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第34話 英雄様の昔話は禁止
「アデ、これです」
オルヴァンが立ち止まった。
学術都市の中央通り。
石造りの大学校舎が何棟も並び、その間を学生たちが本や筒を抱えて行き交っている。
二人の前には、大きな布看板が掲げられていた。
『魔獣王戦争特別展 四英雄と人々の記録』
アデマールが看板を見上げる。
「入る?」
「入りたいです」
「俺たちのやつだよ?」
「だからです」
オルヴァンはもう入口へ向かっていた。
アデマールも追う。
「何か変なこと書いてあったらどうする?」
「笑います」
「直さないの?」
「面白かったら、そのままで」
「オル、結構ひどいな」
「アデも楽しみにしているでしょう?」
「ちょっと」
二人は入場料を払い、一般客に混ざって展示室へ入った。
****
最初の部屋には、戦争当時の地図や軍用品が並んでいた。
古い水筒、兵士が使った革靴、携帯用の鍋、補修された弓。
壁には、当時の町や街道を描いた絵も掛かっている。
オルヴァンは一つずつ楽しそうに見ていた。
「これ、懐かしいですね」
古い型の携帯灯だった。
アデマールも覗く。
「使ってた?」
「僕は持っていました」
「俺のどこいったっけ」
「壊しました」
「いつ?」
「落としました」
「戦闘で?」
「馬から降りる時です」
アデマールが黙る。
オルヴァンが肩を揺らした。
「格好いい話ではありません」
「忘れていいやつだな」
次の展示ケースへ進む。
そこには四人の英雄を紹介する大きな板があった。
アデマールが自分の欄を見つける。
『勇者アデマール。常に冷静沈着で、いかなる危機においても表情を崩さず、仲間を導いた――』
数秒。
「オル」
「はい?」
「これ誰?」
オルヴァンが横から読む。
『戦場では寡黙を貫き、その鋭い眼差しだけで部隊を統率したと伝えられる』
オルヴァンの口元が震えた。
アデマールが見る。
「笑ってるだろ」
「まだです」
「まだ?」
オルヴァンはとうとう吹き出した。
「すみません」
「そんな笑う?」
「寡黙」
「何だよ」
「アデ、よく喋っていましたよ」
「必要なことだろ」
「夕食の相談も?」
「大事だろ」
オルヴァンは笑いながら自分の紹介板へ移った。
今度はアデマールが読む。
『賢者オルヴァン。常に穏やかで感情を表へ出さず――』
そこで止まった。
オルヴァンも止まった。
二人で互いを見る。
アデマールが先に言った。
「誰の話?」
「僕ではありませんね」
続きを読む。
『戦場においても平穏を保ち、勇者の後方から冷静に全軍を支えた』
アデマールの眉が上がる。
「後ろ?」
「僕、かなり前にいましたよね」
「俺の横とか前とか」
「敵陣へ入ったこともあります」
「あと泣いてた」
オルヴァンが振り返る。
「それは言わなくていいです」
「よく泣いてた」
「アデ」
「嬉しくても泣いてた」
「展示室ですよ」
「本当じゃん」
オルヴァンがアデマールの袖を引いた。
「次へ行きます」
「はい」
二人は笑いを堪えながら次の部屋へ進んだ。
****
ベルトランの紹介は比較的まともだった。
『剣聖ベルトラン。卓越した剣技で前線を支え、多くの兵を守った』
アデマールが頷く。
「普通だ」
「普通ですね」
シビラの欄へ移る。
『大魔術師シビラ。広域魔法と緻密な魔力制御を併せ持ち――』
オルヴァンが読む。
「これも普通です」
アデマールは少し不満そうだった。
「何で俺たちだけ変なんだよ」
「伝承しやすかったんでしょうか」
「寡黙な勇者が?」
「儚げな賢者も」
二人はまた笑った。
展示室の奥には、英雄たちの逸話を集めた札が並んでいた。
『勇者は三日三晩眠らず城門を守った』
アデマールが見る。
「これは本当」
オルヴァンが頷く。
「四日目に丸一日眠りました」
次の札。
『賢者は一言で千の兵を静めた』
オルヴァンが首を傾げる。
「何のことでしょう」
「あれじゃない? 兵站所でみんな喧嘩してた時」
「僕、何と言いました?」
「『夕食が冷めますよ』」
オルヴァンが黙った。
アデマールも黙る。
二人の肩が同時に揺れた。
「千の兵って」
「かなり増えましたね」
「五十人くらいだったよな」
「それでも多いです」
さらに進む。
