34 / 39

第34話 英雄様の昔話は禁止

「アデ、これです」 オルヴァンが立ち止まった。 学術都市の中央通り。 石造りの大学校舎が何棟も並び、その間を学生たちが本や筒を抱えて行き交っている。 二人の前には、大きな布看板が掲げられていた。 『魔獣王戦争特別展 四英雄と人々の記録』 アデマールが看板を見上げる。 「入る?」 「入りたいです」 「俺たちのやつだよ?」 「だからです」 オルヴァンはもう入口へ向かっていた。 アデマールも追う。 「何か変なこと書いてあったらどうする?」 「笑います」 「直さないの?」 「面白かったら、そのままで」 「オル、結構ひどいな」 「アデも楽しみにしているでしょう?」 「ちょっと」 二人は入場料を払い、一般客に混ざって展示室へ入った。 **** 最初の部屋には、戦争当時の地図や軍用品が並んでいた。 古い水筒、兵士が使った革靴、携帯用の鍋、補修された弓。 壁には、当時の町や街道を描いた絵も掛かっている。 オルヴァンは一つずつ楽しそうに見ていた。 「これ、懐かしいですね」 古い型の携帯灯だった。 アデマールも覗く。 「使ってた?」 「僕は持っていました」 「俺のどこいったっけ」 「壊しました」 「いつ?」 「落としました」 「戦闘で?」 「馬から降りる時です」 アデマールが黙る。 オルヴァンが肩を揺らした。 「格好いい話ではありません」 「忘れていいやつだな」 次の展示ケースへ進む。 そこには四人の英雄を紹介する大きな板があった。 アデマールが自分の欄を見つける。 『勇者アデマール。常に冷静沈着で、いかなる危機においても表情を崩さず、仲間を導いた――』 数秒。 「オル」 「はい?」 「これ誰?」 オルヴァンが横から読む。 『戦場では寡黙を貫き、その鋭い眼差しだけで部隊を統率したと伝えられる』 オルヴァンの口元が震えた。 アデマールが見る。 「笑ってるだろ」 「まだです」 「まだ?」 オルヴァンはとうとう吹き出した。 「すみません」 「そんな笑う?」 「寡黙」 「何だよ」 「アデ、よく喋っていましたよ」 「必要なことだろ」 「夕食の相談も?」 「大事だろ」 オルヴァンは笑いながら自分の紹介板へ移った。 今度はアデマールが読む。 『賢者オルヴァン。常に穏やかで感情を表へ出さず――』 そこで止まった。 オルヴァンも止まった。 二人で互いを見る。 アデマールが先に言った。 「誰の話?」 「僕ではありませんね」 続きを読む。 『戦場においても平穏を保ち、勇者の後方から冷静に全軍を支えた』 アデマールの眉が上がる。 「後ろ?」 「僕、かなり前にいましたよね」 「俺の横とか前とか」 「敵陣へ入ったこともあります」 「あと泣いてた」 オルヴァンが振り返る。 「それは言わなくていいです」 「よく泣いてた」 「アデ」 「嬉しくても泣いてた」 「展示室ですよ」 「本当じゃん」 オルヴァンがアデマールの袖を引いた。 「次へ行きます」 「はい」 二人は笑いを堪えながら次の部屋へ進んだ。 **** ベルトランの紹介は比較的まともだった。 『剣聖ベルトラン。卓越した剣技で前線を支え、多くの兵を守った』 アデマールが頷く。 「普通だ」 「普通ですね」 シビラの欄へ移る。 『大魔術師シビラ。広域魔法と緻密な魔力制御を併せ持ち――』 オルヴァンが読む。 「これも普通です」 アデマールは少し不満そうだった。 「何で俺たちだけ変なんだよ」 「伝承しやすかったんでしょうか」 「寡黙な勇者が?」 「儚げな賢者も」 二人はまた笑った。 展示室の奥には、英雄たちの逸話を集めた札が並んでいた。 『勇者は三日三晩眠らず城門を守った』 アデマールが見る。 「これは本当」 オルヴァンが頷く。 「四日目に丸一日眠りました」 次の札。 『賢者は一言で千の兵を静めた』 オルヴァンが首を傾げる。 「何のことでしょう」 「あれじゃない? 兵站所でみんな喧嘩してた時」 「僕、何と言いました?」 「『夕食が冷めますよ』」 オルヴァンが黙った。 アデマールも黙る。 二人の肩が同時に揺れた。 「千の兵って」 「かなり増えましたね」 「五十人くらいだったよな」 「それでも多いです」 さらに進む。 『勇者と賢者は、一度も意見を違えることなく――』 二人とも足を止めた。 