの辺りを拠点にしながら、近くの街道や村を回っているらしい。 道の途中で声をかけられる。 「勇者さん!」 野菜を積んだ荷車の横から、年配の女性が手を振った。 「昨日はありがとうね!」 「車輪、大丈夫ですか?」 「息子がちゃんと直したよ!」 「よかったです」 少し先では鍛冶屋の男が声をかけてきた。 「リュシアン! 夕方空いてたら剣見せろ!」 「行きます!」 子どもたちにも呼ばれる。 「勇者さーん!」 「あとで広場行くから!」 アデマールはそれを横で聞きながら歩いた。 「人気者じゃん」 「そんなことないですよ」 「町中から名前呼ばれてる」 「しばらくいるから覚えられただけです」 オルヴァンが楽しそうに言う。 「それを人気者と言うんですよ」 リュシアンは照れたように頭を掻いた。 町の外れには、小さな牧草地があった。 街道沿いの柵の向こうで馬が何頭か草を食んでいる。 三人が通り過ぎようとした時だった。 大きな音がした。 積荷を降ろしていた荷車から木箱が落ちた。 驚いた馬が跳ねる。 手綱を持っていた男の手から抜けた。 「馬が!」 馬が街道へ飛び出した。 その先には、人を乗せた小さな荷車が来ている。 アデマールの足が僅かに前へ出た。 その横で、オルヴァンの指先も動く。 だが二人とも止まった。 リュシアンが走っていた。 「道を空けて!」 声を飛ばしながら馬の正面へ回り込む。 暴れる馬が前脚を上げた。 リュシアンは避ける。 すぐ横へ入り、垂れた手綱を掴んだ。 馬が走る。 引きずられそうになった足を踏み直す。 「大丈夫! 大丈夫だから!」 首を振る馬と並んで走りながら、少しずつ速度を落とす。 街道脇の草地へ向きを変えた。 十歩。 二十歩。 やがて馬の脚が緩んだ。 リュシアンは手綱を短く持ち直し、首筋を撫でる。 「よし。もう大丈夫」 馬が荒い息を吐く。 それでも走り出すことはなかった。 持ち主の男が駆け寄ってきた。 「すまん! 助かった!」 「怪我は?」 「俺は平気だ。こいつも……大丈夫そうだ」 リュシアンは馬の脚を確かめる。 「念のため、今日は休ませた方がいいと思います」 「そうする。ありがとう、勇者さん」 周囲に集まった人々から拍手が起きた。 リュシアンは少し困ったように笑う。 「怪我人がいなくてよかったです」 アデマールとオルヴァンは少し離れた場所に立っていた。 リュシアンが戻ってくる。 「すみません。待たせました」 アデマールは笑った。 「格好よかった」 リュシアンが目を丸くする。 「え?」 「ちゃんと止めたじゃん」 「アデ、嬉しそうですね」 オルヴァンが隣から言う。 「だってさ」 アデマールは馬を撫でているリュシアンを見る。 「俺たち、何もしなくて済んだ」 オルヴァンも笑った。 「はい」 リュシアンは二人を交互に見る。 「二人とも動こうとしてましたよね?」 「ちょっとだけ」 「僕もです」 「やっぱり」 三人で笑った。 **** 夕方、町を見下ろせる丘へ上った。 リュシアンがよく休憩に使っている場所らしい。 途中で買った串焼きと果実水を持ってきた。 草の上へ座り、三人で町を見る。 夕方の煙が屋根の間から上がっていた。 街道を荷車が行く。 さっきの馬も、今頃は厩で休んでいるはずだった。 リュシアンが串を食べながら言う。 「アデマールさん」 「ん?」 「一つ聞いてもいいですか?」 「いいよ」 リュシアンは少しだけ迷った。 「勇者になって、よかったですか?」 アデマールの動きが止まった。 オルヴァンは何も言わず、隣で果実水を飲んでいる。 アデマールは町を眺めた。 「よかったよ」 答えは思ったより早かった。 リュシアンがこちらを見る。 「すぐ答えるんですね」 「オルと会えたし」 リュシアンが一瞬黙った。 「……そこですか?」 「大事だろ」 オルヴァンが笑った。 「大事ですよ」 「ほら」 「二人に聞いた僕が間違ってました」 「何でだよ」 三人の笑い声が丘へ広がった。 