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第一章 第4話

 明日葉が本社につく頃にはすでに薬と伝票とが揃っていた。急ぎ受け取って駅へと引き返す。立川行の電車に飛び乗った。  電車の中での時間の、長いこと。明日葉は無意識に膝をゆすった。立川に着く。乗り換えのために降りると、ホームは人で溢れかえっていた。  駅のアナウンスが無情にも告げる。 『え~昭島駅にて発生した人身事故の影響により、20分の遅延が発生しております』  電光掲示板にも「事故発生」の四文字が。  明日葉は瞳を細めて遠くを見つめた。今日の運勢、魚座は最下位だったのだろうか。なんて日だ!と両手を広げて叫びたかった。  くるりと踵を返す。ホームを出て改札を通り過ぎ、タクシー乗り場へと向かった。開いてるタクシーに乗り込んで開口一番、言った。 「青梅病院まで」  運転手は思いっきり怪訝な眼差しを明日葉に送った。 「青梅病院って――――結構かかりますよ?」 「わかってます! 早く行ってください!」  お願いだから! と半泣きの明日葉の剣幕に押され、運転手はおずおずと車を出した。  結局のところ――――薬は間に合った。タクシーに乗り換えたのが功を奏した。病院前に着いても歩ける余裕があるくらいで、薬を受け取った安斎からも怒鳴られることはなかった。こんなことなら最初から営業車で来ればよかったと明日葉は少し後悔した。 「戻りました……」  憔悴しきって倉庫の扉を開けると、そこには亜笠が座っていた。手元を見ると、伝票のファイリングをしている。大柴が教えたのだろうか。 「あ、亜笠さん、お疲れ様ね……」  ぐったりと自分のデスクに突っ伏した。 「明日葉さんこそ――――大丈夫ですか?」 「大丈夫、ちょっと立ちくらみしただけ……ピッキングは?」 「伝票来た分は終わりました」 「え、うそ」 「本当です」 「亜笠さん……」  初対面での会話の時はどうしようかと思ったけど、明日葉は今亜笠を抱きしめたいほど感動していた。明日1便目の分は自分が夜中にやろうと思っていたところだった。まさかこれほど早く終わるとは。 「すごいよぉ、下手するとおれよりピッキング早いかも! ありがとう、めちゃくちゃ助かる!」  亜笠の指サックのハマった手を取ってぶんぶんと上下に振る。亜笠はやはり眉を寄せて、怪訝な表情を見せた。  と、そこで二階から降りてきた人物がいた。糸目の青年――――櫟だった。 「明日葉――――ってなに、仲いいね」  慌てて手を放す。前方から舌打ちのようなものが聞こえた。  舌打ち? 聞き返す間もなく櫟の呆れたような声が聞こえてきた。 「お前またタクシー使ったんだって」 「江南さんから聞いた?」 「うん、領収書回収しに来た」  その言葉に明日葉は固まった。黙り込むと、櫟はわざとらしく深い溜息を吐いた。 「また?」 「…………」 「またなの? お前、バカなの? 社畜バカなの?」 「またって何ですか」  亜笠が会話に割り込んできた。 「こいついっつもタクシーの領収書もらってくるの忘れるの」  亜笠の目が見開かれた。明日葉は櫟を恨んだ。何も今日来たばかりの新人に教育係の失敗をわざわざ暴露しなくていいだろうに。この糸目オジサンが! 「それって……」  亜笠が言葉を切ると、櫟が言った。 「そうだよ自腹になるよ。領収書なきゃ清算できないもん」  櫟がデスクに座る明日葉の頭をポンポンと叩いた。 「このおバカは何回か同じことしてんの。急ぎだ配送だって言って、届けたはいいものの肝心な領収書はいつももらい忘れ。タクシー代だけで何万飛んだよ?」 「明日葉さん……」 「何だよぉ仕方ないだろぉ! 遅延が電車の人身事故で」 「明日葉落ち着いて、日本語おかしいおかしい」 「人身事故なんてわかんないじゃんかよぉ! 何で飛び込んだんだよぉ!」  半泣きでデスクに突っ伏した。が、長い付き合いである櫟には通用しない。 