「……これ」 「かなり違いますね」 「喧嘩したよな」 「しました」 「どっちが先に謝ったっけ」 「内容によります」 「俺?」 「アデの時もありました」 「オルの時も?」 「ありました」 二人はしばらく札を眺めた。 アデマールが小声で言う。 「仲悪かったみたいに直されるよりいいか」 「そうですね」 オルヴァンが笑う。 「これはこれで、好きです」 「俺も」 そのまま次へ進んだ。 **** 特別展の後半は、英雄個人よりも当時の暮らしを扱っていた。 避難民が使った食器、兵士が家族へ送った手紙、戦時中の配給札、移動商人の日記、子どもが描いた絵。 オルヴァンは一枚の手紙の前で長く立ち止まった。 『明日は町へパンが届くらしい。妹が楽しみにしている』 短い文章だった。 差出人の名前も、受取人の名前も残っている。 「こういうの、いいですね」 「うん」 アデマールも隣に立つ。 「俺たちの話より、こっちの方が面白いな」 「僕もそう思います」 近くで説明していた若い研究者が、二人の言葉に気づいた。 眼鏡を掛け、胸に大学の徽章をつけている。 「ありがとうございます」 二人が振り返る。 研究者は少し照れたように笑った。 「この展示、英雄だけで終わらせたくなかったんです」 オルヴァンが手紙を見る。 「あなたが担当されたんですか?」 「何人かで。僕は民間記録を中心に集めました」 研究者は展示ケースへ近づいた。 「戦争というと、大きな戦いや英雄の記録ばかり残りやすいでしょう。でも、実際に暮らしていた人は、明日のパンや家族のことも考えていたはずなので」 アデマールが頷く。 「そっち残ってる方がいいな」 研究者が嬉しそうに笑った。 「そう言ってもらえると助かります」 「でも英雄の説明は結構嘘だった」 アデマールが言う。 研究者が固まった。 オルヴァンがすぐアデマールを見る。 「アデ」 「だって寡黙って」 研究者が瞬きをする。 「詳しいんですか?」 「少し」 オルヴァンが答えた。 「昔の記録を読まれたことが?」 「まあ、そんな感じです」 研究者は納得したように頷いた。 「英雄個人の逸話は難しいんですよ。後世の記録ほど綺麗になりすぎていて」 アデマールが笑う。 「だろうな」 「特に勇者アデマールと賢者オルヴァンは、戦後すぐから伝説化が早かったようです」 本人二人が何とも言えない表情になる。 研究者は気づかず続けた。 「一次資料がもっと残っていればいいんですが」 オルヴァンが少し考えた。 「軍務記録だけですか?」 「今のところは。個人の日記や地方の記録も探しています」 「西棟の旧蔵書庫は?」 研究者が目を上げた。 「旧蔵書庫?」 「この大学の西側です。昔、地方軍の寄贈資料をまとめて入れていたはずです」 研究者の眉が寄る。 「そんな場所が?」 「今は使っていませんか?」 「西棟に保管庫はあります。でも戦争記録が入っているとは……」 研究者は少し考え込む。 「確認してみます。ありがとうございます」 オルヴァンが微笑む。 「見つかるといいですね」 研究者は何度も頷き、展示の仕事へ戻っていった。 アデマールが小声で聞く。 「オル、よく覚えてたな」 「昔、この大学へ資料を預けに来たことがあります」 「俺いた?」 「シビラと僕だけです」 「じゃあ知らないや」 二人はそのまま最後の展示室へ向かった。 **** 特別展を出る頃には昼を過ぎていた。 二人は学生街へ向かう。 通りには安い食堂や書店、文具店が並んでいる。 広場では学生たちが芝生へ座り、昼食を食べていた。 アデマールが大きな掲示板を見つける。 「オル、あれ」 大学祭の案内だった。 古書市、公開講義、魔法実演、学生食堂の特別料理。 「古書市、見ます?」 「見る。あと食堂も」 「まだ食べ物を見ていませんよ」 「学生街なら安くて多いだろ」 「経験ですか?」 「勘」 二人はまず学生食堂へ入った。 大皿に盛られた肉料理、豆のスープ、焼き野菜、大きなパン。 アデマールが盆を持ったまま笑う。 「当たり」 「量ですか?」 「量」 二人で窓際の席へ座る。 周囲は学生ばかりだった。 アデマールが肉を一口食べる。 「うまい」 オルヴァンもスープを飲む。 「こちらもおいしいです」 「オル、肉食べる?」 