アデマールは残った串焼きを一口食べた。 しばらくしてから、もう一度町を見る。 「でも、まあ」 リュシアンが待つ。 「今日みたいなの見ると、よかったと思う」 「今日?」 「お前が馬止めただろ」 「はい」 「あの馬の持ち主、明日も仕事できる。荷車にいた人たちも普通に帰れる。町の人は今夜も飯食って寝る」 アデマールは果実水を飲んだ。 「そういうの守れるなら、勇者やっててよかったよ」 リュシアンは黙って町を見た。 少しして頷く。 「はい」 オルヴァンがアデマールを見る。 その視線がずいぶん柔らかかった。 アデマールが気づく。 「何?」 「僕も、アデが勇者になってくれてよかったです」 「オルも賢者になっただろ」 「アデが勇者になってくれたから、僕はアデと会えました」 アデマールが止まった。 オルヴァンは穏やかに笑っている。 「それに、たくさんの人を助けました。今日もリュシアンを見て、嬉しそうでした」 アデマールは何も言わない。 「僕は、そういうアデが大好きです」 頬へ柔らかく口づけた。 アデマールはまだ動かなかった。 オルヴァンが少し首を傾げる。 「アデ?」 「……オル」 「はい?」 「今それ言う?」 「今言いたかったので」 アデマールの腕がオルヴァンの腰へ回った。 そのまま強く引き寄せる。 「ちょ、アデ」 唇が重なった。 オルヴァンは一瞬驚いたあと、すぐにアデマールの肩へ腕を回した。 離れる。 アデマールはオルヴァンを見つめたまま、もう一度抱き寄せた。 「好き」 「はい」 「すごい好き」 「僕もです」 また唇が重なる。 今度は長い。 オルヴァンの指がアデマールの髪へ入り、そのまま後頭部を抱く。 アデマールは腰から背中へ腕を回し、さらに身体を寄せた。 少し離れたところから声がした。 「……僕、帰った方がいいですか?」 二人が同時に止まった。 リュシアンが串を持ったまま座っている。 アデマールが瞬きをした。 「いたの忘れてた」 「僕の質問から始まった話ですよ!」 オルヴァンがアデマールの胸元へ額をつけて笑った。 「すみません、リュシアン」 「謝るなら離れてくださいよ」 アデマールはオルヴァンを抱いたままだった。 「それは無理」 「即答しないでください!」 丘の上に笑い声が響いた。 **** 町へ戻る頃には、通りに灯りが点き始めていた。 リュシアンは今夜、町外れの小さな宿へ泊まるという。 分かれ道で立ち止まる。 「明日は?」 アデマールが聞いた。 「北の村へ行きます。畑の近くに魔獣が出るって話なので」 「一人で?」 「はい。小型らしいです」 アデマールが頷く。 「頑張れ」 それだけだった。 リュシアンも笑う。 「はい」 オルヴァンが言った。 「また会いましょう」 「今度会う時は、もっと立派な勇者になってます」 アデマールが笑った。 「今日もちゃんと勇者だったよ」 リュシアンは一瞬だけ目を丸くした。 それから、嬉しそうに笑った。 「ありがとうございます」 手を振って、別の道へ歩いていく。 アデマールとオルヴァンはその背中を見送った。 「大きくなったな」 「初めて会ってから、それほど経っていませんよ」 「そういう意味じゃなくて」 「分かっています」 オルヴァンがアデマールの腕へ腕を絡める。 二人も宿へ向かって歩き始めた。 しばらくすると、アデマールが口を開いた。 「オル」 「はい?」 「さっきの、もう一回言って」 「何をです?」 「分かってるだろ」 オルヴァンは少し考えるふりをした。 「猫を助けた話ですか?」 「違う」 「朝食をたくさん食べる話?」 「それも違う」 「では何でしょう」 アデマールが立ち止まった。 「俺が勇者になってよかったってやつ」 オルヴァンも止まる。 「聞きたいですか?」 「聞きたい」 「宿まで我慢できます?」 アデマールの眉が上がった。 「それ、宿で言ってくれる?」 