『勇者と賢者は、一度も意見を違えることなく――』
二人とも足を止めた。
「……これ」
「かなり違いますね」
「喧嘩したよな」
「しました」
「どっちが先に謝ったっけ」
「内容によります」
「俺?」
「アデの時もありました」
「オルの時も?」
「ありました」
二人はしばらく札を眺めた。
アデマールが小声で言う。
「仲悪かったみたいに直されるよりいいか」
「そうですね」
オルヴァンが笑う。
「これはこれで、好きです」
「俺も」
そのまま次へ進んだ。
****
特別展の後半は、英雄個人よりも当時の暮らしを扱っていた。
避難民が使った食器、兵士が家族へ送った手紙、戦時中の配給札、移動商人の日記、子どもが描いた絵。
オルヴァンは一枚の手紙の前で長く立ち止まった。
『明日は町へパンが届くらしい。妹が楽しみにしている』
短い文章だった。
差出人の名前も、受取人の名前も残っている。
「こういうの、いいですね」
「うん」
アデマールも隣に立つ。
「俺たちの話より、こっちの方が面白いな」
「僕もそう思います」
近くで説明していた若い研究者が、二人の言葉に気づいた。
眼鏡を掛け、胸に大学の徽章をつけている。
「ありがとうございます」
二人が振り返る。
研究者は少し照れたように笑った。
「この展示、英雄だけで終わらせたくなかったんです」
オルヴァンが手紙を見る。
「あなたが担当されたんですか?」
「何人かで。僕は民間記録を中心に集めました」
研究者は展示ケースへ近づいた。
「戦争というと、大きな戦いや英雄の記録ばかり残りやすいでしょう。でも、実際に暮らしていた人は、明日のパンや家族のことも考えていたはずなので」
アデマールが頷く。
「そっち残ってる方がいいな」
研究者が嬉しそうに笑った。
「そう言ってもらえると助かります」
「でも英雄の説明は結構嘘だった」
アデマールが言う。
研究者が固まった。
オルヴァンがすぐアデマールを見る。
「アデ」
「だって寡黙って」
研究者が瞬きをする。
「詳しいんですか?」
「少し」
オルヴァンが答えた。
「昔の記録を読まれたことが?」
「まあ、そんな感じです」
研究者は納得したように頷いた。
「英雄個人の逸話は難しいんですよ。後世の記録ほど綺麗になりすぎていて」
アデマールが笑う。
「だろうな」
「特に勇者アデマールと賢者オルヴァンは、戦後すぐから伝説化が早かったようです」
本人二人が何とも言えない表情になる。
研究者は気づかず続けた。
「一次資料がもっと残っていればいいんですが」
オルヴァンが少し考えた。
「軍務記録だけですか?」
「今のところは。個人の日記や地方の記録も探しています」
「西棟の旧蔵書庫は?」
研究者が目を上げた。
「旧蔵書庫?」
「この大学の西側です。昔、地方軍の寄贈資料をまとめて入れていたはずです」
研究者の眉が寄る。
「そんな場所が?」
「今は使っていませんか?」
「西棟に保管庫はあります。でも戦争記録が入っているとは……」
研究者は少し考え込む。
「確認してみます。ありがとうございます」
オルヴァンが微笑む。
「見つかるといいですね」
研究者は何度も頷き、展示の仕事へ戻っていった。
アデマールが小声で聞く。
「オル、よく覚えてたな」
「昔、この大学へ資料を預けに来たことがあります」
「俺いた?」
「シビラと僕だけです」
「じゃあ知らないや」
二人はそのまま最後の展示室へ向かった。
****
特別展を出る頃には昼を過ぎていた。
二人は学生街へ向かう。
通りには安い食堂や書店、文具店が並んでいる。
広場では学生たちが芝生へ座り、昼食を食べていた。
アデマールが大きな掲示板を見つける。
「オル、あれ」
大学祭の案内だった。
古書市、公開講義、魔法実演、学生食堂の特別料理。
「古書市、見ます?」
「見る。あと食堂も」
「まだ食べ物を見ていませんよ」
「学生街なら安くて多いだろ」
「経験ですか?」
「勘」
二人はまず学生食堂へ入った。
大皿に盛られた肉料理、豆のスープ、焼き野菜、大きなパン。
アデマールが盆を持ったまま笑う。
「当たり」
「量ですか?」
「量」
二人で窓際の席へ座る。
周囲は学生ばかりだった。
アデマールが肉を一口食べる。
「うまい」
オルヴァンもスープを飲む。
「こちらもおいしいです」
「オル、肉食べる?」