「いやそれ僕に言われてもわかんないしね」 「あの、櫟さん」  亜笠が信じられない物を見るような目で明日葉を見ていた。ひどい。明日葉は地味に傷付いた。 「明日葉さんて、いつもこうなんですか」 「うんいつもこう」  櫟は即答だった。亜笠は顎に手を当てて何やら考え込んでいた。 「うるさい、悪かったなどうせポンコツで」  デスクに突っ伏してふてくされる明日葉を、櫟が指差した。 「ポンコツぽんちゃんって呼んであげて、亜笠さん」 「その糸目でちゃんと前方確認できてるんですかって聞いてあげて、亜笠さん」  負けじと応酬する。 「お二人とも仲が良いんですね」 「仲がいいって言うか……」 「同期の腐れ縁だね。5年前から一緒だから」 「へぇ…………」  亜笠の目が細くなる。が、明日葉は気に留めずに頑張って反論した。 「でもさぁ! お前だって安斎先生の怖さを知ってるだろ!」 「あー……安斎先生は、ね」 「あの人他の卸が配送遅いからってジェネリック医薬品丸ごとうちに変えたくらいなんだからな! 70万の損失に比べれば5千円なんて!」 「いやでもそれはそれ、これはこれだから」 「ぐっ」  抵抗もむなしく黙らされる。  櫟は「今度忘れたらポンコツぽん太って呼ぶからな」と言って詰所を後にした。後に残った明日葉と亜笠はそれぞれ伝票整理に勤しんだ。 「っていうか自然にやらせちゃったけど、伝票整理大柴さんに教わったの?」  明日葉の疑問に有能新人はさらりと答えた。 「いえ、見ればだいたいわかりますから」  こいつ、最早教育係がいらないのでは?と明日葉は遠い目になった。  営業先から戻ってきた江南が詰所に顔を出した。 「明日葉、お疲れさん」 「江南さん、お疲れ様です」 「日中は急がせて本当に悪かった。櫟に聞いたよ、タクシー代自腹だって?」 「あー……いや、あははは」  あのおしゃべり糸目オジサンめ……。明日葉は笑って誤魔化した。  江南の顔が曇った。 「悪かった。金は俺が出すよ」 「いや、いいですってば!」  財布を出そうとする江南を、明日葉は慌てて止めた。 「おれが領収書忘れたのが悪いんだし、そういう風に言われちゃうと、今後タクシー使いづらくなっちゃうからさ」 「明日葉……本当にありがとうなぁ……」  疲れ果てた声に、何も言えなくなる。江南はやり手ではあるが、社長と現場の間に挟まれて苦悩しているのを、明日葉はよく知っていた。こと青梅病院の薬局長には苦労させられていることも。  江南が2階に上がる頃、時計の時刻は18時を指していた。終業時間だ。江南と入れ替わるように、上から続々と人が降りてくる。明日葉は伝票を捲る亜笠に声をかけた。 「亜笠さん、今日はもう上がっていいよ」 「わかりました」 「一日見学とか言いながら、結局いろいろやってもらっちゃって、ごめんね。本当に助かった」  ありがとう、ゆっくり休んで、と言うと、亜笠は少し首を傾けた。つられて明日葉も首を傾げる。 「明日葉さんは定時で帰らないんですか?」 「あー…………やることが、まだ少し残ってて」 「僕も手伝いましょうか」 「いや! いい、いい!」  おれもすぐに帰るから、と咄嗟に口から出た。亜笠は不服そうではあったが、その言葉に納得したようで大人しく帰っていった。 (――――まじで、何なんだあの新人……)  明日葉はため息をついてパソコンの前に座った。  亜笠がピッキングをかなり進めてくれたおかげで、今日は棚卸の差異調査に集中できる。それは確かにありがたい。でも、複雑だった。何せ第一声が第一声だったので。  明日葉は一旦離席し、コンビニでカフェイン飲料を買って戻ってきた。飲みながらデータを開く。棚卸の差異調査にまだ手を付けられていない。それが終わったら、入荷した分をすべて棚入れまで終わらせたかった。明日は明日で忙しいし、また膨大な入荷が待ち構えている。 (ああ、今日は本当に――――何て日だ)  明日葉は霞む目をこすりながらパソコンに向かった。

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