「はい」 「じゃあ急ぐ」 「走りませんよ」 「早歩き」 「それくらいなら」 二人は腕を絡めたまま、少しだけ歩調を速めた。 **** 宿の部屋へ入った。 扉が閉まる。 オルヴァンが鍵を掛けて振り返った時には、アデマールがすぐ近くまで来ていた。 「オル」 「はい」 「言って」 オルヴァンは笑った。 「アデが勇者になってくれて、よかったです」 アデマールの腕が腰へ回る。 「もう一個」 「アデと会えて、よかったです」 抱く力が強くなる。 「もう一個」 オルヴァンはアデマールの頬へ触れた。 「今のアデが、大好きです」 アデマールが唇を重ねた。 言葉より先だった。 オルヴァンもすぐに首へ腕を回す。 一度離れたアデマールが、また唇を求める。 オルヴァンは嬉しそうに受け止めた。 三度目は、オルヴァンの方から重ねた。 アデマールの手が背中を抱き、身体ごと引き寄せる。 「オル」 「はい」 「今日、駄目だ」 「何がです?」 「好きって言われるたび、もっと欲しくなる」 オルヴァンの目元が柔らかくなる。 「では、我慢しなくていいですよ」 「……ほんと?」 「僕も同じです」 アデマールが息を呑んだ。 オルヴァンはその頬を両手で包む。 「リュシアンへ話しているアデを見ていたら、僕も嬉しくなりました」 「うん」 「昔のアデも好きです。勇者のアデも好きです」 額へ口づける。 「今、僕と一緒に旅をしているアデが、一番好きです」 アデマールは最後まで聞いた。 次の瞬間、オルヴァンの身体を抱き上げた。 「アデ」 「もう無理」 オルヴァンは笑いながら脚を腰へ絡めた。 「はい」 「オルが欲しい」 「僕も欲しいです」 寝台へ運ぶ途中でも唇が重なる。 アデマールがオルヴァンを寝台へ下ろす。 離れようとした首へ、オルヴァンの腕が絡んだ。 「どこへ行くんです?」 「灯り」 「あとでいいです」 引き戻された。 アデマールが笑う。 「オルも今日すごいな」 「アデが嬉しそうだったので」 「それで?」 「もっと喜ばせたくなりました」 また唇が重なる。 アデマールの指が白い上着の留め具へ触れた。 一つ外す。 オルヴァンも黒いシャツの襟を緩めた。 肌へ指が触れる。 アデマールの呼吸が少し乱れる。 「オル」 「きてください」 その言葉で、アデマールはもう一度強く抱き寄せた。 オルヴァンの脚が絡む。 二人の身体が寝台へ沈んだ。 **** 夜。 窓の外では、町の灯りが少しずつ消え始めていた。 オルヴァンは同じ毛布の中で、アデマールの胸へ収まっていた。 汗の残る髪へ、アデマールの指がゆっくり触れる。 オルヴァンが少し身体を動かす。 すぐ背中へ腕が回った。 「水、飲む?」 「あとでいいです」 「眠い?」 「少し」 アデマールが頬を撫でる。 「オル」 「はい?」 「俺、勇者になってよかった」 オルヴァンが目を開ける。 アデマールはすぐ近くにいる。 「リュシアンに聞かれた時もそう思ったけど」 「はい」 「今、もっと思った」 オルヴァンが笑った。 「僕と会えたからですか?」 「うん」 「そこなんですね」 「一番はそこ」 オルヴァンはアデマールの胸へ身体を寄せ直した。 「では僕も、賢者になってよかったです」 「俺と会えたから?」 「一番はそこです」 アデマールが嬉しそうに笑う。 オルヴァンの頬へ口づけた。 「真似した」 「本当のことです」 「もう一回する?」 オルヴァンは少しだけ目を細めた。 「何をです?」 「分かってるだろ」 「今日はずいぶん元気ですね」 「オルが好きっていっぱい言うから」 オルヴァンは毛布の中から腕を伸ばし、アデマールの首へ回した。 「では、もう一度言います」 「うん」 「大好きです」 アデマールが笑った。 そのままオルヴァンを抱き寄せる。 今度はどちらからともなく唇が重なった。

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