「一切れください」
アデマールが自分の皿から大きめの肉を移した。
オルヴァンは代わりに焼き野菜を一つ置く。
「交換です」
「ありがと」
食べながら、二人はさっきの展示を思い出していた。
アデマールが笑う。
「冷静沈着」
オルヴァンも笑う。
「平穏な賢者」
「俺、今から寡黙になろうかな」
「何分です?」
「一時間」
「無理だと思います」
「やってみる」
アデマールは口を閉じた。
オルヴァンも食事へ戻る。
十秒、二十秒。
アデマールがオルヴァンを見る。
三十秒。
オルヴァンは気づいている。それでも何も言わない。
四十秒。
アデマールの眉が少し寄る。
五十秒。
「オル」
「一分も経っていませんよ」
「もういい」
オルヴァンが吹き出した。
「寡黙でしたね」
「向いてない」
「知っています」
「オルは平穏やる?」
「嫌です」
「即答」
二人で笑った。
****
午後は古書市を回った。
学生たちが不要になった本や写本を安く売っている。
オルヴァンは魔法植物の古い図譜を見つけた。
「これ、面白いです」
「買う?」
「少し迷います」
「欲しいなら買おう」
「荷物が増えます」
「収納あるし」
「では買います」
アデマールも古い冒険譚を一冊手に取った。
表紙には、剣を掲げる勇者の絵。
「また勇者?」
「題名が面白い」
『勇者は恋を知らない』
オルヴァンが読む。
「アデには合いませんね」
「全然違うな」
「買うんですか?」
「読む。どこまで知らないか確かめる」
オルヴァンが笑った。
二冊を買う。
そこから文具店へ寄り、紙と新しい筆記具も選んだ。
オルヴァンが店先で細身のペンを試している。
アデマールは隣から眺めていた。
「オル、字綺麗だよな」
「普通です」
「昔、報告書もオルに書いてもらってた」
「アデが書くと三行で終わるので」
「必要なこと書いてたよ」
「『倒した』『負傷者なし』『次へ行く』だけでした」
アデマールが少し考えた。
「十分じゃない?」
「足りません」
「だから賢者がいたんだな」
「そういうためではありません」
「でも助かった」
オルヴァンが試し書きを止め、アデマールを見る。
「今も?」
「今も」
「何がです?」
「いっぱい」
アデマールは笑った。
「一緒にいてくれるし」
オルヴァンの目元が柔らかくなる。
「僕も助かっていますよ」
「何が?」
「いっぱいです」
同じ答えを返され、アデマールが笑った。
二人はペンを一本買った。
****
夕方。
宿へ戻る前に、大学の前をもう一度通った。
特別展の入口近くで、昼の若い研究者が走ってきた。
「すみません!」
二人が立ち止まる。
研究者は息を整えた。
「西棟、ありました」
オルヴァンが目を細める。
「資料ですか?」
「はい。まだ全部確認できていませんが、地方軍から寄贈された箱が何十個も」
「それはよかったです」
「それで、一つだけ見てほしいものが」
研究者が抱えていた紙筒を開く。
古い地図だった。
何本もの線、小さな記号、文字。
研究者は困った表情をしている。
「これだけ、どう読んでも位置関係が合わないんです」
オルヴァンが覗き込んだ。
数秒。
紙筒の端を持つ。
くるりと上下を逆にした。
「こうです」
研究者が止まる。
地図を見る。
オルヴァンを見る。
もう一度地図を見る。
「あ」
道、川、山。
全部がつながった。
「……あ」
研究者が同じ声をもう一度出した。
アデマールが横から覗く。
「ほんとだ」
研究者は地図を持ったまま固まっている。
「何日悩んでた?」
「三週間です」
オルヴァンが少し驚いた。
「そんなに?」
「文字の向きに引っ張られて……」
「古い軍用図は、方位を上に置かないものもあります」
オルヴァンはそれだけ言った。
研究者は勢いよく頭を下げた。
「ありがとうございます!」
オルヴァンは少し身を引く。
「お役に立てたなら」
「立ちました! ものすごく!」
研究者は地図を抱え、大学へ戻っていった。
アデマールがその背中を見る。
「三週間」
「大変でしたね」
「オル、三秒くらいだったよな」
「見覚えがあったので」
「格好いい」
「ありがとうございます」
「もう一回言う。格好いい」
オルヴァンが笑う。
「今日はよく褒めてくれますね」
「だって格好よかったから」
二人は宿へ向かった。