「一切れください」 アデマールが自分の皿から大きめの肉を移した。 オルヴァンは代わりに焼き野菜を一つ置く。 「交換です」 「ありがと」 食べながら、二人はさっきの展示を思い出していた。 アデマールが笑う。 「冷静沈着」 オルヴァンも笑う。 「平穏な賢者」 「俺、今から寡黙になろうかな」 「何分です?」 「一時間」 「無理だと思います」 「やってみる」 アデマールは口を閉じた。 オルヴァンも食事へ戻る。 十秒、二十秒。 アデマールがオルヴァンを見る。 三十秒。 オルヴァンは気づいている。それでも何も言わない。 四十秒。 アデマールの眉が少し寄る。 五十秒。 「オル」 「一分も経っていませんよ」 「もういい」 オルヴァンが吹き出した。 「寡黙でしたね」 「向いてない」 「知っています」 「オルは平穏やる?」 「嫌です」 「即答」 二人で笑った。 **** 午後は古書市を回った。 学生たちが不要になった本や写本を安く売っている。 オルヴァンは魔法植物の古い図譜を見つけた。 「これ、面白いです」 「買う?」 「少し迷います」 「欲しいなら買おう」 「荷物が増えます」 「収納あるし」 「では買います」 アデマールも古い冒険譚を一冊手に取った。 表紙には、剣を掲げる勇者の絵。 「また勇者?」 「題名が面白い」 『勇者は恋を知らない』 オルヴァンが読む。 「アデには合いませんね」 「全然違うな」 「買うんですか?」 「読む。どこまで知らないか確かめる」 オルヴァンが笑った。 二冊を買う。 そこから文具店へ寄り、紙と新しい筆記具も選んだ。 オルヴァンが店先で細身のペンを試している。 アデマールは隣から眺めていた。 「オル、字綺麗だよな」 「普通です」 「昔、報告書もオルに書いてもらってた」 「アデが書くと三行で終わるので」 「必要なこと書いてたよ」 「『倒した』『負傷者なし』『次へ行く』だけでした」 アデマールが少し考えた。 「十分じゃない?」 「足りません」 「だから賢者がいたんだな」 「そういうためではありません」 「でも助かった」 オルヴァンが試し書きを止め、アデマールを見る。 「今も?」 「今も」 「何がです?」 「いっぱい」 アデマールは笑った。 「一緒にいてくれるし」 オルヴァンの目元が柔らかくなる。 「僕も助かっていますよ」 「何が?」 「いっぱいです」 同じ答えを返され、アデマールが笑った。 二人はペンを一本買った。 **** 夕方。 宿へ戻る前に、大学の前をもう一度通った。 特別展の入口近くで、昼の若い研究者が走ってきた。 「すみません!」 二人が立ち止まる。 研究者は息を整えた。 「西棟、ありました」 オルヴァンが目を細める。 「資料ですか?」 「はい。まだ全部確認できていませんが、地方軍から寄贈された箱が何十個も」 「それはよかったです」 「それで、一つだけ見てほしいものが」 研究者が抱えていた紙筒を開く。 古い地図だった。 何本もの線、小さな記号、文字。 研究者は困った表情をしている。 「これだけ、どう読んでも位置関係が合わないんです」 オルヴァンが覗き込んだ。 数秒。 紙筒の端を持つ。 くるりと上下を逆にした。 「こうです」 研究者が止まる。 地図を見る。 オルヴァンを見る。 もう一度地図を見る。 「あ」 道、川、山。 全部がつながった。 「……あ」 研究者が同じ声をもう一度出した。 アデマールが横から覗く。 「ほんとだ」 研究者は地図を持ったまま固まっている。 「何日悩んでた?」 「三週間です」 オルヴァンが少し驚いた。 「そんなに?」 「文字の向きに引っ張られて……」 「古い軍用図は、方位を上に置かないものもあります」 オルヴァンはそれだけ言った。 研究者は勢いよく頭を下げた。 「ありがとうございます!」 オルヴァンは少し身を引く。 「お役に立てたなら」 「立ちました! ものすごく!」 研究者は地図を抱え、大学へ戻っていった。 アデマールがその背中を見る。 「三週間」 「大変でしたね」 「オル、三秒くらいだったよな」 「見覚えがあったので」 「格好いい」 「ありがとうございます」 「もう一回言う。格好いい」 オルヴァンが笑う。 「今日はよく褒めてくれますね」 「だって格好よかったから」 二人は宿へ向かった。 **** 部屋へ戻ると、買った本を卓へ並べた。 オルヴァンは植物図譜。 アデマールは『勇者は恋を知らない』。 アデマールが寝台へ転がり、本を開く。 オルヴァンは椅子へ座った。 数ページ。 「オル」 「はい?」 「この勇者、好きな人に触れないんだって」 「題名通りですね」 「何で?」 「知りませんよ」 「好きなら触りたいだろ」 「アデならそうですね」 「オルもだろ?」 「はい」 即答だった。 アデマールが本を閉じる。 「やっぱ合わない」 「まだ数ページですよ」 「主人公に共感できない」 オルヴァンが笑う。 アデマールは寝台の端を叩いた。 「オル、こっち」 「本は?」 「あとで」 オルヴァンは植物図譜を閉じ、寝台へ移った。 隣へ座った途端、アデマールの腕が腰へ回る。 「寡黙な勇者はどうしたんです?」 「午前中に終わった」 「一分も続きませんでしたね」 「俺はこっちの方がいい」 頬へ口づける。 オルヴァンも一つ返した。 「僕も今のアデが好きですよ」 「儚げな賢者じゃなくて?」 「そんな人、知りません」 「俺も」 二人で笑う。 アデマールはそのままオルヴァンの膝へ頭を乗せた。 「今日、楽しかった」 「僕もです」 「自分の嘘話見るの面白いな」 「研究者の方には悪いですけどね」 「そのうち直るかな」 「良い資料が見つかれば」 「寡黙は消してほしい」 「僕の『感情を表に出さない』もお願いします」 「泣き虫って書く?」 オルヴァンがアデマールの頬をつまんだ。 「アデ」 「痛い痛い」 指が離れる。 アデマールは笑いながら、その手を取って指先へ口づけた。 「でも、泣くオルも好き」 「知っています」 「笑ってるオルも好き」 「それも知っています」 「怒ってるオルも」 「全部ですか?」 「全部」 オルヴァンは少し目を細めた。 「僕もです」 髪を撫でる。 アデマールは気持ちよさそうに目を閉じた。 「昔のアデも、今のアデも好きですよ」 「うん」 「でも今のアデの方が、触りやすいです」 アデマールが目を開けた。 「何それ」 「昔は格好をつけていましたから」 「今は?」 「すぐ膝へ乗ってきます」 「頭だけだよ」 「十分です」 アデマールが笑う。 「じゃあもっと甘えていい?」 「どうぞ」 アデマールは起き上がり、今度は正面からオルヴァンへ抱きついた。 「これ」 「はい」 オルヴァンも背中へ腕を回す。 アデマールが首元へ頬を寄せる。 「気持ちいい」 「今日は甘えたい日ですか?」 「ちょっと」 「では好きなだけ」 背中をゆっくり撫でる。 しばらくして、アデマールが顔を上げた。 「キスも」 「はい」 唇を重ねる。 離れると、アデマールがもう一度唇を寄せた。 オルヴァンも自然に受け止める。 二度、三度と重ねたあと、アデマールは満足そうに肩へ額を預けた。 オルヴァンはそのまま髪を撫でる。 窓の外では、大学の鐘が鳴っていた。 展示室では今頃、若い研究者たちが見つかった箱を開けているかもしれない。 二人はそんなことを少し話し、それから夕食まで同じ寝台で本を読んだ。 アデマールは途中で『勇者は恋を知らない』を投げ出し、オルヴァンの植物図譜を横から覗き込んでいた。 **** 翌朝。 朝食の席で、アデマールは昨日買った冒険譚を卓へ置いた。 オルヴァンが見る。 「読み終わりました?」 「三分の一」 「意外と読みましたね」 「勇者、やっと好きって気づいた」 「よかったですね」 「でもまだ触らない」 「そこが気になるんですね」 「気になる」 オルヴァンはパンへ果実のジャムを塗り、半分に切った。 一つをアデマールへ渡す。 「はい」 「ありがと」 受け取ったアデマールは一口食べる。 「俺、オルと結婚できてよかった」 オルヴァンが瞬きをする。 「朝から急ですね」 「本読んでたら思った」 「そうですか」 「オルは?」 「僕もアデと結婚できてよかったです」 アデマールが満足そうに笑う。 「やっぱ本よりこっちがいい」 「本と比べないでください」 二人は笑った。 学生たちの朝は早い。 窓の外では、もう何人もの若者が大学へ向かって歩いていた。 アデマールとオルヴァンは朝食を終えたら、今日は大学の植物園を見に行くつもりだった。

ともだちにシェアしよう!