****
部屋へ戻ると、買った本を卓へ並べた。
オルヴァンは植物図譜。
アデマールは『勇者は恋を知らない』。
アデマールが寝台へ転がり、本を開く。
オルヴァンは椅子へ座った。
数ページ。
「オル」
「はい?」
「この勇者、好きな人に触れないんだって」
「題名通りですね」
「何で?」
「知りませんよ」
「好きなら触りたいだろ」
「アデならそうですね」
「オルもだろ?」
「はい」
即答だった。
アデマールが本を閉じる。
「やっぱ合わない」
「まだ数ページですよ」
「主人公に共感できない」
オルヴァンが笑う。
アデマールは寝台の端を叩いた。
「オル、こっち」
「本は?」
「あとで」
オルヴァンは植物図譜を閉じ、寝台へ移った。
隣へ座った途端、アデマールの腕が腰へ回る。
「寡黙な勇者はどうしたんです?」
「午前中に終わった」
「一分も続きませんでしたね」
「俺はこっちの方がいい」
頬へ口づける。
オルヴァンも一つ返した。
「僕も今のアデが好きですよ」
「儚げな賢者じゃなくて?」
「そんな人、知りません」
「俺も」
二人で笑う。
アデマールはそのままオルヴァンの膝へ頭を乗せた。
「今日、楽しかった」
「僕もです」
「自分の嘘話見るの面白いな」
「研究者の方には悪いですけどね」
「そのうち直るかな」
「良い資料が見つかれば」
「寡黙は消してほしい」
「僕の『感情を表に出さない』もお願いします」
「泣き虫って書く?」
オルヴァンがアデマールの頬をつまんだ。
「アデ」
「痛い痛い」
指が離れる。
アデマールは笑いながら、その手を取って指先へ口づけた。
「でも、泣くオルも好き」
「知っています」
「笑ってるオルも好き」
「それも知っています」
「怒ってるオルも」
「全部ですか?」
「全部」
オルヴァンは少し目を細めた。
「僕もです」
髪を撫でる。
アデマールは気持ちよさそうに目を閉じた。
「昔のアデも、今のアデも好きですよ」
「うん」
「でも今のアデの方が、触りやすいです」
アデマールが目を開けた。
「何それ」
「昔は格好をつけていましたから」
「今は?」
「すぐ膝へ乗ってきます」
「頭だけだよ」
「十分です」
アデマールが笑う。
「じゃあもっと甘えていい?」
「どうぞ」
アデマールは起き上がり、今度は正面からオルヴァンへ抱きついた。
「これ」
「はい」
オルヴァンも背中へ腕を回す。
アデマールが首元へ頬を寄せる。
「気持ちいい」
「今日は甘えたい日ですか?」
「ちょっと」
「では好きなだけ」
背中をゆっくり撫でる。
しばらくして、アデマールが顔を上げた。
「キスも」
「はい」
唇を重ねる。
離れると、アデマールがもう一度唇を寄せた。
オルヴァンも自然に受け止める。
二度、三度と重ねたあと、アデマールは満足そうに肩へ額を預けた。
オルヴァンはそのまま髪を撫でる。
窓の外では、大学の鐘が鳴っていた。
展示室では今頃、若い研究者たちが見つかった箱を開けているかもしれない。
二人はそんなことを少し話し、それから夕食まで同じ寝台で本を読んだ。
アデマールは途中で『勇者は恋を知らない』を投げ出し、オルヴァンの植物図譜を横から覗き込んでいた。
****
翌朝。
朝食の席で、アデマールは昨日買った冒険譚を卓へ置いた。
オルヴァンが見る。
「読み終わりました?」
「三分の一」
「意外と読みましたね」
「勇者、やっと好きって気づいた」
「よかったですね」
「でもまだ触らない」
「そこが気になるんですね」
「気になる」
オルヴァンはパンへ果実のジャムを塗り、半分に切った。
一つをアデマールへ渡す。
「はい」
「ありがと」
受け取ったアデマールは一口食べる。
「俺、オルと結婚できてよかった」
オルヴァンが瞬きをする。
「朝から急ですね」
「本読んでたら思った」
「そうですか」
「オルは?」
「僕もアデと結婚できてよかったです」
アデマールが満足そうに笑う。
「やっぱ本よりこっちがいい」
「本と比べないでください」
二人は笑った。
学生たちの朝は早い。
窓の外では、もう何人もの若者が大学へ向かって歩いていた。
アデマールとオルヴァンは朝食を終えたら、今日は大学の植物園を見に行くつもりだった。
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